「景色がきれいだよ」   作:人に戻った少女

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怪物

 アナベル・ガーデンは怪物である。

 それはアナベルを知る人物なら紆余曲折ありながらも最終的に同意せざるを得ない意見だ。

 彼女の一動作が生命を終わらせるものである限り、どれだけ精神が善良であろうとアナベルは災害にも似た存在として語られる。

 しかし幸いなことに、今日に至るまで彼女は進んで力を振るうことは一度も無かった。

 彼女は自身の身じろぎで誰かが死ぬことがないように、じっと身を丸めて生きてきた。

 窮屈な部屋の中で、一切の不満を表に出さず生きてきた。

 鋭い爪は全て剥がした。呼吸は窒息するほど浅いものにした。牙となる歯は全て引き抜いた。恐ろしい手足は折った。

 無論、ただの比喩だ。実際に彼女の体がそうだというわけではない。しかしながら彼女の精神は正しくその状態にある。

 己の生きる術をおよそ全て投げ払ってようやく、アナベルという怪物は人間と共に生きられるだけの低みへ降りることができた。

 それは、この世界には本来存在し得ない猶予である。

 彼女に宿る力は断罪の力。

 罪ある者を裁く神の意思。

 罪に汚染されたこの世界では一切止むはずのない、絶対の滅びこそ彼女の役割。

 アナベルは自らの役割を捨てて怪物から人間へと変化した。

 しかし、いくら役割を放棄しようと力は消えない。

 彼女に満ちる咎人を断頭するための力はあらゆる物体を破壊する怪力として表出した。

 そして、放棄したとて役割からは逃げられない。

 罪人を裁くには誰が罪を犯したか正確に把握しなければならない。

 だからこそ、アナベルは本能で理解している。

 

 この世界に、清い存在など一人もいない。

 それどころか、この世界を構築するものは例外なく大罪を背負っている。

 

 それを理解してしまえば彼女は怪物に戻ってしまう。

 罪への嫌悪は生物への嫌悪へ入れ替わり、やがて世界への嫌悪へ肥大化する。

 それでも、人間に変化したアナベルは、家族への愛しさで破壊衝動を抑えていた。

 今日、この日までは。

 彼女は怪物であった頃の自分を愛してくれた姉に依存しきっていた。

 それこそ、姉が抱える罪の一切を認めず姉の行動全てを肯定してしまうほどに。

 そして彼女は、家族もそうであると考え始めたのだ。

 プラム・ガーデンこそ救世主たる聖者である。

 それは紛れもない狂信だった。

 あらゆる罪は姉を信奉することで許される。

 姉が全ての罪を浄化してくれる。

 この世界は姉によって救済されるのだ。

 だから、姉が行う全ての行動は世界を救うためのものなのだ。

……そんなわけがない。

 それを妄言だと誰より理解しているのも、アナベルだった。

 彼女は本能で罪を発見できるのだ。

 姉を見るたびに、姉の罪深さを突きつけられる。

 プラムという少女はあまりにも罪深い存在だった。

 あらゆる理屈を無視して人を救済できるということは、誰かを救済できなければそれは見殺しにしたということである。

 姉は、あまりに多くの人間を見殺しにしすぎた。

 罪人たちの精神を重視しすぎるあまりに防ぐことのできなかった悲劇は、アナベルの本能が姉を罪人と断ずるには十分すぎるものだった。

 本能は、姉の優しさを常に非難し続ける。

 しかし人へ変化したアナベルは、それに救われたからこそ姉に優しさを捨ててほしくなかった。

 目を背けるように、姉の優しさに依存した。

 全ては姉から優しさという罪を消してしまわぬため。

 

────その依存は、姉から優しさを消し去ろうとする全ての罪への怒りに変貌した。

 

   

 

 どうして、お前たちは姉に全て押し付けて罪を重ねているんだ。

 姉は、善行を持って罪を償おうとしているというのに。

 どうして、お前たちは親しき隣人すら騙し私腹を肥そうとするんだ。

 姉は、自腹を切ってまでお前たちへ施しているのに。

 どうして、お前たちは自身の罪から逃れようとするんだ。

 姉は、自らの罪と向き合いそれを背負うと決めたのに。

 許せない。許せるはずがない。

 姉は、ただ、優しいというだけの罪だ。

 お前たちがそこまで罪深くなければ、美徳として称えられていたはずのそれを持っていただけなんだ。

 お前たちさえ、お前たちさえ善良でいようとしていれば、姉に罪なんてありはしなかったんだ!

