「景色がきれいだよ」 作:人に戻った少女
・アナベルの人間への好感度が低い
・アナベルが愛を理解していない
・アナベルが単一の対象に依存する
・上記を全て満たした上で、物心つく前にアナベルがもたらしたアンジェリーナへの攻撃が軽傷の範疇に留まる
条件を満たした場合、必ずこの可能性に固定される。
ガーデン家に生まれる子は早熟である。
それは、大いなる力に枷をかけるようについて回るものだ。
しかし知識や経験と共に育つはずの情動が、他に何も得ることなく大人へ進むとどうなるか。
それはただ幼少に経験する偏った出来事を元に心が構成されるということであり、それだけを糧に価値観が決まるということでもある。
ともすれば早熟の枷とは極端へ走らせる加速器でもある。
触れれば人は傷付く。
ただ、人が傷付くことを悪いことだと認識するのは、そう教育されるからだ。
やたらむやみに他者を傷付けてはいけない。親、および教育に携わる者が倫理と道徳を教えてようやく、幼子は人を傷付けることを悪いことだと学ぶ。
その基礎を学ぼうとも例外だって発生する。
騎士の子は主を守るためなら、敵を切り捨てることを躊躇ってはいけない。そのため人を傷付けることが必ずしも悪であると、教えられることはないだろう。
全ては教育によって育まれるものだ。
それは他者から教えられたものであり、経験からくる悟りによって得るものでもある。
極めて繊細なバランスで構築されるその良識は、一朝一夕で育まれるものではなくだからこそ幼子には時間が必要だった。
しかしガーデン家の子はそれを積み上げる前に精神が固まってしまう。
であるなら、アナベル・ガーデンという存在がどうにもならない存在であることは理解できるだろう。
彼女は生物的に強者でありすぎた。
それこそ、自身と同じ特徴を持つ存在にすら同族意識を持たないほどに。
親も使用人も赤ん坊の彼女を世話しているつもりだろう。
しかし彼女の認識は違う。
彼女に乳は必要ないし、排泄なんてすることもない。別に寂しさなんて感じないしただ気持ちよく寝られたらいい。
彼女が泣くのはいつも部屋の中に人が入った時だけ。
自分の生活圏が外敵に侵されたその時だけだ。
その状態のまま、アナベルという子供は成熟していく。
まさしく彼女は怪物だった。
それでも彼女が物心ついた時人間であったのは、彼女の母が暴れる彼女に傷付けられても、愛を失わなかったからだろう。
根気よく、健気に彼女へ尽くした母は彼女の精神が固まる前に、好ましい存在を傷付けることの哀しさを教えることに成功した。
その結果アナベルという子供はかろうじて善悪を知ることができたのは、人類にとって望外の幸運だ。
この幸運なくては彼女はきっと、無理解の獣としてあらゆる生き物を撲殺しただろう。赤子の記憶にある他者を傷付ける快感だけが、彼女の精神に強く働きかけたものになるのだから。
だからこの怪物が人になったことは、喜ばしいことだ。
ただし、人となったからには人と同じ背丈で生きなければならない。
動くだけで他者を傷付ける己の力をどうにかしなければならない。
加害欲に満ち溢れた怪物の心だって抑え付けなければならない。
結局のところ、怪物にとって人の世で生きるのはあまりに窮屈なことだった。
人類に与えられた少しばかりの猶予なんて数日経てば終わる。それだけの時間で怪物は誤魔化しが効かなくなる。
彼女の姉、プラム・ガーデンがいなければその考えは真実のものとなっただろう。
人類は一度の幸運では飽き足らず、二度目の奇跡までも引き寄せた。
怪物が素のまま触れ合える生き物が身内に存在したのは、両者にとって奇跡のような幸いだろう。
母でさえお気に入り程度の扱いであったのに対し、アナベルの姉に対する評価は同族である。
アナベルは、窮屈さを解放できる逃げ場を発見できた。
精神が固まったはずの彼女を大きく変えるほどの影響は、彼女をより人間へと近づけていった。
理解せずとも愛の存在を認識し、それを心地良いと感じられるのは大きな成長と言えるだろう。
しかし幸運は三度も続かなかった。
母の衰弱。そしてそれによる姉の変化。
それは人間の心を得たアナベルには大きく負担になるものであった。
お気に入りが壊れる哀しみ。同族が荒んでいくことの苦しみ。
そして自身を抑圧しなければならないことへの苛立ち。
それは彼女の中で肥大化していき、怪物の思考を作り出すにまで至った。
なぜ、苦しまなければならないのだろう。
彼女にとって、その答えは簡単なように思えた。
あのお気に入りが弱いからだ。
私や姉のように強大であれば、こんな事態にはならなかった。
私から逃げなかった分他の奴らより見応えがあったのに、こんなあっさりと弱るなんて。
