【完結】天国には理想郷がありまして   作:空飛ぶ鶏゜

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この話はこっちかなと。
ぶっちゃけ話です。
時系列は、その後の「飴食う魚も好き好き」後ぐらい


続編もやってるよという宣伝もさせてください。
天国には理想郷がありまして、その後
https://syosetu.org/novel/419107/


天国にも番外編はありまして
【番外編】万事屋とキリ、八歳


 仕事を終えて自宅へ戻ったキリは、手提げ袋を片づけようとして、手のひらに収まるほどの小さな包みが入っていることに気付いた。

 そういえば、職場で菓子をもらったのだった。

 

「さっきお客さんにもらったんだけど、キリちゃんも一つどう?」

「ありがとうございます」

 

 受け取ったまま手提げ袋へ入れ、すっかり忘れていた。

 色鮮やかな包み紙には、見慣れない天人語が並んでいた。

 包みを開くと、つるりと丸いゼリーのような菓子が出てくる。一口ほどの大きさで、青から橙へ移るグラデーションが綺麗だった。

 口へ放り込む。甘酸っぱく、わずかに舌が痺れるような味がしたが、そういう菓子なのだろうと深く考えずに飲み込んだ。

 ――注意。地球人が摂取した場合、肉体および精神が子どもの状態へ一時的に回帰することがあります。

 そう書かれていたのだが、生憎、キリには読めない天人語だった。

 

 翌朝、キリは見知らぬ天井の下で目を覚ました。

 咳が出た。乾いた咳が二度、三度と続き、胸の奥が痛くなる。

 手を伸ばそうとして、袖の中で指先が迷子になった。着ている浴衣が大きすぎる。肩は落ち、裾は足先よりもずっと向こうまで伸びていた。

 どうやら、身につけているのはその浴衣一枚だけらしい。

 袖口からようやく出したのは、見慣れた八歳の自分の手だった。おかしいのは身体ではなく、着せられている浴衣と、この部屋の方だった。

 

 ここはどこだろう。

 少なくとも自宅ではない。病室でもなかった。畳の部屋には布団と低いテーブルがある。知らない誰かの家に寝かされているらしい。

 昨夜は病室のベッドで眠ったはずだった。そこからこの部屋へ来るまでのことは、何も思い出せない。

 怖くなかったわけではないが、泣いても状況は変わらない。まず家へ連絡しなければならなかった。

 

 また咳が出た。

 いつもの薬が必要だった。枕元にも、近くの棚にも見当たらない。勝手に引き出しを開けることには抵抗があったが、そんなことを言っている場合でもない。手の届く範囲を調べても、薬らしいものは見つからなかった。

 代わりに、充電ケーブルへ繋がれた携帯電話があった。

 他人の物を勝手に使うことには躊躇したが、緊急事態だと自分に言い聞かせ、それを手に取った。

 見たことのない機種だったが、電話の掛け方は分かる。キリは床へ座り込み、記憶している自宅の番号を一つずつ押した。

 

『はい、万事屋でーす』

 

 気の抜けた男の声が聞こえた。

 

「……もしもし」

『はい、もしもし。依頼ですか? 万事屋銀ちゃん、よろずのこと何でも承ってますよー』

 

 万事屋銀ちゃん。

 知っている名前だった。声まで、アニメで聞いたものによく似ている。

 けれど、本物であるはずがない。電話に出た相手が子どもの声を聞き、ふざけてからかっているのだと思った。

 

「申し訳ありません。番号を間違えたようです。お忙しいところ、失礼いたしました」

『ああ、はいはい』

 

 少し腹は立ったが、番号を間違えたのはこちらなのだと気持ちを収め、そのまま通話を切った。

 番号を間違えたのだと思った。携帯の発信履歴に残った数字と、頭の中にある自宅の番号を照らし合わせる。間違ってはいないが、登録済みの番号だったようで、なぜか『万事屋』と表示されていた。

 もう一度、同じ番号へ掛けた。

 

『はい、万事屋銀ちゃん。あれ? お前さっきの? また間違いか?』

「いえ、先ほどは失礼いたしました。重ねてお電話して申し訳ありません。確認したいことがあるのですが、こちらは黒島家ではないのでしょうか」

『黒島? 違いますね。こちら坂田さんち兼万事屋ですね』

「ですが、私が掛けたのは黒島家の番号です。二度確認しました」

『番号変わったんじゃねぇの』

「その可能性もありますが……」

 

 そんなはずはないと思った。自宅の番号が変わったのなら、入院している自分にも知らされるはずだ。それでも、事情を知らない相手の推測を頭から否定するのは早いと、曖昧に返す。

 そう答えたところで、咳が込み上げた。携帯を離し、袖で口元を覆う。すぐに止めようとしたが、胸の奥で引っかかり、何度も続いた。

 

『おい、大丈夫か?』

「……はい。大丈夫です」

『ならいいけどよ』

「不躾でなければ、何か事情をご存じないでしょうか。どうして黒島家へ繋がらないのか、心当たりはありませんか。薬が必要なのですが、見当たらなくて。家の者と連絡を取りたいんです」

 

 電話の向こうが静かになった。

 

『……黒島って、キリの家のことか?』

 

 どうして、この男が自分の名前を知っているのだろう。

 

「その名前を、どこで知ったんですか」

『んなことは後でいい。やっぱりお前、キリなんだな。今いる場所、分かるか?』

 

 キリは答えなかった。

 

「先ほどから、こちらのことばかり聞いていますね」

『そりゃ聞くだろ。咳して薬がねぇとか言われてんだから』

「申し訳ありませんが、居場所はお答えできません」

『待て、お前そこ動くなよ。多分――』

「失礼します」

 

 相手が言い終える前に通話を切った。

 助けてくれようとしている可能性はあった。けれど、自分の名前を知り、居場所を聞き出そうとする知らない男を、簡単に信用するわけにはいかなかった。

 

 

 

 

 銀時は切れた受話器をしばらく耳へ当てたまま、眉を寄せていた。

 

「キリなんだよなぁ……」

 

 声はまるで違った。電話を掛けてきたのは、どう聞いても小さな子どもだ。

 銀時は、今のキリをその小さな声へ重ねた。子どもの頃を知っているわけではない。

 咳が続いても大丈夫だと言い張り、先に非礼を詫び、相手から事情だけを聞き出そうとし、自分の居場所は頑として話さない。

 あいつが子どもの頃も、きっと同じようにしただろう。

 電話の向こうにいるのはキリだ。銀時には、そうとしか思えなかった。

 

 何が起きたのかは分からない。天人の道具か、薬か、呪いか。この町ではどれを引いても驚くほどのことではなかった。

 問題は、今どこにいるかだ。

 成人したキリの記憶がないなら、本人にとっては知らない部屋になる。変化が起きる前のキリが昨夜、自宅で寝たのなら、そのまま家にいる可能性が一番高い。

 

「ったく、なんであいつはガキになってまで面倒臭ぇんだよ」

 

 愚痴を垂れながら受話器を置き、銀時は玄関へ向かった。

 

 

 

 

 自宅以外に覚えている番号へも、片端から電話を掛けた。

 どの番号も、現在は使われていないか、まったく知らない場所へ繋がった。最後の通話を切る頃には、咳のせいで喉が痛み、身体も重くなっていた。

 外へ出て助けを求めることも考えたが、ここがどこかも分からない。大人用の浴衣は裾を引きずり、帯もまともに締められなかった。こんな格好で知らない町へ出る方が危険だろう。

