悪魔を愛した少女の日記【完結】   作:結寄

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56話

 私の記憶の中の故郷には、いつも黄色いタンポポの花が咲いていました。

 タンポポは春の花です。「いつも」咲いているなんてありえないのですが、なぜか私の中では、故郷のイメージと言ったら黄色い花畑なのです。

 

 今回、帰郷が春になったのはたまたまですが、それは私にとって幸運な偶然でした。本当に、ふるさとに帰ってきた、という感じがします。

 

 私がタンポポ畑に座って吹く風の心地よさを感じていると、「満足か?」とベルンが聞いてきました。

 

「はい。本当に、来て良かったです」

「そうか。……他に、何かしてほしいことは?」

 

 あると言ったら、かなえてくれるかのような口ぶりですね。

 

「どうしたんですか? 近頃優しいですね。人が変わったみたいで気持ち悪いですよ」

「……おまえな」

「子供の頃だって、私のおねだりは半分も聞いてくれなかったのに」

「忙しかったんだよ、あの頃は。それでも半分も聞いてやったんだから優しい方だろうが」

 

 まあ、そうですね。客観的に見ても、あの頃の兄は私の面倒をよく見てくれました。

 

「そういえば、私、孤児院に居た頃、1人では眠れなくて。人形とか、何かに抱きついて寝るとすごく安心して」

「…………」

「うんと小さい時のことを思い出すと、あの頃もやはり何かにくっついて寝ていたような気がするのですが」

「…………」

「もしかしなくても、あの『何か』はあなたですか」

「……常識的に考えて、3つのガキを1人では寝かせないだろ」

 

 やっぱり、そうだったんですね。私のくっつき癖の原点はそこでしたか。

 

「冬はいいんだよな。おまえ、毛布の代わりになるから。夏は地獄だった。いくら離れろって言っても執念深くひっついてきやがって」

 

 業を煮やして寝台から放り出したところ、その時に限って朝まで熟睡していて、結果、私はひどい夏風邪をひいてしまったのだそうです。

 

「俺のせいだって、親父にぶん殴られた。自分はガキの面倒なんかこれっぽっちも見やがらねえくせに」

「……それは、申し訳ないことを」

「ま、あの時はおまえ、3日も寝込んだからな。下手したら死ぬかもってくらい熱も上がったし」

「…………」

 

 悪びれずに言うことなのでしょうか。そんな理由で死んだら、さすがに死にきれません。

 

「謝罪の代わりに、贈り物を要求します」

 

 私は花畑に座ったまま、(おごそ)かに告げました。

 

「花冠を作ってください。子供の頃にしてくれたみたいに」

 

 ベルンは「そんなことあったか?」と首をひねっています。

 

「ありましたよ。1度だけ。本当に1度だけ、ですけど」

「作り方とか、覚えてねえぞ」

「そこは知恵と工夫で何とかしてください」

「…………。ちょっと待ってろ」

 

 ベルンはそこらのタンポポをむしって、試行錯誤を繰り返していたようですが、そのうち要領を思い出したのでしょう。ちゃくちゃくと編み上げていきました。

 

「ん。できたぞ」

 

 程なく彼は、できあがったタンポポの花冠を私の頭に乗せてくれました。

 

「似合いますか?」

「ああ。虫がついてるけどな」

「……取ってください」

 

 ベルンの手が私の頭にのびてきて、何か小さなものをつまみ上げました。

 私の目には赤い点にしか見えませんが、おそらくはテントウムシでしょうか。ベルンが手を放すと、それは太陽に向かって飛んでいきました。

 

 眩しい陽差しと、空の青。そして辺りに広がる黄色をもう1度、見渡して。

 私は居住まいを正し、兄に頭を下げました。

 

「本日は、私のワガママに付き合ってくださいまして、誠にありがとうございました」

「何だ、あらたまって」

「どうしても今、言っておきたかったのです。もう十分です。この数ヵ月、本当に良くしていただきました」

 

