悪魔を愛した少女の日記【完結】   作:結寄

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54話

 ベルンは書類仕事中でした。

 

「少し待ってろ」

と言われて、私はテントの中に置いてあった椅子に腰掛けました。

 いつものように蒲公英茶が運ばれてきたので、それを飲みながら待っていると。

 

「それで?」

 

 5分くらいたってからでしょうか。

 書類にペンを走らせながら、ベルンが聞いてきました。

 

「あの英雄気取りに何を言われた? 何を要求された? 隠してること全部吐け」

「……何のことでしょうか」

 

 なんとなく弁解は無駄のような気がしましたが、それでも一応、私はとぼけてみました。

 

 案の定、それは極めて無駄な行為でした。

 

「おまえが衛生部で寝てる間に、おまえのテントを調べた」

 

 ベルンは事もなげにそう告げると、ふいに席を立ち、こちらに歩み寄ってきました。

 

「これは何だ?」

 

 そう言って、彼がテーブルの上に置いた物。

 それは例の毒薬の小瓶――ではなくて、分厚い茶色の封筒でした。

 

 ベルンが無造作に中身をひっくり返すと、10数枚の写真がテーブルの上に落ちました。

 そこに写し出されているのは、毒ガスの被害にあった連合軍の兵士たちです。

 皆、手足や顔、背中や下半身の皮膚が(ただ)れて、火傷(やけど)のようになっています。どれも目をそむけたくなるような惨い写真ばかりです。

 

「……シルフからの『贈り物』です」

 

 帰り(ぎわ)、「貴様らの作戦の『成果』が見たいだろう?」と言って、私の手に押しつけてきたものです。

 

「なぜ報告しなかった?」

「……申し訳ありません」

「俺は『なぜ報告しなかった』と聞いたんだ」

 

 ベルンの声は静かでしたが、それだけに強い怒りを感じさせるものでした。

 

「こんなものを見せられた程度で、俺やヴェルディが動揺するとでも思ったか? 違うな。理由は他にある。おまえはそれを隠してる」

「…………」

「もう1度だけ聞くぞ。奴らはおまえに、何を言った?」

「…………」

 

 うつむいていると、ぐいと髪をつかまれて視線を上げさせられました。

 

「まさか(だんま)りが通じるなんて思っちゃいないよな? 時間の無駄だ。さっさと話せ」

「痛い、です、兄さん」

「余計なことはしゃべるな。まともに答える気がないなら、次は体に聞く」

「それは私を、拷問にかけるという意味ですか?」

「そうだよ。……ああ、心配するな。他人をいたぶるのが趣味の変質者どもに、可愛い妹を渡したりはしない」

 

 彼はそこで薄ら寒い笑みを浮かべて、

 

「お兄ちゃんが優しく話を聞いてやるから、安心しろよ?」

「少佐殿が自ら、ですか……」

「おう。結構得意なんだぞ」

 

 自慢げに言われても、反応に困るのですが。

 

「方法は選ばせてやるよ。痛いのとあんまり痛くないの、どっちがいい?」

 

 それは無論、痛いのは嫌ですが……。後者の方が恐ろしく聞こえるのはどうしてでしょうね。

 

「全て正直にお話しします」

 

 私が観念すると、彼はうさんくさい笑みを消して、

 

「最初からそう言え、この馬鹿」

 

 悪態をつきながら、私の向かいの席に音を立てて腰掛けました。

 気持ちを落ち着けようとしたのでしょうか。単に喉が渇いただけでしょうか。置いてあった蒲公英茶のカップを手に取って。

 

 ……ああ、飲んでしまいましたね。もしもそのカップに毒が入っていたら、命がないというのに。

 

 いくら口先で残酷なことを言っても、これが現実です。

 彼は私に気を許しています。自分に危害を加えるかもしれないとは全く考えていないのです。

 その信頼というか思い込みは、おそらくトウリ・ロウではなく、イリス・ヴァロウに向けたものなのでしょうけど。

 

「シルフはあなたに毒を盛れ、と言ったんですよ」

 

 げほっとベルンが蒲公英茶に()せました。

 

「心配せずとも、そのようなことはしていませんよ」

 

 そう言って、私は自分も蒲公英茶を一口飲んで見せました。

 

「あなたが生きている限り、オースティンの上層部は戦いをやめたがらない。逆にあなたが居なくなれば、一気に停戦に傾くだろうと」

 

 オースティンが確実に戦争をやめるという(あかし)として、シルフとアルノマさんがそれを求めてきたことを説明すると、ベルンは興ざめした様子でした。

 

