9話
夕焼けが、世界を染めていました。
森も、畑も、村の小道も。
全てがオレンジ色に染まる中、私は兄に――いえ、兄のように慕っていた幼なじみのバーニーに背負われて、家路を急いでいました。
――とまって、とまって!
私がねだると、彼は足を止めて振り向きました。
――見て、おそろい!
私は生まれつき色素の薄い髪をしています。
それが夕焼けの中だと、赤く色づいたように見えて。
――いっしょ、いっしょ!
はしゃぐ私を、少しうるさそうに見返しながら。
それでも彼はすぐに歩き出そうとはせず、しばらく足を止めて、夕焼けを眺めていました。
それは遠い記憶でした。在りし日の優しい夢でした。
私たちの足元にはタンポポ畑が広がっていて、静かに風に揺れていました。
銃声も、砲弾の音も聞こえない。平和そのものの世界がありました。
そのうち、彼がまた歩き出して。
機嫌が良かった私は、彼の背中で歌を歌いました。
うんと小さい頃に、お母さんが教えてくれた歌。おそらくは子守歌を。
何しろ3つかそこらだったので、歌詞とかはうろ覚えでしたけど。
彼は私の歌が上手だと、珍しくほめてくれて。
嬉しくなった私は、家に帰るまでずっと歌っていました。
……そんな温かくて懐かしい夢を見たのに、寝覚めは最悪でした。
*****
「何だ、おまえ。ひっでー顔してんな」
翌朝、顔を合わせるなり、ガヴェル曹長にも言われてしまいました。
「……昨夜は、色々あったもので」
「ああ。そういや、またベルン少佐に呼び出されたんだっけ」
ガヴェル曹長は、なんとなく怒っているような、それでいて心配そうな顔をして、
「色々って何?」
と聞いてきました。
「いえ、何も。何もありません」
「どっちだよ」
「……その、ガヴェル曹長。つかぬことをお伺いしますが」
「?」
「ベルン・ヴァロウ少佐の経歴について――特に士官学校に入る以前のことを何かご存知でしょうか?」
「……なんで、そんなこと聞きたがるんだ?」
本当に、どうしてでしょうね。自分でもわかりません。
「おまえ、何か変じゃないか?」
彼の言う通り、変だと思います。
ベルンが寝言で誰を呼ぼうが、私には関係ありません。気にかける必要など何もないはずですのに。
「あいにく、俺もくわしいことは知らない」
ガヴェル曹長は、じっと疑わしそうに私を見ながら、ゆっくりと回答しました。
「かなり若い内に軍に志願した、って話なら聞いたことある。そんで優秀だったから後見人がついて、士官学校に入学できた――みたいな?」
「ご家族は……」
「確か居ないんじゃなかったか? よく知らねーけど」
「その、恋人や婚約者などは……」
「はああ?」
ガヴェル曹長は疑いの上に別の疑いを乗せた顔で、「おまえ、まさか……」と私を凝視しました。
「違います、それは絶対に違います」
あの男と「そういう想像」をされるのは、本気で耐えがたいほど忌まわしいのです。
「あの人、色恋とか興味ないって話だけどな」
「……そうなのですか」
「アンリ大佐とか軍の偉いさんが勧めた見合い、全部蹴ってるらしいぜ」
戦時ですから、見合いと言っても実際に相手に会うわけではありません。釣書等を渡されて、その気があるなら婚約、くらいの形になるそうです。
「酒保で女を買ってるとか、そういう噂も聞いたことねえし」
「…………」
「ああ、でも。前に衛生部で、子供みたいな顔の衛生兵をナンパしてたって噂なら――」
「…………」
「って、あれ、おまえか?」
「……まあ、一応」
ナンパというかセクハラはされましたが、その目的は色恋ではなく勧誘です。単に、私のことを彼の部隊に引き抜こうとしただけの話です。
「……あんまり関わらない方がいいと思うぞ」
ガヴェル曹長はしばし沈黙してから、何やら言いにくそうな顔をして私に忠告してきました。
「おまえ、うちの爺ちゃんにかなり優遇されてんのに、南軍の人間と付き合ったりしたらさ……。多分、中央軍の中にも不満を持つ奴が居ると思うから……」
私はレンヴェルさんに優遇されている。やはり、そういう風に見られているのですね。
「……悪い。嫌なこと言ったな」
「いえ、何も悪いことはありません。事実ですから」
ガヴェル曹長の顔に、「言わなければ良かった」という後悔がよぎりました。