 キリは浴衣の裾を身体へ巻きつけるようにして、部屋の隅へ座っていた。携帯はすぐ取れる場所に置き、物音へ耳を澄ませる。

 

 しばらくして、玄関の扉が叩かれた。

 キリは動かなかった。

 もう一度、先ほどより強く扉が鳴る。

 

「キリ。いるんだろ」

 

 電話の男だった。

 なぜここが分かったのか。そのこと自体が、扉を開けてはいけない理由に思えた。

 

「おい、聞こえてんなら返事しろ。別に取って食おうってんじゃねぇよ。薬が必要なんだろ。病院連れてくから開けろ」

 

 乱暴なのにどこか優しい声だった。

 電話越しには似ているだけだと思った。けれど、扉一枚を挟んで聞くその声は、アニメの中で何度も聞いたものと同じだった。

 不真面目で、どうしようもなくて、それでも絶対だれも見捨てないそんな人の声。

 そんなはずはないと思うのに、胸の奥に張りついていた恐怖が、ほんの少しだけ緩んだ。

 

「……どなたですか」

「電話の万事屋。坂田銀時」

 

 その名前まで同じだった。

 

「キリ、そこにいるんだろ。とりあえず顔見せろ。話はそれからでいい」

 

 キリはしばらく迷ったあと、引きずる裾を踏まないよう玄関まで歩いた。

 念のためドアチェーンは掛けたまま、恐る恐る扉を細く開ける。

 

 隙間の向こうに、白い天然パーマが見えた。

 気の抜けた灰色の目。黒い上着の上へだらしなく引っ掛けた、白地に青い模様の着流し。

 

 坂田銀時が立っていた。

 

「坂田銀時……本物ですか?」

「本物もクソも、偽物がいんのかよ」

「それは――」

 

 言葉が咳に千切られた。

 細い背中を丸め、袖で口元を覆う。息を吸おうとするたび新しい咳が込み上げ、止める間もなく次が続いた。

 

「おい、とりあえずこれ外せ」

 

 銀時がドアチェーンを指す。

 言われたとおりに外し、扉を開ける。

 

「薬が必要なんだよな?」

 

 キリは咳の合間に頷いた。

 

「病院、連れてっていいか?」

「……お願いします」

 

 返事を聞いてから、銀時はその場へ膝をついた。

 

「ちょっとじっとしてろ。そのままじゃ運べねぇ」

 

 できるだけ肌へ触れないよう、肩から落ちかけていた襟を戻し、胸元の合わせを重ねる。長すぎる裾は腰で折り返して帯へ挟み込み、緩んでいた帯も苦しくない程度に締め直した。

 着崩れないことを確かめてから、背中と膝の裏へ腕を差し入れ、抱え上げる。

 

「自分で、歩けます」

「その裾で転ぶか、咳で倒れるかの二択だろうが。病人は大人しく運ばれてろ」

 

 抗議して降りようにも、咳をするだけで精一杯だった。

 

 

 

 

 病院へ着くと、受付で問診票を渡された。

 銀時が受け取るより先に、キリは自分で鉛筆を取り、氏名の欄へ「黒島キリ」、年齢の欄へ「八歳」と書き込んだ。銀時はその手元を横から見ていた。

 診察室へ呼ばれると、キリは椅子へ一人で座った。

 足は床に届かず宙に浮いていたが、その姿に不安そうなところはなかった。

 

「持病は進行性心肺機能不全症です。今朝から、いつもより咳が長く続いています。息を吸うと胸が苦しくて、少し動悸もあります。普段飲んでいる薬が手元にないので、代わりになる薬を処方していただけませんか」

 

 どこが、いつから、どの程度苦しいのか。

 医師に尋ねられるたび、キリは慣れた様子で簡潔に答えた。薬の色や形、飲む時間まで、覚えている範囲で正確に伝えていく。

 診察にも検査にも抵抗しなかった。

 銀時は診察室の隅で、その様子を黙って見ていた。

 八歳の子どもにしては物分かりがよすぎる。褒める気にはなれなかった。慣れなくていいことに、慣れきっているようにしか見えなかった。

 

 ひととおりの検査を終えると、キリは薬を飲ませてもらった。

 

「どんぐらいでこいつの病気治るんですか?」

 

 医師の手が止まった。

 キリではなく、銀時の顔を確かめるように見る。

 

「……付き添いの方、少し別室でお話しできますか」

 

 キリは看護師に連れられ、別の部屋で休むことになった。

 銀時も看護師に促され、廊下の先にある小部屋へ通された。ほどなくして、先ほどの医師が検査結果を手にして入ってきた。

 

「ご家族の方ですか?」

「……違います。まあ、知り合いっつーか」

 

「病気については、どこまでご存じですか?」

「何も。そいつがさっき言った病名も、今初めて聞いた」

「普段の症状や、服用している薬についても?」

「知らねぇよ。薬が必要だって言うから、ここへ連れてきただけで」

 

 医師の顔は、先ほどまで子どもに向けていたものとは違っていた。

 机の上に並べた検査結果へ一度目を落とし、言葉を選ぶように息をつく。

 

「あの子が患っている進行性心肺機能不全症(しんこうせいしんぱいきのうふぜんしょう)は、肺と心臓の機能が、時間をかけて少しずつ失われていく病気です。薬で発作を抑え、進行を遅らせることはできます。しかし、根本的に治す方法は今のところありません」

 

 銀時は医師の口元を見たまま、次の言葉を待った。

 聞きたくねぇと頭のどこかが訴えていた。それでも、聞かないという選択肢はなかった。

 

「進行すれば、肺は酸素を取り込めなくなり、心臓は血液を送り出せなくなる。最終的には、どちらも機能を停止します」

「それ、死ぬって意味か」

 

 医師は僅かに間を置いてから、頷いた。

 

「はい」

 

 短い返事だった。

 短い返事が、いつまでも銀時の耳の奥に残った。

 

「進行はまだ緩やかです。今の時点で余命を断定することはできませんが、このまま進めば、あと十年ほどで命に関わる状態になる可能性があります。本人は自分の症状をよく理解していますから、おそらく以前にも詳しい説明を受けているのでしょう」

 

 だから心配ない、という話ではなかった。

 医師は一層深刻そうに眉を寄せる。

 

「ですが、子ども一人が抱えるには重すぎる内容です。今後の治療についてもお話ししなければなりません。せめて、付き添えるご家族を呼んでいただけませんか」

「家族は……ちょっと、すぐには」

 

 適当に濁したつもりだった。

 だが、声は自分で思ったより乾いていた。膝の上で握った拳にも、いつの間にか力が入っている。

 

「俺が聞いとくんじゃ、駄目ですかね」

 

 いつものように笑って誤魔化そうとして、うまく口角が上がらなかった。

 

 

 

 

 診察室を出ると、キリは待合室の長椅子に座っていた。

 大人用の浴衣から覗く細い足は床へ届かず、所在なさそうに揺れている。薬が効いたのか咳は治まっていたが、顔色はまだ白かった。

 銀時の姿を見つけると、キリはその顔をじっと見上げた。

 

「説明を受けましたか」

 

 銀時の足が止まる。

 

