悪魔を愛した少女の日記【完結】   作:結寄

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51話

 深刻な毒ガス被害を受けた連合軍でしたが、即座にしっぽを巻いて退却、とはなりませんでした。

 多くの兵士を失ったとはいえ、いまだ圧倒的な数の優位があるからです。

 司令官フォヴィスは数日かけて部隊を立て直し、再びオースティンの塹壕に突撃をかけてきました。

 

 ……そして今度は、塹壕の一層目で足止めを食いました。

 

 そこには水が満たされていたのです。

 深さは膝ほどもありませんでしたが、水面には油が浮いており、何やら異臭がします。

 

 実のところそれは、いかにも怪しく見せかけただけの無害な水と油だったのですが。

 数日前の惨状を目にした連合軍の兵士たちが、そこに足を踏み入れることなどできるわけがありません。

 橋をかけようとしているところを砲撃で狙い撃ちにされ、または迂回路を探しているうちに無数の機関銃を構えたオースティン軍の前に誘導されて。

 

 この日の連合軍の戦死者は、数日前の被害を大きく超えたそうです。

 

 さらに、彼らの苦境はそれでは終わりませんでした。

 フォヴィス率いる30万の兵士が国境線で苦戦していたのと時を同じくして、ポールランドやダリア公国といったオースティン側の周辺諸国が、複数の箇所からフラメールに侵攻したのです。

 

 どちらも小国ですので、兵士の数はそう多くありません。

 彼らは電撃的にフラメールを奇襲した後で、サッと兵を退()いてしまいました。

 

 が、フラメールにとっては十分な痛手でした。

 国境線に戦力を集中していたためにそれ以外の場所の守りが薄く、結果、多くの町や村が焼かれて、多数の難民が発生してしまったのです。

 

 難民たちは近場の街や首都パリスに押し寄せ、為政者に救いを求めました。

 中には暴徒と化して略奪行為を(おこな)った者も居たようです。

 

 このほとんど嫌がらせのような奇襲作戦、立案したのはもちろんベルンです。

 オースティンがサバトと戦っていた時に、横から攻め込んできたフラメールへの意趣返しだったのかどうかは知りませんけど。

 

 大量の毒ガス被害者に、暴徒と化した市民たち。

 フラメールの上層部も、さすがにこの状況では、戦争の継続は困難と判断せざるを得なかったのでしょう。

 再度の侵攻からさらに数日後、彼らはオースティンに停戦交渉を申し入れてきました。

 

 ――決戦の日から、ほんの1週間で敵が白旗を上げた。

 

 その知らせに、オースティンの陣地はお祭騒ぎでしたし、私も今度こそ本当に戦争が終わるのだと信じていました。

 

 ……わかっていたはずですのにね。

 今まで何度も同じ期待をして、裏切られてきたこと。

 

 人間というものの愚かさも、社会の複雑さも。

 そこではさまざまな事情が、利害が絡み合い、時に救いようのない悲劇が引き起こされてしまうのです。

 

 ああ、本当に。1度始めた戦争を終わらせるのは、どうしてこんなにも難しいのでしょうか。

 戦争犯罪、なんて言葉がありますが――私は思うのです。

 この世で最も重い戦争犯罪とは、戦争を始めること、そのものであると。

 

 

 

*****

 

 再びの停戦交渉は、連合側の大敗から始まりました。当然、前回よりも条件を緩めて、大幅な譲歩をしてくるだろうとオースティン側は思っていました。

 

 しかし実際に突きつけられた条件は、領土の割譲に巨額の賠償金と、むしろ以前よりも厳しい内容になっていました。

 無論のこと、オースティンが飲めるわけもなく、協議は難航し――その間も、国境線では散発的な戦闘が続きました。

 

 戦況は変わらずオースティン有利でしたが、けして楽な戦いというわけではありませんでした。

 

 シルフが例の新戦術を仕掛けてくる可能性は常にありましたので――実際には、鍛え抜いた精鋭部隊が「正体不明の毒物」にやられてしまうのを恐れて、使いたくても使えなかったらしいのですが――備えは万全にしておかなければなりません。

 

 あの戦術は、塹壕の守りが手薄な箇所を狙って侵入し、そこから徐々に防御の穴を広げて、最後には制圧するものです。

 それを防ぐためには、味方の連絡を密にして、いざ守りに穴を開けられたら、即座に増援を送ってふさいでしまう必要があります。

 

