「景色がきれいだよ」 作:人に戻った少女
私には分からないものがある。
罪とはなんなのだろうか。
それは悪いことだと教えられたけど、じゃあ悪いことってなんだろうか。
人を傷付けることは悪いことらしい。
でも、人はたくさん別の誰かを傷付けている。
悪いことはしたらダメと教えられるけど、ならなんでそんな悪いことをする人がいるんだろう。
ずっと、分からなかった。
悪いらしいそれを、ただ嫌うしかできない。
つまりは、生まれながらに親を傷つけた私は、悪い「何か」だ。
ならどうして、私は罰されずにずっと生きている?
どうして、罪の塊である私は見逃されてるのか。
私は、どういった理屈で母や姉に受け入れられているのだろう。
父のように、忌み嫌い遠ざけるべきだというのに。
罪というものは悪で、悪とは消し去るべきものではないのだろうか。
なら、悪であり罪である私はなぜまだ息をしているのだろう。
のうのうと存在して、あまつさえ幸福を甘受するなど、あってはならないのではないか。
どういった理屈で、私は未だに肉の心を脈動させているのだろう。
私に与えられたこの生は一体どんな罰を呼び込むのか。
その恐ろしさは私の思考を粉々に打ち砕き、やがて人を遠ざけるまでに至った。
どれだけ上部を飾ろうと本質は変わらない。
私は結局のところ、許しというものを何一つ理解していなかった。
罪との向き合い方を何も知らないまま罪を知覚したせいで、罪というもの全ては決して野放しにしてはいけない醜悪なものと思い込んだ。
そしてその汚物を受け入れて野放しにする全てを巨悪と断じ、一片の慈悲もなく唾棄した。
あらゆる悪、あらゆる罪、それを憎み嫌う怪物へと私は変質したのだ。
それは、本来罪でも悪でもない、綺麗で大切なものすらもそれと断ずる歪な秤へと姿を変えた。
他者の罪を許容するその慈愛を悪と断じた。
他者よりも幸福を望む向上心を罪と断じた。
分不相応に挑戦するその勇敢を悪と断じた。
私はありとあらゆる全てを罪と悪のみに振り分けた。
独善と狂気による汚染。
怪物が怪物たる所以が実像なき心を形作っていた。
それは、愛を悪と断じて。
優しさもまた罪と断じた。
私を救った全て。
私を人にしたはずの全て。
私が好きな情動を一つ残らず。
罪と悪の二つに規定した。
それで、切り分けられると考えた。
生まれたその瞬間から罪を犯し、生まれるその瞬間から悪だった私を完膚なきまでに殺して消してしまえると思った。
私を生かすものそれら全てが罪で、私が生きているうちに残す全てが悪であるなら、私は迷いなくこの身に宿る魂を砕き冥府へ渡れるのだと思い上がったのだ。
しかし、全てを罪と悪と見做したところで我が身可愛さから自害を選ぶことはできなかった。
そしてこの世にはただ憎たらしいものだけが残され、狂おしいほどの破壊衝動の中私は怪物のまま、ただ人間であるフリだけを繰り返す支離滅裂な気持ち悪い愚物へ成り果てた。
私から、理屈は失われた。
あらゆる矛盾が私を苛みそれはいつしか認識を捻じ曲げ幾重にも現実を覆い隠した。
人間のフリをするために正しさを追いかけて、怪物の本性がただ悪を成す。
自分の心さえ誤魔化した果てにもはやその自覚もなく、最も消し去りたい自身の肩代わりとして他者への暴力性だけが強まる。
正しさという皮と暴力性という肉。後はもう理由という血が流れれば、出来上がった体という理屈がどれだけ歪な異形だろうと走り出す。
私自身さえもう何が何だか分からないから、他人から見てそれがどんな状態かなんてもう知ったことではない。ただ、ただこの狂わしいほどの疑問を誰か解いてほしい。私の代わりに私が至るべきだった答えを与えてほしい。
この世に蔓延る罪その全てはなぜ存在するのか。
この世に蔓延る悪その全てはなぜ存在するのか。
言い換えるならそれは、なぜ私は生まれ未だ肉の心を動かしているのかという問いだった。
たとえそれが問いの体を成していなくとも、私にとってそれは確かな問いかけ。
どうか、私が作った穴だらけの理屈を打ち崩してほしい。
ただの怪物である私を罰する誰かがいてほしい。