「……受けたよ」

「そうですか」

 

 キリは小さく頷いた。

 自分の病気について何を言われたのか、確かめる必要すらないようだった。

 

「大丈夫です。生まれた時からそうでしたので、お気になさらず」

 

 慰められているのが自分だと理解するまで、少し時間が掛かった。

 大人になれないかもしれないと告げられた八歳の子どもが、見ず知らずに近い男の顔色を窺い、気遣っている。

 

「お前、それは病人が見舞いに来た奴へ言う台詞じゃねぇから」

「ですが、坂田さんが気に病むことではありません」

「気に病んじゃいねぇよ。そこまでお人好しじゃねぇ」

 

 思った以上に冷たい声が出た。何に腹を立てているのか、自分でもうまく説明できなかった。

 病気か。それとも、心配を掛けまいとすることまで身につけてしまった、目の前の子どもにか。

 

「帰るぞ」

「どちらへ?」

「万事屋。お前んちに一人で置いとけるかよ」

「でも、ご迷惑では」

「八歳児が大人に迷惑とか気遣ってんじゃねぇ。ガキは飯食って寝てりゃいいんだよ」

 

 銀時は病院でもらった薬の袋をキリへ持たせ、再び、腕の中へ抱き上げた。

 キリは驚いたように身体を強張らせたが、咳を堪えるように一度息をつくと、大人しく銀時の着流しを掴んだ。

 

 

 

 

「銀ちゃん、その子誰アルか?」

「えっ、どこの子ですか?」

 

 万事屋へ戻るなり、神楽と新八が揃ってキリを覗き込んだ。

 キリは銀時の後ろへ半歩隠れながら、二人を順番に見る。

 

「神楽ちゃんと、新八だ……」

「なんで僕たちの名前を知ってるんですか? っていうか銀さん、この子どこから拾ってきたんですか?」

「こいつはキリだよ」

 

 銀時が答えると、二人の視線が子どもと銀時のあいだを何度も往復した。

 

「いやいやいや、どう見ても八歳ぐらいでしょう!」

「だから八歳ぐらいのキリなんだよ。身体も頭もガキに戻ってやがる」

 

 説明になっていない説明を聞き、神楽がキリの頬を両手で挟む。

 

「本当にキリか? まるで駄目な大人の銀ちゃんと、真っ当な大人の銀ちゃん。お前が捨てたのは、どっちの銀ちゃんアルか?」

「えっと……捨ててはいませんが、拾うという話ですか? なら、まるで駄目な大人の坂田さんでしょうか」

「キリ本人ネ」

「それで納得するんだ……」

「あの……真っ当な大人の坂田さんって、それもう別人ですよね?」

 

 銀時は薬の袋を新八へ押しつけた。

 

「悪ぃけど、しばらく二人で見ててくれ。咳が出たら袋に書いてあるとおり薬飲ませろ。酷くなるようなら、すぐ病院だ」

「銀さんはどこへ?」

「原因を探してくる」

 

 成人したキリには、今聞かされたような症状はなかった。

 何が身体と記憶を八歳まで巻き戻したのかは知らない。だが、病気まで当時の状態へ戻っている。

 このまま子どもの姿が続けば、いずれ死ぬ。

 大人になれないかもしれないと医者は言った。

 けれど銀時は、大人になったキリを知っている。

 

「銀さん」

 

 新八の声から、先ほどまでの軽さが消えた。

 

「キリさん、元に戻りますよね」

「戻すんだよ」

 

 銀時はそれだけ答え、万事屋を出た。

 まずは昨日、キリが最後まで普段どおりに過ごしていた職場だ。

 あいつが何を食ったのか、何に触ったのか。片端から洗い出すしかない。

 いつまで子どものままでいられるのかではない。

 いつまでに元へ戻さなければならないのか。

 考えるべきことは、もうそれだけだった。

 

 

 

 

 職場の入り口には『臨時休業』の札が下がっていた。

 中を覗けば、従業員が軒並み子どもの姿になっている。大人用の制服に埋もれて座る者、知らない場所に怯えて泣く者、それを同じくらいの子どもが宥めるという、営業どころではない有様だった。

 事情の分かる責任者を捕まえて話を聞くと、原因は呆気ないほど早く見つかった。

 

「昨日、キリさんにこれを渡したんです。天人のお客さんから沢山いただいて、みんなで分けて……」

 

 責任者が差し出したのは、派手な色をした菓子の包みだった。

 表には丸々と太った天人の子どもが笑っている。裏面に並ぶ細かな注意書きを追うと、隅に小さな地球語が添えられていた。

 

『地球人が摂取した場合、肉体および精神が子どもの状態へ一時的に回帰することがあります。効果時間は摂取後、およそ一日です』

 

「一日……」

 

 銀時は同じ一文を二度読んだ。

 昨夜食べたのなら、遅くとも今夜には戻る。メーカーへ確認を取っても、効果が残り続けた例はないという話だった。

 店は今日に続き、全員の経過を見るため翌日も休業することが決まっていた。

 

 肺も心臓も、八歳だった頃の状態へ戻っただけだ。

 身体が元へ戻れば、病気も再び消える可能性が高い。

 

 全身から力が抜けそうになるのを堪え、銀時は菓子の包みを握り締めた。

 

 

 

 

 万事屋へ戻ると、キリはソファーに腰掛け、両手で湯呑みを持っていた。

 中身は茶ですらなく、ただの白湯らしい。

 

「本当にいらないアルか? 甘くて美味しいネ」

 

 隣では神楽が、皿に盛った饅頭を差し出している。

 

「ありがとうございます。でも、甘い物は控えているので」

「一個ぐらい平気ですよ。薬も飲んだし、少し元気になったでしょう?」

 

 新八にも勧められたが、キリは申し訳なさそうに首を横へ振った。

 

「ガキが菓子ぐらいで遠慮してんじゃねぇよ。一個食ったぐらいで――」

 

 安堵した反動で、いつもの軽口が口をついた。

 キリは湯呑みを膝へ下ろし、静かに銀時を見る。

 

「大人になりたいんです」

 

 続きを失った銀時へ、キリは淡々と話した。

 

「お菓子を食べなければ大人になれる、なんて思ってはいません。でも、身体に悪いことを一つ減らせば、その分だけ長く生きられるかもしれないでしょう。少しでもできることがあるなら、しておきたいんです」

 

 深刻ぶるでもなく、健気に見せようとするでもない。

 毎日薬を飲むのと同じように、キリは白湯へ口をつけた。

 

「……悪ぃ。今のなし」

 

 銀時はあっさり軽口を引っ込めた。

 菓子を飯代わりにして、明日の生活費までパチンコへ突っ込む自分より、よほどこの子どもの方が立派ではないか。

 

「坂田さん?」

「いや。お前はちゃんと大人になるよ」

 

 銀時は握っていた菓子の包みを、三人の前へ置いた。

 

「そいつの効果は一日だ。明日には、俺たちの知ってるでけぇキリに戻る」

 

 新八が大きく息を吐き、神楽が歓声を上げる。

 けれど、キリだけは湯呑みを持ったまま、すぐには言葉を返さなかった。

 

「私が、大人に……?」

 

 信じていいのか分からないような声だった。

 

「なる。少なくとも銀さんは知ってる。面倒臭くて、可愛げがなくて、ガキの頃よりずっと手の掛かるお前をな」

 