 それなのに、お前たちは無責任に姉を糾弾する。

 姉がどれほど素晴らしくて高潔なのか一切理解しない。

 なら、姉がどれだけ優しかったか私が知らしめるしかない。

 正しい裁きが、どれほど苛烈で残酷なのか。

 お前たちが、本来どうなるべきだったのか。

 私が。

 私という断罪者が。

 救済されるに至らない者たち全てを地獄へ導いてやる。

 頭蓋を砕き臓腑を引き抜こう。

 そうして亡骸になってようやく、お前たちの罪は雪がれる。

 だから、だから────!

 

「────邪魔をしないで、姉上!」

 

 

   ☆

 

 43回

 馬車を襲撃してきたアナベルにより血の霧になったリリィを、アネモネの攻撃を防いだという過去改変により負傷しなかったことにした回数である。

 私一人であるならどれだけアナベルが全力を出しても鎮圧する自信があるのだが、誰か一人を守りながらとなると残念ながら思考が足りない。

 どうせ後で復活するからと傷を気にしなくていい私と違い、人間は死の経験を残したまま正気で生きられるわけではないのだ。

 だから私は一秒を千等分した刹那に十発の破壊を押し付けてくるアナベル相手に、リリィの防御と過去改変を用意するだけで限界だった。

 断罪の力は相手が生物である限り拒否のできない絶対の力だ。

 それは私もリリィも同じである。

 アナベルの断罪がリリィに向かえばそれは寸分の狂いもなくリリィに的中する。

 私がアナベルの断罪を防ごうとしても、罪のある私の行いもまた罪として貫いてしまう。

 私がアナベルの攻撃を曲がりなりにも防げているのは断罪の力の出力を、アナベル自身の罪を引き出すことにより下げていることが大きかった。

 アナベルの力は神の権能ともいえるそれだ。

 だからこそその力は無制限ではいられない。二つの条件が揃って初めて断罪の力は完全に発揮されるのだ。

 一つは相手が罪人であること。

 罪が存在しない相手を断罪すればそれは冤罪だ。神の意思の元行われる断罪に冤罪があってはならない。

 もう一つは、自身が罪人でないこと。

 罪がある者が断罪を執り行えば罪は雪がれない。神の裁きを代行する者が罪人であることは許されない。

 アナベルは私たちの話を聞かず一方的にリリィを裁こうとしていた。

 その罪人とするには足りない罪を増幅することができたのは僥倖だった。それまでに43回もの失敗をしてしまったが、以降はギリギリながらも何とかアナベルの攻撃を防ぎきれている。

 だから、戦闘に関しては今の所問題はない。問題はそこではないのだ。

 

 恐らく、アナベルが諦めない限りこの攻防は何万年経っても終わらない。

 

 断罪の力は絶対的だ。裁きを執り行うとなればそれは絶対に果たさなければならない。例え断罪者が罪人であろうとも、断罪対象が冤罪でない限り裁きは引き続き行われる。

 つまるところ、殺せはしないが罪人を解放しないことは許されるのだ。

 アナベルとの攻防は、リリィを逃さないためのもの。

……そして、こんな攻防を繰り広げて大地が無事であるわけがない。

 馬車はとっくの昔に砕けて粉になったし、地面は既に溶岩が見えるほど深く抉れている。衝撃波が伝播して噴き上がった溶岩が宙に散らされていく。容赦なく上がっていく気温はリリィの体力を奪うのだ。