彼女にしてみれば、本当にそう思えたのだ。
ただ強者であれば世界のあらゆる不都合は解決できるのだと、信じて疑わなかった。
死ぬ者は死ぬ。それはどうしようもないことで、だからこそ彼女は哀しさに襲われた。
アナベルの母は、アナベルという死を前に一切怯まなかった。そして愛を注ぎ続け人にすることで、怪物を討伐するまで至った。
方向は違えど母は強者だった。
だというのに、力が無ければここまであっけなく朽ちるのだと思うと、アナベルはやりきれない思いでいっぱいになる。
ただこれだけならアナベルに怪物の思考が生まれることもなかった。
どれだけ母を認めていようと、それはお気に入りというだけだ。それは身内に向けるほどの温かみがあるものではない。
最も大きく彼女の心を蝕むものは、姉の豹変だった。
姉は母の体が弱っていくある日、いきなり家の外に出たまま何日も帰らないようになった。
たまに家に帰ってきたと思ったら母の元へ行き、ある程度時間がたった後また家の外に出て数日帰らない。
その時期の姉は、アナベルに自慢していた白い髪が荒れ、琥珀色の目から光が消えて、フラフラとした足取りで、穏やかだったはずの顔に青筋が立っていた。
他の何より大切だったはずの姉が苦しんでいる姿に、アナベルは心を痛めていた。
理由を聞いても大穴がどう、という不明瞭な返事しか返ってこない。
最終的に姉は家に帰ることすら無くなった。
このまま姉が帰ってこないのではないかという恐怖は、ついにアナベルの脳内に声を生み出した。
「母を殺せば、姉は帰ってきてくれるんじゃないか?」
その思考は鮮明に頭へ侵入してきた。
怪物から人になっている彼女にとって、その囁きは認められないものだった。
姉は明確に母を愛している。だから母を殺して姉を呼び寄せたところで、私は決して愛されることなどないだろう。
人間の心は冷静に現実を受け止める。
今必要なのは時間だ。そして信じることだ。
姉が帰ってくることを信じ、それを待ち続けること。
しかし怪物の境界線まで近付いたアナベルに、その苦行を受け入れることはあまりに難しかった。
いつしか味わった人の温かみは、彼女の理性を削るほどの依存性を持つ甘い蜜。それを長期間断てば、もはや真っ当な思考など出来ようはずもない。
彼女は怪物の声を常に発する頭部を力一杯殴りつけることで、囁きから自我を取り戻した。
初めての痛み。こめかみから発せられるそれは、彼女から何かを思い浮かべるだけの気力を奪い偽りの安息を提供する。
彼女はひたすらそれに縋り付き、己の中にある欲望を抑えつけていく。ただの現実逃避であり境界を踏み越える自覚もないまま、抑圧に溺れ続けた。
ひたすら己の中へ埋没するように己を殺していく日々。劣化する心は自傷の意義すら分からぬままただ同じ行為を繰り返す。
そうして無為に時間を流すうちに、母が死ぬ時がくる。
「母が死んだ。なら必ず姉は帰ってくる」
その怪物の思考を抑えることは、もはやできなくなっていた。
限界だった人間の心はもうすでに怪物の心とすり替わっていた。母を自分から殺さなかっただけ、人間の心は十分耐えたと賞賛するべきだろう。
彼女は既に自身の思考をまともに認識することもできなくなっていた。人間の心を持つ時に下した判断や価値観など、もう理解することもない。彼女はただの狂信に走る獣となっていた。
そんなアナベルは、母が死んだことで歓喜に打ち震えていた。
姉に会える。唯一の同族にまた会える。
長い間親しい者と離れ離れだったアナベルは既に狂っていた。
彼女にとってプラム・ガーデンとは、姉であると共に唯一の同族であり、愛を捧げる伴侶でもあって、かけがえのない友人と同義でありまた、無償の愛を与えてくれる神と称されるべき者であった。
母の死体を前にしてすら、アナベルは姉がここに来ることを期待して待っていた。
そして姉が期待通りに来た時、長い時を待つことに決めた己を褒め称えた。
なぜ、待つ判断をしたのかも忘れたまま。
姉が父に向かって話していることを聞いて、彼女は長い時間に意味があることを知った。
姉は、母を助けるために動いていた。
姉は愛の元に動いていたのだ。
大穴とやらと母の関係性は分からないが、姉ほど力を持った者が長い時間をかけてどうにかしたのだから、それはきっと関係あることだったのだろう。
死ぬ者は死ぬ。それは仕方のないことだ。ただ姉は、それに抗おうと足掻いていた。それはとても好ましく思う。少なくともアナベルはそう考えていた。
それなのに、父は姉を一切認めはしなかった。
それどころか罵倒までし始めたのだ。
アナベルには到底許せることではない。
彼女にとって父とは有象無象と変わりがない。
