ダンジョンで王冠を継ぐのは間違っているだろうか 作:白黒ととか
ダンジョン内部の熱気と金属の匂いが薄れていく。
牛頭の怪物と少年の戦闘――その現場を目に焼き付け、私は物陰から静かに身を引こうとした。
だが、その背後で短く確かな声が響く。
「――待て」
それは少年のものでも、荒っぽい重戦士のものでもない。
柔らかだが芯の通った、落ち着いた響きの声――小柄な金髪の青年が悠然と歩み寄る。
他の者たちがちりぢりに距離を保ち彼に続く。
青年は私の正面に歩み出て、穏やかな笑みで軽く頭を下げた。
(ドゥリン? いや、違うな)
「いきなり呼び止めてすまないね。僕は、このパーティのリーダーをしているものなんだ。君のことが気になってね、少しだけ話を聞かせてもらえないかな?」
その話しかたは丁寧で、まっすぐな観察の眼差しに満ちている。
前線の冒険者にしては幼さすら感じる小柄な体だが、纏う気配には“リーダー”としての強さと誠実さがあった。
そのすぐ後ろに立つ、透き通るような長い金髪の少女。
静かにこちらを見つめる、どこか神秘的なエルフの女性。
長身の獣人、目つきの鋭い銀髪の男。
それぞれが同じ雰囲気でこちらを観察している。
名は名乗られていないが、その存在感だけで、彼らが只者でないことが分かる。
私は一度まばたきをして、青年に向き直る。
「……私が君に悪意を持った手合いだったらどうするんだ?」
自分でも皮肉交じりの口ぶりになる。だが相手はまったく気を悪くした様子もない。
「それならそれで構わないさ。でも、今回は違ったみたいだね。」
「……」
「君はさっき……彼の戦いを止めなかっただろう。はたから見れば勝てるはずのない戦いだった。だからこそ余計に気になったよ君は何者なんだい?」
ゆっくりと、しかし逃さない声。
私は小さく息を吸い、一歩だけ距離を取り正面から応じた。
「……はぁ。ここで何かごまかしても仕方ない、か。聞きたいことを聞くといい。ただし、私も質問を返す」
「それでいい」と青年はほっと息を吐いて、少し顔を緩めた。
「まず、君の名前を聞かせてくれないか?」
まるで警戒を解くための第一歩のようなその質問に、私は静かに名乗った。
「アッシュだ。……それ以外は特に、今は名乗るものはない」
「アッシュ……」青年は優しく繰り返す。
「そっちは?」
「ああ、すまない、僕はロキ・ファミリア団長のフィン・ディムナだ。」
「じゃあ、訊くけど――君はどこから来たんだい?」
「ん?」
「君が来た道はこの先につながる通路だ。僕はダンジョンに潜り始めて長いけど君を見たことは一度もない。なら考えられるのはつい最近この街に来た人間くらいじゃないかな?」
私はしばらく口をつぐむ。
正直に語るべきなのか迷ったが、ここが本当に私の知らない場所だとすればこの思考は無駄だ。
それなら、偽りなく、自分の知る事実だけを語ることにする。
「多分、フィンたちと同じ“街”の住人じゃない。……気が付いたら、ここにいた。私は、確かにあの時、天災に巻き込まれて吹き飛ばされたはずなんだ、次に目覚めたときには、もうこの地下にいた。」
「ほう……」
青年が静かに相槌を打つ。その後ろでエルフの女性が眉をしかめ、金髪の少女は小さく首を傾げた。
「それで、ここがどこなのか……全く分からない。」
私の言葉に、青年は小さく微笑みながら頷いた。
「なら、教えよう。ここはオラリオという街の地下に広がる、“ダンジョン”と呼ばれる場所さ。魔物が湧き出て、冒険者が日夜挑み続ける場所。君は、地上の街を一度も見ていないんだね?」
「……ああ。一度も」
銀髪の男が腕を組みながら「めんどくせえのに関わったな」とむすっと呟く。
聞こえるように言っているのが分かる。
その隣で、金髪の剣士の少女がじっと私を見つめてくる。
「君は魔法が使えるの?」
「なぜ?」
「立ち振る舞いが術者のそれだった」
「確かに私は術者として戦うこともあったが、よくわかるな」
応えると、彼女はわずかに感心したようだ。
「道案内が必要なら、地上まで送ろう。……このダンジョンで独りは危険。君に悪意はなさそうだけど、冒険者でもなしに十数階層をさまよったのなら……」
緑髪のエルフの女性は言葉を濁し、少しだけ遠慮がちに続けた。
「――君をそのままここで放り出すわけにもいかない。よかったら、私たちと一緒に地上まで戻らないか?」
リーダーの青年が改めて言葉を添える。
「リヴェリア、アイズと一緒に彼女を地上まで送ってやってくるかい?」
「かまわないがどうだ?」
私は少し考えたあと、軽く頭を下げる。
「そうしてもらえると助かる」
