「景色がきれいだよ」   作:人に戻った少女

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堕落

 くだらない、本当にくだらない話だ。

 男のプラム・ガーデンと女のプラム・ガーデンは別存在である。

 舞台装置のように消えて然るべき俺は、この世界のプラムを消し去って残ってしまった。

……無理やり奪ったわけじゃない。ただ、向こうが俺に全てを押し付けた。俺の意見を聞きもせず、大穴を閉じる人柱として渡ってしまった。

 本当なら俺はとっくの昔に消えているべき死人だというのに。あの子はそんな俺を助けるため、自分から永久の孤独を選んだのだ。

 そうして俺は惨めに生き残った。

 いや実態を考えるなら、ただ死ななかった、というだけの有様だった。

 唾棄されて当然の恥を晒しながら俺はどうしようもなくなって、俺はあの子の代わりに生きるしかなくなった。

 できるだけあの子のように考え、あの子のように動く。

 あの子は高潔だった。

 他者の幸福を喜び、そして他者の不幸を悲しむ人だった。

 足りない頭で考え、足りない力を尽くして、必死に足掻く子だった。

 妹が生まれる前は、ずっと親を励まそうと奔走していた。

 妹が生まれてからは、どうにか妹が真っ直ぐ生きられるか考えていた。

 人の心を大事にして、決して見捨てない子だった。

 俺がするべきは、きっと助けようとすることではなく離れることだったんだろう。あの子が俺の事さえ救おうと自己犠牲に走ったとき、ようやくそう思った。

 俺は、あの子に魔法を教えた。

 俺がいた世界で俺が作った、理不尽に対抗するための魔法。

 悪意と絶望に満ちた世界を変革する、法則を作り変える魔法。

 幸福の一切を許さない可能性しか存在しなかったあの世界をまるっきり変えてみせた魔法を、あの子なら正しくそして優しく使ってくれると期待して、あの子に教えたんだ。

 あの子は俺の期待した通りに魔法を使ってみせた。

 花を咲かせてみせた。その花は汚かった世界を少し美しくしてみせた。

 傷を癒してみせた。傷だらけの母親は痛みない身体へ戻った。

 何にも傷つかないようになってみせた。誰とも接することができないはずの妹が遊べるようになった。

 決して私利私欲など混ざらない幸福の祈りは、黒く世界を照らす悪意を書き換えて明るく世界を満たす魔法に変わっていった。

 そのはずだった。それで、あの子たちは幸せになれるはずだった。

 

 しかし世界は嘲笑う。この世全ての心臓は不幸と絶望であると宣うように。

 

 母親の衰弱。そして大穴の存在。

 あの子はあらゆる悪の根源を見るきっかけができてしまった。

 そうして、この世界がただ不幸になるだけの世界と知ってしまった。

 大穴からは、向こう側にある『楽園』で廃棄された不幸が流れ込んでくる。それは『楽園』以外の全てを汚染し悪意と絶望で固定する最悪の呪い。

 あらゆる人間から幸運と幸福は奪われ、最後には失意のまま終わることが決定づけられた運命論。

 それは、あらゆる可能性の結晶である『泉の水』に隠されていた負の側面だった。

 使われた可能性はどこに消えていたか? ただ世界を捻じ曲げて無へ消滅するのか? 否。可能性というものは常に湧き続けるものだ。いっとき消費したからといって、その可能性へ至るだけの力と道筋があれば同じ可能性がまた生まれる。

 永久にそれが無くなるというなら、それは別の場所へ廃棄するしかないのだ。

 この世に生まれるべきでない不運。不幸。それは世界に付き纏う悪性。『楽園』はそれを別のどこかへ押し付けることによって消し去った。

 まずは悪性を消し、そして善性を汲み上げる。

 そうして『楽園』は、楽園と称するに値するほどの理想郷と化した。

 母親の衰弱だって、本質的には押し付けられた悪性が原因だ。

 表面的にはガブリエラ・ピルグリム・エデンが原因だろう。

 だが、ガブリエラの内心を知っているか?