「それ、褒めてますか?」

「未来を保証してやってんの。ありがたく聞いときなさい」

 

 キリはしばらく銀時を見つめたあと、湯呑みへ視線を落とした。

 白湯の表面が、小さく揺れていた。

 

「……それにしても、記憶がおかしくないですか?」

 

 新八がふいに口を挟んだ。

 

「どういうことだ?」

「だって変でしょう。キリさんは、この世界へ来てからのことを何も覚えていないんですよね?」

「はい。私が覚えているのは、八歳の時、入院していた病室で眠ったところまでです」

「だったら、どうして僕たちのことを知ってるんですか? さっき、僕と神楽ちゃんの名前を呼びましたよね。銀さんのことだって知ってるようだったし……」

 

 問われたキリは、不思議そうに瞬きをした。

 なぜ知っているのかではなく、どう説明すれば信じてもらえるのかを考えているようだった。

 

「不思議なことに、私がいた世界では、皆さんのことが漫画やアニメになっていたんです」

 

 一瞬、部屋が静まり返った。

 

「……僕たちが?」

「はい。『銀魂』という作品でした。坂田さんや神楽ちゃん、新八さんが万事屋で働いているところも、アニメで見たことがあります」

「待ってください。僕たちの生活、向こうで放送されてたんですか!?」

「そうなるかと思います」

 

 新八が自分の身体を隠すように両腕で抱えた。

 

「どこまで!? どこまで見られてるんですか!?」

「安心しろ。お前の裸なんぞ誰も金払って見たかねぇよ」

「そういう問題じゃないでしょう!」

 

 神楽は別のことが気になったらしく、身を乗り出してキリへ尋ねる。

 

「その漫画、主人公は誰アルか?」

「坂田さんでした」

「私じゃないアルか!?」

「まあ、タイトルからして銀さん以外ありえないよね」

「いや、金◯と一文字違いですよ? そこ誇るとこです?」

 

 三人が騒ぐ中、キリは白湯を一口飲んだ。

 画面の向こうで見ていた人たちが、目の前で同じように言い争っている。

 

 やはり夢なのではないか。

 そう思いながらも、先ほどより少しだけ肩の力が抜けていた。

 

「そういえば、キリさんって、たまに予言じみたことを言ってましたよね」

 

 新八が、何かを思い出したように呟いた。

 

「予言?」

「その時は何を言ってるのか分からないんです。でも、あとから考えると、これから起こることを知っていたみたいに思えることが何度かあって」

 

 銀時にも心当たりがあった。

 股間にミミズ(なん)(そう)が出ている。唐突に告げられた、意味の分からない言葉。その後に起きたことまで思い出し、嫌そうに眉を寄せる。

 新八も、妖刀に気をつけろという曖昧な忠告を思い返しているのだろう。神楽も「あったアルな」と小さく頷いた。

 

「もしかして、あれって……アニメで見ていたから?」

 

 新八は最後まで断定せず、銀時と神楽へ視線を向けた。

 

「……そういうことかもな」

「未来が見えてたんじゃなくて、知ってたということアルか」

 

 三人のあいだで、それぞれ別の記憶が一本の線へ繋がっていく。

 キリだけが話についていけず、湯呑みを持ったまま三人の顔を順に見た。

 

「大人の私は、何かお伝えしたんですか?」

「いや。大したことじゃねぇよ」

 

 ――だから、松陽を連れてきたのか。

 

 唐突に、そこへ行き着いた。

 キリは、松陽が誰なのかを知っていた。銀時とのあいだに何があり、その不在が何を残したのかも。それなら、松陽を過去から連れ帰ったのは、偶然でも成り行きでもない。

 その先にある答えまで拾い上げる気にはなれず、銀時はそれ以上を口にしなかった。

 どれも、答えをそのまま渡すような言い方ではなかった。大人のキリがわざわざ曖昧にしていたのなら、今のキリから詳しい事情を聞き出すことでもない。

 

「ただ、でけぇお前の意味分かんねぇ言動が、一個だけ解決したって話」

「一個だけなんですか?」

「一個解決したぐらいで全部分かるなら、誰も苦労してねぇんだよ」

 

 キリは納得したような、していないような顔で白湯へ口をつけた。

 

 

 

 

 それから、新八と神楽は何かとキリの世話を焼こうとした。

 だが実際には、焼くことすら許されなかった。

 

「膝掛けを一枚、お借りしてもよろしいですか」

 

 新八が持ってくると、礼を言って受け取り、自分で膝へ掛ける。

 

「それから、湯はどこで、どう沸かすのでしょうか」

「なくなったら私が入れてくるアル」

「ありがとうございます。でも、次に必要になった時、自分でもできるように教えていただけますか」

 

 神楽に台所へ案内してもらい、水の場所とやかんの使い方、火の点け方まで一つずつ確かめる。浴衣の裾を踏みそうになって新八が手を伸ばせば、その手にも「大丈夫です」と頭を下げた。

 

 部屋へ戻ると、今度は病院でもらった薬を指した。

 

「薬はここに置かせてください。説明は私も確認しておきますが、念のため、お二人にも目を通しておいていただけますか。何かあった時のために」

 

 キリは袋の説明を自分で読み、次に飲む時刻と一度の量、薬を飲んでも咳が続いた時にはどうするのかを確かめる。それから新八へ袋を差し出し、同じ箇所を指しながら一つずつ説明した。

 自分で対処できなくなった時に備えて、対応できる人間を作っておくつもりなのだろう。

 いつ体調が崩れても、まずは自分一人で対処できるように。それでも無理な時には、周囲が迷わず動けるように。新八と神楽が手を出すより先に、必要になるものも、その使い方も、すべて確かめてしまう。

 

「お前ら、世話焼く隙が一個もねぇな」

 

 とうとう銀時が呆れて口を挟んだ。

 

「キリさん、僕たちが何かする前に、一人でできる準備を全部済ませちゃうんですよ」

「世話を焼く前に、明日の分まで自分で世話してるネ」

「色々と教えていただけて助かりました。ありがとうございます」

 

 礼は言う。けれど、世話そのものを委ねる気はないらしい。

 銀時は鼻をほじりながら、ソファーの背へ身体を預けた。

 

「お前、なんでそこまで一人でやろうとすんの」

 

 キリは銀時を見たあと、新八と神楽へ視線を移した。

 

「手を貸してくださることはありがたいのですが、私は不器用なので、一人でもできるように、練習しておきたいんです」

 

 意地を張っているわけでも、強がっているわけでもない。

 ただ、二人の親切まで否定してしまわないよう、言葉を選んで説明していた。

 

「誰かに少しぐらい頼ったっていいんじゃねぇのか?」

「そうできたら嬉しいですが、いつもそうできるとは限りませんので」

 

 できるだけ柔らかな言葉で包んでも、その前提は変わらない。誰かはいずれいなくなるものとして、初めから一人でできるように備えているのだ。

 

「病院の方は、治療に必要なことをしてくださいます。だから、それ以外のことは、なるべく自分でできるようにしておきたいんです。せっかく親切にしてくださっているのに、すみません」

 

 最後に、小さく頭を下げる。

 こういう話をすれば、大人がどんな顔をするのか、キリは嫌というほど知っていた。生意気に聞こえないように。必要以上に悲しい話に聞こえないように。できるだけ穏やかな言葉を選んでいた。

