「景色がきれいだよ」   作:人に戻った少女

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烈火

 ガタガタと馬車は揺れながら少しずつ動く。

 車輪が回る音と馬が歩く音が合わさって下手な音楽を奏でている。

 緊張が私に、その遅すぎるリズムを不快なものだと思わせていた。

 ただすぐ横にいるリリィは、むしろその破滅的な音色に聞き惚れている。

 楽しんでいるリリィに話しかけることもできず、それでも暇で仕方ない私は結局魔法で遠くの誰かを作業のように助けるしかできなかった。

 

 私が助けるのは今日を生きることすら難しい人たちだ。

 例えば路地裏に捨てられた子供たち。

 こっそりとご飯を作り出したり頭の中に必要な知識を定着させたり、そういう偶然だと思われる程度のささやかな助け。

 下手に誰かが助けていると気付かれたら、みんなその誰かを探すために労力を使ってしまう。もしも見つかれば私は人を助ける装置として追われることになるだろう。

 昔の私ならそれでも良かった────はずもない。何かしらの集団に確保されればその救済はその集団のためだけに使わなければならなくなるだろう。

 人の欲。それは今も魔法で夢の世界に幽閉するガーデン家の市民たちで体験済みだ。母を亡くした直後に生身で際限なく人を助けた私は、瞬く間に市民たちだけの救世主であることを望まれたのだ。

 遠くの誰かを助けに動こうとすれば泣きつかれる。市民たちは、見捨てないで、なんて口に出していたが実態は違う。もう私がいなくても回る領地で彼らはさらなる欲を満たそうとしていただけ。

 だから私は、いちいち人の前に姿を現さなくなった。

 けれど私の魔法は誰が使ったか分からない程度で諦めることができないほど強力だった。

 

 遠い遠い場所での話。

 そこでは人間が差別されていた。

 人間と同じ言語を話すのに、そこに住む動物たちは寄ってたかって人間を殺し続けていた。

 手足が引きちぎられ、喉を抉られて、死んでいく人々が大量にいた。

 人間に首輪をかけて、鎖で繋いで、自由を奪っていた。

 私は、そんな生きられない人たちを魔法で助けた。

 手足を繋いで。喉を治して。死を覆した。

 首にかけられた鉄の輪を壊して鎖を断ち切って自由になれる場所まで逃した。

 それを、全ての人間に行った。

 私はそれで良いと思っていた。

 だけどどうしようもない絶望から唐突に施された救済が、追い詰められた人の目にどう映るのか理解していなかった。

 

 大量の人間が同じ奇跡で助かった。そして、そんな人間が一箇所に逃げ込んだ。誰も追うものがいなければ誰も先住していない、生きるのに不自由ない土地。

 この奇跡はたちまち「神」の奇跡とされ神格化されて。

 彼らは、「神」を探し始めるようになった。

 元々この世で神といえば泉の女神様ただ一柱だけを指す言葉だった。

 しかし彼らは自分たちを救済した奇跡を泉の女神様がもたらしたものであるとは考えていなかった。

 ずっと祈っていたのに、女神様はずっと何もしてくれなかった。

 だからあの奇跡は、新しく生まれた神様が起こしたものなのだ。

 彼らはその妄想に囚われた。

 狂信でおかしくなった彼らは、自分たちの身に起こった不幸と幸運に理屈をつけて「神」を作り出していった。

 そして全ての人間が一つの意思を共有して動く。

 その狂信は簡単に結束し、集団は国を名乗るようになった。

 今やその国は人間の国でも有数の強大な存在へと変貌した。

 たった、三年間の出来事である。

 

 私の魔法は抑えずに使えばこの奇跡を量産できてしまう。

 人の繁栄を際限なく成立させてしまう。

 そこには、とてつもない上位者を幻視させる力がある。

 そして、その上位者が贔屓する存在がこの世の頂点に立つと思わせるだろう。

 だから、私はもどかしくとも小さな手助けしかできない。

 全ての生き物が私に狂えば、確かにそれは楽園ともいえる世界が出来上がるだろう。

 けれど、それは真っ当な世界ではない。

 私は世界の善悪を決定づけてしまう立場にある。

 天秤としての役割も持つ私は、安易に片方へ重みを乗せてはいけないのだ。

 絶対に片方にしか傾かない恣意的な天秤。それが私ならせめて傾かないよう水平を保つしかない。

 