 我々トウリ遊撃中隊の仕事は、このふさぎ役でした。

 後方に控え、いつ、どこに敵が現れてもいいように待機していました。

 

 連絡役をになう通信兵たちは、かつてのリナリーと同じ、14歳以下の未成年でした。

 一応、13歳以上という決まりはあったのですが、もっと幼い兵士も居たように思います。

 

 彼らの多くは戦災孤児です。

 親を失い、生きるすべを失った孤児たちに仕事を与えるという意味はありましたが、子供を戦場に出すのです。人道に反した行為であることは疑う余地もありません。

 

 動員されていたのは無論、子供ばかりではなく、オースティン国内でフル稼働中の軍需工場では、多くの戦争未亡人やお年寄りが働いていました。

 

 オースティンは文字通りの総力戦をしていたのです。そこに余裕などあるわけがありません。

 

 なぜ、敵は戦いをやめてくれないのか?

 フォヴィスはヤケになったのか? フラメールの上層部はそろいもそろって馬鹿ばかりなのか?

 

 不安と焦燥に駆られながら戦い続け、気づけば1ヶ月あまりが過ぎようとしていた頃。

 私はようやく知ったのです。目に見える敵だけが敵ではない、ということを。

 

「大陸の合衆国が連合軍を支援している……?」

 

 その情報を伝えてくれたのはヴェルディさんでした。

 夜遅く、「相談したいことがある」と言われて、ひとけのないテントに呼び出され、聞かされた話です。

 

 この世界には、私たちが暮らす欧州以外にも、いくつかの地域が、大陸があります。

 海をまたいだ東の大陸もそのひとつ。

 そこには大小の国家が存在しますが、中でも合衆国は、広い国土と高い生産力を持つ大国です。

 エイリスとは歴史上関わりが深く、比較的良好な関係にあります。貿易もさかんに行われているそうです。

 

 そして、ここが重要なところなのですが――エイリスがこの戦争に介入して以来、合衆国は空前の好景気にわいているのだそうです。

 戦時下においては武器弾薬だけでなく、食糧や衣類、医薬品等の物資も飛ぶように売れますので。

 合衆国は、戦争そのものには中立の立場を取りつつ、エイリスやフラメールに物資を売って荒稼ぎしているのだそうです。

 

 連合軍が停戦交渉で無理難題を吹っかけてきたのは、そもそも戦争をやめる気などなかったからでした。

 ただ、毒ガス被害による恐怖と混乱が国内に広がっていたため、表向きは「停戦交渉をした」という事実がほしかったのです。

「私たちは戦争をやめようとしたが、オースティンが応じなかった。我々にはこの戦いに勝つ以外の道は残されていないのだ」と国民を説得するために。

 

 実際のところは、フラメールの上層部は合衆国の支援を頼みに、オースティンに持久戦を仕掛けるつもりでいたのです。

 

 サバトに国土を破壊されたオースティンは、なけなしの国力をかき集めて戦っている状態ですから、確かにあと1年も戦えば勝手に倒れるでしょう。

 

 けれど、フラメールとて余裕しゃくしゃくだったわけではありません。

 ここ数年の戦乱で、国民の暮らしはもはや限界でした。

 加えて毒ガス被害による医療マヒと、周辺国の奇襲による大量の難民です。

 

 この状況で、あと1年も戦い続けたら。 

 たとえ勝利したところで、もはや国としての体をなさないでしょう。

 それは戦略などではなく、自殺行為です。あまりに愚かな選択であると言えます。彼らは憎いオースティンと心中する気なのでしょうか?

 

「愚かなのは彼らだけではありませんよ」

 

 そう言うヴェルディさんの顔には、疲労の影が色濃く滲んでいました。

 

「首相をはじめ、オースティンの上層部にも危機感が足りません。敵に戦いをやめる気がないのなら、いっそ完膚なきまでに叩きのめしてしまえばいい、という意見も出ています。このところ勝ち(いくさ)が続いているからと言って、我々に余裕があるわけでは全くないというのに」

 

 深々とため息をつくヴェルディさんを見て、私は思いました。

 

 それはつまり、ヴェルディさん自身は停戦を望んでいる、という意味ですよね。

 前回の停戦交渉の際には、あまり乗り気でないように見えましたが……。

 

「あの時はまだ、敵に余裕がありましたからね。あの時点で講和しても、近いうちにまた戦争を仕掛けてくる可能性の方が高かった」

 

 それは、ベルンも同じことを言っていました。

 サバトに踏み荒らされたオースティンと同じくらいの被害を与えるまでは、敵に戦い続けてもらわなければ困るのだと。

 