 俺は知っている。あれは一つの可能性で他のすべての可能性をかき消した狂人だから、元々俺がいた世界で対峙したことのある俺だけは、知ってるのだ。

 あれは、『楽園』を築き上げようとしていた。

 大穴から流れ込んでくるすべての悪性を取り込み、その全てを消費して『楽園』を乗っ取ることを画策したのだ。

 そのためにあらゆる不幸の原因となろうとした。

 何か悪いことがあればそれはガブリエラのせい。

 その果てに、あらゆる可能性が、ガブリエラというひと個人へ集中するように。

 だからこそ、ガブリエラは自らの子孫であるあの子の母親、アンジェリーナにも魔の手を伸ばした。

 だから、魔法を使って母親を治したところでまた次の不幸が訪れるだけだ。むしろ衰弱というゆっくりとした滅びであるだけ、この世界の不幸はぬるすぎる。

……とはいえだ。そんな理不尽の原因を、あの子は知ってしまった。

 元々優しい彼女は他者に不幸を強制する存在を許せない。すぐに大穴を閉じようとするのは自然なことだった。

 

 ところで、大穴から流れてくるものについては知っているだろうが、大穴そのものの特徴を知っているだろうか。

 大穴の周囲は、流れ出てきた悪性の可能性のせいで法則が壊れてまともじゃない。まさしく魔境というべき環境だ。

 その壊れた法則というものの中に、時間が存在する。

 大穴の周囲とそこから離れた場所で、完全に時間が断絶している。

 大穴の周囲でどれだけ長く過ごしても外では時間が経過していない。

 だからあの子と俺は、途方もない時間を過ごした。

 どれくらいの長さだったかはよく分からない。とにかく大穴にいる期間の記憶しか残らなくなるほどには長い時間だったことは確かだ。

 俺とあの子はもう自他の境が薄まって、声も目線も必要ないくらいには一心同体だった。

 いや、そもそも俺とあの子は同じ身体だった。本当は別々の身体があったはずだが、俺の身体は魔法によって維持していたものだから大穴を閉じるために力を回したら俺の身体は消えてしまった。

 大穴の環境は過酷だ。大穴に近ければ近いほど致命的な可能性に影響を受けることになる。

 それは肉体に悪影響を与えるものであり、魔法を習熟している俺はまだしもあの子はまだ複数の力を同時には使えず、どんどん死へと近づいていった。

 だから俺は、あの子の代わりに肉体の維持もしながら大穴の封鎖もしていた。とはいえ、流石に負担が大きすぎたから少しでも負担を軽減するためにあの子の身体に魂を移し、身体の維持一人分の余裕を生み出したわけだ。

 そういうわけで、俺とあの子は一つの体に二つの魂という形で大穴の閉鎖に取り掛かっていた。

 過去に一度、俺は自分がいた世界で大穴を閉じたことがある。その時は何万年かをかけて閉じたものだが、慣れと人手というものは偉大で想定の何百倍もの速さで大穴は塞がっていった。

 ただ、大穴の問題点はまた別のところにもあった。

 それは大穴の完全な塞ぎ方。

 『楽園』以外の存在が大穴を閉じることはできない。それは安全装置ともいえる悪辣な仕組みであり、決して『楽園』に逆らえないようにするための憎らしい機構だった。

 『泉の水』、それを徹底的に利用したそのカラクリは同じように『泉の水』を利用しなければ止められない仕組みだった。

 流れ出てくる悪性の可能性を受け止めて、それを全て消費しながら大穴を閉じる力へ変換する。およそそれは人間に耐えられるものではない苦行だ。自分に発生し得る全ての不幸を叩きつけられた上で正気を保ち、その不幸を力に変えることが求められるということなのだから。

 俺は、この役割を肩代わりするためにこの世界へ来た。

 だから、俺はあの子の身体から出て、魂一つで大穴の中へ向かおうとした。

 だというのに、あの子は俺の魂を身体に縛り付けて、一人で大穴の向こうへ行ってしまった。

 