 私は兄に話しました。

 ウィンに戻ったら身の回りの整理をして、それからセドルくんたちと一緒にサバト経済特区に行こうと思っていると。

 この数ヵ月で家事は覚えましたし、今でも回復魔法は使えるのです。アニータさんの診療所を手伝いながらセドルくんの世話をして、どうにか暮らしていくつもりです。

 

「却下」

 

 ベルンの返事は、ものすごく短いものでした。思わず「は?」と聞き返すと、

 

「だから、経済特区行きは許可できないって言ったんだ。おまえにはこのままウィンで暮らしてもらう」

 

 頭ごなしに命じられて、さすがに腹が立ちました。

 さんざん悩んで、馬鹿なことをしてしまったと心の底から後悔して、それでも前を向かなければと自分を奮い立たせて、ようやく出した結論なのに。

 

「あいにく今の私は、軍属ではありません」

「だから?」

「あなたは私の上官ではないので、命令を聞く必要はないと申し上げているのです」

 

 ベルンはわざとらしく嘆息して、「命令じゃねえよ」と言いました。

 

「おまえの保護者としての意見だ」

「いつからあなたが、私の保護者になりましたか」

「そうだな。自称・おまえの後見人の爺さんの所に頭下げに行ってから?」

 

 初めて聞く話に私が戸惑っていると、兄は何やら決まりの悪そうな声で説明してくれました。

 

「まだおまえが入院してた頃、あのジジイから手紙が来たんだよ。軍を追放された恨みつらみでも書いてあるのかと思ったら――」

 

 そこに書いてあったのは、全て私のことだったのだそうです。

 驚くべきことに、レンヴェルさんは軍部を追放された後も、私の後見人を続けてくださっていました。ヴェルディさんが「自分が代わりに」と申し出ても、きっぱり拒否されたらしく。

 

「おまえと俺は、ほら。軍で噂になったりもしたろ?」

 

 レンヴェルさんもそのことはご存知でした。内心、不愉快に思いつつも、「若者の恋路に口出しするな」とアンリ大佐に言われたこともあって、黙って様子を見ていたのです。

 それから色々あって終戦を迎え、私が体を壊してしまったことを人づてに知って、

 

「おまえのこと、どうする気だって。自分の孫同然の娘に、まさか遊びのつもりで手を出したんじゃないだろうな、とか。男として責任をとれとか。でないと決闘だ、とか」

 

 手紙には白手袋が添えられていて、「これはマジなやつだ」とベルンも思ったらしく。

 ウィンの郊外にあるレンヴェルさんのお屋敷を訪ねたところ、「来るならトウリと2人で来い」と門前払いをされたのだとか。

 

「まさか退院の直前になって、急に一緒に暮らそうと言い出したのは――」

 

 それが理由だったのかと問えば、「ま、きっかけのひとつではある」とベルンも認めました。

 

「あの時は驚いたのですよ。それまでろくに顔も見せなかったくせに、いったいどうしたのかと」

 

 私の入院中、ベルンはほとんど会いに来てくれませんでした。

 たまにクルーリィさんが来て、私の体調を確認していったくらいです。

 

 たまにというか、週に1度は必ず来てくれました。兄の様子を尋ねれば、わりと丁寧に答えてもくれました。

 つまり、まるっきり放置されていたというわけではないのですが……、それでも不安がなかったと言ったら嘘になります。

 

 ただでさえ「馬鹿なことをしてしまった」と落ち込んでいたのです。

 このまま兄に見捨てられるんじゃないかと怖くて、夜も眠れない日もありました。

 

「……悪かったよ。色々忙しかったんだって」

 

 ベルンが多忙なことはわかっています。

 けれども顔を見せてくれなかったのは、それだけが理由ではないことも察しがついています。

 

「まあ、な。おまえに合わせる顔がない、って理由も少しはあった」

 

 それはちょっと、予想と違いますね。むしろ馬鹿な妹の顔など見たくないのではと思っていました。

 

