「景色がきれいだよ」   作:人に戻った少女

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自我

 淡い夢から目が覚める。常に付き纏っていたふわふわと揺蕩うような感覚が消え、地に足のついた確かな生の実感があることに気がついた。

 吐瀉物の上で気を失っていたはずの俺はいつの間にかベッドの上に横たわっていて、妹たち三人がベッドの傍らで座りながら俺の方へ縋るように倒れ込み眠っていた。

 俺にべったりとついているはずの吐瀉物はどこにもくっついていない。……俺が気絶している間に妹たちが部屋に入ってきて、倒れている俺を見つけたのだろう。心配をかけてしまった。

 どれぐらい俺が寝ていたかは分からない。ただ部屋の中にこもる暑さが今の時間帯を昼だと思わせた。

 きっと長いこと俺は寝ていたのだろう。本当に妹たちには申し訳ないことをした。本当は、魔法を使ってまで永遠に眠っていたかった。それをしなかったのは、俺と同じ名前を持つあの子供の価値観に影響を受けたからなのは疑いようもない。

 大穴の向こうに行った子供の話。現実に沈んだ俺とは違って理想を追い求めていた輝かしい子供。

 子供と同じ身体になり、子供の価値観を知って、子供のようになりたいと願った俺は、どこかで子供がしたように現実と対峙したいと考えていたのかもしれない。

 あの子とあの子供だけしか大切な存在がいなかった俺。そう思い込みたかった俺。それでも、大切な人が増えていく俺。

 あの子たちを忘れてしまうかもと、妹たちを遠ざけて自分に嘘をついてきた。妹たちを拒絶することによって生まれる痛みの価値に、あの子たちを使ってきたけれど。

 それでも、愛してくれる人を嫌うには俺は脆すぎたんだ。

 ああ……そうだ。俺は愛してくれる人を愛したかった。

 アナベルも、リリィも、アネモネも、俺を愛してくれる。その愛に報いたいその気持ちに気付いてしまえば、嘘をつくことはできない。

 始めは子供の価値観だけが理由だった。今では俺自身が妹たちを好ましく思ってしまう。

 あの子や子供と同じ熱量ではない。あの夢からすぐに彼女たちを忘れることができるほど、切り替えはできない。それでも次点を作ることを許せるほどには過去と折り合いがついた。

 あとは、幸福を受け入れる覚悟だけが必要だ。

 

 妹たちの頭をゆっくり撫でていく。

 思えば、俺が俺のまま妹たちと触れ合ったことはない。

 子供の価値観で子供の思想から彼女たちと接することはあれど、だらしない俺の姿を見せたことはないだろう。

 あの子供のようにはいられない。なら自然と俺は俺のまま妹たちの前に現れることとなる。その時妹たちに俺を受けいられるだろうか?

 踏み出すには勇気がいる。子供と違って俺は、こういうことをよく気にする人間だった。他者を気にしているように見えて我を突き通す子供と違い、覚悟を決めても他人の目に苦しむ俺はよく尻込みする。

 子供のフリをしていた今までとはまるっきり違う姿に妹たちは混乱するはずだ。……すんなり受け入れられたらそれはそれで恥ずかしいから、とりあえずそうなると考える。

 その時俺は妹たちとどう接したら良いのだろうか。

 一方が妥協して維持する関係は危ういと思う。だから俺は再び子供のフリをすることはないという前提で、どうするか考えよう。

 妹たちの頭を平等に撫でながら考える。

 こういうことは茶化すべきではない。まるっきり精神が別人になった、という事実は外から見れば一大事だ。俺と子供の間に割り切りと納得があるとして、第三者までそれを受け入れられるとは限らない。そんな出来事を冗談混じりに話せば逆鱗を撫でるような結果に終わるだろう。

 妹たちとの距離感は……しばらくは近すぎない方がいいかもしれない。彼女たちにも事態を飲み込む時間が必要だ。それを奪うように追いかけ回しても納得するまでの微妙な期間が延びるだけだ。向こうから来たら拒絶せず、ほどほどに会話するくらいが良いだろう。