 

 必要な治療は受ける。食事も薬も、与えられたものは自分で管理する。

 けれど、誰かが毛布を掛け、白湯を入れ、転ばないよう手を伸ばしてくれるのは断る。

 それはこの子にとって遠慮でも自立でもなく、一人で生き残るための備えだった。

 新八は何も言えなくなり、神楽も差し出しかけていた手をゆっくりと下ろした。

 

「お前、ずっと一人だったのか」

 

 銀時の問いに、キリは少し考えてから首を横へ振った。

 

「病院には、先生や看護師さんがいます。メンタルケアをしてくださるカウンセラーの方も、ちゃんといますよ」

 

 それは、一人ではないという答えにはなっていなかった。

 

「……そうかよ」

 

 銀時はそれ以上、世話になれとは言えなかった。

 今ここで手を貸すだけなら簡単だ。だが、キリが備えているのは、次に一人で体調を崩した時のことだった。今日一日世話を焼いたところで、明日から一人で生きなくていい理由にはならない。

 

「お前は、そうやって生きてきたんだな」

 

 明日も誰かを頼ればいいなどと、無責任なことはもう言えなかった。

 その生き方が正しいとは言いたくない。それでも、八歳のキリが自分で考え、今日まで命をつないできたことは認めずにいられなかった。

 銀時はしばらく黙ったあと、ようやく口を開いた。

 

「……凄いな、お前」

 

 キリは意外そうに目を瞬いた。

 

「ありがとうございます」

 

 少し戸惑いながらも、丁寧に頭を下げた。

 

「そ、そういえば!」

 

 新八が空気を切り替えるように、わざと明るい声を出した。

 

「さっき、僕たちのことをアニメや漫画で見てたって言ってましたよね。好きなキャラクターとかいたんですか?」

 

 突然話を向けられ、キリは目を瞬かせた。

 

「キャラクター、ですか」

「今は本人が目の前にいるから、言い方は変かもしれませんけど」

 

 キリは湯呑みの縁へ視線を落とした。

 指先でなぞるように触れ、少し恥ずかしそうに目を伏せる。

 

「……白夜叉、です」

 

 銀時の口角が見る間に上がった。

 

「へぇ。お前、ガキの頃から見る目あんじゃねぇの」

「違いますよ?」

 

 嬉しそうな銀時へ、キリは不機嫌そうに眉を寄せた。

 

「何が?」

「貴方は坂田銀時でしょう?」

「俺だろうが。白夜叉も銀さんも同じ人だから」

「私にとっては違います」

 

 先ほどまでの恥じらいはどこへやら、きっぱりとした返事だった。

 銀時の口元から笑みが消える。

 

「じゃ、じゃあ、その次に好きなキャラクターは誰なんですか? 白夜叉が一番だったら、もちろん次は……」

 

 空気を読んだ新八が、話題をずらそうと尋ねた。

 

「高杉晋助です」

 

 今度の返事には、迷いも恥じらいもなかった。

 銀時の眉間に皺が寄る。

 

「新八君。お前、空気読んだつもりで一番聞いちゃいけないこと聞いたよ」

「すみません! こんな追い打ちになると思わなくて!」

「銀ちゃん、高杉にも負けてるアル」

「負けてねぇよ。最終的にでけぇキリが選んだのは銀さんだから」

 

「何の話ですか?」

 

 キリに尋ねられ、銀時は口を閉じた。

 現在のキリと付き合っていることを、八歳の本人へ説明する勇気まではない。

 

「こっちの話。ガキは知らなくていいやつ」

 

 現在のキリと付き合っているのは銀時だ。高杉ではない。

 それでも、八歳のキリの中で高杉に先を越されているという事実は、なんとなく面白くなかった。

 

 新八が変えようとした空気は少しだけ軽くなり、代わりに銀時の機嫌だけが悪くなった。

 

 

 

 

 日が暮れる頃には、キリの返事が目に見えて遅くなっていた。

 知らない場所で目を覚まし、咳を抱えたまま病院へ行き、見知らぬ人間に囲まれて話をした。小さな身体には、一日分どころではない負担だったのだろう。

 

「すみません。お布団をお借りしてもいいでしょうか」

 

 自分から何かを頼んだのは、それが初めてだった。

 

「おう。最初からそう言やいいんだよ」

 

 銀時が押し入れへ手を掛けるより早く、新八と神楽が布団を引っ張り出した。

 キリは手伝おうとしたが、立ち上がった途端に咳き込み、今度ばかりは大人しく二人へ任せた。

 

「ありがとうございます」

 

 敷かれた布団へ入り、胸元まで掛け布団を引き上げる。

 横になって間もなく瞼が落ちた。余程疲れていたのか、呼吸はすぐに寝息へ変わった。

 

 けれど、眠りは長く続かなかった。

 

「……っ、こほっ」

 

 小さな咳が漏れるたび、キリの目が薄く開く。

 身体を横へ向け、息を整え、再び目を閉じる。眠りへ落ちたと思えば、また咳に引き上げられる。

 

 その繰り返しだった。

 

 完全に目を覚ましているわけではない。

 夢と現実の境をうつらうつらと漂いながら、それでも咳をするたびに身体だけが律儀に起きる。

 

 銀時はソファーへ座ったまま、その様子を見ていた。

 

「……こいつ、ずっとこうだったのか」

 

 誰に聞かせるでもなく、言葉が漏れた。

 病院の夜を、こうして何度も咳に起こされながら過ごしてきたのだろうか。眠れないことにも、苦しいことにも、そのたび一人で息を整えることにも慣れてしまったのか。

 

 机の上には、職場から持ち帰った菓子の包みが置かれている。

 効果はおよそ一日。残り続けた例はない。

 何度読んでも同じことしか書かれていない注意書きを、銀時はまた手に取った。

 

「一日で戻るんですよね?」

 

 声を潜め、新八が尋ねる。

 

「確認したし、ここにもそう書かれてる」

「なら、大丈夫ですよ」

「分かってるよ」

 

 返事が少し尖った。

 分かっているのに、咳が聞こえるたび視線が布団へ戻る。胸が上下していることを確かめてからでなければ、目を離せなかった。

 

 自分でも神経質になっているのが分かった。

 いつものキリに戻れば、この病も消えるだろう。そう言い聞かせても、医師の「このまま進めば、あと十年ほどで命に関わる状態になる可能性があります」という声が、頭の中にしつこく残っていた。

 

 また一つ、小さな咳が聞こえた。

 銀時は菓子の包みを握ったまま、眠れずにいるキリを見つめていた。

 

 

 

 

「……お水、いただけますか」

 

 掠れた声がして、銀時は顔を上げた。

 キリが布団へ片手をつき、身体を起こそうとしている。けれど腕にうまく力が入らないらしく、肘が小さく震えていた。

 

「無理すんな」

 

 銀時は傍へ寄り、背中へ腕を差し入れた。

 肩を支えてゆっくり起こすと、キリは一瞬だけ身を強張らせたが、断るだけの力も残っていないのか、大人しく身体を預けた。

 

「すみません」

「こういう時ぐらい謝らず世話されとけ」

 

 枕元に置いてあった湯呑みを取り、口元へ運ぶ。

 キリは両手を添え、少しずつ水を飲んだ。何度か喉を鳴らしてから、細く息を吐く。

 