「はあ……。そんなことかよ」

「たった1人の命で、停戦を成せる。極めて意味のある策だとシルフは言っていましたが」

 

 阿呆らし、とベルンは吐き捨てました。

 

「少佐殿は愚策だと思われますか?」

「じゃなくて、自慢するほどの策か、って言ってんだ。その程度のことなら、オースティンでも思いついてる奴が居るっての」

 

 は? と聞き返す自分に、彼はまた事もなげに、

 

「だから、停戦派の中には、俺の命を狙ってる奴らも普通に居るってこと」

「な」

「まあ、これは戦争をやめたいっていうより、軍部の縄張り争いみたいなもんだけどな。このまま終戦を迎えたら、俺はフツーに英雄になっちまうし」

 

 国境線での戦いでも、それ以前の戦役でも、ベルンの功績は多大なものですから。

 

「平民出の成り上がりに、自分の地位を脅かされてたまるか、って奴らが結構居るわけ。で、俺を消すなら戦後になってから暗殺するより、戦地で死んでもらった方が自然だろ?」

 

 自分たちは何もしていない、敵に殺されたんだという言い訳ができるし、悲劇の英雄として祭り上げることで、戦後のプロパガンダにも使えるから――とのことですが。

 

「そんな世間話のように言うことですか!」

 

 私が眉をつり上げると、

「おまえにとっても他人事じゃない話だからな」

と、意味不明なことを言われました。

 

「それは、どういう……」

 

 あなたの妹だということはごく一部の人にしか知られていませんし、さすがに上層部に消されるほど出世もしていません。

 

「たとえば、おまえにスパイ疑惑をかける」

「は?」

「敵の魔女や英雄気取りと何度も会ってるからな。その気になれば簡単だろ」

「…………」

「おまえは捕まって取り調べを受ける。俺がおまえを庇おうとしたら、俺にも疑いがかかる」

 

 うまくいけば、ベルンを失脚させることもできるというわけですね。なるほど、良い手です。

 

「それがわかっていながら、なぜ対策を打たなかったのですか?」

 

 私がシルフやアルノマさんに会うのを、彼が止めようとしなかったのは。

 

「必要ないから」

 

 ですよね。本当は聞かずともわかっています。

 

「おまえはヴェルディにとって特別な人間だ。おまえに手を出したら、奴の派閥を敵に回すことになる」

 

 オースティン軍部で最大の勢力を持ち、政府にも強い影響力を持つ名門一族を。……それで得をする人は、今のオースティンには居ないということなのでしょう。

 

「あなたが私に引き抜きの話をしなくなったのも、それが理由ですか」

「ああ。アンリ大佐がトップに居た頃は良かったんだがな」

 

 ベルンは私の言葉を悪びれもせずに認めて、

 

「あの人が軍を辞めてからこっち、風向きが変わった。大佐の人脈とか影響力とか、金とか権力とか。そういうもんを俺が丸ごと引き継ごうとしてるんじゃないかって、疑ってる奴らが居るんだよ」

 

 その中心となっているのは、大佐の娘婿(むすめむこ)にあたる人物だそうです。

 アンリ大佐は、「身内びいき」というものを嫌悪している方でした。

 それが実際に身内にあたる人間にとっては、「義父上(ちちうえ)は冷たい」という不満の種にもなっていたそうで。

 

「それが本当だとしたら、あなたのことはさぞ目障りだったでしょうね」

 

 大佐に見出された民間出身の英雄で、しかも大佐はこの人のことを結構気に入っているように見えました。

 

 そういうこと、とベルンも認めました。

 

「俺は軍内部の権力争いとか、マジでどうでもいいんだがな」

 

 正直にそう言ったところで、相手が信じるわけもなく。

 大佐が軍を去った後、その娘婿さんは南軍の中に自分の派閥を作るべく、日々努力していらっしゃるのだそうです。

 

「だから尚更、おまえにはヴェルディの所に居てもらわなきゃならなかった」

「……なるほど。やはり、そういうことでしたか」

 

 私は納得しました。

 

「つまりあなたは、私の身の安全を考えてくださったのですね」

 

 今度はベルンの方が「は?」と聞き返してくる番でした。

 

「私を部下として手元に置いたら、ご自分に向けられる悪意の巻き添えにしてしまうかもしれないと思われたのでしょう?」

「何ズレたこと言ってんだ? 衛生部で変な薬でも打ったか?」

 

 あきれと軽蔑の目を向けられたところで、そうとしか思えません。

 いかにも「自分のために私とヴェルディさんを利用した」と言いたげでしたし、実際にそういう目的もあったのでしょうけど。

 

