「景色がきれいだよ」   作:人に戻った少女

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本懐

 俺は家族を守ることを決めた。

 それは、世界を救うことを辞めることに重なるだろう。

 荒れる土地を豊かにして、傷付く者を庇護し、足りない物を補充する。

 もっと様々な事まで短絡的に解決してきたが、これはそもそも飢える土地や傷付く者、足りない物といった不幸を知らなければ解決できない。知らない、という問題は人に解決しようという考えすら抱かせない、究極の問題なのだから。

 そういう意味では、俺は家族を知らなかったのだろう。

 妹の成長すら分からなかったのだ。そして、妹が叫ぶ言葉の意味ですら、俺には分かっていなかった。きっと、言葉に込められた妹の心すら、分かっていなかっただろう。

 俺は、家族から目を逸らして他者の悲劇を見続けたのだ。

 だからこそ、俺は世界に溢れる嘆きから人を救う事ができたのだ。

 それは時によっては人の前で。それは時によっては遠く離れた場所で。

 魔法を世界の端に届かせるのは簡単だった。そして、魔法で遠くに目を届かせるのも、同じくらい簡単だった。

 家族と目を合わせるよりも、遠くに目を向ける方が簡単だったから。

 それだけの理由で、俺は世界中の悲劇に気付いてしまった。

 飢える人がいた。傷だらけの人がいた。今日食べるものすら無い人がいた。

 生きる事すら奪われた人たちが、俺の目に飛び込んできた。

 今なら分かる。俺には、その人たちが母のように見えたのだ。

 世界中にいる母のような人たちを助けて、それを言い訳にして罪悪感に震える心を慰めようとしたのだ。

 

 俺は、これから母の死に対して向き合わなきゃいけない。

 俺の目を、家族へ向ける事を決めた。

 それは、外に目を向けられない、という事だ。

 世界の悲劇に気付くことは減るだろう。

 俺の領地にいる人たちはともかく、それ以外に住む人には再び不幸が降り掛かることになるだろう。外交問題を警戒して、土地を改造するような、問題の根本を解決する真似はできなかった。偶然や幸運を隠れ蓑に、その人の力を引き出す程度だった。

 これから、世界では偶然どうにかなった事がどうにもならなくなる。

 そういった不幸が、世界に溢れる事になるだろう。

 それは、悪いことだ。間違いなく。

 だけど、俺が一人で全てを解決したら、世界は何も努力しなくなってしまう。そうして歩みが止まれば、世界は淀み、悪くなっていくだろう。

 だから、俺はきっと、彼らへの手助けを止めなければいけないのだ。

 そして、きっと彼らが成長するように、俺も家族へ目を向ける成長を遂げねばならない。

 

 だからこそ、俺は向き合うべきに、向き合った。

 ガーデン家三女、リリィ・ガーデン。

 彼女は、俺にとって毒だった。

 彼女には俺の誤魔化しなど通じない。

 アナベルに目を覚ましてもらったあの日まで、俺が家族から目を逸らしていた事にリリィは気付いている。

 俺が他者を救う動機。母の死への罪悪感。限界に近付く心。

 彼女からそれを見透かされる度、俺は張り裂けるがごときだった。

 俺自身の幸せから目を背け続けて、自傷するように奔走する。

 俺も、どこかで気付いていたんだ。

 あまりに、みっともないって。

 彼女が口を開いた時、それを自覚させられそうで。

 お前がやっている事はただ、自分に言い訳をするためだけの行為でしかないんだって。

 それが、怖かった。

 だけど、それももう、終わり。

 例え何を言われても、俺はリリィと向き合う。

 だって、会話もない寂しい家族は、望むものではないから。

 

 飾りっけのない、ただ机と小さいベッドがあるだけの部屋。それがリリィの部屋だった。

 彼女は、無機質さを好んでいた。

 いや、好んでいるとは違う。

 無機質さに、執着していると例えた方が正確かもしれない。

 長い間彼女と会わなかった。その間に、リリィはとことんまで愛らしさを排除した。

 まるで、それが必要であるかのように。

 その理由は────。

 

「────お姉様も、お分かりですよね?」

 

────分かっているとも。

 リリィは俺の重荷を背負うために未熟さを捨てようとした。

 少しでも、一人で動き続ける俺を、楽にするために。

 幼さを捨て書を読み漁り。

 愛らしさを捨て言葉を操り。

 未熟さを捨て礼儀を知り。

 自己ではなく家族の為に。

 そうして、リリィ・ガーデンは無機質さを帯びるようになった。

 

「お姉様。私を、お使いください。もうお姉様だけに重荷を背負わせる事などさせません。私たちは家族ではありませんか。皆で協力して生きる事を、誰が咎めましょう?」

 

 俺がしっかり向き合えば、こうはならなかったかどうかは、分からない。もしかしたら、俺が家族と向き合っていたとしても、こうなったかもしれない。

 彼女は、人の裏に気付いてしまうから。

 家族の間に問題がなくとも、どこかへ嫁いだ後感情的にならないように、無機質さで心を守るようになってしまうかもしれない。

 だが、俺が向き合っていればここまで早く無機質さに身を投げる事は無かっただろう。

 その、俺の思考を否定するように。

 無機質な微笑を、リリィは浮かべた。

 