これは、話題を変えた方が良さそうですね。
「時に、今日は早めに訓練を上がらせていただいてもよろしいでしょうか」
「……? 何かあるのか?」
「はい。衛生部の手伝いに行こうかと」
鉱山戦線は膠着していますが、たまに両軍の間で小競り合いが起きることもあります。
先日、やや規模の大きな衝突があり、そこそこの数の負傷者が出たため、衛生部は大忙しなのです。
「ワガママを言って申し訳ありませんが……」
「ん、わかった。そういうことなら、こっちは任せろ」
治癒魔法の使い手は貴重です。
幸い、訓練の方は特に問題もなく進んでいるので、ガヴェル曹長にお任せして、自分は衛生部のテントに向かうことにしました。
「トウリちゃん! よく来てくれたわね、待ってたわ~!」
「リトルボス! 君は俺たちの救いの女神だ!」
衛生部の皆さんはだいぶお疲れだったようで、衛生部長のレィターリュさんも病床主任のケイルさんも、諸手を上げて歓迎してくださいました。
私も、張り切ってお手伝いしようとしたのですが――。
「?」
その時、奇妙なものが目に入りました。
衛生部のテントの一角に、なぜか兵士が固まっていたのです。
負傷して手当てを待っているようには見えません。全員がきちんと装備を身につけていますし、何やら物々しい空気をただよわせています。
「レイリィさん、彼らは……」
不審に思って尋ねると、レィターリュさんもかすかに眉を寄せて、
「ああ、あれね。ちょっと厄介な患者さんが来ちゃって」
「厄介な患者さん?」
レィターリュさんいわく。
先日の小競り合いの際、民間人とおぼしき少女が救助されました。
彼女はもともと国境近くに住んでいた村人で、フラメールの侵攻で故郷を焼かれ、家族を殺され、その後は敵国に拉致されて、性奴隷として働かされていたのだそうです。
「性奴隷……」
「ええ。逆らえば容赦なく暴力を受けたそうよ。傷を診たのは私だけど……。本当に、ひどいものだった」
「…………」
惨い話に胸を痛めながら、私は「厄介な患者」という言葉の意味を彼女に尋ねました。
するとレィターリュさんは美しい顔を歪めてぐっと声量を下げ、
「まだ確かな話じゃないんだけどね。彼女、スパイの疑いがあるっていうのよ」
「え?」
「つまり、民間人を装った、フラメールの間者なんじゃないかって」
「……っ!」
その時、兵士たちがこちらに近づいてきました。
「レィターリュ衛生部長殿。我々はこれにて失礼します」
後はお願いしますと頭を下げる兵士たちに、レィターリュさんも表面上はにこやかに「お役目ご苦労様」と返しました。
ぞろぞろと退出していく兵士たち。
さっきまで彼らが立っていた場所には、傷だらけで横たわっている1人の少女の姿がありました。
年頃は10代前半から半ばでしょうか。
どこか虚ろな目をして天井を仰いでいる、その少女の顔は――。
先日、戦死した私の義妹に。
リナリーに、よく似ていました。
*****
翌日、私はヴェルディさんに面会申請をしました。
ヴェルディさんは多忙な人です。会いたいとお願いしたからといって、すぐにお目にかかれるとは限りません。
「よく来てくれましたね、トウリちゃん」
……が、実際には、日が沈む前に面会が適ってしまいました。
「お忙しいところ申し訳ありません、ヴェルディさん」
「構いませんよ。それで、用件は?」
いつものように気さくに応じてくださるヴェルディさんに、私は衛生部で見掛けた少女のことを尋ねました。
「ああ、その件ですか。報告だけは一応受けていますよ」
「……間者かもしれない、という話は確かなのでしょうか?」
私の目には、ただの傷ついた少女にしか見えなかったのですが。
「あいにく私も、くわしいことは聞いていないのですよ。彼女を保護したのが南軍の部隊だったため、取り調べについても、そちらで行われる手はずになっています」
「取り調べ……」
「ええ。今は傷の回復を待っているようですが」
いずれは尋問だけでなく、拷問のようなことが行われる可能性もあると聞いて、私は目の前が暗くなりかけました。
「どうしてそこまで……!」
つい声を荒げると、ヴェルディさんも困惑顔をなさいました。
「私も正直、そこまでする必要があるのかと疑問に思っているのですが……。どうも、彼らには確信があるようで」