「たとえ私がスパイ疑惑で捕まったところで、見捨ててしまえばあなたに害は及ばないですよね?」

 

 それができないから、私の存在が自分の弱みにもなるとわかっていたから、ヴェルディさんの部隊に置いておきたかったのでしょう。

 

「……おまえ」

 

 ベルンは疑わしそうに私の顔を凝視すると、

 

「本当に病気か? そのわりには妙に――」

 

 余裕があるように見えると言われて、私は肩をすくめました。

 

「一刻も早く前線から引き離すべきだって、レィターリュ少尉には言われたんだがな」

 

 あれほど取り乱した衛生部長の姿は初めて見たとのことで、私はとても申し訳ない気持ちになりました。

 

 レイリィさんは慧眼(けいがん)ですね。おそらく、病んだ私が()()()()()をする可能性まで視野に入れておられたのでしょう。

 

 事実、この時の私は、けして余裕があったわけではありませんでした。

 傍目には落ち着いて見えても、静かに狂っていました。その理由とは。

 

「気づいてしまったのですよ、私は」

 

 自分という人間が、本当は何を願っているのかということに。

 

「私は平和な世界で、あなたと共に生きたいのです」

 

 テーブルの上には、惨たらしい写真が並んでいます。

 毒ガスの被害は、その場限りでは終わりません。たとえ命が助かっても、その後遺症は何年も――場合によっては、死ぬまで続くこともあります。

 

 写真の中の人々は、この先もずっと苦しみ続けるのです。

 それなのに、私は。

 

「こんなにもたくさんの人々を苦しめ、その人生を破壊しておきながら、自分だけはのうのうと幸せを享受したいと思っているのです」

 

 それで? とベルンが聞いてきました。

 

「罪悪感に負けて病みましたって? いくら何でも今更だろ」

 

 私はほんの少しだけ笑って、また「気づいてしまったんです」と繰り返しました。

 

「あなたを殺せば、すみやかに戦争を終わらせることができる。そうシルフに言われた時、仮にその通りだったとしても、自分にはできない。そんなことはしたくないと心から思いました」

 

 戦争に巻き込まれて、仕方なく戦っているようなつもりでいました。

 好きで人を殺しているわけじゃないと、どこか被害者のような気持ちさえ持っていました。

 

「結局のところ、私はただ自分の欲のために他人の命を奪ってきただけだったんです」

 

 ベルンは私の言葉を否定しようとはせず、「違う奴が居るのか?」と聞いてきました。

 

 それは居るでしょう。シルフがその筆頭です。常に祖国サバトのことが第一で、個人としての利益などまるで眼中にないように見えました。

 

「国のための殺しなら崇高で、自分のための殺しはそうじゃないってか」

 

 ベルンは完全に馬鹿にした顔で笑いました。

 

「んなもん、言ったもん勝ちだろうが。殺す側の真実なんて誰にもわかりゃしない。わかったところで、殺される側にとっては何の意味もない」

 

 同じだよ、と彼は断言しました。

 

「あの女はただ、『祖国のために戦う』っていう理想に酔っていたいだけの虐殺者だ」

 

 あまりに容赦のない決めつけに、私は笑ってしまいました。

 

「あなたは本当に、シルフのことが嫌いなんですね」

 

 嫌うだけでなく、軽蔑していますよね。

 自分と同類の人殺しのくせに、口では立派なことを言う、偽善者だと。

 それを言ったら、この人は結構な偽悪家だと私は思うんですが。同族嫌悪って、こういう時に使う言葉なんでしょうか。

 

「本当に……けほっ、笑ってしまいます……」

 

 可笑(おか)しすぎて、咳が出てきました。

 ベルンが何か反論しようとして、それから驚いたように目を見張りました。

 

「けほっ……、この話は、そろそろやめにしませんか」

 

 もっと話したいことが色々ありましたのに。

 どうやら、あまり時間がないようですね。咳き込むたびに赤いものがこぼれて、私の手元を、さらにはテーブルの上を汚していきます。

 

「最後に、どうしても……。これだけは、聞かせてほしくて……」

 

 ガタンと音を立てて、ベルンが席を立ちました。

 

「クルーリィ! 衛生部に連絡しろ! 急患だ!」

 

 テントの外から、慌ただしい複数の足音が聞こえます。

 

 私はといえば、急に体から力が抜けてしまいました。

 椅子に座っていることさえできなくなり、ずるずると床にすべり落ちそうになったところを、ベルンの手が支えてくれました。

 

「おい、これはどういうことだ。いったいどうなってる?」

 