「おまえがこうなったのは、ある程度は俺のせいだろ」

「……はい?」

 

 いきなり何を言い出すのでしょうか。戸惑う私を無視して、ベルンは話を続けました。

 

「だから、おまえのことをどうするか――どうすればいいのか、結論が出なかったんだよ。俺は関わらない方がいいんじゃないか、いっそヴェルディの奴に任せちまった方がいいのかもって」

 

 ヴェルディさんもまた、体を壊した私のことを案じて、色々と考えてくださっていたそうです。

 2人で何度か会って、話し合った結果。

 

「俺におまえを引き取る気がないなら、あいつの親戚の家で預かってもいいって言われたんだけどな」

 

 ヴェルディさんは独身男性ですので、ご自分の家に引き取るというわけにはさすがにいかなかったのですね。ご家族に誤解されてしまいます。

 

「くわしく聞いたら、あのガヴェルってガキの実家だっていうから」

 

 下心が丸わかりだろ、とベルンは吐き捨てました。

 

「あのガキ、どう見てもおまえに気があるからな」

 

 それは、考え過ぎですよ。

 ガヴェル曹長に好意を告げられたのはもう随分前のことですし。

 ご家族の立場で考えれば、目の不自由な私を息子の嫁にしたいとは思わないはずです。

 

「とにかく、おまえの今後については、おまえ自身の希望を聞いてから決めるって話になって――」

「……そんな希望を、尋ねられた覚えはありませんが」

「だから、忙しかったんだって。ひとまず手元に置いて、落ち着いてから決めるってことでもいいかと思ってたんだよ」

 

 そして、今日に到るまでひたすら先延ばしにしていたのですね。納得はできませんが、経緯はわかりました。

 

「つまり今のあなたは、仮の保護者というわけですね」

 

 ならば、話は簡単です。

 

「その役目から解放して差し上げます。今日までご苦労様でした」

「……それは、あれか? このまま俺と居るのは嫌だって意味か?」

 

 そんなわけがありますか。かなうものならずっと一緒に居たいです。でも、そんな身勝手が許されるはずがないのもわかっています。

 

 だいたいあなたは、私がこんな体になってしまうまで、家族に戻る気なんてないと言い続けていたではないですか。

 無理に引き受けてもらっても嬉しくありません。そんな必要も責任もないのですから。

 

「私がこうなったのは、あなたのせいではありません」

 

 自分自身の弱さと、愚かさのせいです。今考えれば何の意味もないことをして、大勢の人に迷惑をかけてしまいました。

 

「セドルくんとアニータさんだって、このままずっとウィンに居てもらうというわけにはいかないでしょう?」

 

 2人はサバト人です。ほんの数年前まで戦争をしていたオースティンの首都で、生活するのは気詰まりでしょう。

 

「あの2人がそう言ったのか?」

「……いえ」

 

 アニータさんは「あんたの兄貴に高い賃金もらってるからね。もうしばらくは居てやってもいいよ」と言ってくださっています。

 セドルくんは健気(けなげ)な子なので、不満は申しません。知り合いも友達も居ないウィンで、きっと心細い思いをしているでしょうに。

 

「甘やかしすぎだ。あのクソガキ、『トゥーちゃんと2人の方がいい!』とか言って、俺に帰ってくるなとかぬかしやがって」

「それはあなたが、あの子のことを邪険にするからでは……」

 

 ベルンとセドルくんは何度か顔を合わせていますが、予想通りと申しますか、悲しいほど懐いていません。怖い、嫌いとさんざんです。

 

「おまえ、気づいてねえの? あれは嫉妬。独占欲。おまえを俺にとられるって警戒してんの」

 

 もともと自分のものでもないくせに、と。

 忌々しそうにつぶやくベルンは、基本大人げないです。幼い子供相手に、何を言っているのでしょうか。

 

「このままオースティンで育つのが、セドルくんのために良いとは思えません。あの子は私の恩人のご子息です。私には彼を守る責任が――」

 