 銀時はそのまま背を支えていた。

 今手を離せば、布団へ倒れ込みそうだった。

 

「なぁ」

「はい」

「お前、大人になったら、なりたいものとかあんの?」

 

 キリは湯呑みを見つめたまま、すぐには答えなかった。

 

「……大人には、なれないかもしれません」

 

 昼間は、大人になりたいと言い切っていた。

 そのために菓子を断り、できることは何でもすると話していた。

 けれど、眠気と疲労で取り繕う力を失った声には、普段は押し込めている不安が滲んでいた。

 

「なれるよ。ちゃんとな」

 

 銀時は間を置かずに答えた。

 

「銀さんは知ってるから。お前がちゃんと大人になったこと」

 

 キリはゆっくり顔を上げ、銀時を見る。

 熱の残る目が、本当に信じてもいいのかと確かめるように揺れていた。

 

「……それなら」

「おう」

「プリンが食べたいです」

 

 銀時は一度瞬きをした。

 

「プリンな」

「大人になれたら、食べてみたいんです。一つ、全部」

 

 ずっと菓子を控えてきたキリにとっては、それすら大人になった先にしか置けない願いなのだろう。

 

「じゃあ戻ったら、プリン食おうぜ」

「一つ、まるまる食べてもいいですか?」

「いいぜ。銀さんが買ってやるよ」

 

 キリは僅かに口元を緩めた。

 

「楽しみにしています」

 

 銀時は空になった湯呑みを置き、キリの身体を再び布団へ横たえた。

 掛け布団を胸元まで引き上げると、今度は拒まれなかった。

 

 

 

 

 翌朝、キリが目を覚ますと、見慣れた万事屋の天井があった。

 

 身体が重い。

 一日中寝込んだあとのような倦怠感があった。しかし、風邪というわけでもなさそうだった。

 昨夜の記憶を探っても、帰宅し、職場でもらった菓子を食べたあたりから先が綺麗に抜け落ちている。

 なぜ万事屋の布団で寝ているのか。身体を起こし、寝乱れた浴衣の合わせを直す。

 

「戻ったか」

 

 声のした方を見る。

 ソファーには銀時が座っていた。いつもの気の抜けた顔だったが、ほとんど眠っていないのか、目の下には薄く影ができている。

 

「おはよう。私、なんでここに?」

 

 銀時はキリの顔をしばらく見たあと、肺の辺りへ視線を落とした。

 

「咳は」

「咳? 別に出ないけど」

「息苦しくねぇ?」

「うん。大丈夫」

 

 答えると、銀時の肩から目に見えて力が抜けた。

 

「……良かった」

 

 短い言葉だった。

 けれど、本当にそれだけを待っていたのだと分かる声だった。

 

「何があったの?」

「お前、昨日一日、八歳児に戻ってたの」

「……はい?」

 

 職場でもらった天人用の菓子を食べたこと。

 同じ菓子を食べた職場の人間も、揃って子どもの姿へ戻っていたこと。

 身体だけでなく、記憶も八歳まで戻っていたこと。

 自宅へ掛けたつもりの電話が万事屋へ繋がり、薬を欲しがっていたため病院へ連れて行ったこと。

 銀時は順を追って説明した。

 

「病気まで昔の状態に戻ってた。医者から、肺と心臓が少しずつ動かなくなる病気だって聞いた」

「ああ……」

 

 ようやく話が繋がり、小さく声が漏れた。

 

「お前、そんな話、一度もしてなかったよな」

「今は治ってるから。わざわざ同情を引く必要もないでしょう?」

「そういう気持ちは分かるけどよ。俺は、知っときたかったよ」

 

 キリは返事をせず、銀時もそれ以上は続けなかった。

 

「とりあえず今日は休め。職場も今日まで休業だ」

「みんなは元に戻ったの?」

「多分な。念のため休みにしただけだとよ。だから安心して寝てろ。あと、着替えは昨日、神楽にお前んちから取ってきてもらってある。そこの袋な」

 

 銀時が部屋の隅を指す。見覚えのある手提げ袋が置かれていた。

 

「ありがとう。先に着替えてもいい?」

「どーぞ。外出てっから、終わったら呼べ」

 

 銀時が襖を閉めてから袋を開くと、着替えが一式入っていた。

 浴衣から、持ってきてもらった洋服へ着替える。直前に聞いた話のせいか、それでようやく自分の身体へ戻ってきたような気がした。

 

「銀さん、終わったよ」

 

 声を掛けると、銀時が襖を開けて戻ってきた。その後ろから、神楽と新八まで部屋へ入ってくる。

 

「きーやん、戻ったアルか!」

「キリさん、気分はどうですか?」

 

 神楽はすかさずキリの隣へ腰を下ろし、新八は朝食を載せた盆を抱えて入ってきた。

 

「大丈夫だよ。もう何ともない」

「よかった。念のため、布団でも食べられるように朝食を用意したんですけど、ここで食べますか?」

「あ、いや。そこまでは大丈夫。でも、ありがとう」

 

 キリが布団を出ると、新八は盆をローテーブルへ運び、神楽は湯呑みと急須を並べた。

 

「お茶も用意したネ」

「至れり尽くせりだね」

「昨日のキリさん、全部自分でやっちゃうんで、こう……手を出したくなってしまったというか」

「きーやんでストレス発散アル」

 

 キリが銀時を見ると、ソファーへ戻った銀時は小さく頷いた。

 

「食えるなら食っとけ。昨日ほとんど食ってねぇだろ」

 

 礼を言って、箸を取る。

 すぐに神楽が嬉しそうに笑い、新八も安心したように息をついた。

 

 何があったのか、まだ実感はなかった。

 けれど、三人がどれだけ心配していたのかだけは、嫌でも伝わってきた。

 八歳の頃の自分を思い返す。

 病院で決められたことは素直に受け入れるくせに、それ以外では誰の手も借りようとしなかった。次に一人で体調を崩した時にも困らないよう、自分でできることを手放すまいとしていた。

 

「八歳の私、可愛くないガキだったでしょう。ごめんね」

 

 キリが謝ると、新八と神楽は顔を見合わせた。

 

「可愛くなかったわけじゃないですよ。ただ、全然世話を焼かせてくれませんでしたけど」

「可愛げはなかったけど、可愛かったアル」

「それ、褒めてる?」

「もちろんネ」

 

 神楽は胸を張って答えた。

 

「まあ、可愛くねぇのは今も大して変わんねぇけどな」

「そうかなぁー。まぁそんなキリさんを銀さんは好きなわけで?」

 

 そこまで言って、キリは俯き気味にお茶を一口飲んだ。

 

「お前、自分で言ってて赤くなってんなよ」

「うっさい」

 

 新八と神楽が笑う中、キリもつられて小さく笑った。

 

「そういえば、きーやんは白夜叉が好きだったアルか?」

 

 神楽が何気なく尋ねた。

 飲みかけた茶が気管に入り、キリは盛大にむせた。

 

「な、なんの話?」

「ちっちゃいきーやんが言ってたネ。好きなキャラクターは白夜叉だって」

「待って!? 私、どこまで話したの?」

「僕らのことを漫画やアニメで見てたって。それで好きなキャラクターの話を振ったら、白夜叉って答えてました」

「言ってたアル」

 

