悪魔を愛した少女の日記【完結】   作:結寄

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53話

 オースティンに戻った私は、待っていたヴェルディさんとベルンに、成果はなかったと報告するしかありませんでした。

 

 アルノマ・ディスケンスはオースティンの支援を拒んだ。彼は戦争の継続を望んでおらず、民の窮状を憂いてもいるが、政権転覆の意思があるかどうかまではわからない、と。

 

「つまり、まだ当分の間、我々は耐えねばならないということなのですね……」

 

 ヴェルディさんが明らかに気落ちしてしまったようだったので、私は申し訳ない気持ちでいっぱいになりました。

 同時に、情けない気持ちにもなりました。出発する時は「お任せください」などと言っておきながら、このザマなのです。

 

「お役に立つことができず、誠に面目次第もありません」

「ああ、いえ。あなたが謝るようなことでは」

 

 ヴェルディさんは慌てて顔を上げると、居住まいを正して、(ねぎら)いの言葉をかけてくれました。

 

「お疲れ様でした。無事に帰ってきてくれて本当に良かった」

 

 それが心からのセリフだとわかるだけに、私はさらに申し訳ない気持ちになりました。

 つい下を向いていると、ヴェルディさんは心配したのか、より優しい声になって、

 

「危険な目には合いませんでしたか? 不当な扱いを受けたり、理不尽な要求をされたりといったことは――」

 

 私はどきりとしました。

 要求はされたのです。……ですが私は、それをこの場で報告するつもりはありませんでした。

 

 馬鹿げた要求だから、実行する気もないから、言う必要はないのだと。

 この時は思い込んでいたのですが――よく考えたら矛盾していますよね。

 

 実行する気がないなら、別に隠す必要だってなかったはずなのに。

 どうして私は黙っていたのでしょう。なぜ、何か悪いことでもしているような、ひどくやましい気持ちになっていたのでしょうか。

 

 思わずベルンの方を見ると、彼もこっちを見ていました。

 私の様子がおかしいことに気づいたのでしょうか。かすかに目を細めて、じっと窺うようにこちらを観察しています。

 

 今にも詰問されるのではと脅えた私でしたが、そこでタイミング良く、ヴェルディさんがベルンに話しかけてくれました。

 

「サバトに支援を頼むことは可能ですか? 増援は無理でも、せめて物資の融通くらいは」

「……やってはみますが、すぐには難しいでしょうね」

 

 サバトもいまだ復興途上です。けして余裕があるわけではありません。

 例の流行病も収束していませんし、いくらレミさんが親オースティン派でも、できることには限りがあるはずです。

 

「いっそのこと、停戦交渉をまとめてしまっては?」

 

 今度はベルンがヴェルディさんに提案しました。

 

「あっちの出した条件を飲むフリをするだけでも、多少の時間稼ぎにはなるでしょう?」

「仰る通りですが、それも難しいと思います。何しろフォッグマン首相は、フラメールに対して、個人的な恨みがかなり強いので」

 

 相手が頭を下げてくるならいざ知らず、基本、こちらから下手(したて)に出ることはしたくないのです。

 

「面倒くせえ」

とベルンが吐き捨てました。

「文句があるなら、てめえで戦いやがれよ」とも。

 

 そうは言っても、結局のところ、私たちは軍人ですから。

 国が戦えというなら、戦う以外の選択肢はないのです。

 

 かくて、オースティンとフラメールの我慢比べが始まりました。

 

 現場の私たちにとっては、やること自体はこれまでと変わりません。

 シルフの新戦術に備えつつ、押し寄せてくる敵を返り討ちにするだけです。

 

 が、私の心境は大きく異なっていました。

 シルフに毒の小瓶を手渡されたあの日から、世界の見え方そのものが変わってしまって。

 増え続けていく犠牲者の数が、フラメールとエイリス側の死者も含めて、まるで己の罪のように思えてきたのです。

 

 振り返って見れば、この頃の自分は、まともな精神状態ではなかったのだと思います。

 思いつめ、悩み、誰にも言えずに病んでいました。

 

 もっとも、完全にまともな精神状態であった時など、従軍してからほとんどなかったような気もしますけど。

 

 あの西部戦線で、血と暴力と死が隣り合わせの日常を経験して。

 シルフ攻勢によって前線を突破され、故郷ノエルを焼かれて、マシュデールの防衛線でも北部決戦でもサバトの内戦でも、数々の地獄を味わって。

 

