翌日、私は中央軍の司令官であるレンヴェル中佐のもとに呼び出されました。
そこで今回の失態に対する叱責と、降格の指令があるものと覚悟していたのですが。
「ああ、そんな必要はない、ない」
レンヴェル中佐はあっさり否定しました。
なぜなら今回の事件は表沙汰にされず、内々に処理することが決まったからだそうです。
「それは、なぜ……」
戸惑う私に、中佐は順を追って説明してくださいました。
まずは事件を起こしたアダー少尉の処分について。
彼は軍を辞めることになったそうです。
と言っても、正式な除隊処分ではなく、表向きは「精神を病んで故郷に帰ることになった」という名目で。
彼は政府高官の血縁者でした。
重い罰を与えると面倒なことになりそうなので、昨夜の事件も、おおやけにはしないと南軍との間で取り決めがなされたのだとか。
アンリ大佐も了承済みというくらいですから、彼は本当に「家柄の良い」人物だったのですね。
一方で、もう1人の当事者であるルーカス二等歩兵は、衛生部の治療の甲斐なく、夜明け前に息を引き取ったそうです。
「彼は亡くなったのですか……」
と、いうことは、彼がなぜ私の命を狙ったのか、理由はわからないままということなのでしょうか。
「いや、それについては死ぬ前に吐いていった」
「え」
「衛生部の連中が――特にレィターリュ部長が、治療の合間に話を聞いてやったらしい」
衛生部の皆さんは、ルーカス二等歩兵を誠実に治療しました。
相手が凶行に走った兵士であっても、その命を救うために力を尽くしたのです。
それがルーカス二等歩兵にも伝わったのでしょうか。亡くなる前に、苦しい息の下から、彼が語ったところによれば――。
彼には将来を誓い合った女性が居ました。
ひとつ年上の幼なじみで、彼より1年早く軍属となり、国を守るために戦っていたそうです。
しかし、フラメールとの戦いの
その原因は小隊長の判断ミスだったのですが、ルーカス二等歩兵はなぜか「ベルン参謀少佐が彼女らを
つまり、彼が私を撃とうとしたのは。
あれほどまでに強い殺意を、私に向けてきた理由とは。
アダー少尉が口にしていた、「トウリ・ロウ少尉はベルン・ヴァロウ少佐の女」という、根拠不明な言いがかりのせいでした。
ルーカス二等歩兵は、けして愚かな人物というわけではなく。
アダー少尉の言動を見て、「こいつ大丈夫か?」と疑わしく思う程度の知性はありました。
前述の言いがかりについても、良くて半信半疑だったのですが……。
それを信じてしまったのは、ベルンがあの場に姿を現したからでした。
だったら、目の前で殺してやりたい。奪ってやりたい。
自分と同じ痛みを、苦しみを、何としても味わわせてやりたい。
わき上がった憎悪に逆らうことができず、彼は凶行に及び――結果として、その若い命を虚しく散らすことになったのです。
しかし死の
「…………」
話を聞いた自分は、何ともやりきれない思いがすると同時に。
うっすらとわく違和感に、身の内が冷たくなるような錯覚を覚えていました。
ルーカス二等歩兵は、「自分の恋人がベルンに見殺しにされた」という噂を聞き、それを信じていました。
同じく、アダー少尉が私を拘束した理由は、私が「ベルン・ヴァロウの間者である」となぜか信じ込んでいたからでした。
ヴェルディさんは、それを「アダー少尉自身の妄想」と仰っていましたが……果たしてそうなのでしょうか?
2つの話に共通しているのは、どちらもベルンに関する風評であること。それも明らかに「悪い噂」です。
ベルンはオースティンの英雄ではありますが、以前ナウマンさんが仰っていたように民間出身の、つまりは成り上がりです。
考えるまでもなく、敵は多いことでしょう。彼の失脚を願う者が、軍内部に居てもおかしくありません。
今回の事件には、何か裏があるのではないか。
背後には、レンヴェル派とアンリ派の対立があるのでは?