母のように、彼女と正面から向き合ったわけでもない存在に何かしらの感慨を抱くことは、こと怪物の心ではあり得ないことだ。
彼女にとって、なぜ母と姉以外を傷付けないからといえば、居ようが居なかろうが何も変わらない存在だったからだ。
しかしそれらが己の領分を侵すなら話は別だ。
彼女にとって、姉とは一言で言えばアナベルという存在の幸福そのものだった。
それを傷付けられて、冷静でいられるほどアナベルの心は人間のものではなくなっていた。
だから────その拳が血の花を咲かせるのは、必然だったのだ。
☆
「────アナベル?」
母上の部屋の中、飛び立った父の血液が辺りを穢すなか、姉上は震えた声で私を呼んだ。
姉上が事態が理解できないと言った顔で私を見ている。
きっとそれはなぜ父に拒絶されたのか分からないのだろう。
私にも分からない。姉上はこの世の何より尊く清く素晴らしい存在なのになぜそれを罵倒できるのか、何度考えても理解することなどできはしない。
ただ、今脳の破片を周囲に撒き散らして絶命した父は、誰よりも優しいはずの姉上を悪のように語った大罪人であることだけは分かる。
きっと姉上は優しいから、腐った戯言を吐いた父上の言葉も真っ当に受け止めてしまって心を痛めているのだろう。
だから、私がしっかりと、気にする必要はないと伝えよう。
「大丈夫、姉上。恥知らずの言葉なんて何も聞く必要なんてない。姉上は正しいことをしたんだから」
私は姉上を励ますように、出来るだけ明るく言葉を出した。
その言葉で姉上がこちらを向く。いまだ呆然としたままだが、先程よりも私をしっかり見ている。
そう。それでいいんだ。
他の何かよりもずっと私を見て。
今まで会えなかった分、いっぱい抱きしめて。
空っぽになった心に、もう一度幸福を注ぎ込んで。
その想いが姉上に届いたのか、姉上はこちらへゆったりとした動きで近づいて来る。
私はそんな姉上を受け入れるため、両手を広げて微笑みながら姉上を待ち構える。
そのまま抱きしめられたら、どんなに幸せだろうか。
余計なものが混ざらない私たちの愛。それがようやく生まれるのだ。
そうして姉が私の腕にすっぽりと収まったとき、私はあらゆる全てに祝福される。
それは目前にあった。
もうすぐで私と抱き合う距離で止まった姉上を前に、私はありのままの姿で存在していた。
愛を求める獣の姿で。
返り血で塗れた、怪物のままの姿で。
姉上はその姿を一瞥して。
私の両手足を切り飛ばした。
バランスを崩して地面へ転がった私は激痛に襲われる。
それだけではない。切断された箇所から噴き出る血は私の体温を持っていき、生命の灯火を弱めていく。
死へのカウントダウンが始まり、どうあっても逃れられないそれを肉体が察知して意識が霞んでいく。
痛みで暴れることもできず、私は侮蔑と怒りの目で睨んでくる姉を瞳に映すしかできない。
そうして音が消え、光が消え、感覚が消え、奈落へ落ちたように何も知覚できなくなる。
最期に残ったのは疑問だけ。
「どうして……」
流れ出ていく血の綺麗さで化粧されながら、あっけなく私は命を失った。
今話の状況はアンジェリーナが未来視駆使して五体満足の状態で耐え切ったから発生しました。割と本編に近いifです。
好ましく思ってる母を殺しかけた本編とは違い、今話では母があまり傷ついていないので自身の力への恐怖があまりありません。なので、力の抑圧が自発的なものではなくなって、その分の精神負担が重くなってます。
結果的に、人間の心を完全に失うまで追い詰められ父を殺すまでおかしくなります。本編も狂った状態でしたがまだ人間の価値観があるなか、今話のアナベルは価値基準がまるまる人とはかけ離れているので本物の怪物として降臨しました。
ちなみに、父を殺した後放置してたらどんどんナワバリが広がって地上全ての生命が根絶されます。ずっと力を振るうことを我慢していた反動で行動的になるからですね。まあプラムが家族を殺した存在を放置するはずがないので無駄な仮定です。
人を殺しまわるのも怪物としては良いと思いますが、アナベルとして見た時違和感が強いのでこの結末です。何より、アナベルがプラムに勝てる可能性がない上見逃される可能性もないため、アナベルが怪物になったら必ずプラムに処されます。
プラムとしては、今話の状況だと自分の存在理由全てをリリィに依存する未来になります。リリィからしてみればいつ人を殺し始めるか分からない爆弾を持たされる気分なので迷惑でしかないです。
アナベルの話も終わって、次からはアネモネ編……ではなくプラム編です。TS要素が最初の数話で無くなってしまったからその補充をします。実際に補充できるかは知りません。