「景色がきれいだよ」 作:人に戻った少女
日が傾き夕焼けが私たちを照らす頃に、私はようやく泣き止んだ。
落ち着いた私はリリィに頭を撫でられていることに恥ずかしくなって、小さな声で離すようリリィへねだる。
しかしリリィは私の願いを無視するように、抱きつきながら私の頭を撫で続け満足げに微笑むばかり。
人の温かさは本当に久しぶりに感じるもので、溶岩よりも日光よりもずっと熱があるように感じられる。
やがて私はリリィの夢中ぶりにつられるように、自分からリリィを抱きしめてそこに彼女がいることを確認する。
……それを、私は幸せだと思う。
今までは、触れられることは恐怖の対象だった。
私が身じろぎしてしまえば、愛してくれる相手を傷付けてしまう。そうなれば、その愛は失われて喪失感だけが残るから。
私は仇しか返せない自身が嫌いで、その負い目を感じさせるものが嫌い。
自分はそうとしか生きられないという悟りは、そうは生きたくないという思いと絡まって厚いベールとなり、現実を覆い隠した。
怪物の心ではいられない。なのに人間の心では耐えられない。
だから遠ざけたはずだった。
自分で作った殻に心を押し込めて、ただ善良そうなフリをし続けて。
いつか殻が壊れることを自覚しながら日々を生きた。
殻の部分が浮かべる思考とその中に秘める心の差異。
それはただ自身への怒りと生への諦観を生み出すには十分すぎるもの。
いつしか世界への失望と死への渇望にすり替わったその二つは、殻を壊して自他境界の曖昧さに任せ他人を巻き込んだ自傷へ走らせた。
そのまま、殺して、壊れて、終わりになるはずだった。
だけど、私は許しを知った。
怪物の体は許された。
私が嫌う私の罪は、あっけないくらいに受け入れられた。
私は怪物のまま人になれたのだ。
私が私のまま、それが許されるという衝撃は価値観を変えるには十分なものだった。
現実は私が思うより冷たくなかった。
完膚なきまでに正しくなければ私は人間として受け入れられないという考えは、私の思い込みだと示された。
だからもう現実を隠すベールは取り外され、殻にこもった心が再び目覚めるのは当然だった。
いつか目を逸らした人間の心。
愛しい人たちを傷付けるしかできない現実に絶望して砕けたそれ。
残酷な世界に怒り鋭利な刃となったそれ。
そして愛によって、ひび割れながらも新しい形で再生したそれ。
怪物だけでも人間だけでもない、私だけの心は、自身の幸福を許せる強さをもった。
何でもない幸せ。それを、跳ね除けない。
恥知らずのわがまま。そして、それは夢にまで見た願い。
それどころか、自分からそれを求めるなんて。
幸福と感じないわけがない。
ああ、これは光だ。
あるいは、依存性のある蜜。
いつしか思ったそれを、今度もまた感じている。
時間感覚が曖昧なまま続いた抱擁は、姉上の声によって終了させられた。
「地形を元に戻すのは終わったし、続きは家でやろう」
言葉は苦笑と共に告げられ、私は幸福で漬けられ麻痺していた羞恥を再び取り戻すことになった。
ただリリィはそうではないみたいで、珍しく気乗りしないような声で不満を露わにする。
「アナベルお姉様が逃げずに抱きしめられたままになってくれるの珍しいんですよー? 今のうちに堪能しなきゃ」
「あ、姉上! 早く帰ろう! リリィに付き合ってたら夜になっちゃう!」
夕焼けから日が落ちるのは早く、今やギリギリ地平から太陽の上部がはみ出ているだけでもう辺りはかなり暗くなっている。
私と姉上ならともかく、リリィは明かりのない夜で不自由なく生きられるような生物ではない。このまま野外にいるよりは、早急に館へ帰った方が良いだろう。
姉上は指折り何かを確かめた上で、私の言葉に頷いた。
「じゃあ、転移するよ。動かないようにね」
はーい、と気の抜けた返事を合図に目の前の視界が切り替わる。
平原と勘違うほど緩やかなで広大な丘の中腹から、見慣れた家の正門前に。
そこにはアネモネと父が待っていたのか、私たちを見てこちらに近付いてくる。
「…………あ」
その光景を見て、そういえば下町でアネモネと父を認識できなくなって何日も噴水のある広場で呆けていたな、と思い出した。
あの時の私は本当に限界が来ていて何もかもが支離滅裂だった。その時の奇行を目の前で見せつけてしまった二人にはちょっと、いやだいぶ合わせる顔がない。
後退りしようとするもリリィは素早く私の腕を掴み、この場から私が逃亡することを封じる。
「アネモネ、お父様、ただいま帰りましたー!」
姉上がこちらにくるアネモネと父上に手を振っているのを傍目に、私はどんな言い訳をするかを考えていた。
謝るのは謝るんだけど、何で急に無視し始めて家に帰らなかったか聞かれたらどう答える?
素直に「精神に限界迎えておかしくなってました」って言ったら確実に心配される。
嘘で誤魔化すにしても正直状況が状況すぎて、何言っても手詰まり感がある。
結論から言えば、もうどうしようもない。
走ってくるアネモネを抱き止めるため手を広げていた姉上を素通りし、私へ飛び込んでくるアネモネを柔らかく受け止めながら、私はしどろもどろに口を回し始める。
姉上は手を広げたまま顔をこちらに向け、泣きそうな顔で私を見て。
アネモネは私を抱きしめながら、ひたすら「帰ってきて良かった」と言って。
リリィはあたふたとする私の姿に、満足げに笑って。
父は無事に帰ってきた私を確認し、安心からため息をついて。
その中で私は恥ずかしながら、自分がこの場所に居ることを初めて許せてしまったのだった。
前話と今話両方短いです。一話を長くしようとは思ってないんですが、あんまり文字数が少なすぎても読み応えがないような気がして苦しいですね。手癖で書くとムラが強い……三人称視点や事実ベースの描写が極めて苦手な上、アナベルの心理描写が難しくて……。
次はアナベルのバッドエンドifなんですけど……この調子で大丈夫か心配です。一応バッドエンドifはきっちり決まった設定があるのでちゃんと書けるとは思うんですが……。