「無論のこと、少佐とは考え方を共有していますよ。目指す方向が違っていたのでは、協力して戦えませんからね」

 

 ヴェルディさんの、そしてベルンの腹積もりとしては、国境線での戦いに大勝し、そう簡単には国力を立て直せないだけの打撃を敵に与えた上で、できるだけ有利な条件で講和を結びたかったのだそうです。

 

 事実、我々は大勝したのですが。

 敵も味方も余裕がないにも関わらず、なぜか戦いをやめようとはしない、という厄介な状況になってしまいました。

 

「なかなかに、思い通りにはいかないものですね」

 

 ヴェルディさんはそう言って苦笑しましたが、現実は全く笑える状況ではありません。

 このままずるずると戦いが続くのも避けたいところですが――もっと最悪のシナリオがあることに私は気づいてしまいました。

 

「もしも、合衆国がこの戦争に介入してきたら……?」

 

 エイリスと友好関係にあるというのなら、ありえなくもないのでは。

 

「可能性はゼロではないでしょうね。そうなったら、万にひとつの勝ち目もありません。国力も生産力もケタ違いです」

 

 100パーセント負けると断言した上で、「ただ」とヴェルディさんは続けました。

 

「ベルン少佐は、『合衆国は参戦してこないだろう』というお考えのようですよ。あくまで支援者として物資を売り続けた方が得になるからだと」

「……そうなのですか」

「ですが、この先1年も戦い続けられるかと聞いたら、はっきり(いな)と答えていました。全ての作戦がうまくいってオースティンが勝ち続けたとしても、あと半年が限度だと」

「半年……」

 

 つまり、猶予はほとんどない、ということなのですね。それなのに上層部に危機感がないとあっては、ヴェルディさんが疲れた顔をしているのもわかります。

 

「『味方に戦う力がないのなら、敵に自滅してもらえばいい』」

「え?」

「ベルン少佐が言ったのですよ。この戦争に嫌気が差している人間はフラメール・エイリス国内にも当然居るわけで――」

 

 彼らを焚きつけ、あるいはひそかに支援して、今の政府を倒すように仕向ければいい、と。

 

「フラメールの現政権を倒し、オースティンの支援を受けた新たな政権を立てる。それはこの戦争の終着点としては理想的です」

 

 新たな政権は親オースティン派ですから、再び攻めてくる可能性はまずありません。

 

 実のところ、ベルンはずっと以前からこの策を仕掛けていました。

 フラメールへの大規模侵攻と平行して、現地の反政府勢力と接触し、連携をとろうとしていたのです。

 が、結果は、サバトでやったようにはうまくいかなかったと。

 

「問題は信用ですね。少佐は将としては極めて有能な方ですが――」

 

 人に信用されるタイプかといったら、全く違いますよね。フラメールの反政府派にしてみれば、利用された挙げ句に捨てられそうで怖かったのでしょう。

 レミさんは危ないところを助けられた恩もあってベルンに好意的でしたけど、フラメールに彼女のような人は居ないのですから。

 

「私があなたを呼んだのは、つまりそういうわけですよ」

「はい?」

 

 急に話が飛んで、私は困惑しました。

 ヴェルディさんもどことなく重たい口調になって、

 

「フラメールには1人、居るでしょう。あなたを友と呼ぶ人物が」

「……それは、もしかしなくてもアルノマさんのことですか?」

 

 私は呆気(あっけ)にとられました。

 

 アルノマさんには高いカリスマ性があります。神がかった天運を持ち、今では民衆の高い支持も得ています。

 そんな彼がフラメールの政権転覆に動いたら? ……成し遂げてしまう可能性は大いにあるかもしれません。

 

 けれど、あの清廉潔白なアルノマさんが、敵国オースティンの支援を受けてくれるかといったら――。

 

「率直に申し上げて、難しいと思います」

 

 アルノマさんはオースティンを恨んでいるはずです。

 祖国を踏み荒らされ、多くの同胞を殺されたのですから。

 私のこともさぞ憎んでいることでしょう。今さら協力を願い出たところで、ふざけるなと一蹴されるのがオチではないでしょうか。

 

「このままいけば、救われないのはフラメールの民も同じですよ」

 

 国を裏切るわけではない。敵を利するためでもない。愛する自国民のために戦ってほしい、とのことですが。

 

「それは、詭弁では……」

 

 ヴェルディさんは、それに私も、考えているのは自国を救うことです。

 このままだと確実に詰んでしまうオースティンの未来を救うため、アルノマさんを利用しようとしているだけなのでは?