 彼は珍しく狼狽しているようでした。

 ついさっきまで普通に話していた相手が、目の前で血を吐いたのだから当然ですね。

 

 説明の代わりに、私は懐から小瓶を取り出しました。

 シルフにもらった、あの毒薬です。……今は1滴も中身が入っていません。

 私はこれを、自分のテントには置いておきませんでした。万が一を考えて、衛生部の薬棚に隠しておいたのです。もちろん、誰かが誤って使用したりしないよう、入念な細工を(ほどこ)して。

 

「シルフとアルノマさんに伝えてもらえますか……、兄さん」

 

 テーブルの上に2つ並んだカップに目をやって、

 

「私、ちゃんと約束通りにするつもりだったのに……。うっかり、毒を入れるカップを間違えてしまいましたと」

「……っ!」

「故意ではなく、事故なんです。だからどうか、約束通りに協力してください。責任を取って、代わりに死にますから……。オースティンとの停戦交渉には必ず応じてくださいと……」

「この、馬鹿!」

 

 ベルンが私を抱き上げようとしたので、私は必死に机にしがみついて抵抗しました。

 

「無駄です! 今から衛生部に駆け込んだところで――!」

 

 あのシルフが「ベルン・ヴァロウを殺すために」用意した毒なのです。致死量に決まっています。苦しまずに死ねるとシルフは話していましたが、それもどうだかという話です。

 

「お願いだから、けほっ、最後くらい、言うことを聞いてくださ……い! 私は、あなたと2人きりで居たい……。この時間を、誰にも、邪魔されたく、ない……」

「……イリス」

 

 ベルンの手が私の顔にのびてきて、口元の血糊をそっとぬぐいました。

 

「なあ、冗談だろ? 何かの間違いだよな?」

 

 空っぽになった小瓶を、半ば呆然と見つめて、

 

「こんなことに何の意味がある? 誰が得をする? 何の役に立つ?」

 

 自問するように言葉を重ねてから、イラ立ちも(あら)わに語気を強めて、

 

「まさか、俺のためだとか寝言ぬかす気じゃねえだろうな! ……どこがだよ。どこが俺のためだ? どう考えても、タチの悪い嫌がらせにしかなってねえだろうが!」

 

 私はまた笑ってしまいました。

 

 実のところ、事ここに到ってもこの人が眉ひとつ動かさないんじゃないかと少しだけ案じていたのですが。

 それを嫌がらせだと感じるくらいには、私がやったことは、この人でなしの心を揺らすことができたようです。

 

 そして私は、その結果に満足してしまいました。

 自分がちゃんとこの人の特別だったという証を得て、嬉しいと思ってしまったのです。

 こんな馬鹿げた真似をしでかしておいて、思うことがそれです。

 人として終わっているのは、私も同じだったみたいですね。やはり私たちは、離れて育っても兄妹で。

 

「ごめんなさい……」

 

 それが誰への、何の謝罪だったのか、私にはよくわかりませんでした。

 

 言いたいことはまだありました。

 でも、思ったよりも毒の回りが速かったようで、視界がぼやけて、手足も重たくなってきました。

 言葉を発することができるのは、あと数回くらいでしょうか。

 

「最期の、お願いです、兄さん」

 

 私は、自分の体を支えてくれている彼の手に、そっと自分の手を重ねました。

 

「どうか、本当のことを言ってください。……あなたは私を、好きで置いていったわけじゃない、ですよね?」

 

 ベルンの手がぴくりと震えました。しかし、答えは返ってきません。

 

「別れた後も、少しくらいは私のことを思い出してくれましたよね? 記憶のない私ですらそうだったように、『寂しい』と感じる瞬間が何度もありましたよね?」

 

 やはり返事はありませんでした。視界がぼやけているせいで、もう彼がどんな顔をしているのかもわかりません。

 

「戦争さえなかったら、私たちは一緒に大人になって――」

 

 喉の奥から、ひときわ熱いかたまりがせり上がってきましたが、私はそれを無理やり飲み込みました。

 

「あなたは私を、普通に愛してくれましたよね?」

 

 どうか言ってください。どんな些細なことでもいい。あなたが私を必要とした瞬間があったと。

 

「ねえ、お願いです。嘘でもいいから――」

 

 涙があふれて、私の頬を濡らします。

 みっともなく泣いて、すがって、私は懇願しました。

 

 けれど、それでも。私の意識が途切れる瞬間まで、彼が口をひらくことはついにありませんでした。

 

 だから多分、それは都合のいい妄想だったのだと思います。

 必死でのばした手が、ベルンの顔にふれた時。その頬が私と同じように濡れているような気がしたことは。

 

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