 神楽が念を押すように頷く。新八は気まずそうに眼鏡の位置を直していた。

 昨日の自分が、いったいどこまで喋ったのか。脂汗をかきながらキリは湯呑を置き、三人の顔を順に見た。

 

「それから、銀ちゃんより高杉の方が好きって言って、銀ちゃんがへこんでたアル」

「いや、ちょっと。私、そんなことまで言ったの?」

「正確には少し違いますよ」

 

 新八が訂正に入ったので、キリは僅かに安堵した。

 

「一番好きなのが白夜叉で、その次が高杉さんって言ってました。銀さんが『白夜叉も銀さんも同じ人だ』と言ったら、『私にとっては違います』って」

 

 訂正の方が酷かった。

 

「白夜叉と坂田銀時は違うって、どういうことですか?」

 

 純粋に疑問らしく、新八が首を傾ける。

 キリは助けを求めるように銀時を見た。銀時は茶を飲みながら、いかにも続きを待っていますという顔をしている。

 

「その……八歳の子どもの話だからね? 同じ人だとは分かってたけど、別枠で見てたと言うか、まあ、そんな感じで」

「じゃあ銀ちゃんは何位アルか?」

「それはその……まあ順位じゃないというか」

「圏外ですか?」

「いや、それもちがうというか」

「じゃあ、どういうふうに見てたんですか?」

「それは……今、うまく説明できない」

 

 言葉を探すほど、何を告白させられているのだろうという気持ちになってくる。

 

「八歳の頃の話だから。今は違うよ!」

「今は?」

 

 逃げ道を塞ぐように銀時が聞き返した。

 

「……今は、銀さんが好きだよ。これでいい?」

 

 言い終えるなり、キリは両手で顔を覆った。

 

「最初からそう言やいいんだよ」

「言わせたんでしょう!?」

 

 朝食の席に笑い声が上がるなか、キリはしばらく顔を上げられなかった。

 

 

 

 

 朝食を終えると、新八と神楽は足りなくなった日用品を買いに出かけた。

 玄関が閉まり、賑やかな二人の声が階段の下へ遠ざかっていく。

 万事屋に二人だけになると、銀時はソファーを離れ、キリの傍らへ腰を下ろした。

 

「なぁ」

「なに?」

 

 先ほどまでと違い、声が低かった。

 

「昨日のお前、家に電話したら、なんか知らねぇけどこっちに繋がったみたいでよ」

「あー、なるほど」

「薬が要るっつってんのに居場所も言わねぇ。なんで八歳のガキが、あそこまで捻くれてんだよ」

 

 問いかけというより、説明しろという声だった。

 キリは湯呑みの中へ視線を落とした。少し考えてから、それを両手で包み直した。

 

「七歳の頃に、病院へ預けられたから」

「病気だったからか?」

「それもあるよ。でも、家に置いておくと揉めるから」

 

 銀時の眉間に皺が寄った。

 短い言葉では納得しない顔をしている。

 

「母方が、古い財閥の流れを汲む家だったの。跡継ぎにうるさくてね。父は入り婿で立場が弱かった。祖母は男の子を産めなかったことをずっと気にしていて、母は家を繋ぐことが自分の役目だと教え込まれて育った」

「それで、弟が跡継ぎだったのか」

「うん」

 

 弟がいたことと、その弟が死んだことまでは、以前、偶然耳にしていた。

 けれど、その前後をキリ本人の口から聞くのは初めてだった。

 

「父が、弟にザリガニ釣りを教えたんだ。私がザリガニを見たいと言って、弟が捕まえに行ってくれた。大雨の次の日だったけど、母は出ていく弟を止めなかった」

 

 増水した川で、弟は溺れて死んだ。

 銀時は口を挟まず、続きを待っている。

 

「皆が、私が見たいなんて言わなければ弟は死ななかったと責めた。母も責められた。家を繋ぐために育てられて、ようやく産んだ跡継ぎを失くしたから。母はだんだんおかしくなって、最後には『お前なんか生まれなければよかった』と言って、私の首を絞めた。途中で意識を失って、次に目を覚ました時、母は目の前の鴨居に縄を掛けて、首を吊って死んでた」

 

 お前なんか生まれなければよかった。

 以前聞いた言葉と、母親に殺されかけたという話。その先にあった母親の死までが、銀時の中でようやく一つに繋がった。

 

「私は死ななかった。そのあとも私がいると、誰が悪いという話が終わらなかったから、病院へ預けられた。治療が必要だったのも本当だし、家に置いておくより都合が良かったんだと思う」

「それから、ずっと一人か」

「病院の人はいたよ」

「そういうこと聞いてんじゃねぇよ」

「……家族は、ほとんど来なかった」

 

 銀時は何かを言いかけ、一度口を閉じた。

 

「お前、昔の記憶はほとんどねぇんだろ」

「うん」

「なんで、そんなもんだけ覚えてるんだよ」

 

 キリは少し考え、両手で包んだ湯呑みへ視線を落とした。

 

「きっと、大事なことだから手放せなかったんじゃないかな」

 

 銀時は深く息を吐いた。怒鳴り出したいのを、どうにか喉の奥へ押し戻したような息だった。

 

「七歳のガキが、ザリガニ見てぇって言っただけだろ」

「うん。それだけだよ。だから、全部私のせいだというのは違うって、ちゃんと分かってる」

 

 キリは迷わず答えた。

 

「でも、私の言葉がきっかけの一つだったことまで、なかったことにはしたくない。父が釣りを教えたことも、母が止めなかったことも、弟が川へ行ったことも、それぞれにその人の分がある。全部を私が背負うのも、何も背負わないのも違うと思ってる」

 

 誰かに押しつけられた言葉を、今も信じ込んでいるわけではない。

 銀時はそれを知り、僅かに肩の力を抜いた。

 

「包丁一本で、きっちり三十度測ってケーキを切り取るみたいなもので、正確には無理だけどね。それでも、自分の分だけ切り取るようにはしてるよ」

「罪をケーキに例える奴、初めて見たわ」

「分かりやすいでしょう?」

「不味そうだけどな」

 

 銀時はそれ以上、キリの取り分へ口を出さなかった。

 代わりに、先ほどから聞こうとしていたことを改めて口にする。

 

「お前、病気は本当に大丈夫なのか?」

 

 キリは銀時の顔を見た。

 昨日の八歳の自分ではなく、今ここにいるキリへ、改めて確かめているのだと分かった。

 

「大丈夫だよ」

「ほんとか?」

「ここへ来る時の話、したでしょう」

 

 銀時は僅かに眉を寄せた。

 

「病室へ戻って、ベッドにいた過去の私を見つけた話。あの時、私が身体を治してから、こっちの世界へ送り出したの」

 

 死ぬ直前の自分へ触れ、服を替え、身体を治し、あの日の川辺へ流した。

 今ここにいるキリは、その時送り出された方だ。

 

「だから、この身体にあの病気は残ってない。もう咳も出ないし、心臓も肺もちゃんと動いてる。心配しなくて大丈夫」

 

 ようやく納得したのか、銀時は小さく息を吐いた。

 それでも、昨日一日で染みついた不安までは抜けきらないらしく、キリの胸元へ一度視線を落とす。

 

「じゃあ結局、お前は大人になれたんだな」

 

