目が覚める。
見慣れた天上が視界に飛び込み、ゆっくりと右へ動かす。使い古された机と、板で修復されてた壊れかけの窓。
まごう事無き俺の部屋だ。
またこの世界で俺の一日が始まる。陽が差し込む部屋の中をぼうと眺めながら詩人の如く思ってみる。
明日も、そのまた明日も。俺は変わらずこうして朝を迎えることができるのだろうか。
疑問を持ちつつすぐに頭を横に振った。
いかん。まだ20の健全な年頃なのにすっかり年寄り染みた考え事をするようになってしまっている。
どうにも最近の俺は心が病んでしまっているのかもしれない。
起き抜けの体で簡素なベッドから這い出る。体重がなくなったことでぎしりと木製のベッドが軋んだ。
ガキの頃から使っているが、もう本当にそろそろ限界が来るのではと思っている。寝ている間にぶっ壊れないことを祈ろう。
下の階に降りれば鼻腔を香ばしい匂いがくすぐった。勝手場には親父の姿があった。
今日も懲りずに料理をしているようだ。
毎度と匂いだけはいいのだが、何故か味は微妙でそれが改善されないのだ。本人はかなり頑張っているらしいが、これについては最早天賦の才とも呼べる。
味は駄目でも匂いは良いのでこちらの空腹加減を増長させるという意味では、はた迷惑な才能だが。
「おおカイル、起きたか」
「手伝うよ親父」
「いい、いい。お前は座ってなさい」
そう言われれば座るしかないので、黙って席についた。家族は親父と俺だけなので、なんとも閑散とした食卓だ。
数秒誰もいない食卓を見て、一週間前のことに思考を巡らす。
一週間前、俺を含めた調査兵団は帰還した。いつも通り巨人と壁外の調査だったのだが、今回は異常なほど巨人に遭遇
し多大な被害を出してしまった。
死者数15名、行方不明者数10名。この中には俺が所属していたカウカ班の班長と、ルーク先輩。そしてあの新兵少女も含まれる。
俺たちを逃がすために足止めに行った二人は、とうとう戻ってくることはなかった。
この知らせを聞いたのは、荷車で気絶から回復した時だった。新兵たちを逃すために巨人へ単騎戦を挑んだ俺だが、どうも逃げる途中で気を失っていたらしい。
本隊の近くまで行けたのは本当に幸運だった。
ちなみに俺の怪我の具合についてたが、奇跡的にも打撲と軽い捻挫だけで済んだ。
悪運だけは強いのかもしれない。
それはさておき。報告をしてくれた同班のルイートが暗い顔で紡いだその言葉が最初は上手く呑み込めなかった。
入団してから俺をよく世話してくれたカウカさん。そんなカウカさんの良き相棒として組んでいたルークさん。
二人ともとても良い人たちだった。
しかし八年従事してきたベテランであっても、死ぬときは一瞬だ。
そして残された者はぽっかりとあいてしまった心の穴に風を感じて両腕を掻き抱くのだ。
ああ寂寥だと。
そうして気づいてしまう。また、俺は仲間を失ったのだと。
あの時無理矢理にでも志願していれば。三人で挑んでいれば何かしら状況は変わっていたかもしれない。
やろうと思えばできたはずだ。班長の言葉で引き下がらず、粘ればカウカさんは頷いていただろう。
俺は、それをしなかった。
一瞬でも自分の命を優先してしまった。死にたくないと思ってしまった。殿をやらなくてもいいとわかった時の心からの安堵。
全て俺自身が招いたなどとそんな傲慢なことは言わない。けれど、自分が動いていれば何かしら変化があったかもしれないのは事実で。
何度目かわからない激しい自己嫌悪に、俺はいつか押しつぶされてしまいそうだ。
「出来たぞ」
考え事ですっかり深みにはまっていた俺を引き戻すように声がかけられる。ごとりと俺の目の前に大きな器が置かれる。
豆の煮たスープなのだろうが、いろいろと緑色の物体とか茶色い糸のようなものが気になる。
胡散臭そうな顔で親父を見上げれば、わかっているのかそうでないのか。にかりと屈託ない笑みを浮かべて来た。
「いただきます」
作ってもらった手前食べないわけにはいかないので、手を合わせる。
親父はそれを見て満足そうに頷くと、自分の分も取りに踵を返す。
ごとり、ごとりと置いては引きずりを繰り返すような音が同時に鳴る。
スープを口に含みながら親父のそれを見る。右腕全体を使って持つそれはいわゆる松葉杖。
親父はそれを、上半身と一本の足で連携して使いこなす。そう、一本の足で。
今地面に足がついているのは左だけ。右は服のふくらみから見て膝からは消失している。
親父の欠けた右足。これが、俺の調査兵団へ入った動機とも言えるかもしれない。
昔は調査兵団の一員として従事してきた親父は、ある日の壁外調査で巨人に右足を喰いちぎられたのだ。
あの時の帰還した親父の顔は鮮明に覚えている。泣き声ひとつ上げず、ただひたすら黙し頬を濡らしていた。