 尚も言いつのろうとすると、「それでも、サバト経済特区はだめだ」と強い口調で遮られてしまいました。

 

「おまえ、自分の体が普通じゃないことわかってるだろ?」

 

 急に体調を崩すこともあるかもしれないし、毒薬の後遺症がまたひどくなるかもしれない。いざという時、まともな医療施設にかかれる場所でなければだめだとベルンは言いました。ウィンでなくても、都会に居なければ、と。

 

「いっそ、あのガキ連れて大陸にでも行くか? 合衆国には良い医者が居るんだろ」

 

 そのようですね。戦後、軍を辞めて大陸に渡ったケイルさんが教えてくださいました。

 

 一般的に、目は【(ヒール)】では癒やせないとされています。

 しかし合衆国では、回復魔法と医術を組み合わせた治療の研究がされているらしく。

 

「いつか、きっと。リトルボスの目を治してみせるよ」

 

 そう言って、ケイルさんは海の向こうへと旅立っていきました。

 

 私が毒を飲んで衛生部にかつぎこまれた時、最初に診たのがケイルさんだったのです。

 ちょうど部長のレィターリュさんは仮眠中で――だから治療が遅れた、などという事実はありません。そもそも正体不明の毒物に対して、できることなど限られています。

 

 けれどもケイルさんは、私が視力のほとんどを失ったことに責任を感じて、軍の仕事を辞めてまで大陸に渡ることを決意されたのです。

 

 言葉も通じない、見知らぬ国へ。

 しかも先の大戦では、連合側を支援していた国です。

 私もレィターリュさんも、看護長のエルマさんも大いに心配しました。

 

 が、のちに届いた手紙には、現地の()()()()()()()に助けられ、快適に暮らしている様子が綴られていました。

 中にはオースティン語が堪能な彼女も居るらしく、生活には全く不自由していないようでした。

 海を渡ってもケイルさんはやっぱりケイルさんで、私は脱力しつつも安堵したのですが……。

 

「兄さん。どうか無理をなさらないでください」

 

 私がこうなったのは誰のせいでもありません。

 誰も責任を取る必要なんてないし、あなたが私の面倒を見る必要もないのです。

 

 必死に訴えても、ベルンは聞いてくれませんでした。

 逆に私を説得しようとしているらしく、「どう言えば納得するんだろうな」と考え込んでいます。

 

「いっそ、『イリス』に戻るか?」

「え?」

「おまえが俺の妹なら、面倒見たって別におかしくねえだろ」

「……それはつまり、私の戸籍を回復するという意味ですか?」

 

 ベルンは少し違うと答えました。

「イリス・ヴァロウ」については誰も死亡届けを出していないので、現在は行方不明者扱いになっているのだそうです。

 長い戦乱が終わったばかりのオースティンには、そういう人間が山ほど居て、これから少しずつ戸籍の整理が行われていくはずで――今ならまだ、ドサクサまぎれに操作もしやすいのだとか。

 

「やっぱり、今の名前に思い入れがあるか?」

 

 それは、あります。

 私はずっと「トウリ」として生きてきました。親しい人たちは皆、私をトウリとして認識しています。

 何より「ロウ」という姓は、ロドリーくんが最期にくれた贈り物です。できるなら一生涯、手放したくありません。

 

「イリスと名乗るのが嫌なわけではないのです」

 

 私にとってその名前は、兄と自分が家族であるという(あかし)のようなものです。

 両親は亡くなって、故郷は焼かれてしまいました。

 その名前を持つ子供がかつて間違いなく存在していたことを知っているのは、おそらくこの世でベルン1人でしょう。

 

「あなたが覚えていて、たまに呼んでくれたなら――」

 

 私はトウリでありながら、イリスでいることもできるのです。

 

 私の答えを聞いたベルンは、「そっか」と小さな声でつぶやいて。

 それまでと全く同じ口調で、「じゃあ、結婚するか?」と聞いてきました。

 

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