悪魔を愛した少女の日記【完結】   作:結寄

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5話

 それは聞き間違えるはずもない、あの男の声でした。

 

 ――まさか、来ていた?

 

 いったいどうして。そんな理由もなければ、必要もないはずなのに。

 少なからず混乱する私の前で、南軍の兵士たちがゆっくりと道をあけて。

 

「や、トウリちゃん」

 

 散歩でもしているような気楽な足取りで現れたのは、間違いなくベルン・ヴァロウその人でした。

 

「大丈夫? 無事? ケガとかしてない?」

 

 すぐそこに銃を構えたイカレ野郎が居るというのに、まるで気にしていない様子で私に話しかけてきます。

 

「今のところは……、無事ですが……」

 

 正確には、新兵に殴られた後頭部がちょっと痛いですけど。

 衛生兵時代の経験からすれば、【(ヒール)】すらかけてもらえないレベルの傷です。大したことはありません。

 

「そう? 良かった。それじゃ早速説明してもらいたいんだけど、これっていったいどういう状況?」

「それは……」

 

 できれば私ではなく、こっちの馬鹿に聞いてくれないでしょうか。

 

 ベルンに無視されたアダー少尉は、なぜか怒るでもなく、呆然と突っ立っていました。

 本当に本人が現れたのが予想外だったのでしょうか。……まあ、気持ちはわかります。

 

 少佐クラスの人間が現場に出ることは普通ありません。

 ベルンは、オースティン軍ではいまやその名を知らぬ者は居ないというほどの有名人ですが、直接会って話したことがある兵士となると、そこまで多くはないはずです。

 

 オースティンの悪魔とか、怪物級の天才であるとか、名前や評価だけが1人歩きしている面もあるかもしれません。

 

 実際の彼は。

 メイヴさんのように体格が良いわけでもなく、レンヴェルさんのように威厳があるわけでもなく、ガーバック隊長やゴルスキィさんのように、いかにもエース級といった風格もない。

 軍人としてはむしろ細身な方だと思いますし、いつも笑顔の仮面を張りつけているせいで、謙虚というか、腰が低いように見える時もあります。

 

 ただ。

 この時の彼には、明確な「圧」がありました。

 その場の空気を支配してしまう、何とも言いがたい圧力が。

 

 口元には笑みを浮かべたまま、目だけを狡猾な蛇のように輝かせて。

 私に話しかけながら、その視線はアダー少尉の瞳にぴたりとすえられているのです。

 

 アダー少尉はまさしく、蛇ににらまれたカエル状態でした。

 次第に呼吸は乱れ、体は震え出し、拳銃を握った手からは力が抜けて――その隙を逃さず。

 私は、彼のつま先を渾身(こんしん)の力で踏み抜いてやりました。

 

「ひっ」

 

 実に情けない悲鳴を上げて、アダー少尉がよろめき、倒れそうになります。

 そこに声もなく殺到する、南軍の兵士たち。

 

 再び悲鳴を上げる暇もなく、彼は取り押さえられました。間近に立っていた私も、巻き込まれてもみくちゃにされかけたのですが――。

 誰かの手が、私を混乱の中から引っ張り出してくれました。

 

「大丈夫か?」

「ベルン少佐……」

 

 どうしてここに居るのですか、と私が質問するより早く、

 

「もう1回聞くけど、これってどういう状況?」

 

と、先に聞かれてしまいました。

 

「……残念ながら、自分にもわかりません」

 

 突然拘束され、意味不明な疑いをかけられただけなのです。

 

「君にもわからないの? 困ったな。こっちはこっちで意味不明な手紙が来て、最初はイタズラかと思ったんだけどさ」

 

 手紙には「トウリ・ロウの身柄を預かった」と書いてあり、念のため自分の部隊に確認したところ、居場所がつかめなくなっていて。

 

「君の所の副長、ガヴェル曹長だっけ。彼が、あのアダー少尉って人の名前に心当たりがあったらしくて」

 

 ヴェルディ様に今すぐ知らせないと! と叫んでテントから飛び出していったのだそうです。

 

「そういえば、アダー少尉はヴェルディさ……少佐の、士官学校時代の後輩だと言っていました」

「へー。だったら、ヴェルディ少佐に聞いたら何かわかるのかな」

 

 それはどうでしょう。アダー少尉の話は根拠不明のデタラメばかりでしたし、この件にヴェルディさんが関わっているとはとても思えません。

 

 私たちが話をしている間に、小屋の中からアルギィが助け出されました。

 いつものようにプクプク言っています。元気そうです。

 そしてもう1人、小屋の中に居た新兵――ルーカス二等歩兵は、

 

「?」

 

 なぜか一向に連れ出されてくる気配がありませんね。どうしたんでしょう。

 

「あの、もう1人は?」

 

 私は、小屋の前で指揮をとっていたあのコワモテの兵士さんに声をかけました。

 

「うちの中隊の新兵が中に居たはずなのですが……」

 

 兵士さんが「は?」と聞き返すのと、時を同じくして。

 

「おい、そこのおまえ! 何をやっている!」

 

 兵士の誰かが上げた声に、目を向けてみれば。

 そこには、ルーカス二等歩兵が。

 アダー少尉が騒いでいるうちに小屋から抜け出し、森に隠れて様子を(うかが)っていた彼が。

 わずか10メートルほど先の森の中から、私に銃を向けていました。見間違えるはずもない、強烈な殺意にその目を輝かせて。

 

 なぜ、どうして。そんな気配は全くなかったのに。

 

 唐突にふくれ上がり、迫り来る死の気配に為すすべもなく。

 私が呆然と立ち尽くしている間に、兵士たちの怒声と、複数の発砲音が森に響きました。

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