……人を殺した時点で、もう私の天秤は傾き始めたけど。

 

 遠くから小さすぎる救いをもたらす中で、こんな面倒で繊細な作業をする必要があるかという疑問が、ずっと頭に浮かぶのだ。

 一息に、全ての生き物を洗脳して、幸せ以外を感じられないようにしてしまえ。

 それで全ての敵を地上から一掃して、家族と幸せになろう。

 私は家族を優先すると決めたはずじゃないか。

 自分の幸福すらよく分からなくなるほど、自分を抑えつけたんだ。

 仕事なら立派に果たした。

 世界を呑み込む大穴は塞いだだろう。

 これ以上私に何を望む。

 私に絡み付く網を引きちぎったって許されるはずだ。

 先祖の望みだって果たした。別に誰かを不幸にしようとしてるわけじゃない。世界は今よりも確実に良くなる。

 

 もう、終わりで良いじゃないか。

 

 頑張った。大切な人を犠牲にして、それを歯を食いしばって耐えた。

 誰かを積極的に傷付けたわけでもない。

 役目はしっかり果たした。

 これ以上、私に何を頑張れって言うんだ。

 むしろ頑張るべきなのはお前たちだっただろ。

 私たちは必死に世界を救おうとしてたんだ。

 それをお前たちが台無しにした。

 醜い下衆な心で綺麗なものを全部壊していったんだ。

 今はそれを全部私たちに押し付けて、罪人だ悪人だと騒ぎ立てるのか。

 そんな奴らを気にかける必要なんてどこにあるんだ。

 全部。

 全部、お前たちが悪い。

 お前たちは助かる資格なんてない。

 ただ汚すだけ汚して後始末もしなかった。

 私たちは、ちゃんと、やるべきことをやったのに。

 

 人を助けることは気持ちいいけど。

 やっぱり、どうしてもそういう思考は生まれてしまう。

 その度に私は頭を振ってその考えを外へ追い出す。

 その気持ちに呑まれれば、私はきっと後悔する。

 後悔……するはずだ。

 そのはず。

 だって、人の心は無闇に手を出してはいけないものなはずだから。

 そうあるものを、無闇に変えてはいけないはずだから。

 だから、これは、魔が差しただけなんだ。

 魔が差したから、こんな怨みが膨らむ。

 しっかり心を持てば、大丈夫。

 

 遠くの誰かを助けて暇を潰していると、馬車の音に飽きたリリィが私を見つめていた。

 まんまるの目に物珍しさを潜ませて、じっと私を見ている。

 しっかり今助けている人を助けきって、私はリリィと向き合った。

 そのまま無言で見つめ合っていると、琥珀色の目に吸い込まれるような心地がしてぼーっとしてしまう。

 そのまま私たちは何も語らず、何の意図もなく、ずっとお互いを覗き込んだ。

 心を覗いているような不思議な感覚。あるいは心を覗かれているような、こそばゆい感覚。

 でも、私にはそれが心の底から楽しかった。

 ちゃんと大切な人を見つめるのは遠い昔の話だった。

 私は、その頃を取り戻しているのかもしれない。

 ささくれた心が整っていく。

 汚らしい世界の中で美しく咲く妹が愛おしい。

 このまま汚れを知らないままでいてくれたら良かったけど、もうリリィは世界の汚さを知ってしまっている。

 その汚さの中でも、リリィが綺麗であればいいと願う。

 それくらいの我が儘は許されていいはずだ。

 たとえリリィの奥底で蠢いているものが全てを灰にする怒りだとしても、その業火でリリィが燃えないでいてくれたら嬉しい。

 いつかリリィの鎖を全て解いて、身を焦がす火を鎮められたらいいな。

 そうして、彼女が素のままに生きられたら幸せだ。

 

「お姉様」

「どうしたの」

「私は、十分幸せですよ」

 

