「景色がきれいだよ」 作:人に戻った少女
私のことを語るのなら、プラム・ガーデンという存在を無視することはできない。
私は生まれながらに怪力だった。触れれば誰かを怪我させてしまうしかない、怪物だった。誰にも触れられないはずの、孤独な存在だった。
ガーデン家の子は早熟だ。そうでなければ身に宿る力は無作為に他者を傷つけるしかないから。そういう人間には過ぎた力を受け継ぐことの枷と言わんばかりに、私たちはとにかく早熟だった。
ただ悲劇と言えるのは、その早熟さは大人にまでは届かなかったことだろうか。
役目と割り切り寂しさを受け止められたなら、幾分か楽だっただろう。
私は、愛されても愛し返すことができない。返した愛で相手が死んでしまうかもしれない。だから、私から何かをすることは許されない。
母の乳を吸い過ぎて鬱血させた赤子の記憶をまだ覚えてる。
私は、自分から何かを求めてはいけないのだ。
自我の抑圧こそ、私が歩む道。
……そこから手を引いて、別の道まで届けてくれたのが、私の姉であるプラム姉上だった。
プラム姉上は私の力で傷付くことはなかった。およそ満足に得られなかった人の温かさを与えてくれる、唯一の生き物。
幾千の言葉よりも一度の抱擁が何より嬉しかったことを覚えている。
それが自分からできるとなれば、その喜びは他の何よりも大きなものだった。
姉にだけは、自分を抑圧せずとも良い。
それは、あまりに目が眩む光だった。あるいは、二度とそれ無しでは生きられない依存性のある蜜だった。
私はプラム姉上に引っ付いて回った。そうして私は初めて他者を愛するということを知った。
姉上は何が好きなのだろう? 姉上は何が嫌いなのだろう? 姉上はどういう考え方をしているんだろう? 姉上は何を目指しているのだろう? 姉上は何に幸せを感じるのだろう?
それは、関心というものだった。
何をやっても相手を傷付けると考えだった私には無かったそれは、いつしか姉上以外にも向けられる。
母、そして父。
姉上があんなに好きな母は、姉上をどう思っているのだろう。
姉上が真剣な顔で接する父は、姉上をどう思っているのだろう。
私には分からない。愛しているのだろうことは分かる。だけど、どう愛しているのかは分からない。
その実、私が分かるものはごく少数だ。
私が怪力であること。
私が力を抑えず振る舞えばみんなが傷付くこと。
そんな私の力を姉上は何ともないように受け止めること。
ただ、それしか分からない。
それでも、分からないままではいけないのだということは、悟った。
ただ抑圧するでは、他者を分かろうとすらしなかった。私はひたすら他者に触れることを恐れる、臆病者で終わっていたはずだ。
私は、他者を理解するための道を歩き出した。
そしてそのために、私は力の加減を学んだ。
怪物に笑顔を向けるものなどいない。偏った面を見るばかりでは、正しい理解なんて得られるはずがない。
だから、怪物から人間へ、私は降りてきた。
私は人を、うっすらと理解できるようになった。
人は、愛が好きだ。人は、痛みが嫌いだ。
人の考えは、数えきれないほどあって完璧には分かるものではなかった。人が目指すものも、数えきれないほどあった。人の幸せも、また同じ。
そういった、理解できるものと理解できないものの積み重ねの末に、私は人の心は完全に理解するものではなく、それでも理解しようと寄り添うものなのだと考えるようになった。
その考えに至ってようやく、私は人を傷付けずに人を抱きしめることができるようになった。
私の中で姉上は最も大事な人だけど、姉上以外にも大切な人ができたのだ。
いつまでもこんな日が続けばいい。
姉上が咲かせた花畑で、色んな人と遊ぶこの日々が、いつまでも続けばいい。
色んな人を愛して、色んな人から愛される。そんな日々が、命尽きるまで続いてくれたら、そんなに幸福なことはない。
けれど、世界は変わる。幼さを拒絶するように。
母がリリィを産んでから、母は体調を崩すようになった。
そうしてそれに引きづられるように、姉上がおかしくなった。
姉上は自分のことを考えず何かに……魔法に没頭するようになった。
寝ることもせず、遊びもねだられた時だけで、食べ物すら食べずに、ひたすら何かに打ち込んでいた。
私はその姿があまりに恐ろしくて、誰かに縋りたくなった。
そうして姉上以外に縋る誰かを求めて、初めて気が付いた。
私には、姉上以外に縋るという発想が出る誰かがいない。
みんな、自分より弱いじゃないか。
姉上以外は、むしろ私が助けるべき人たちじゃないか。
だから、私がしっかりしなきゃダメじゃないか。
どうしても。どうしても。
私は、その思考から、逃れられなかった。
父は、母が弱っていく姿を見て顔を真っ青にしている。誰かを気にかけられる状態じゃない。
母は、次第に体が弱くなって笑顔も無理をしたものに変わっていった。誰かを助けられる状態じゃない。
使用人たちは父と母のことに慌てるばかりで、姉上のことまで気が回っている人がいない。
誰も、姉上を気に掛けられる人はいなかった。