生まれた時から親父しかいなかった俺は、子供時代の単純さも相まって宣言してしまったのだ。
自分も調査兵団に入ると。
あの時の親父の感極まった表情もまたすごかった。
結局、調査兵団イコールとてつもなくやばい所だと知った時にはもう後戻りできる段階ではなかった。
こんな臆病でもせめて親孝行くらいはしないとな…となけなしの意地を張り通した。
しばらくして奥から親父が戻ってくる。その際少し躓きそうになっていたので慌てて立ち上がるが、「平気だ」と言われ腰を落ち着ける。
まったく。昔から手伝おうとするとすぐに拒否する。そういう頑固さが俺にも欲しいものだ。
「よ…っこいしょ」
「親父。老けたな」
「馬鹿言え。少なくともお前より先に老いるわけにはいかん」
「いや普通に無理だろそれ」
他愛もない会話をする。近所に住む歌好きのおばあさんの話や、親父の会なるものが発足したとか、やれ誰のお家芸が面白かっただとか。本当に、日常の些細なことであった。
そろそろ朝食も終えようとした時、不意に親父が思い出したように言った。
「そういえば、今年も訓練兵団に新人が来ておった」
「ああ。そりゃあ、兵士を育てる場所だからな」
そこまでご近所ってほどでもないが、南側には兵士を育成する訓練兵団がある。
俺だってそこからのスタートだったのだから、まあ思う所はいろいろある。
あそこの教官は冗談抜きで恐ろしかった。
一度ハゲ…に限りなく近い言葉を発してしまったことがあり、その時は敷地を死ぬ思いをしながら走りきった。
あれで元調査兵団団長だというのだから、当時の兵団にいたら俺は二重の恐怖を味わっていたのかと白目を向いたこともある。
外が巨人なら内はハゲ…否、教官である。
「俺の代から数えてそいつらは104期になるのか」
「なつかしいな。幼いお前が俺に代わり調査兵団になると言ったときのことが」
「ああ、うん。そいつは忘れてくれていいよ。こっ恥ずかしい」
あからさまに嬉しそうな親父に、実は一度言った手前撤回できなかったなどと言える筈も無い。
俺の生地無しは当時から折り紙付きなのである。決して自慢にはならないが。
「……」
「……」
それまで何事もなく会話をしていたが、それが止む。親父は微笑みながら、しかしどこか影を滲ませた顔つきでひたすら皿を見つめている。
親父は時々何を考えているのか分からなくなる時がある。今だって、このまま声をかけなければいつの間にか消えていなくなってしまうのではと訳のわからない焦燥にかられる。
何かを発しようとして口を開く。
「カイル」
親父、その言葉が音となることはなく替わりに親父が俺を読んだ。
「休暇も今日で終わりなんだろう。……行くのか?」
親父は相変わらずの表情で投げかける。壁外調査後の休暇は確かに今日で終わりだ。この朝食を済ませれば身支度をしてすぐに発つ予定だ。
近頃は壁外調査を重視する声が高まり、実際壁外へ出る間隔も短くなってきている。
今回も戻ればすぐに次の調査に向けて動き出さなければならないだろう。
「俺は、お前が立派な兵士になってくれてとても誇りだ。こんな足になっちまって、情けなさに押しつぶされそうになったときのお前の言葉には心底救われたさ」
だけどな、と親父の声は続く。
「心配する気持ちが無いわけではない。むしろ、お前が家を出る度に心臓が握られるようにやるせん。次は会えるのか、ちゃんと帰ってくるのか。お前に兵士としての道を勧めてしまったことを後悔するときさえある」
親父の言わんとしていることが大体わかってしまう。
それは俺が小さかった時に体験したものと同一だから。
「親父」
だけどいざ自分が心配される立場になると、適当な言葉がみつからない。
それでもこれだけは言わなければいけないと、直感的に思う。
「ちょっと禿げたよな、親父」
あの真剣な話し合いにおいて正直な感想を述べてしまった俺は、こっぴどく親父に雷をくらい出立した。
「訓練に行きましょう先輩!」
書類にサインしているとそんな声が飛んでくる。自慢ではないが、俺は大方の人たちからあまり良い目で見られていないのを自覚している。まあ、任務では普通だけどプライベートでは付き合いたくない候補の序列一位といえばわかりやすい。
よって平時の時に俺に話しかけてくる奴はほとんどいない。
今回も同じだと思いそのまま聞き流していると、背後に誰かが立ったのを気配で察する。
「聞いていますかカイルさん!」
「え。俺?」
言われて振り返ればそこには幾分か年下の少年兵士がいた。短めの金髪の彼には見覚えがあった。
ついこの間の壁外調査で同じ班だった。
「トイールか。何してるんだそんな汗だくで」
「何って、訓練に決まっているじゃないですか。徒手で体を動かしていたんです」