そんな自分の疑念を見抜いたかのように、
「余計なことは考えるな、トウリ」
とレンヴェルさんが言いました。
「おまえのような若輩者が、気安く首を突っ込んでいい話じゃない」
「……!」
そのまなざしは、鋭く、恐ろしく、
私は恐怖に凍りついたのですが――すぐにレンヴェルさんは、孫を叱る祖父のような口調になって、
「そもそも! ベルン・ヴァロウなんぞと関わるんじゃない!」
わしわしと私の頭をなでながら、苦言のようなお説教のようなセリフを続けました。
「前にも言ったじゃろうが! 南軍の奴らには近づくなと! 俺はおまえを、あやつらに渡す気などないからな! アンリの奴が何と言おうが、その意思は変わらん!」
「……大佐が何か仰ったのですか?」
結構な力でなで回されてよろめきながら、どうにか顔を上げてお尋ねしますと。
レンヴェルさんはとても不機嫌そうな顔をして、
「おまえ自身が望むなら、好きにさせてやれと言われた。重要なのは当人の気持ちだろうと」
「…………」
「で、あらためて聞くが、おまえ、奴らに寝返ろうなどとは――」
「思っていません」
私は即答しました。
「私自身の望みとして、このままヴェルディ少佐の大隊で働かせていただきたい、と考えています」
「ん。ならばいい」
レンヴェルさんは気難しい表情を作ってうなずきましたが、その目は満足そうでした。
彼が自分のことを気にかけてくださるのは、非常にありがたいことです。
亡きアリアさんに代わって後見人になってくださったことも含めて、感謝が尽きません。
そのレンヴェルさんが「余計なことは考えるな」と仰るのです。
私は分をわきまえ、与えられた任務をこなすことにのみ、尽力すべきでしょう。
昨日は本当に色々なことがありましたが、「今後いっさい、顔を見せるな」とベルンに言われたことだけは収穫だったと言えます。
もうあの男に
「待ってたよ、トウリちゃん」
……果たすつもりでいましたのに、3日とたたないうちに、また呼び出されてしまいました。
「今後いっさい顔を見せるな、とのご命令のはずでは」
「あー、言ったね。取り消し」
「…………」
「君の方こそ、命の恩に報いるんじゃなかったっけ?」
「取り消し、というわけには……」
「いきませーん」
ベルンの用件は、要するに「助けてやった恩を返せ」ということでした。
ただでさえ忙しいのに、あの事件のせいでさらに時間が押しているので、猫の手でもいいから借りたい、とのことでした。
「心配しなくても、ヴェルディ少佐にはちゃんと話を通してあるよ。君がどーしても俺を手伝いたいって言うから、今日1日だけ使ってやることにした、って」
「…………」
そんなわけで私は、強引に彼のテントに連れ込まれ。
「そこの地図と書類、まとめて持ってこい!」
「インクが切れた! とっとと補充してこい!」
「この書類を司令部まで持っていけ! 10分以内だ!」
書類仕事に
「あのー、ベルン少佐?」
これは何の罰なのでしょうか。普通に考えて、中隊長の仕事じゃありませんよね?