あの少女が敵の間者である、という確信が。
「何か怪しむべき点があったのかもしれませんね。たとえば保護した時の状況がおかしかったとか、彼女のオースティン語が不自然だったとか」
そんなのはただ、戦乱に巻き込まれたショックで、うまく話せなかっただけかもしれないじゃないですか。性奴隷という話が事実なら、たとえ味方でも武装した男の集団はさぞ恐ろしかったことでしょうし。
「……どうしたんですか、トウリちゃん」
ヴェルディさんがほんの少しだけ
「いつになく動揺しているように見えますが……、何か理由でも?」
「それは……」
あの少女がリナリーに似ていたから――などと言ってもいいのでしょうか。
ヴェルディさんは、リナリーの死に責任を感じていました。そのことで私に謝ってもくれました。
今、ここで彼女の名前を出したら、ヴェルディさんに再びつらい思いをさせてしまうかもしれません。
「いえ、何でもありません」
そう言ってごまかそうとすると、「トウリちゃん?」と名前を呼ばれました。
「水くさい遠慮はなしにしてくれませんか。あなたと私は、共に死線をくぐりぬけた仲でしょう?」
「……すみません」
私は気まずくなって頭を下げました。
「謝る必要はないですよ。……それで、質問の答えは?」
繰り返し問われて、私は白状しました。
あの少女の顔立ちが、リナリーによく似ていたので、気になったのだと。
するとヴェルディさんは、大きく瞳を見開いて、絶句して。
「トウリちゃん。……あなたは疲れてるんですね」
「え」
「私が
「ヴェルディさん?」
困惑する私に、ヴェルディさんは噛んで含めるように仰いました。
「リナリーは亡くなったんですよ。その少女はただ年頃が近くて、リナリーと同じく国境近くの村の出身であるというだけの、赤の他人です」
「…………」
「似ているわけがないんです。あなたの目にはそう見えたのだとしたら、それは思い込みによる錯覚です」
「錯覚……」
「あなたがリナリーの死をまだ受け入れられていない証拠です。ずっと無理をして、気丈に振る舞っていたのですね。なのに私は、そのことに気づきもせずに」
「…………」
「少し休養した方がいい。幸い、訓練は順調との報告を受けています。2、3日、休暇を与えましょう」
ヴェルディさんはどこまでも優しく、思いやりに満ちた目で私を見つめています。
「……ごめんなさい」
ようやく正気に返った私は、とても恥ずかしくなりました。
そんな風に心配をかけてしまったことも、取り乱して押しかけてきたことも申し訳なくて、今すぐこの場から消えたいくらいでした。
「本当に、ごめんなさい……」
「…………」
ヴェルディさんは黙って席を立つと、こちらに近づいてきて。
少しためらってから、私の頭を軽くなでてくださいました。
彼がそんな風にするのは、実は珍しいことでした。
同じ小隊だったアレンさんとかは、わりとためらわずに頭をなでたり、髪をぐしゃぐしゃにしたりといったコミュニケーションをする人でしたが。
ヴェルディさんは育ちが良いせいか、直接、体にふれるようなことはあまりなさらないんですよね。
本人もその自覚があるのか、少し気まずそうに笑っていました。
その彼らしくない不器用な思いやりが、私は嬉しくて。
「……ありがとうございます」
かすかに口元を
「礼など不要ですよ。今はただ、ゆっくり休養をとってください」
休暇の件は自分が手続きをしておく、と言ってくださいましたが、そこまで甘えるわけには参りません。
「いえ、もう大丈夫です。明日も通常通り、任務に邁進します」
ただでさえ「優遇されている」自分が休暇などいただいたりしたら、何を言われるかわかりません。私だけでなく、ヴェルディさんにも非難の矛先が向くかもしれないのです。
「お気遣い感謝します、ヴェルディさん」
「トウリちゃん……」
ヴェルディさんはなおも心配そうにしていましたが、無理強いもできないと思ったのか、私の言葉を受け入れてくださいました。
彼のテントを出た後で、私は軽く自分の頬を叩いて気合いを入れました。
自分がやるべきは、中隊長として、務めを果たすことです。
余計なことに気を取られている暇はありません。あの少女のことも、これ以上は考えまい、とそう決めたのですが……。