「ああーそれで。そりゃお疲れさん。ほい書類」
側にいた事務仕事をしている兵士に紙を渡し、荷物を担ぐ。休暇明けの兵士が多く入り口付近は人が多い。
またひそひそと後ろ指さされるのもつまらないのでとっとと裏に引っ込んでしまおう。
そう思ってその場を離れようとするが。
「ちょ、ちょっとカイルさん無視しないでくださいよ」
慌ててついてくるトイールに、はてどうしたのかと考え少し前の言葉を思い出す。
そういえば訓練がどうとか言ってたな。
明らかに面倒事の臭いがするのでとりあえず知らないふり。
というか、俺が身長167に対してトイールは170以上はある。ので、並ぶとちょっといやかなり不愉快な気持ちになる。
お前なんでそんなに背でかいんだ俺より年下だろうちくしょう。
「あの!まずは改めてお礼を。あの時は、本当にありがとうございました」
真摯な瞳で述べたそれは、きっと一週間前の壁外調査でのことだろう。
俺が足止めとして勝手に飛び出て勝手に怪我して、結果的にはトイールたちを逃がすことに成功した。
しかしそれについてはカウカ班長のことであったり、自分の負け犬根性や意気地なしといった雑念もあり後ろめたさが満載。お礼を言われてもあまり喜べるものではない。
「あー…いいよそんなん。俺大したことで」
きなかったし、と言い終わる前にトイールが「そんなことはありません!」と被せてきた。
ああ、わかったから上から大きな声で言うのは止めてくれ。耳が痛いよ。
それとなくトイールから距離を取ってみるが、如何せん詰め寄ってきやがる。
彼は尚も熱意溢れる顔で語り出す。
「僕は感動したんです。前はカイルさんをへらへらした兵士と敬遠してたんですけど、遠征の時の絶えない集中力。普段が嘘のように消える表情。物事を見極める決断力。そして何よりも、巨人との戦い!巨人二体を瞬殺し、まったく引けをとらない勇猛な姿!カイルさん本当のところ討伐数はいくつなんですか!?皆の話題にのぼらないんですけど、何故です!?」
いっぺんに言われてしかもツッコミたいところも多々あるけれど。
とりあえず目の前の少年兵士が何か多大な勘違いをしているのは間違いないと思った。
これは早めに解いておかないと厄介事になりそうな気がする。だけどいちいち反応するのもとても疲れる。
どうしたものか。
「あー、うん。どうも。それじゃ」
「僕もカイルさんのように強くなりたいんです!巨人を一人でも殺せるようになりたいんです!」
「そうだね目標高くていいと思うよ、それじゃ」
「なので僕に訓練をつけてください!アドバイスだけでも構いません!」
「俺より適役がいると思うからそっちに頼んでくれーそれじゃ」
さっきからそれじゃって言ってるのにまったく通しくれない目の前の少年兵士。
仕方ない。あまり自分の心情を他人に吐露、とかは軽蔑されるの見え見えなだからしたくないんだけど。
勘違いが災いして変な噂とか流されても困る。ここは腹をくくっていくしかない。
「あのさトイール何か勘違いを」
「カイル!こんな所にいたのね」
なんだか最近割り込まれる率が高い気がする。
ほんのちょっとだけげんなりしながら振り向くと、肩口まで伸ばされた茶髪を揺らす女性兵士。
訓練兵時代の同期であるペトラ・ラルであった。
彼女は少し駆けてきたのか息切れしている。何かあったのか。
そして隣の少年はといえば。ペトラが現れた瞬間に急に大人しくなった。何やら口を真一文字に結び、肩には相当力が入っている。
余程緊張しているのか。
「捜してたの。伝言よ」
「伝言?」
「ええ。ハンジ分隊長からで、会議室に来て欲しいって」
「えー…」
それを聞いた瞬間、脳裏にある人物が浮かぶ。
眼鏡をしたハーフアップの兵士。分隊長ということもあり実力はもちろん頭のキレ具合も抜群で、調査兵団の主力ともいえる人だ。
ただその性格については少々、いや俺はかなり苦手だ。
何故か巨人に話しかけるし、壁外調査ともなれば爛々とするし。それだけでも充分恐いのに、極めつけに俺が休憩にと一杯やろうとすると絶対近くにいるのだ。
もう何か受信しているのではと思いたくなるほどすぐに飛んでくる。
恐いなんてもんじゃないよ、ほんと。
「俺ー…今日用事があるんだ」
「駄目よ。何のために私が伝言役頼まれたと思っているの」
「うっ」
「ほら、行こう」
嫌々のあまり体の重心が後ろへ仰け反るが、腕を掴むペトラにぐいぐいと引っ張られる。
後ろではトイールが「お話の後に訓練つけて下さい!」とか言ってたけど聞かなかった事にするよ少年。
それにしても会議室、ね。次の壁外調査も近いからその事だろうか。
ぼんやりとそんな事を思いつつ、俺は長い廊下を歩いて行くのであった。
ちょびちょび編集してます
全てにおいてまだ勉強中なもので
ご勘弁