 時間は私たちの敵だった。

 しかし現状私にできることはアナベルの攻撃を防ぐこととリリィが溶岩に落ちないよう抱えること、万が一に備えて過去改変の準備くらい。

 防御と過去改変という命綱を手放せばアナベルを封殺することはできるだろう。

 私たちの罪を浄化する魔法を使って、アナベルの動きを止める魔法を使う。それで、私だけならどうとでもできる。

 ただ、防御を解いた瞬間私が魔法を使うより速くリリィは粉微塵になるだろう。

 過去改変を手放したところで、常に生み出される罪は一度浄化してもすぐさま断罪の対象になる大きさまで膨れ上がる。一つ命綱を手放すだけでは手が足りないのだ。

 死の記憶は、人を発狂させるには十分。

 事が終わった後でリリィを生き返らせるでは意味がない。過去改変の実態はやり直しである。どう足掻いても不可能なことは不可能なのだ。

 私は、限りなく詰みに近い盤面に立たされている。

 私は思わず歯軋りする。

 アナベルの危うさは薄々勘付いていた。いつか爆発しかねない暴力性が暴走する時期を固定化する意図も込めて六国共名の放送を届けたが、見通しが甘かったらしい。

 もはや説得すらできないほどに暴走したアナベルは、私たちの声すら聞かないままリリィへの攻撃を開始したのだ。

 

「許さない! 許さない! 許されない! 姉上の優しさを台無しにする奴は死ね! 罪に呑まれた奴は死ね! 反省しない奴は死ね! みんな死ね! うあああぁぁぁぁ────!」

 

 六国共名の放送で暴走するだろうと予想はしていた。しかしそれは妖精や人外、国の代表たちに、であってまさかリリィに怒りが向くとは思っていなかった。

……いや、もしかしたらリリィ本人は分かっていたのかもしれない。

 その上で、リリィはアナベルに命を奪われることを承知でこの作戦を決行したのかもしれない。

 今も命の危機が目前に迫っているのに、リリィはカケラたりとも動揺していない。

 今、リリィのできることは何もないのにだ。彼女の言葉はあくまで理解しようとする相手にしか通用しない。頭に血が昇って言語を理解できなくなった今のアナベルには無力である。

 

「────リリィ、リリィ! なんでお前も罪人なんだ! なんで! なんで! なんで! 姉上の隣にいるのに!」

 

 悲痛な叫びは大地を粉砕する拳と共に飛来する。魔法がそれを受け止める際に発生する轟音の中でも、慟哭は少しもかき消されず私たちへと届いていた。

 アナベルの嘆きに返答しようとしても、あらゆる音を飲み込む爆音が満ちたこの場では一切の声が届かずに終わる。

 説得なんて甘い考えは、初めから成立などしていなかった。

 

「姉上、姉上、姉上! 私が貴女を解放してみせる! 貴女を苛む全てを消し去って! 貴女を遮る全てを叩きのめして! 貴女を阻む全てを払いのけて! ただ貴女が優しくあれるようにしてみせる!」

 

 支離滅裂なアナベルの理屈に同意するわけにはいかない。

 アナベルをそのままにしてしまえば、最後には私以外の何も残らないだろう。

 そうなってしまえば、優しさというものに価値は無くなってしまう。

 自分以外に向けることができない優しさなど、醜く存在するべきでないものだ。

 それはいつか破滅的な自己愛へと変じ、あらゆる他者を害する罪として完成する。

 アナベルに同意してしまえば最後、彼女が愛した優しさは他者を傷付けるしか能のないものへと腐ってしまう。

 彼女自身の手で彼女が最も好むものを抹殺させぬため、そして彼女が最も嫌うものを彼女が誕生させぬため。

 どうにかして、彼女を鎮圧しなければならない。

 ただ、その手段が存在しない。

 リリィを見捨てた瞬間に、私の心は腐敗するだろう。

 しかしリリィを守りながらではアナベルをどうにもできない。

 限界が、着実にリリィへと近寄っていた。

 

 

 