 こういう感じで、ゆっくり馴染んでいけば良いはず。

 なんだけど、それはそれで俺が寂しい。

 妹たちが俺のままの俺に触れる機会がなかったように、俺もまた俺のまま妹たちと触れる機会はなかったのである。できれば最初から仲良くありたい。

 感情としては、今まで通りの暖かな関係でいたい。子供から与えられた二度目の人生を幸せに生きたいのだ。

 理屈と感情の折り合いはなかなかつかなそうで、考えるのが面倒になった俺はこの問題をとりあえず後回しにした。

 どうせ正解が無い問題なのだ。行き当たりばったりでも大して変わりはしないだろう。なら今しかできないことをしよう。

 手の位置を妹たちの頭から頬へ移し、柔らかい感覚を楽しむ。

 

「んにゅ……」

 

 俺のイタズラで可愛らしい声を出したアナベルは、特に気にする様子もなくあどけない寝顔をそのままに眠り続ける。

 愛らしい姿を前にちょっとした嗜虐心が生まれるが、それをしっかり抑えつけて弱くつつくだけにおさめる。

 ぷにぷにな頬の感触はとても心地良く、ついつい顔が綻んでしまう。もしこんな姿を見られたら、恥ずかしさで顔から火が出るかもしれない。でも楽しいからやってしまう。

 アナベルの頬を堪能した俺はリリィの頬をつついてみる。

 

「ぅん……」

 

 リリィはどうやら頬をつつかれるのが嫌いなようで、不機嫌そうな声を出した。

 さすがにこのままつつくと起こしてしまいそうで、無理に頬を楽しむことはしない。なにより、リリィにこのことを知られるとすごい揶揄われそうだ。リリィは俺のことをある程度察してるかもしれないし。

 柔らかで滑らかなリリィの頬を楽しむことを諦める。アナベルと引かず劣らずの良い感触だっただけに、勿体無いという気持ちが湧き上がる。それでも、俺はリリィの頬をつつくことをやめた。

 そうなると標的はアネモネに移る。リリィの頬を存分に楽しめなかった分の欲望も上乗せして、思いっきり楽しんでやると意気込んだ。

 その邪な考えの元、アネモネの頬を優しくつつく。弾力のある頬が指を少し押し返して、素晴らしい感触を俺にもたらす。

 

「おぉ……」

 

 意図せず感嘆の声が漏れる。アナベル、リリィその二人の頬と遜色ない感触につい夢中になる。

 ぷに、という音が聞こえてきそうなほど心地良いその感触は俺を虜にするには十分すぎる一品だった。

 一心不乱にアネモネの頬を楽しむ。つつくたびに形を変える頬に俺の心は鷲掴みにされていた。

 だからこそ、俺はアネモネが起きていたことに気付かなかった。

 

「ふにゅ」

 

 不意打ちで頬をつつかれて俺は珍妙な声を出してしまう。

 閉じられていたはずの瞼を開いて、アネモネが真っ直ぐ俺を見てくる。その目は、優しくそして微笑ましいものを見るそれだった。

 あまりの恥ずかしさに顔が熱くなる。恥ずかしいことをしていたことがバレて、その上仕返しされて恥ずかしい声を出したことに動揺する。

 

「えっと、これは、その、違うんだ」

 

 事前に考えていたあれやこれやなんて全部頭からすっぽ抜けて、しどろもどろに言葉を探していく。

 その有様が我ながら無様で、本当に顔から火が出そうな心情だった。

 

「そ、そう! 目の前に魅力的なものがあったら誰だって、手が出るだろ? これは、そういうの! だから俺は悪くない!」

 

 なんの言い訳にもなってないそれを口に出したが最後、俺はアネモネの気が済むまで頬をつつかれたのであった。

 恥ずかしさの裏で、こんなやりとりに心から嬉しさを感じて笑顔になったことは、秘密にした。

 こんな有様で俺とあの子供の事情をちゃんと話せるのか不安になりながら、今はこの幸福に身を任せることにした。




 
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