それから、およそ1時間後。
私はヴェルディさんと、彼のテントで、互いに困った顔をして向かい合っていました。
あの後、ガヴェル曹長と共に現場に駆けつけてくださった彼の説明によると。
アダー少尉がヴェルディさんの後輩、というのは事実だそうです。何かと面倒を見たことも、それなりに親しい間柄だったことも。
アダー少尉は士官学校の成績も優秀で、家柄も良く、真面目な兵士でした。そんな彼が、このような愚行に及んだ理由とは――。
「恋、ですか」
ヴェルディさんは沈痛な表情でうなずきました。
「……はい。その通りです」
アダー少尉は、ヴェルディさんのことを慕っていました。先輩として、上官として――さらには1人の男性としても。長年に渡って、想いを募らせていたのだそうです。
ヴェルディさんとしては、その気持ちがいささか重かったので、叔父であるレンヴェルさんに相談したこともあるそうです。しかし、
「軍隊にはよくあることだ。適当にあしらっておけ」
と一蹴されてしまいました。
上官への恋情は、忠義に近い形をとることもあるので、一線さえ越えなければ必ずしも悪いものではないと。
「先日、ついに想いを告げられまして――」
いつ死んでもおかしくないという戦場の特殊性は、時に恋心を熱く燃え上がらせてしまうことがあります。
そして誠実なヴェルディさんは、その告白に対して「適当にあしらう」ことなどできなかったために。
きっぱりはっきり、お断りしてしまったんだそうです。
アダー少尉は絶望の表情を浮かべながらも、その場は引き下がりました。
しかしこの失恋は彼をいたく苦しめたらしく、先程、彼の持ち物の中から押収された手帳には、かなわぬ恋の苦しみがびっしりと
「彼は、どうやら思いつめて自死を考えていたらしく」
「……はあ」
「どうせ死ぬなら、私の役に立って死のうと……。そう、考えたようです」
「その『役に立つ死に方』というのが、あの騒ぎですか?」
あんなことをして、いったい何の意味があるというのでしょう。ただ大勢の人に迷惑をかけただけではないですか。
「それは、つまりですね。私とベルン少佐は年も近いですし、何かと比較されることが多いでしょう?」
南軍と中央軍、アンリ大佐派とレンヴェル中佐派は率直に言って仲が悪いので、確かに悪い意味で比較されることはよくありますね。
「ベルン少佐が何らかの理由で失脚すれば、それは私にとって利のあることだと。……彼はそう考えたようです」
「それであんなでっちあげを?」
「でっちあげというか……。彼は自分の頭の中だけで作り上げた妄想を、真実だと信じ込んでいたようですね」
「…………」
あきれて声も出ない私の前で、ヴェルディさんは深いため息をつきました。
「恋というものは、人を狂わせますね」
「はあ」
「トウリちゃん、そんな顔をしないでください。彼はけっして悪い人間ではないんです。私が対処を誤ったのですよ」
ヴェルディさんには悪いですが、同意できません。
ベルンはいけすかない奴です。人格的な面で見れば、ヴェルディさんの方がずっとずっと立派です。
けれども、オースティンがこの戦いに勝つためには、あの人でなしの力も間違いなく必要なのです。
それなのに、そんなくだらない私情のために失脚を願うだなんて。
百万が一、その
「あなたには本当に迷惑をかけてしまいましたね。ベルン少佐にも、きちんとお詫びしなくては」
ちなみにベルンは衛生部に寄っています。
ルーカス二等歩兵が撃った銃弾が腕にかすったためです。本当にかすめただけの小さな傷だったので、もう治療は終わっている頃でしょう。
そのルーカス二等歩兵もまた、衛生部に運び込まれています。彼が発砲するのと同時に、南軍の兵士たちの銃弾が彼に殺到したからです。
助かるかどうかは、五分五分だと聞きました。彼があのような凶行に及んだ理由も、今のところわかっていません。
「あの、ヴェルディさん」
「どうしました? トウリちゃん」
「今夜のうちにもう1度、ベルン少佐に面会を申し込むことは可能でしょうか」
「……? 何か、そうしなければならない理由があるのですか?」
「……いえ。ほんの少し、気になることがあるだけ、なのですが」
この時の私は、ベルンに聞きたいことがありました。
時間を置くと
「そうですか。私も謝罪に行くつもりでしたし、良ければ同行しますか?」
「ありがとうございます、ヴェルディさん」
こうして私たちは、ベルンのもとに向かうことになりました。
彼は既に治療を終えて、自分のテントに戻っていました。
ヴェルディさんが来訪を告げるとすぐに中に通され、私たちは対面しました。
ベルンは前腕部に包帯を巻いていましたが、顔色も良く元気そうでした。
ヴェルディさんの謝罪と説明を、表面上はにこやかに、時に深く同情しながら聞いていました。……目だけは全く笑っていませんでしたが。
会話が途切れたところで、ヴェルディさんの視線が私の方を向きました。
私は一歩前に出て、ベルンに頭を下げました。
「先程は大変お世話になりました」
「いやいや、君も災難だったね。上官の色恋沙汰に巻き込まれるとか」
笑顔のままヴェルディさんに毒を吐きつつ、ベルンは親切そうな口調で私に話しかけてきました。
互いの目と目が合います。
蛇のように狡猾で、鷹のように鋭く、それでいて無機質で真っ暗な瞳。
例によって強い嫌悪感がわき上がりましたが、私はぐっとこらえてその目を直視しました。
「……どうしたの? 何か怖い顔してるけど」
「ベルン少佐」
「ん、何?」
「お伺いしたいことがあります。少しお時間をいただけないでしょうか?」
時間なら今まさに
「君と、俺が? 2人で?」
「はい。
「俺はいいけど?」
ベルンの視線が、ちらりとヴェルディさんの方を向きました。
「トウリちゃん……」
いかにも心配そうにこちらを見返してくる彼に、私は小声で頼みました。
「ヴェルディさん、どうかお願いします」
「…………」
短い
そうして2人きりになった後で。
「お伺いしたいことって何?」
ベルンが浮かべた表情には好奇心と共に、ほんのわずかな戸惑いも滲んでいるように見えました。
私の方から「2人きりになりたい」なんて言い出した理由がわからなかったのでしょうね。
実のところ、それは私自身も同じでした。
「ベルン少佐」
「うん」
「あなたは、この国の英雄です」
「……は?」
「オースティンの危機を何度も救った。まぎれもない英雄です。今のオースティンには、あなたの力がいる」
「ちょ、いきなり何? なんか気持ち悪いんだけど」
なぜ、こんなことを話しているのか。
この時の私は、自分でもよくわかっていませんでした。
ただ、怒っていたから。
言葉では言い表せないほど、腹が立っていたから。
目の前に居る男のことを、問いつめてやらずにはいられなかったのです。
「私とあなたの、どちらが軍にとって重要か。どちらの命が優先されるべきか。そんなことは考えるまでもありません」
それなのに、なぜ。
「あなたは、私のことをかばったりしたのですか?」
そう。ルーカス二等歩兵の銃口は、あの時、間違いなく私を狙っていたのです。
ですが結果的には、かすり傷ひとつ負わずにすみました。
発砲までのあの一瞬に、ベルンが私の体を引き寄せ、抱き込んだから。
まるで、我が身を盾にしてかばうかのように。
「理由をお聞かせください。ベルン少佐」
自分でも意味のわからない、激しい怒りに
私は見るだけで吐き気をもよおす怪物の瞳を、正面からにらみつけたのです。