「景色がきれいだよ」 作:人に戻った少女
俺が生まれ育った家には、あの子の家のような愛は一切存在しなかった。
父は妻を愛してなんていなかった。ただ剣の高みを目指す際に家のしがらみが邪魔になったから、自分の代わりに政治を執り行う存在を探し求めていただけ。血に付随した地位を求めて付き纏う女は山ほどいたから、その中から無造作に一人選んでその人物に役目を押し付けた。
母も夫を愛していなかった。ただ私欲のために権力へ擦り寄り家の決定を一手に担う立場へ座ったことにより、驕り高ぶり横暴に振る舞い始めた。なまじ化かし合いで負けることないその女は表面的には家をさらなる繁栄へ導いた。
しかし、誰よりも富で満ちているはずの家は雪の降る寒空の下よりもなお冷え切っていた。
そこには愛情の一切は存在しない。
一人の剣鬼と、一人の妖魔が全てを支配する伏魔殿。
俺が生まれたガーデン家というのは、ただそういう場所だった。
俺は剣鬼の父といつか殺し合うために育てられ、そして妖魔の母が世界の全てを手に収めるために育てられた。
正直に言って、俺は両親が教えることが全く分からなかった。父が言うような、目に見えないものを斬る術なんて理解できない。母が言うような、視線一つで人間を操作する術なんて理解できない。
俺はただの出来損ないで、常日頃から詰られて生きていた。
そして才能がないことに時間を使い続けて、俺は10の歳まで生きた。
常人には負けないくらいには強くなれた。一方的に弱みを握られない程度には会話の駆け引きができるようになった。
だが、それは到底両親が求める程度には届いていなかった。
やがて俺は違うものへとのめり込むことになる。
それが魔法。当時はまだ未熟で見向きする者もいなかった技能。
俺はその魔法を開発することに熱中した。
剣が振るえないなら魔法で遠くから敵を撃ち倒そう。頭が回らないなら魔法で人を惑わせよう。
その果てに、両親の望みを叶えることができる。俺はそう信じて疑わなかった。
俺は複雑な魔力の組み合わせという非物質的な原因により、特殊な現象を発生させる法則を見つけていった。
この組み合わせをした時にはこの現象が。あの魔力の繋げ方をしたらあの超常が。幾百もの魔力の並びは式とでもいうべき法則性を持ってはっきりと俺の前に現れた。
俺は、生まれて初めて自身の思い通りにできる分野に夢中だった。
それはいつしか俺の行使する力となり、俺はその力を誇りとして考えるようになった。
俺は、灰色でしかなかった世界に色を付けた魔法を愛していた。実を言えば、魔法を開発してしばらくした後は両親よりもずっと魔法の方が好きだったと言えるだろう。
その魔法が二番手になったのは、あの子と出会ってからだ。
初めに出会った経緯は、やはり魔法だった。
魔法を開発してはそれを試していく中で、父にすら気配を悟らせない魔法を作り出した。幼い俺は、それを利用して家を探検することにしたのだ。
俺の姿を見れば父も母も俺に教育を施そうとする。そのせいで俺には一日の休みもなく、残った時間は魔法を開発するために使えば家を見て回る暇なんてものありはしなかった。
俺はちょっとした好奇心から、迷宮にも似た広大な屋敷を見て回った。
書斎に執務室、宝物庫や庭園。客室だったり厨房も見て回った。とにかく見たことない場所へ向かって足を進めたことを覚えている。
そんな中で地下への階段を見つけたのは、必然だったのだろう。
屋敷の端も端、奥まった一室にひっそりと隠された階段は少年心をくすぐるには十分なものである。綺麗に磨かれ絵画や壺といった芸術品にあふれた他の場所とは違い、ひたすら無機質で機能だけを突き詰めたその道は誘蛾灯のように俺を惹きつけてやまなかった。
そうして精巧に秘されたその道をずんずんと降りていった。明かりはなく闇がその道中に満ちていたが、開発した魔法の中には闇を見通すものもあったから特に恐怖や面倒を感じることはなかった。