長身の獣人がまた小さく舌打ちしたが、それをリーダーが小さく制した。
「悪いが、何かあれば頼んだよアイズ。安心できるまでは、慎重に、ね」
その慎重さがむしろ心地よかった。
リヴェリアと呼ばれた緑髪のエルフの女性とアイズと呼ばれた金髪の少女は、私を囲うようにダンジョンの帰路につく。
「……君の世界には、ダンジョンはないのか?」
途中、リヴェリアが会釈しつつさりげなく訊く。
「さあな。少なくとも私は見たことも聞いたこともない」
「そ、そうなのか」
少し驚いたようにリヴェリアがいう。
「まあ、この街ではダンジョンと共存しているようなものだ。」
「地上は、どんな場所だ?」
「一度見ればきっと驚く。ここよりずっと賑やかで、色んな人たち――“神様”も住んでいるから。」
「神様?」
「そう、“ファミリア”というのは、神に仕える団体のことだ。君も地上に行ったら分かる。きっと困ったときも助け船が出せる。」
会話は時折間が空く。
私に対する警戒を解く仕草はない。
だが、敵意も感じない。
アイズがふと口を開く。
「さっきは、どうしてベルの戦いを見守っていたの?」
私は少しだけ考えてから、
「彼が“自分で戦おう”と決めていた。それを邪魔しないのが一番だと思った。」
「……そう」
金髪の少女は、わずかに表情を和らげた。
リヴェリアは横目でこちらを見ながら、柔らかく微笑んだ。
数十分、ダンジョンの回廊を抜けていく。
やがて出口が近づくと、地上から差し込む明るい光と澄んだ空気――騒がしい人々の声が耳に届いた。
アイズが振り返り、私に向き直った。
「外はとても明るくて、にぎやかだし……君にとってここは初めてだろうけど、安心していいよ。私たちが案内する。」
「……ありがとう」
そのまま一行とともにダンジョンの入口を抜ける。
眩い陽射し、見渡すかぎり広がる大通り――人、獣人、エルフ、ドワーフ、様々な種が生き生きと歩き回り、空気には多様な活気と喧噪がひしめいている。
私はしばし立ち尽くした。
見慣れない街、見慣れない人々。しかし、その景色にはどこか温かさが満ちていた。
「さあ、ギルドまで案内しよう。色々と手続きも必要だからね。」
リヴェリアの快活な声で一行を促した。
私は静かにその背中に続く。
遠く、どこか懐かしさと新しさが入り混じった風を感じながら。
太陽の光と街の喧騒は、ダンジョンでの沈鬱を一気に洗い流してくれた。
けれど、それは同時に、私はここでは何者でもないという実感を突きつけてくる。
隣を歩く二人――長い金髪に静かな双眸の少女と、端正な顔立ちのエルフの女性は、人ごみの中でも特に目を引いていた。
彼女たちが進む道を、周囲の人々は尊敬と畏怖の入り混じった視線で見送る。
「アッシュ、こっちだ」とエルフの女性――リヴェリア――が静かに声をかける。
「ギルドへ案内する。その後、私たちのホームへ」
歩きながら私は彼女に尋ねた。
「……君たちは、みんな冒険者なのか?」
「そうだ」リヴェリアがうなずく。
「私たちは同じファミリアの者同士。オラリオで生きるための“家族”みたいなもの」
アイズは何も言わず、けれど時折じっとこちらを見つめている。
やがて、石造りの建物の前に立った。
広い玄関、厚い扉の向こうから、人の出入りが絶え間なく続いている。
他の冒険者たちが受付へと吸い込まれていく。
「ここがギルドだ」
重い扉を押して中へ入る。
広々としたホールでは、冒険者や商人が集まり、大きな報告書や依頼書が忙しげにやり取りされていた。
二人に案内されてカウンター前に立つと、淡い茶色の髪の女性職員がすぐに視線を向けてきた。
柔らかい微笑みと凛とした雰囲気。ひと目で働き者だと分かる。
「どうぞ、こちらへ。お二人ともロキ・ファミリアは遠征中では?」淡い声でリヴェリアにあいさつを返し、それから私に丁寧に頭を下げた。
「初めてお見かけします。私はエイナ・チュールといいます。リヴェリア様、こちらの方は?」
二人のうち、リヴェリアが口を開いた。
「ギルドの庇護を頼みたい迷い人だ。詳細は後で説明する。まず、この人の仮登録を頼める?」
「かしこまりました」
エイナはペンと書類の束を用意し、「まずはお名前を」と促してくる。
「……アッシュだ」
答えると、彼女は「アッシュさんですね」と優しい声で繰り返し、書類に記入していく。
「身分証や所属ファミリアはお持ちで?」
「持ってない。……ここに来る前の記憶もはっきりしない。居場所も、なにも」
「そうですか。ご安心ください。ギルドでは、そのような方も一時的な保護対象として受け入れております」
周囲では耐えられないほどの慇懃なやり取りが続くが、エイナが時おりさり気なく説明や補足をしてくれるので、会話は滞りなく進む。