 

「その通りですよ。私はあなたにそういうことをさせようとしているのです」

 

 かつての友人の優しさや、祖国を思う心につけ込んで利用しろ、と?

 

「……失礼ですが、それはヴェルディさんのお考えですか?」

 

 質問しながら、私は違うと確信していました。

 こんな悪辣な策、考えつくとしたら1人しか居ないでしょう。

 

 しかしヴェルディさんは、「私の考えですが、何か?」と逆に聞いてきました。

 

「見くびってもらっては困りますね、トウリちゃん。今の私はオースティンの司令官です。自国を利するためならば、どんな汚い手でも使いますよ」

「…………」

 

 私が黙って見返していると、彼は「本当ですよ」と言って小さくため息をつきました。

 

「仮に、ベルン少佐が同じことを考えたなら、もっと早い段階で実行していますよ。たとえば前回の停戦交渉の際に、シルフ・ノーヴァだけでなく、アルノマにも策を仕掛ければいい」

 

 言われてみれば確かに、その通りでした。

 

「少佐にはむしろ反対されました。あのアルノマにそんな話を持ちかけても、うまくいくことはありえない、と」

 

 ベルンには既に話を通してあったのですね。そして策の有用性を疑われてしまったと。

 

「そんな見込みのない策のために、使える手駒を危険にさらすのは馬鹿馬鹿しい、とも言われました。言い方はアレですが、あなたのことを心配したのでしょうね」

 

 お気遣いありがとうございます。ですが、あの人はこの程度のことで私の心配なんてしません。前回の停戦交渉の時には、いかにも軽いノリで送り出されましたし。

 

「現実的に考えれば、少佐の言う通りなのかもしれません。それでも私は、一縷(いちる)の望みをいだいているのです。あなたの言葉であれば、アルノマに届くかもしれないと――」

 

 否定の声を上げようとすると、ヴェルディさんは重ねて仰いました。

 

「友を殺された恨みはあるでしょう。ですが一方では、あなたに恩義を感じているはずだ。アルノマの祖国であるフラメールがオースティンに戦争を仕掛けた時、スパイの嫌疑をかけられた彼をあなたが守ろうとしたこと。それはまぎれもない事実なのですから」

 

 ……そんなこともありましたね。わずか数年前のことなのに、遠い昔の出来事のように感じます。

 

 アルノマさんは義理堅い人です。だからこそ、私とベルンをあの砦から逃がしてくれたのです。

 

 とはいえ、私が彼の親友を(あや)めてしまった今となっては――。

 もはや恨みと憎しみしか残っていない可能性の方が高いと思いますが、

 

「……アルノマさんは優しい人ですから」

 

 たとえ憎んでやまない敵から持ちかけられた話でも、それが罪なき民のためになるなら、耳を傾けてくれるかもしれません。

 何より、私自身、この愚かな戦争の終結を心から望んでいます。そのために役立てる可能性がほんの少しでもあるなら、断る理由はないでしょう。

 

「お話はわかりました、ヴェルディさん。どうか私をアルノマさんと会わせてください」

 

 私の返事を聞いたヴェルディさんは、嬉しそうには全くしませんでした。逆に苦しげな顔をして、

 

「……あなたなら、そう言ってくれるだろうと思っていましたよ」

 

 前に、シルフとアルノマさんの方から「会いたい」と言ってきたように。

 停戦交渉中の外交官を通じて、面会を申し込むつもりだと言いました。

 

「危険な任務です。当然、護衛はつけますが……」

 

 そうですね。敵に協力を求めに行くわけですし、私は「ベルン・ヴァロウのお気に入り」だなんて噂もあるそうですから。身柄を拘束されたり、命を狙われたりする危険はあると思います。

 

「繰り返しになりますが、この策を考えたのは私です。もしもの時は、私のことを大いに恨んでください」

 

 ただ、とヴェルディさんは言葉を続けました。

 

「私はあなたを信じています。これまで何度も絶望的な状況を(くつがえ)してきたように、今回もきっと私たちを救ってくれると」

 

 買いかぶりだという気もしますが、そこまで言われてしまっては期待に応えるしかありませんね。

 

「お任せください、ヴェルディさん」

 

 こうして私は、再び停戦交渉の場に赴くことになりました。

 泥沼の戦争を終わらせるため、追いつめられた祖国を救うために。

 

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