「受けた恩を返す、って言ったろ」
「…………」
「何か不服でも?」
「……いえ」
不服はなくもないですが、結婚しろと迫られるよりは遙かにマシです。ベルンは本当に忙しいらしく、セクハラに及ぶ暇もないようですし。
色々と、思うところはありますが。
いまやオースティンを支える屋台骨である、参謀の仕事を
せっかくですから、勉強して帰りましょう。
「遅い! このノロマなカタツムリが! 指示したことはさっさとこなせ、同じことを2度も言わせるんじゃねえ!」
……そんな暇は全くありませんでした。
ベルンの指示はわかりやすく適切でしたが、とにかく速いのです。
それはこの男の頭の回転の速さが、常軌を逸しているからなのでしょう。私はついていくのでやっとで、ろくに休憩する暇もありませんでした。
驚くべきことに、彼は食事休憩すら取りませんでした。
副官だという眼鏡の中年男性が夕方頃に1度入ってきて、細かい連絡の後に、レーションを置いて去っていっただけ。ベルンはそのレーションを片手でつまみながら、書類仕事を続行したのです。
「あのー、ベルン少佐? そろそろ夜ですが……」
「だからどうした」
「自分はいつになったら持ち場に戻れるのでしょうか?」
「さあ、ねえ。いつとはお約束できませんねえ。何しろどっかの中隊長殿がどっかの色ボケ士官に捕まったせいで、俺の貴重な時間が半日もつぶされましたからねえ」
「……力の限りお役に立ちます、少佐殿」
この時ベルンは、間もなく行われるフラメール侵攻について、具体的な作戦立案を求められていました。
作戦の大まかな内容自体は、とうの昔にできあがっていたそうですが。
政府は、より緻密で高度な計画を彼に求めてきたのです。
オースティンの状況は
できるだけ短期間で、オースティン側の被害を少なく、資源の消費も抑えて、勝つ。
そんな無茶振りを、「おまえならできるだろう」とばかりに上から要求されていたのでした。
聞いた話では、この時点で2徹目だったそうですが。
その日もベルンはひたすら机に向かい、時に頭をかきむしり、時に意味不明な叫び声を上げながら、ペンを動かし続け。
日付を大きくまたいだ頃、唐突に机に突っ伏し、動かなくなりました。
どうやら、眠っているようです。
「……もう帰ってもよろしいでしょうか」
私が言われた仕事はベルンの手伝いなので、手伝うことがなくなった時点でお役御免という解釈も成り立つ気がします。
「とはいえ、さすがにコレを置いては帰れませんね」
秋も徐々に深まって参りました。この辺りは比較的温暖な気候ですが、夜ともなれば気温も下がってきます。
参謀殿に風邪をひかれては困ります。奇行にはどん引きでしたが、この男がオースティンのために働いているのはまぎれもない事実です。せめて毛布くらいはかけてやろうと思い、私は彼に歩み寄りました。
……本当に、寝ていますね。ぴくりとも動きません。
どんな人間でも寝顔は罪がない――かと思えば、なんか眉間にしわを寄せてブツブツ言ってます。普通に怖いです。
急いで毛布をかけて、すぐにそばを離れます。急に起き上がってきたりしたらもっと怖いですから。
「……リス」
と、その時。
寝ているベルンの方から、声が――。
「イリス――」
それは寝言でした。
聞き間違いでなければ、人名でした。
瞬間、言い知れぬ悪寒が、私の背筋を駆け抜けました。
ドッドッと鼓動が耳元で打ちます。呼吸が乱れて、胸が苦しくなって、私は自分の体を抱くようにして床にうずくまりました。
今、自分は何を聞いたのでしょうか。
イリス。……女性の名前です。
意識のない状態で口に上らせる名前といえば、普通に考えれば恋人とか親しい人のものでしょう。
ですが、ベルンにそんな相手が居るという話は聞いたことがありません。
家族は――もしかしたら、どこかに居るのかもしれませんが。
この時、私が知っていた彼の経歴は、士官学校を卒業した後、参謀部の見習いになったこと。それだけでした。
「うっ……」
どうして、こんなに動揺しているのでしょう? まるで戦場で残酷な光景を目にした時のように、震えが止まりません。
「トウリ少尉?」
そんな私に声をかけてきたのは、あの眼鏡の副官でした。いつのまにか、テントに入ってきたようです。
彼は寝ているベルンの様子を確かめた後、
「どうかなさったのですか? 顔色が悪いようですが……」
と私に話しかけてきました。
「少し、気分が、悪くて」
私は切れ切れに答えました。
「できれば、退出させて、いただけないでしょうか――」
「…………」
眼鏡の副官は、温度のない目で私を
「承知致しました。ベルン様には私の方からご報告しておきますので、どうぞお戻りください」
「あり、がとう、ございます」
眼鏡の副官にお礼を言って、私は逃げるようにその場を後にしました。