世界の全てを、罪と悪だけで出来ていると断ずる私を否定して、世界は美しいのだと言ってほしい。
それが出来ないなら、この世全ての罪と悪として、私を貫いて。
ずっと求めていた回答。
私が生きる理由。
あるいは、私が死ぬに足る理由。
虚像のベールを破り去った先にある本心は、ただそれだけを求めて彷徨い続けている。
ひたすらに透明になって薄れ肥大化するそれが、論理を剥ぎ取る。
優しさから私は生まれてきて、愛によって私は生かされてきた。
そんな単純な話さえ分からなくなるくらい、錯乱してしまっていた。
私が生きる理由も、私が死ぬに足る理由も、ずっと一人で決めつけそれを誰かに言われることだけを求めてしまった。
私が生きる理由として認めるのは、罪なき人に報いるため。
私が死ぬに足る理由となるものは、罪なき人を穢さぬため。
隠さずに言うなら、その罪なき人は姉ただ一人のことだった。
姉に報いるために私は生き、姉を穢さぬために私は死ぬ。
決まりきった答えだけを望みそれ以外の全てを拒絶する愚者。
そのはず、だったのに。
リリィは、罪が世界を良くすると言っていた。
でも、罪は悪いもので、悪いものは存在してはいけないんじゃないのだろうか。
世界を良くするものは悪ではなくて、悪でないものは罪がない。
少なくとも私はそう考えていた。
愛は────世界を良くするものだ。
分かってる。そんなことは分かってる。
だって、そうじゃなきゃ母はあんなに父を好きになったりしない。
父も母を愛したからこそ私を正しく悪として見做したのだ。
……だけど、愛は世界を悪くするものでもあると知っている。
父がいい例だ。母への愛が強すぎるあまり、何も悪くない姉を父は罵倒した。愛のために悪を行ったのだ。
だから、私は愛を憎む。人を悪に堕とす愛を、心から。
憎む、のに。
私はそれを憎んでいるはずなのに、それでも諦められない。
愛されたい本能は裏切ることのできない糸で、求める心は肉体の支配者だった。
憎みながら欲する矛盾は私の偽りを砕き、恐れを凌駕してただありのままを映し出した。
単純で簡単な答えがただ私に与えられる。
罪とは愛をもって許すものであり、許すために必要な重りが罰である。
そうして罰と許しが釣り合った時、愛の名の下に罪は浄化される。
私は生まれながらの悪であり罪人だったが、愛によって許されそうではなくなった。
私が生まれ生きる理由は、ただ許されたというだけ。
そうだと知っただけで、私の心は軽くそして素直になった。
あらゆる出来事を悪しきように見ることもなくなった。
この世界をひたすら嫌いになる必要もなくなった。
目の前にある好ましいものを好ましく感じられるようになった。
正当化のための皮を脱ぎ、傷付けるだけの肉体を捨て、空虚に満ちた血を入れ替え、そして私の理屈は作り変えられる。
より良くするために、愛をもって、ありのままで。
たとえ罪に溢れた世界であろうと、未来永劫悪のままだと諦めることなく寄り添おう。
────少しだけ、自分を許せた気がした。
アナベルの内心描写がコロコロ変わるからどう決着つけようか悩んだ果て出来上がった話になります。
作中で発言と本心が一致してる人物すら少ないのに、アナベルは発言と本心と自己理解全てが一致していないという、登場させることそのものがタブーな存在として出来上がりました。最初はもっと単純なキャラクターだったはずなのに設定をその場のノリで追加したばっかりに……。
作者が禊の力だったアナベルの力を断罪の力と誤解し、そのまま押し切った果てに罪うんぬんの話をしなければならなくなり、最終的には何もかもを許すことができないまま人間として振る舞うために何も知らないフリをする爆弾としてアナベルは動いてもらうことになりました。作者の被害者です……。
次のアナベル視点どうなるか……ガバをガバで舗装してる現状変なところで瓦解してもおかしくないんですよね。特に何か終わりを決めて書いてるわけではないので。
見たいものを書く、というのは変わってません。急に矛盾に満ちた話も出る可能性はあります。