 ずっと続く攻防を傍に、リリィの体力は底へと到達していた。

 滝のように流れる汗は脱水を引き起こし、高すぎる温度は体の働きを破壊している。

 既に朦朧とした意識は、リリィの猶予が幾許もないことを如実に示していた。

 その様子を確認したアナベルは、攻撃の手を緩め始める。

 しかしいくら手を緩めたとはいえその鋭さは依然として健在だった。

 いや、鋭さだけでいうならむしろ増している。

 意識の間隙へ滑り込むような殴打。余波だけで大地を割ってみせたその一撃によっていくつかの防壁を粉砕し、リリィの柔肌へあと一歩まで迫る。

 今までは100はある魔法でできた膜を50ほど砕くだけで一撃が終わっていた。

 手数に任せたラッシュではいくら速く手を出そうと、砕いた壁が次殴る瞬間には全て元通りになってしまっていた。

 だからこそアナベルは一番初めに試した一撃重視の粉砕を試した。

 両者を知らなければ、残り一枚まで防壁を貫通したアナベルを讃えるだろう。

 しかし、プラムを知るアナベルはたった一枚防壁が残れば次の手には全てが振り出しに戻されることを知っていた。

 つまるところ、今アナベルがどれだけ力を込めようとあと一枚の守りを残して防がれる結果がいつまでも続く。

 本当はリリィの体を治療してたまらないこの状況で防がれるなら、プラムの守りを突破することはできない。

 しかし焦る必要はない。

 時間はアナベルの味方なのだ。

 プラムと戦うことになった時点でアナベルはこの結末を目指していた。

 本能からプラムの守りを貫通することはできないと理解していたアナベルは、プラムから思考を奪い去りリリィを時間経過による死を迎えることだけを狙っていた。

 己が全力で拳を振るえば大地が崩れ落ちることをアナベルは分かっていた。そこから溶岩が噴き出ようがそうでなかろうが、足場が無くなればリリィは動けない。そうなれば、いつか水が尽きてリリィは死ぬ。

 プラムはそれを助けようとするだろう。それを阻止するための猛攻。それを阻止するため執拗なまでにリリィだけを狙い撃った。

 プラムの魔法は全能かもしれない。

 しかしプラム本人は全能ではない。

 だからこそ成立する作戦だった。

 本来なら一手で全てを解決できる銀の弾丸は、持ち主が判断を誤ったせいで効力なく外れることとなった。

 だから、アナベルの勝ち。

 理不尽でどうしようもない、怪物の勝利が悠然と横たわっている。

 あとはただの消化試合だ。

 

 物理法則という鎖は、無慈悲にリリィを縛り付けた。

 




 戦闘はあまり起こさないはずだったんですが発生しました。
 完全無欠っぽく描写することが多いプラムですが、割と弱点はいっぱいあります。とはいえ、その弱点をつける相手は少ないはずなんですけどね。対戦相手が例外だらけで参ってしまいます。
 プラムvsアナベルは本来主人公側が確実に勝ちます。プラムは死んでも平然と生き返られるので、浮いた手数を使いアナベルを簡単に倒せます。しかし本文のように守らなければならない誰かがいると一気にプラムが不利になります。
 プラムの対処能力が防御でいっぱいになって永遠の均衡状態に突入するため、護衛対象はほぼ時間切れで死にます。対してアナベルは肉体的が怪物の域にあるので、どれだけ戦闘が長引いても不調になることすらありません。
 まさしく本文の状況ですね。プラムの勝ち筋はアナベルが飛来する初手の段階で、自身と護衛対象の罪を浄化する魔法を使うことでした。アナベルが行動できるようになる前の段階に動けていれば、開戦と同時にアナベルを制圧できます。
 防御に手を割かなくて良くなれば、後はアナベルを鎮圧すれば良くなるので、そのまま勝てるんですね。
 今回は護衛対象が妹のリリィだったため、咄嗟の魔法が防御になり潰れた手数の負債が最後まで足を引くことになりました。いくら無事とは分かっても、光速より少し遅い程度の速度で飛んでくる人間程度の物体が、大事な人目掛けて飛来することをプラムは看過できません。というか、そんなものと激突したら断罪の力うんぬんより先に物理的な衝撃で死亡します。あくまで手数に余裕ある開戦前にだからこそ、罪を浄化するというのは有効な手と変化します。
 同じように、43回も大事な人が弾け飛ぶ様を見た上で過去改変という最大の命綱を手放して攻撃に移れるほど、プラムの精神は強固ではありません。どれだけ無駄に思えても、過去改変の魔法を構えていることによる精神安定はプラムには必要なものです。

 次回はアナベル鎮圧ですね。
 どうにもならなさそうなのにどうにかしなきゃいけない……こういう時にプロットとか設定をしっかり考えないと、と感じます。ノリと勢いだけで進めると詰まる部分がたくさんありますね
 
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