「ご不安なことはありませんか?」
聞かれて一瞬戸惑う。
「……正直、不安のほうが多い。でも、おかげで今は落ち着いている」
「それはなによりです。もしお困りのことがあれば、いつでも窓口でお尋ねを」
カウンターの向こうから、彼女の優しさがじかに伝わる。
「一時登録が終われば、仮の滞在先や最低限の食事の手配も可能です。……ご希望があれば、紹介状を発行しましょうか?」
「……どうすればいいかも含めて、これから相談したい」
エルフの女性が私の肩を軽く叩き、
「まずは私たちのホームへ来るといい」と提案してくれる。
横で金髪の少女は、何も言わずじっとこちらを見ていた。
だが、その眼差しはどこか安心させてくれるものだった。
「分かった。案内を頼む」
「それじゃ、いこうか」
エイナが深く一礼した。「よい冒険の日々を」と、伸びやかな声が後ろ姿に届いた。
ギルドの建物を抜け、大広場を横切って、私は二人について歩いた。
活気の溢れる大通り。遠くに高い塔や円形神殿が見え、広場には舞い踊る子供や露店が並ぶ。
やがて住宅街と庭園を抜けた先に、立派な洋館がそびえていた。
その建物こそが、彼女たちが「ホーム」と呼ぶ場所だった。
「着いたわ。ここが私たちのファミリアの家」
門扉を開け、先に進む二人について中へ。広々とした廊下、静かな空気。
途中、道行く者たちが興味深そうにこちらを振り返った。
部屋に通され、ソファに座る。アイズとエルフの女性――どうやら高い地位のようだ――は少しの間、館の奥と行き来する。
やがて扉の奥から、軽快な足音が響いた。
「おやおや、これが噂の珍客かい?」
ひと際明るい声とともに現れたのは、炎の色をした鮮やかな髪、狐のような目をした女性だった。
気安そうに歩み寄ってくるも、目は抜け目なく私を観察している。
「君がアッシュ君だね? うちの大切な子たちから話は聞いているよ」
「……はじめまして」
「おお!はじめましてなッ」
彼女は屈託なく笑って手を振り、「ここの主――神様の一人、ロキ」とだけ名乗った。
隣で、エルフの女性が「私からも正式に。名はリヴェリア。ファミリアの副団長を務めている」と続けて自己紹介する。
金髪の少女は一歩前に出るが、名を口にしないままじっと目を合わせるだけだった。
「この子はアイズ。剣の腕は一流なんやで」
ロキがかるく紹介すると、アイズは一瞬だけ目を細めて頷いてくれた。
ロキがソファの反対側に腰を下ろす。
「いやぁ、リヴェリアとアイズからも“異世界から来た”かもって聞いたときはビックリしたで~。でも本人がこうして無事なら、私は気にせぇへんけどな?」
狐めいた微笑みとともに、茶目っ気たっぷりに目を細めている。
私は素直に頷いた。
「正直、まだ自分でも状況が分かっていない。……でも、君たちに助けられたことだけは確かだ」
「そりゃそうや。リヴェリアやアイズが拾って来た子なら間違いないって、うちのファミリアは信じてるで」
ロキは膝に肘を乗せて屈託なく続けた。
「リヴェリアには大変だったなぁ、小難しい手続き問題もあったろうし」
「……見極めは慎重にしました」とリヴェリア。
金髪の少女――アイズは無言のまま、しかしずっと視線を外さない。
「で、どうだいアッシュ君? この街でどうやって生きていくつもり?」
「分からない。ただ、自分の力がどこまで役に立つかも未知数だし――どうせなら、ここで何か始めたいと思ってる」
「ほほう? 力ってのは?」
「炎……を少し。戦争の国で身に付けたものだ。でも、戦い方もこの世界の流儀を知らない」
その返答にロキは大きく目を見開く。
「そらぁすごい! アイズとリヴェリアが相談してたのは正解だと思うね。……ねぇアッシュ、うちで“ファミリア”として試してみる気はある?」
不意の勧誘。私は一呼吸間を置いた。
「私がここにいて迷惑にはならないか?」
「なるもならないも、ご縁は大事や。ここにいる皆は皆、私が決めた子たちさ」
リヴェリアはソファの隣でうなずく。
「信頼できるかどうかは、ここで接して感じ取るもの。でも、私はあなたなら大丈夫だと信じている」
アイズが珍しく前のめりになり、
「……一緒に戦ってみたい」と静かに告げた。
ロキは両手をパンと打ち鳴らした。
「決まりや! ようこそアッシュ、“ロキ・ファミリア”へ!」
その宣言に、リヴェリアとアイズもそっと笑みを浮かべて見守っている。
どこか夢のような気分だった。
葦の原を彷徨い、名もなき灰に還ろうとしていた私が、こうして“仲間”という輪の中に招かれる――
その温かさに、胸がじんわりと満たされた。