 俺は、俺はあの子を助けられなかった。きっと大穴に行く前までの俺なら無理やり塞がった空間の壁をぶち破ってでもあの子を助けただろう。

 だが何百年と同じ身体で過ごした記憶が、あの子の価値観を俺に植え付けその選択を選ばせなかった。

 高く堅く立派な倫理の壁。それはあの子と世界を比べた天秤を正しく傾けさせた。それは同時に、あの子自身が自分と世界なら世界を選ぶという証左でもあった。

……それでも、俺の心が無くなったわけではない。俺はあの子を探し求めて彷徨い、ついに気が狂いあの子のように振る舞った。

 それでもここらの中ではいつもあの子を求めていた。

 そして、そして。

 いつしか俺は、『楽園』を作り上げればあの子が帰ってくるのだという妄想に取り憑かれた。

 大穴の向こう側にある、あの『楽園』。そこには確かにあの子もいた。

 だから『楽園』を作り出せばあの時見たようにあの子もそこにいるはずなんだ。

 家族のことなんて頭になかった。

 ただ、あの子が人を助けるみたいに世界を救って、その延長線に『楽園』が存在するのだと思い込んだ。

 そんなわけがあるはずないのに。

 

 『楽園』作りは面白いくらいに失敗した。あの子以外どうなっても構わない俺という不純物が混じった状態では、あの子の思考を持ったとしても話は悪い方向へ進むばかりだった。

 希望を持って進み出したはずの道は、自分への偽りによって容易く断崖へ追い込まれた。

 どれだけ自分に嘘をついても現実は正直だ。俺があの子ではないことをまざまざと提示し、どれだけ手を尽くそうと『楽園』には至らないと諭してくる。

 そうして俺の欲望をひとしきり否定された後、ようやく、俺はあの子のフリをして生きるようになった。

 この段階でようやく、あの子には俺以外に家族がいたことを思い出した、ら俺は大慌てで家に帰り父へ大穴を塞いだことを報告しに行った。

 だが、そこではあの子の母が死んでいた。

 俺は、それをどうでも良いことだと考えた。

 あの子は褒められるのが好きだった。だから、褒めてくれない相手なんてどうでもいいと考えた。

 だけれどそれはどうにもあの子の行動ではなかったらしく、俺はあの子の父親にありったけの恨みをぶつけられた。

 失敗した。だからこうなった。

 もっと正確にあの子を演じなければ。そのために俺という不純物を消し去らなければ。

 ただ俺はその一心で動いていた。

 この時あの子はどんな思考をするのか。あの時あの子はどんな行動をするのか。

 ひたすらあの子をなぞって自分の意思は殺しあの子らしい存在になるようにと思い続けた。

 だから、そう、俺という存在は余計だったんだ。

 魔法を使って、俺という精神を封じ込めて、あの子がそうであるように家族を愛する私になって。

 それでも性根は変わらなかった。

 家族は愛しても他の存在なんてどうでもいい。博愛の天使であったあの子とは違い、私も俺と同じようにどこまでも穢れきった生き物でしかなかった。

 全ての悪の根源たる大穴はあの子が終幕へと導いたというのに、まるで続きが作られるように私は悪そのものだった。

 

 結局のところ、あの子を失ってから私は悪魔の真っ只中にいた。

 私は嘘に嘘を塗りたて、それを暴かれぬためにまた嘘を重ねた。そして私の一切が偽りにすり替わった時、私はあの子のフリをする化け物として完璧になった。

 誰もが私をあの子と信じて疑わない。だから、これで良いはずだ。

 そう信じて進んできた。あの子の代わりに生きて、あの子のように生きていれば、いつか完璧な『楽園』が出来上がるはずだ、と。

 そう考えた時点で、失敗するなんて分かりきっているはずなのに。

 ガブリエラを殺したがるなんてあの子の思考じゃない。ただ私があれを敵視し殺したがっただけだ。

 リリィの心の火が残ってしまったのは私にあの子を求める狂い火があったからだ。

 アナベルが暴走したのは私がまともにアナベルを導かなかったからだ。

 性根が変わらない。いくらあの子の仮面を被ってもすぐに露呈してしまう。世界は未だ悪い方向へ進んでいく。いや、世界は良い方向へ進んでいるのだろう。ただ、私だけが致命的な方向へ進んでいる。

 失ってしまったあの子を追い求めて、今存在しているものを犠牲にし続ける幽鬼。元の世界で終わっておくべきだった化け物。私は、そうでしかなかった。

 だから、夢を見るしかない。

 救われる夢、あの子と出会える夢を、一心不乱に。

 それなのに見るのは悪夢だ。

 

 偽りは解けて、ただ薄汚い元の世界の夢だけが、今見れる全て。

 

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