 リリィ。それは嘘だよ。

 あなたに絡み付く鎖たちが教えてくれる。

 その嘘を吐いた瞬間により強くあなたを締め付けた鎖が、何より雄弁に語っている。

 まだあなたは幸せじゃない。

 その鎖が解けるまで、あなたは自分を抑え続けてる。

 その様を見てどうして、その嘘に騙されることができようか。

 嘘つきの妹に騙されるほど、私は甘くないのだ。

 

「リリィ……」

「お姉様は分かりやすいですね。……そんなに聞きたいですか?」

「聞かせて。お願い」

 

 私のお願いに、リリィは仕方ないとため息をついた後、私から顔を背けてゆっくりと口を開けた。

 リリィを締め付けるだけの鎖が、少し緩んだのがとても嬉しかった。

 

「きらい。誰も彼も全員きらい。みんな勝手に物事を面倒にして、人の裏をかいて自分だけ幸せになろうとして傷付けてくる。そのくせ私たちがそうしようとしたらみんな目くじらたてて怒ってくる。私は自由になりたい。自由になって、得意なことを見つけて、誰にも負けないようになりたい。それで誰にも邪魔されずに生きたい。でもみんな邪魔してくる。色んなしがらみが、欲望が、私に巻き付いて縛り付けてくる。私はそれに縛り付けられて全く動けない。誰かが私を引っ張って、行きたくないところに連れて行って、私はずっと惨めなんだ。そのうち手も足も目も耳も鼻も肌も全部縛られて、何も聞こえない何も見えない何も感じないようになってただ息をしてるだけの置物になる。最後には口を塞がれて息も出来ないまま死んじゃう。そんなふうにしてきた奴を、一人残らず殺してやる。惨たらしく殺してやる。私にしたみたいに、何もかもを縛って身じろぎ一つ出来なくしてやる。その上で、自分の意思で動いてるように錯覚させて殺し合わせてやるんだ。私の痛みを、何倍にもして返してやる。私がそうなるはずだった未来を私に首輪つけた奴ら全員に突きつけてやる。世界を呪わせながら愛する人を殺させてやる。命乞いをしながら丹念に殺されろ。泥の詰まった内臓を取り合って餓死して、毒が流し込まれた水を取り合って殺し合え。そうしてやっと私はこの怒りを抑えられる。この怒りを、世界に知らしめてやる。泥まみれの血肉を腹に納めて汚染された水を啜ってでもこの復讐を果たしてやる。私を苛んだ全て、私を見捨てた全て、私を助けなかった全てに報復してやる。事情なんか知ったことじゃない。私の事情も知ろうとしなかった奴らに礼儀なんて必要ない。ただ死ねばいい。惨めに無様に血を流せばいい。自由になることを許さなかった全ての生命が不自由に死んでくれればいい」

 

 リリィの表情は憤怒に染まっていた。

 瞳孔が開ききったままここではないどこかを睨みつけ、歯を食いしばっている。

 もはや一つの修羅として語られるほどに怒気をまとう。

 彼女を焦がす心の火で、焦げた肉の嫌な臭いがするかのようだ。

 緩んだ鎖は溶けて赤熱し、隙間から見える彼女の心は強すぎる炎によって煮えたち液体化したそれが溶けた鎖と混じりながら漏れ出ている。

 

 私は、そんなリリィを抱きとめる。

 彼女の心につられて、世界を燃やそうとする私の心を必死に宥めながら。

 彼女の鎖がいっそう緩んで、ついには心の火が勢いよく噴き出してくる。

 それに私は燃やされて、リリィの心と混ざり合う。

 

 私たちは、ただ幸せになりたかっただけ。

 この鎖を引きちぎりたかった。

 それをしなかったのは、人を愛していたから。

 それなのに人は私たちに痛みを押し付けた。

 幼き日に信用の証だと受け入れたこの鎖はただの私利私欲の産物だった。

 それでも、愛してくれるならこの火は生まれなかったのに。

 人々は、誰も私たちを愛さなかった。

 この鎖を乱暴に引っ張って、私たちの全てを要求した。

 過去。現在。未来。

 尊厳や幸せだって。

 お前たちは、私たちを気にかけることなく、私たちが得られるはずの全てを奪い去ったんだ。

 お前たちはただの略奪者だった。

 一人残らず。

 たった一人の例外もなく。

 お前たちは一人残らずこの業火で燃えるべきだ。

 私たちに繋がるこの鎖が全てを教えてくれる。

 お前たちは、誰一人生き残るべきではないと。

 いまだに引かれる鎖が、その先に繋がる欲望に支配された者たちの実在を知らしめる。

 それら全てを消し去るまで私たちは幸せになれない────!