 いつしか衛生兵ではなく歩兵として戦場に立ち、自ら引き金を引いて、敵を撃ち殺すようになりました。

 

 たくさんの(むご)たらしい光景を目にしました。

 罪悪感に(さいな)まれ、時には精神の均衡を崩して、亡くなった人たちの亡霊を見ることもありました。

 

 それでも私は、大切な人たちを守りたかった。

 

 セドルくんを。アニータさんを。

 お世話になった衛生部の皆さんを。遊撃中隊のみんなを。

 戦友のヴェルディさんを。人でなしの兄のことを。

 

 平和な世界で、皆と共に生きたい。

 砲弾に脅えることなく、銃声に眠りを妨げられることもなく。

 普通に、静かに、当たり前の日常を送りたい――。

 

 自分が戦うのは、手を汚してきたのは、そのためなのだと。

 そう自分に言い聞かせることで、私は最後の正気だけはかろうじて保ってきた気がします。

 

 けれど、シルフは。

 この狂った戦争を終わらせるために、私の大切な人をこの手で殺せと言いました。

 

 繰り返しになりますが、私にはその言葉を実行するつもりなど全くありませんでした。

 

 あの人は私の家族です。ようやく取り戻した、たった1人の家族なんです。

 たとえ平和な世界が来ても、そこにあの人が居なければ、私はまた孤独と喪失感を抱えて生きていくことになるでしょう。

 

 それはおそらく私にとって、最も恐ろしくて悲しい結末で。

 そんなことになるくらいなら、いっそ平和な世界なんかこなくてもいい。この戦争が続いて、どれだけ人が死んでも構わない、と。

 

 そんな、あまりにも身勝手な願いが自分の中にあると知った時、私は本当の意味で病んで、狂ってしまった。

 心の底から戦争を憎み、嫌悪する気持ちと、愛する人を守りたいという気持ちが、私の中で矛盾してしまったのです。

 

 夜もろくに眠れなくなりました。食事もまともに喉を通らなくなりました。

 そんな状態では、満足に戦えるわけもなく。

 

 しばらくの間は、衛生部で分けてもらった秘薬でごまかしたりもしていたのですが――ある時、ついに現場で倒れ、ガヴェル曹長の手で衛生部に放り込まれてしまいました。

 

 何だかんだで、最も共に過ごす時間が長いのが副長の彼ですので。

 私の様子がおかしいことにも気づいていたのでしょう。「大丈夫か」「何かあったんじゃないのか」と何度も聞いてくれました。

 

 けれども、私がごまかしてばかりで答えようとせず、無理をするなと言っても耳を貸さないので、力づくでも休ませる機会をずっと窺っていたようです。

 

 ただ、この副長の思いやりは、結果的には裏目に出てしまいました。

 衛生部のベッドで寝ていた時、私はとある人物と会ったのです。

 

「小さな英雄ちゃんかい?」

 

 それはタクマ医師でした。

 毒ガスの開発者である彼は、自らが生み出した兵器が多くの人命を奪ってしまったことに苦しみ、体調を崩して療養中だったのです。

 

「クマさん……、お疲れ様です」

 

 私があいさつすると、彼はやつれた顔に泣き笑いのような表情を浮かべて見せました。

 

「ああ、うん。そうだなあ。……疲れた。もう疲れたよ」

 

 彼のまなざしは虚ろでした。

 私の方を見てはいましたが、その言葉は独り言のようでした。

 

「作戦は成功した。あなたはオースティンの英雄だ。……みんなそう言うよ」

 

 実際、それは独り言だったのかもしれません。あるいは、私の知らない誰か、家族や友人に話しかけているようでもありました。

 

「それはそうだろうなあ。成功しただろうとも。あんなに何度も試してみたんだからなあ」

 

 最初、私は。

 彼が何を言っているのか、よくわからなかったのですが。

 

「症状が現れるまでにどのくらいの時間がかかるか、相手の年齢や体格、性別で効果がどう変わるのか、何度も何度も……、データを取って、集めて……」

 

 まるで懺悔(ざんげ)のような独白に耳を傾けているうちに、理解に到りました。

 

 あの「毒ガス」は新兵器です。いまだ、この世界では使われたことがない兵器なのです。

 効果的に運用するためには、事前に試してみますよね。

 人体実験――使われたのは囚人でしょうか。それとも敵の捕虜でしょうか。

 