私は、もう怪物から人に変わっていたから。
人から怪物に変わってしまった姉上に、怯えてしまった。
この瞬間に、私の心は折れたのだ。
もう、二度と幸福は訪れない。
それを悟りながら、姉上を助けられたはずなのに見捨ててしまったことを嘆くしかないのだ。
私はもう、誰かを理解しようとすることさえできない。
母が新しい妹を身籠った時ですら、私の心は動かなかった。
こんな、こんな人でなしに、何ができるというのだろう。
ただ部屋にこもって震えているだけの子供に、何の力があるのだろう。
こんな子供がいちいち心を動かしてどうなるのだろう。
もう、何も見たくなかった。
あの日の幸福が失われる様を目の前で突きつけられては、本当に壊れてしまう。
そうして壊れたら、また怪物に戻ってしまいそうで。
だから、それは必然だったのだろう。
母は、アネモネを出産して死んだ。
姉上はその場に遅れてきた。心底嬉しそうに、幼い顔で。
父に、大穴を塞いだと言って、溢れんばかりの笑顔で。
もう、これで母に無理をさせなくて済むと。
無邪気に言い放ったのだ。
誰からも手を差し伸べられなかった姉上は、誰よりも現状を知らなかった。
それがトドメだった。
父は執拗に姉上を殴り、何も効果が無いと分かるや否やこの世のものとは思えないほどの罵倒をなげた。
「気持ち悪い、化け物め」
「お前は何も見ていなかった。何も知ろうとしなかった」
「本当は俺たちの子供でも無かったんだろ。お前はいつだって申し訳なさそうに俺たちを見ていた」
「お前は教わってもいないことを知っていた。いつも。いつもだ。知らないことを知ることはできないのに。お前は初めから知識を持っていたんだ」
「お前は俺たちの子なんかじゃない。お前は悪魔が取り替えた化け物の子だ」
「大穴を塞げるほどの力があるなら、そもそもアンジェリーナの体を治してやればよかった。その後に、じっくりと大穴を塞げばよかった」
「お前は、家族の痛みを無視して、その痛みの理由を無に帰し、アンジェリーナの死と俺の覚悟を無駄にしたんだ」
「詫びろ」
「未来永劫、アンジェリーナへ詫び続けろ」
「アンジェリーナを見殺しにしたことを」
「永遠に」
私が止めるべきだった。
だって、姉上は何も知らなかっただけなのだ。
姉上は狂って、どうしようもなくなっていただけなのだ。
姉上は大穴というものを塞げば母が助かるのだと思い込んでいた。
それはきっと、父が無理をさせてでも母に子を身籠らせた原因なのだろう。
姉上は原因がなくなることで、事態が丸く収まると考えたのだろう。
姉上は怪物になどなっていなかった。
姉上はただ、愛する人を救おうとしていただけだ。
その方法が分からなくなるほどに、混乱していただけ。
誰かが手を引っ張って別の道に連れて行ってさえいれば、避けられたはずのことなのだ。
……そして、その役割は私のものだったはずだ。
姉上がかつてそうしてくれたように、今度は私がそうするべきだった。
怖かった? 恐ろしかった?
それが、何の言い訳になるのか。
結局のところ、私はただの臆病者だった。
恩を仇で返す能無し。この場で最も汚らしい大罪人。
私は、姉上を裏切ったのだ。
それなのに。
怒る父の声が恐ろしくて。
姉上を庇うことすらできない。
ただ、震えているだけ。
どれだけ私たちの精神が早熟しようとも、それは中途半端に終わっていた。
決して、賢い子供から抜け出すことはない。
目を伏せて、耳を塞いで。
後のことはもう、忘れてしまった。
多分、何もかもから逃げ出してしまったから。
怪物のままなら、どれほど良かっただろう。
怪物のままなら、こんなこと気にしなかっただろうに。
だけど私はもう人間になってしまった。
もう、この地獄に耐えられない。
そうしてこの話は終わるはずだった。
二人の妹は、この終わりを覆した。
「アナベルお姉様。私たちには、まだ出来ることがあるはずではないですか」
「私たちで、お姉ちゃんを助けるの」
妹たちは、私よりよっぽど強かった。
私が逃げた全てに真っ直ぐ目を向けて、立ち向かっていた。
そして、私の手を引いた。
かつて、姉上がそうしたように。
久しぶりに、人の温かさを感じた。
そうだ。幸福とはこういう形だった。
どうして忘れていたのだろう。こんな日々がいつまでも続けばいいと思っていたはずなのに。
この日々に、姉上もいて欲しかったはずなのに。
そう考えるたびに心が軋んでしまう。
ああ、認めなければならない。
この家で、最も幼いのは私だった。
最も愚かしく狂っていたのは私だった。
私は臆病さのあまり時を止めてしまった。
誰もが変わっていく中、駄々をこねて幼子であることを選んでしまったのだ。
ただ袖を引く子供。腕を払われて泣いているだけの子供。
そうして、止めることすらしなかった。縁は繋ぎ続けなければ切れると知っていたのに。
強い妹たちと比べて、私のなんと弱いことか。
そんな恥を抱いてもなお、私は臆病だった。
手を引かれても足が動かない。
怖い。何かが変わってしまうことが、心底恐ろしい。
もし、姉上に嫌われてしまったら、私はどうなる?