「お姉様は相変わらず、責任が自分にあるって考えてばかりですね?」

 

 その微笑が無機質だと分かるのは、きっと俺だけだ。

 他の者がそれを見ても、穏やかな喜びが表に出ているとしか思わないだろう。

 だが、血のつながった俺には分かる。

 あの笑みは、亡き母が物事を誤魔化す時に浮かべるものだ。

 亡き母の命を助けようとしたときの、男になると言った俺を諭した時の笑みなのだ。

 

「その表情で、誤魔化せると思っているの?」

「ああ。やっと持ち直したんですね。お姉様」

「やっと、向き合える時がきた」

 

 リリィとの会話は、いつも会話の過程が抜け落ちる。

 リリィは人の内心を見抜いてしまう。

 だから、僅かな言葉で相手の懐に潜ってしまう。

 間に挟むべき言葉なく、本題に入ってしまうのだ。

 

「やっと。やっと。今まで歯痒く感じていた時間も、ようやく報われます」

 

 だから、ここまで言葉を連ねて時間をかける様は珍しく感じた。

 母が亡くなってから5年経っている。その間一切会話しなかったのだから、俺がリリィの何を知っているんだ、というのはそうなのだが。

 母が亡くなる前のリリィとも、無機質に近付いたリリィとも、印象が噛み合わない。

 

「ふふ。お姉様は、疑問なんですね? そうでしょう、そうでしょうとも。私、気付いたんです。甘えてはいけないと。物事には順序があると」

 

 それはまるで。

 母に自慢するときの俺みたいで。

 

「お姉様。話をするために来たんですよね。話したい事を、話しましょう」

 

 無機質な微笑だけが、異物として際立っていた。

 

 

「お母様のことについて、どう思っていますか」

「……大好きだったよ。心の底から、好きだった」

 

 それは、懺悔だっかもしれない。

 リリィが相槌を打って、共感して、でも口は出さない。

 だから、誰にも語ってない事まで、口に出した。

 

「……私は、お母さんから嫌われても、仕方ないって思ってたんだ。私たちは、さ。赤ん坊の期間を吹き飛ばしたみたいに早熟でしょ? 外から来たお母さんには気持ち悪く映るだろうな、そう、思ってたんだ」

 

 普通、一歳の子供は流暢に喋らない。

 たとえガーデン家の子供が早熟だって言われたところで、こんな異常を目の当たりにして平静でいられる人なんていないだろう。まして、好感を持つなんてできるはずがない。

 けれど、母は俺のことを一切嫌わなかった。

 

「人の体温って、あそこまで心地いいとは思ってなかった。抱きしめられるのが、あんなに好きになるなんて思わなかったよ」

 

 男の意識があったけど、そんなものは関係なく愛というものは心を温めた。人から愛されることが、ここまで嬉しくなるものだと、初めて知った。それから俺は、母に愛されることに夢中になった。

 

「お母さんに抱きしめられると安心した。頭を撫でてくれたら嬉しかった。髪を梳いてもらうと、褒められた髪がもっと綺麗になった気がして喜んでたな……」

 

 家が平和な頃はまだお勉強もあって、それが上手くできた事をよく母に教えに行った。そうしたら母は、頭を撫でたり、抱きしめてくれたりして、褒めてくれた。

 それが、一番の幸せだった。

 

「アナベルがお母さんのお腹にいるときさ、実は嫉妬したんだ。『お母さんが取られちゃう!』なんて。おかしな話だよね? そんな、子供らしい子供でもなかったのに」

 

 恥ずかしいことに、実はそうなのだ。

 初めての妹が母のお腹の中にできてから、俺はずいぶん焦ったものだ。

 これから、母は妹に付きっきりだ。だって、後から生まれた子供の方が可愛いに決まってる。俺みたいな女の体に男の意識があるやつより、ずっと可愛くなるに決まってる。

 そうなったら俺は後回しで、母に褒められることも次第に無くなっていくだろう。

 

「でもさ、生まれてきた妹は、それが許せるくらい可愛かったよ」

 

 小さな手。小さな命。

 無邪気に泣いて、笑う妹。

 この子に譲るって考えたら、仕方ないなって思った。

 そして、この子にも母がくれる愛情を受け取ってほしいと思った。

 

「この頃かな。魔法が、使えるようになったのは」

 

 予兆はなかった。家でのお勉強でも魔法はあったけど、その時の、そしてそれから今まで使い続けた魔法とは何もかもが違うものだった。

 理論など関係ない、おとぎ話に出るような魔法。ただひたすらに、都合のいい力。

 俺はそれにのめり込んだ。

 

「昔は花を咲かせる魔法とか見せてたね。リリィは覚えてる?……へへ、ありがと」

 