階段は厳重に隠されていた割にはあまり長くなかった。期待と興奮で靴音を鳴らしていた俺にとって、その音が聞き飽きるまでは深さに底が存在しないことを望んでいたのだが、残念ながらあっけなく段差はなくなってしまう。
だから俺は、平坦な地面の先にある鉄製の扉を無造作に開け放ったのだ。
「────うわぁ!? だ、誰か来たの?」
それは幼い女の声だった。
その中でも、誤魔化しや打算、媚びが一切ないありのままの声。
母に言われるまま対面した全てと違うその存在に、俺は好奇心がくすぐられていくのを感じた。
すぐ前に期待が裏切られたことも起因していただろう。未知への興味はすぐさま少女への関心へと置き換わる。
その幼子は俺と同じ銀色の髪だった。その髪は頭のてっぺんから膝ほどの長さがあって、まともな手入れがされていないのか跳ね回ってボサボサの有様だった。
俺と同じと言えば瞳の色もそう。ガーデン家の血を引く者の代名詞である琥珀色の目。開かれた瞼から覗くその色は間違いなく俺とその子供が血縁関係であると証明している。
その他は俺とはまるっきり違っていた。
肌の色は病的な白。陽の光を浴びたことがないことが原因だろうその白は、日常的に鍛錬を強制される俺の色とは似ても似つかない。
手足もそうだ。俺は筋肉があり強大な印象を与えるだろうが、少女の手足は骨と皮を思わせる細さであり、どう足掻いても儚さに類する感想しか抱かせないだろう。
そして服。俺はガーデン家の長男でえり後継であるがゆえ、身に纏うものは妥協なく至高の一品……らしい。だが目の前の女が来ているのはボロ布そのものだった。もはや服というべきでないそれは局部を隠しているだけでしかなく、身体を温めるという機能や身に纏う者の品格を担保する役割など存在していない。
俺は彼女を見て、忌子というやつだと悟った。こういう存在は何か家にとって後ろめたい存在で、そのため殺されたり隠されたりするのだ。恐らく俺と彼女は血縁関係なのだろう。
その実、ガーデン家の血を引いている者は多い。そのことごとくが各国の王族であるとはいえ、いないというわけではない。孫の代まではガーデン家の特徴を残している、という話はそこそこあるのだ。
俺は、祖父が同じなだけだと考えていた。ちょうど権力争いでガーデン家の血を引いた娘を迎えた家が滅ぼされたことも相まって、その関係者かと思ったのだ。
……母にとって、自分以外にガーデン家へ取り合った者は邪魔な存在でしかない。最近は権力争いで暗殺される家が多くなってきている。恐らく母が裏で糸を引いているものも多数あるのだろう。
俺にとってこれは────良い機会だと思った。
きっとここにはあまり人は訪れないだろう。そういう場所なら父や母から逃れて魔法の開発に集中できる。その上で自分に取り入ろうとするわけでない同じ歳くらいの人間と接することができる。
自分の中に小さくわだかまる孤独は、俺に魔法の開発だけではなく人との交流も強く望ませた。
そして他者との交流を望んでいたのは彼女もそうであった。
「えっと……お兄さんは誰?」
「俺はプラムだ。この家の後継者」
「なんでここに来たの?」
「……なんとなく」
「へー」
頭の使わない会話がずっと続いていた。それは今までの人生ではあり得なかった貴重な時間で、俺の心を癒すものだった。
いつしか俺は魔法の研究よりも彼女と会話することの方を重視するほど夢中になった。
尊重を土台にした遠慮のなさは俺を虜にして、屋敷にはなかった愛というものを俺に教えてくれる。
恥ずかしながら、俺は彼女に好意を持っていた。
俺は彼女のことを好ましく思っていて、彼女は俺に外の話をねだった。
お互いがそれぞれ相手の事情に踏み入れないように、たわいない話で時間を埋めていく。
いや、彼女からしたら外の話というものはとても興味深く新しいものだったかもしれない。だが俺にしてみれば、彼女自身の話を聞き出せないのなら全てはどうでもいい話だったのだ。