もし、父があの言葉を私に言ったとき、私はどうなる?
もし、あの幸福が二度と戻らないと気付いたとき、私はどうなる?
頭によぎる度、私は足が震えてまともに動けない。
どうしても、足が、動かないんです。
動かなきゃいけないのに全く、動かないんです。
ごめんなさい。
やらなきゃいけないこと、できなくてごめんなさい。
そんな私にも、妹たちは寄り添ってくれた。
一日中泣いては気絶するように眠るだけの私に、根気よく寄り添ってくれた。
いや、妹たちだけではない。
使用人たちがいなくなった後、料理を用意してくれたのは姉上だ。妹たちも父も料理ができないから、必然的に料理を用意できるのは姉上しかいない。
狂ったままでも、姉上は姉上だった。
だから、ゆっくりと、私は泣いて眠る以外のこともできるようになっていった。
私は、一人ではないから。
動けるようになるまでに何年もかかってしまったけど、もう大丈夫。
今度は、私の番。
妹が立ち向かうなら、私も立つべきだ。
伏せた目を上げて、塞いだ耳を開いて。
恐ろしさで震える足を、それでも前に。
みんなの優しさを、ようやく返すとき。
姉上が背負っている重荷を、私も一緒に背負うのだ。
姉上にだけ苦労させるなんて嫌だ。
今更ながら、そう思うのだ。
全部を背負わせるわけにはいかない。
人には許容できる限界があって、姉上は心の限界を無視して何もかもを拾おうとしている。
それを止めるため、ようやく私は動くのだ。
怖い。恐ろしい。
けれど、それでも私は進む。
勇気の価値を、私はもう知ったから。
この勇気で幸福が買えるなら、私は喜んでこの勇気を差し出そう。
私は初めて、人を引き止めるために動く。
ずっと恐れていた、怪我をさせるかもしれないことをする。
私は、怪物になるかもしれない。
それでも、姉上を怪物にしないために、私は進む。
あの幸福を、取り戻すのだ。
アナベルは人を傷つけることに対して非常に臆病です。
というのも、彼女は物心ついたその時には大切な母をボロボロにしてしまっている状況に直面してしまい、このままだと母をうっかり殺しかねないと気付いたからです。
彼女は生まれた頃から自分が他者を傷付けて生きるしかないと悟り、傷付けるの程度がたやすく生死の境を越えてしまうものだと分かっていたため、彼女にとって傷をつけることと人を殺すことは非常に近しいものでした。
一挙一投足が大切な人を殺しかねないので、必然的に自分を抑圧して生きるようになります。その抑圧の結果が臆病さです。
彼女は力が加減できるようになった後でも、滅多に自分から相手に触れようとしません。反射的な動作は加減ができず、それで大切な人を殺してしまうかもと怯えたからです。
ただ、彼女が目を逸らしているものがあります。
彼女は簡単に害意を抱きます。
不満があれば相手を叩こうとする思考が頭をよぎります。基本的にはそういう暴力的な手段をもって解決したがりますが、自身の抑圧によってその願望を封印して忘れます。
彼女が怯える時、その裏には殴って終わらせたいという幼稚性が存在しています。
自分が愛せない人への凶暴性がずば抜けて強いのです。そして、彼女が度々抱く家族への怯えは、家族への不満による凶暴性の発露を抑え込んだ結果です。
アナベルはそういった人間のため、近くにいること自体が危険です。
リリィとアネモネは、その危険性を知りながらアナベルに寄り添いました。
自分を抑えるだけの人生を歩ませたくなかったからです。
ただ自分の意見を言うのに8年かかったのがアナベルです。
……ていうのをちゃんと書きたかったです。設定はふわふわなのでしっかりその通りの文を書くのが苦手なんですよね。
アナベルの設定で元々決めていたのは、怪力とそれが原因の抑圧、そこからくる姉への依存でした。
ただ、文を書いていくうちに妹たちが暴走する妄想が何度も思い浮かんだため、アナベルには凶暴性とそれを抑えるための臆病さが追加されました。
まだアナベルの凶暴性を描写していないので、近いうちにifでその部分を描写したいですね。