 その頃の俺は、能天気に魔法を楽しんでいた。

 人を助けるためでもない、ただ綺麗なだけの魔法。

 花を咲かせてみたり、夜空の星を瞬かせてみたり。そんな、なんの役にも立たない魔法ばかり、作っていた。

 

「この時ばかりはまたお母さんに自慢したなぁ。お父さんもさ、忙しい中どうにかして自慢した。二人とも褒めてくれて、その時の気持ちっていったら、もう!」

 

 幸せだった。

 これ以上ないくらい、幸せだった。

 

「……もっと、役にたつ魔法を作っていれば良かったんだ」

 

 幸せだったからこそ、そう思う。

 

「リリィ。あなたは私の精神が男だって気付いてるよね」

 

 声はなし。ただ、頭が縦に振られて肯定される。

 

「私は、さっさと男になる魔法を作っていれば良かった。精神が男なんだから、あるべき形になるだけだったのに。私は、母と生きた時間が消えるように感じて、結局最後まで男になれなかった」

 

……これを、妹に語るべきではないことぐらい、分かってる。

 両親が子供を作り続けたのは男児を産むためだ。俺が男になればその時点で子供を作るのは止めるだろう。

 それは、妹たちが産まれないということだ。

 つまり、妹が生まれずに母が生きていればと望んでいることに、他ならない。

 

「リリィ。私は、お母さんを止めたよ。これ以上はダメって。死んじゃうからって。アナベルは歓迎したのにさ。リリィとアネモネは、産んだらだめって。最低だよね」

 

 リリィは何も返さない。怒りや侮蔑も、同情や慰めも。

 気付けばリリィに張り付いていた微笑は消えていて、真剣な表情だけが先を促すようにあった。

 

「父に理由を聞きに行った。なんで母をこんなに無理させるのかって。そしたら父は、『俺たちの家は、世界の滅びを解決する為にある』って。『そのためには、家が長く続かねばならない』って。私はそれをどうにかする為に動き回った」

 

  これは、世界の大穴のことだ。私は単純で、ずっと古くから続くそれへの対処に、多くの意識を注ぎ込んだ。

 それさえ解決してしまえば、母が無理する必要もないはずだ、なんて。

 

「私は解決すべきことを間違えたんだ。運良く、たった数年で解決できるくらい、先祖様が問題を小さくしてくれていた。けど、その数年で母は亡くなった」

 

 あの日。俺は。

 母がどうしようもない事を察していながら、大穴を塞ぎに行った。

 世界の破られた壁を修復して、世界を救って。

 そうして、帰ったら、もう大丈夫、なんて言って。

 そうして────何をしてもらおうとしてたんだろう?

 大きく大きく膨らんだ腹を、どうすることもできないのに。

 とにかく、母のそばから離れて。

 母の死に目に、会えなかった。

 

「バカな話。そんな事をしなくても男になりさえすれば、お母さんは生きていたのに。いや、違う。そもそも母の体を治せば良かった。弱るからダメだったんだ。なのに、なのに私は……」

 

 別に、助けるなら、方法は他にもあっただろう。

 それを全て通り過ぎて、世界を救いに行ってしまった。

 

「……だから、これは見殺しにしたのと同じ。これが、私とお母さんの全て」

 

 しばらく、沈黙が降りた。

 私から話せることはないし、話してスッキリすることもない。

 だから、リリィが口を開くのは当然だった。

 

「お姉様」

 

 何を言われても受け入れる。そんな覚悟だった。

 もし、リリィが俺を殺さんほど憎んでいてそのまま殺すなら、俺は受け入れるつもりだった。

 だからこそ、その言葉は予想外だった。

 

「お母様から遺言です」

 

 今まで、聞いたことのなかった、それ。

 あるとすら知らなかったそれ。

 探してすらいない、思いつきすらしなかったそれ。

 俺の動揺を尻目に彼女は口を開く。

 まるで、祝福するように。

 

「『あなたの苦悩を知りながら、笑顔で逝く私を許してね』と」

 

 お母さん。

 …………。

 

「リリィ、お母さんは、幸せそうだった?」

「嫉妬してしまうくらいに」

 

 そっか。

 なんだ。

 お母さんは。

 満足、だったんだな。

 償うべきものなんか、最初から無かったんだ。

 ばかだなぁ、私。

 肩肘張って無理する必要なんか、無かったじゃないか。

 

「リリィ」

「ふふ。はい」

「どうして、こんな質素な部屋使ってるの?」

「悩みは晴れましたか」

「もう、力抜けちゃったから。あーあ。今までの五年間なんだったんだろ」

「いいじゃないですか。何もせず休むには、一番良い部屋ですよ」

「……へへ」

「ふふ」

「リリィ。気が抜けたら眠くなっちゃった」

「ごゆっくり。5年ぶりの睡眠、楽しんでくださいね」

「……そっか。もう」

 

 だんだん重くなる瞼に従って、俺は眠りについた。

 最後に見たのは、慈しむように柔らかく微笑む、リリィの顔だった。

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