 ああ、何という。

 何という非道な真似を、恐ろしい罪を、私たちは。

 

「トウリちゃん? ねえ、トウリちゃん、どうしたの?」

 

 ベッドの中で苦悩していると、ふと誰かの優しい声がしました。

 見上げれば、そこには心配そうなレィターリュさんの顔があって。

 

「何かつらいことがあるなら言っていいのよ? きっと力になるから」

「……大丈夫です」

 

 私は、そんな彼女に向かって精一杯、笑って見せました。

 

「明日から任務に戻ります。いつまでもサボっていたら、ガーバック隊長の鉄拳が飛んできますから」

「え?」

「さっき、グレー先輩がお見舞いに来てくれたんですよ。アレンさんとマリューさんも一緒でした。3人とも、たくさんおみやげを持ってきてくれて。ほら、チョコレートにクッキーにキャンディに――」

「トウリちゃん、何言ってるの?」

「1人では食べきれませんから、衛生部の皆さんで分けてくださいね。確か、ゲールさんは甘い物もお好きでしたよね? 後で持っていってあげてください」

「……っ!」

 

 いつも明るいレィターリュさんが、なぜか真っ青な顔をしてテントから飛び出していくのを見送って。

 私は、ベッドのそばに立っているロドリーくんに声をかけました。

 

「レイリィさん、どうしたんでしょうね? ダイエット中でしょうか?」

 

 だとしたら悪いことをしてしまいました、と。

 つぶやく私を、ロドリーくんは黙って見つめていました。

 少し心配そうで、どこか悲しそうな目をして、じっと無言のまま。

 

 

 

*****

 

 その後、鎮静剤を打たれた私は、丸2日近く衛生部で眠りました。

 

 それまでろくに睡眠をとることができず、徹夜に近い状態が何日も続いていたのです。

 久しぶりにゆっくり眠って心身共に回復した私は、ヴェルディさんの所に復帰のあいさつに行きました。

 

「本当に、ご心配をおかけして申し訳ありませんでした」

 

 自分はもう大丈夫です、今後は十分気をつけます、と。

 謝罪してから顔を上げると、ヴェルディさんは奇妙なほど静かなまなざしで私を見つめていて。

 それから、なぜか世間話を始めました。

 

「実は、きのうの夜。久しぶりに、ガーバック小隊に居た頃の夢を見ましてね」

「おや、奇遇ですね。自分も最近、皆さんの夢を見たような気がします」

「……そう、ですか。それはどんな夢でしたか?」

「よく覚えていませんが……、皆さん、お元気そうでしたよ。隊長殿に『ついてこい』と怒鳴られて、必死に後を追いかけて――」

 

 私の説明に、ヴェルディさんは思わずといった感じで笑いました。

 

「あの頃の我々の日常ですね。1人で敵陣を切り裂いていく隊長殿の背中を追って、私たちも走る。死にたくないなら、とにかく走るしかない」

「……ええ、本当に」

 

 私も笑いました。

 それは悲惨な戦場の記憶です。懐かしい、なんて感じるのは本来おかしなことなのでしょうけど。

 

「隊長殿は、本当に強い方でしたね」

 

 今になってつくづく思います。

 誰もが絶望し、うなだれていた西部戦線で、あの人は顔を上げ、前を向いていました。

 

 あきらめていなかった。折れてもいなかった。……まあ、狂ってはいたかもしれませんけど。

 

 あの強さはいったい、どこから来ていたのでしょうね。

 

 短い間でも、あの人の部下だったこと。ガーバック小隊の一員であったことは、私の誇りです。

 

 ……けれど、私は。

 結局、尊敬する隊長殿のように強くはなれませんでした。

 

「あなたの今後については、後でゆっくり話をするとして――」

 

 まずはベルンのもとに行くよう、ヴェルディさんは私に言いました。

 

「ベルン少佐の所に、ですか?」

「ええ。あなたが回復したら、直接、話がしたいと仰っていたので」

 

 後で知ったことですが、この時、2人の間では既に話がついていたそうです。

 私をウィンの医療施設に送って養生させると。

 私の状態を診たレィターリュさんから、これ以上、前線に置いておくべきではないと強く進言されて。

 たとえ私が拒んでも、無理やりにでも治療を受けさせると決めていたそうなのですが――。

 

 そんなこととは知らない私は、話とは何だろうと考えながらベルンのもとに向かいました。

 

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