空の高さ。海の青さ。光というもの。
彼女は何も知らないまま俺に聞いて、俺は適当に管を巻いてからかった。
そうして彼女が拗ねたころに、遠見の魔法を使って外を見せる。
『うわぁ、見て! 景色がきれいだよ!』
彼女は説明されるよりも雄弁に語られるその映像に釘付けになって、丸々な目を輝かす。
その有様に、俺は何度も惚れ直すのだ。
俺は親の教育も放り出して彼女の元へ向かうようになった。
そして何度も、彼女と言葉を交わす。
俺の人生の中で、最も幸せな時期だった。
……それを、母がそのままにしておくはずもなかった。
母は教育を受けずどこかへ消える俺を手中へ収めるため、使用人に屋敷を徹底的に探させた。そして、使用人にも任せられない場所は母直々に探した。
俺が頻繁に地下へ出入りしていたせいで、少女がいる牢へ続く隠し通路は人の痕跡がまざまざと残っていた。
そこから俺が少女と日常的に会っていることがバレた。
その日のうちに、少女は頭と胴が離れた状態になった。
『プラム、分かって頂戴。あなたは立派にならなくてはいけないの。家族を助けるために、心苦しいけど娘を手にかけたのよ?」
その言葉で、初めて彼女が俺と母を同じくする兄妹だと知った。
俺は想い人と同時に妹を失った。
そして、親を尊敬するという心が俺から消え去った。
あの子を殺した全てへ恨みをぶつけるために、俺は全ての労力を費やすことにした。
魔法の力はできるだけ隠した。父相手にどんな魔法が十全に機能するか分からなかったから、少しずつ試して確かめることにした。
魔法の研究も、攻撃的なものを重要視した。
大人になる程長い時間がたった後、俺は世界の法則を書き換えるほどの魔法を作り上げることに成功した。
その時になって俺はようやく復讐へ動いた。
父から剣を奪えばあっけなく父は死に絶えた。
母も殺すだけなら簡単だった。撒き散らされた俺の悪評は何も気にならなかった。
そして簡素に報復が終わって、俺は何もかもがどうでもよくなった。
あの子がいない世界に用はない。
だから、世界の大半を飲み込んでいく大穴を覗き込んでみた。
赤黒い大穴からは、『不幸』が流れてきていた。
それは世界を蝕む運命。あの子が殺されてしまった原因。
その『不幸』は人間の精神すら捻じ曲げて無理やり不幸を成立させる、個人の思考など無視をしてただ不都合に世界を回す機械仕掛けの悪魔。
俺は正しい復讐の相手を見つけた。
俺はあの大穴を消し去るために動き回った。それは途中で大穴を信奉する頭のおかしい集団との抗争や、大穴から流れてくる『不幸』を資源として利用しようとする国家との戦争、黒幕気取りのイカれ女との殺し合いをも招いた。
それを乗り越えた俺は、一人で大穴を塞ぎ出した。
大穴の中に入り、自分にのしかかるさまざまな『不幸』を一身に浴びながら、それを力に変えて大穴を埋め立てていった。
意識が消えそうになるたびにあの子のことを考えて、あの子を犠牲にした存在への怒りを動きの糧にして、ただ膨大な時間を穴を塞ぐことだけに使った。
そしてあと一息で全てが終わるという時に、おれは一つの『不幸』に見舞われる。
それは過去の提示。俺と、そしてあの子の誕生の瞬間。
俺とあの子は双子だった。
双子は忌子だ。多くの場合後に生まれた子を殺して双子でなかったことにする。あの子は俺が生まれてきたせいで暗い部屋に押し込まれ、そのまま殺されてしまったのだ。
全ては、俺のせいだ。
俺がいたせいであの子は不幸になったのだ。
ついに俺は何もする気が無くなった。
全てがどうでもよくなって、何もかもを投げ出して、俺はただあの子を求めて大穴の中を彷徨った。
そうして彷徨っているうちに、俺はどこかよく分からない場所へ放り出された。
そこが、今の世界。
俺がいた世界より、ずっと優しかった筈の世界。