 

 それでも、私はその火で溶けることはない。

 遠い場所にいる人たちを知っているから。

 私たちと同じように鎖で繋がれた誰かを知っているから。

 誰かがその憎しみの螺旋を断ち切らなければならない。

 鎖を繋がれた者が、鎖を繋いだ者に鎖を繋ぎ返す。

 そうして雁字搦めになった果てで、私たちのように口以外の全てを縛られてしまうのだ。

 復讐の行く末。避けられない結末。

 復讐という鎖で他者を縛っても、いつかそれが自分に絡み付く。

 私たちを縛る鎖には、私たちが主人であるものも多分に存在していた。

 私たちは既に、私たちを縛っている鎖と同じくらい他の誰かを縛り付けている。

 誰も彼も、繋ごうとして鎖を繋いだわけではない。

 どうしても譲れないものが存在して、それが鎖として自らを縛り付けるだけ。

 伸びた自縛の鎖に囚われて、いつしかそれは他者を巻き込むほど強大になっていく。

 融解するほどの火がもたらす結末は、それでしかない。

 溶けた鎖が精錬されて、今よりも頑丈で溶けない鎖が私たちに巻き付く。

 誰が主人でも変わらない。鎖を持つ限り私たちは縛られたままだ。

 溶けるわけにはいかない。溶けてリリィに同意してはいけない。

 だって、リリィが望む先に自由などないのだから。

 

 リリィの心に巣食う憎悪を私の心が冷やす。

 火の勢いは弱まって、どろつくリリィの心も固まっていく。

 鎖は溶解して半分くらい無くなっていた。

 リリィはずっとこの火に耐えていた。

 その火が弱まってくれたことを、嬉しく思う。

 それと同時に、その火を消しきれなかったことを悔いる。

 私は自分の中に燻る火種を消しきれなかった。

 その熱気が、リリィの火を残してしまった。

 だけど、今はリリィが楽になったことを喜ぶべきだ。

 ポカンと口を開けた彼女がさらに愛おしい。

 

 馬車は進む。ゆっくりと、確実に。

 私たちは鎖を解けるだろうか。

 その不安は確かに存在している。

 だけど今だけはそれを忘れよう。

 きっと解ける。そう信じよう。

 今日は、リリィが少しだけ自由になった日なんだから。

 

 




 善良に振る舞ってますがその心根まで人の味方かと言われたら違うという話でした。

 リリィもそうですが主人公も厄ネタです。そもそもガーデン家は全員この世界にとっての厄ネタですけど。物理的に世界を滅ぼせる人に女神様の代わりに神罰を与えられる人、文明が後退する規模の戦争を引き起こせる人、さらには第二の大穴を発生させられる人が揃ってますからね。
 ガーデン家以外でこの規模の終末を作れるのはガブリエラくらいです。でもガーデン家の人たちみたいな瞬間的で個人主導の終末ではなく、人類全体の自滅をガブリエラが誘導して詰みを発生させる程度の終末になります。
 リリィが発生させる終末はガーデン家の中では一番マシですね。結局のところ彼女が出来ることは在野の凡人でも、方法さえ分かり絶対にやり遂げる覚悟があるなら同じように出来ます。他の誰かが思い付き実行さえできたら同じことが起きるでしょう。ガーデン家の中で彼女だけは、どれだけ極めたとしても人の範疇です。逆にこの世界の人が優秀な技能を持ちすぎてるともいえます。
 妖精たちが人間相手に無双できてるのは、人間側が自分たちの力を理解していない部分も大きいですね。逆に奴隷国家は人間の力に深い理解があったからこそ強大になりました。

 六国共名の話を書ききったらリリィのバッドエンドifも書こうと思います。バッドエンドは大体ヤバいので、ちゃんとそのヤバさを受け取ってもらえる描写をしたいですね。
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