 キリは少しだけ目を見開いた。

 

「……そうだね」

 

 肯定しながら、微妙な表情を浮かべる。

 笑おうとしたようにも、困ったようにも見えた。

 

「どうした?」

「何度か、余命宣告を受けてたから」

 

 キリは自分の胸元へ視線を落とした。

 

「大人になるまでは生きられないって、何度も言われてた。実際には成人する年齢まで生きたけど、一度も退院はできなかったし、最後はあの病室で死にかけてたでしょう。だから、大人になれたって言われると、少し変な感じがするだけ」

 

 銀時は何も言わなかった。

 キリはその沈黙を心配と受け取ったらしく、すぐに言葉を足す。

 

「まあ、でも今は大丈夫だよ。病気も治ってるし、外を歩けるし、仕事だってできてる。銀さんたちにも会えたでしょう?」

「……そうだな」

 

 年齢だけなら、大人にはなった。

 けれど一度も病院を出ることなく、死にかけた身体のまま辿り着いた先を、キリは素直に「大人になれた」とは呼べずにいた。

 

 銀時は、昨夜の会話を思い出した。

 大人になったら、なりたいものはあるのか。

 そう聞いた銀時へ、八歳のキリはプリンが食べたいと答えた。

 質問を取り違えたわけではなかったのだ。

 大人になって何の仕事をしたいか。どこで、誰と、どんなふうに暮らしたいか。そんな未来は、キリにとって想像するだけの現実味すらなかった。

 

 病院を出ることも、何も気にせず菓子を一つ食べることもできない。

 だから、大人になった先へ置けた夢が、プリン一つだった。

 その意味を、銀時はようやく理解した。

 

 そんなガキが、自分の罪を切り分け、背負って生きていく。それはどういうことだ、と銀時は思った。

 せめて一人くらい、こいつの隣にいてくれ。そう祈るような思いで尋ねた。

 

「なあ、お前の隣には本当に誰もいなかったのか。ケーキを一緒に切ってくれるような奴は、誰もいなかったのか?」

「いたよ」

 

 救われた思いがした。

 キリは湯呑みから目を上げ、銀時を見た。

 

「銀さんがいたよ」

「どういう」

 

 意味だよと最後まで続けられなかった。

 

「アニメや漫画越しだったけど、銀さんがいたんだ。銀さんが教えてくれたよ。必要以上に背負わないこと。背負うべきものを投げ出さないこと。諦めてもいいこと。諦めないでいること。間違えても生き続けること。情けなく、自堕落でもいい、それでも生きること。そういうこと全部」

 

 んなもん教えたつもりはねぇ、という叫びは、何かに邪魔をされ、音にはならなかった。

 

「私にとって坂田銀時はそういう人だった。好きとか嫌いとかじゃなくさ」

「……ずりぃだろ。順位ちゃんとつけろよ」

「ランク外です」

 

 途方に暮れたような銀時の顔がおかしくて、キリは少しだけ笑った。

 銀時は一度顔を覆い、気を取り直すように深く息を吐いた。

 

「つーか、お前、こんなベラベラ自分のこと話す奴じゃねぇだろ」

「私だけが銀さんのことを一方的に知ってたって、知られちゃったからね」

「だからって、帳尻合わせみてぇに話すの」

「聞かれたことしか話してないよ」

「……そうでしたね」

 

 会話を思い返して、銀時は口を閉じた。

 そのまま立ち上がった。

 

「どこ行くの?」

「プリン買ってくる」

「急だね」

「銀さんが食いたくなったの。お前も食うだろ」

「まあ、食べるけど」

「じゃ、一個な」

 

 昨日の記憶を持たないキリは不思議そうにしていたが、銀時はそれ以上説明せず、財布を掴んだ。

 

 銀時が買ってきたプリンは、きっちり四つあった。

 買い物から戻った新八と神楽を交え、四人で食べた。

 キリは約束など知らないまま、一つまるまる綺麗に食べ切った。

 

 

 

 

 それから数日後、夜も少し更けた頃、銀時はかすかに酒の匂いをさせて、キリの部屋を訪ねてきた。

 酔っているようには見えない。引っかけても、一杯か二杯程度だろう。

 

「珍しいね」

「まぁな」

 

 迎い入れたキリはお茶を淹れローテーブルにおいた。 

 普段なら、どうでもいいことをべらべら喋るか、勝手に菓子でもつまんでいるのに、今日は茶を飲み終えても、空になった湯呑みを弄っているだけだった。

 

「銀さん、今日変だよ」

「失礼な。いつも通りだよ」

「何かあった?」

 

 銀時は答えず、湯呑みを一度ローテーブルへ置いた。

 また持ち上げ、指先で意味もなく回してから、元の場所へ戻した。

 

「お前さぁ」

「うん」

「やめてくんねぇかな」

 

 責めているようにも、途方に暮れているようにも聞こえた。

 

「何を?」

「俺見て、どう生きるか考えてたってやつ。ああいうの、やめてくんない? 銀さん、あれからずっと面倒くせぇことになってんだけど」

 

 あの時は割と堂々と言えたはずなのに、時間を置いて銀時の口から返されると、今さら羞恥が込み上げ、キリは両手で顔を覆った。

 

「ごめん」

「謝れっつってんじゃねぇよ」

「じゃあ忘れて」

「忘れられたら、こんな面倒くせぇことになってねぇよ」

 

 吐き捨てるように言い、銀時は片膝を立てた。そこへ額を預け、顔を伏せる。

 

「俺は自分のやったことを、今更正しかったことにする気はねぇの。間違えたことも、護れなかったもんも、なかったことにはできねぇし、自分の分くらいはこの先も持ってく」

 

 くぐもった声が、途切れながら続く。

 

「ただ、それに意味なんかなくてよかったんだよ。死に損なって、仕方ねぇから生きてる。それで済んでたの」

 

 キリは顔から手を下ろした。

 銀時はまだこちらを見なかった。

 

「なのに、ガキん頃のお前が俺見て、生き方考えてたとか言うから。俺がここまで生きてたことに、意味があったみてぇになるだろうが」

 

 銀時の指が、膝の布を強く掴んだ。

 

「ガキだった癖に俺見て、自分がどう生きるか考えてたなんて、今さら本人に教えんなよ。そんなこと言われたら、自分の人生だからって、もう勝手に投げ出せなくなるだろ」

 

 キリは何も言わなかった。

 言葉を挟めば、銀時が二度と続きを口にしない気がした。

 

「俺が生きてたから、ガキのお前はどう生きるか考えたんだろ。だったら俺が、ここまで生きたことなんざ何の意味もなかったって投げ出したら、お前がそこから見つけたものまで否定することになる」

 

 銀時がようやく顔を上げた。

 眉間には深く皺が寄り、怒っているような顔をしていた。

 

 キリはローテーブルの向こうへ手を伸ばし、銀時の手に触れた。

 振り払われなかったので、そのまま握る。

 

「今、ここにいてよかったって思う?」

「直接聞くなよ。今ので分かれよ」

「銀さんの口から聞きたい」

 

 銀時はひどく嫌そうに顔を歪めた。

 長く息を吐き、握られた手へ視線を落とす。

 

「……生きててよかったかもしれねぇって、思っちまうよ」

 

 絞り出すような声だった。

 

「それに、この先もって期待しちまうんだよ。面倒臭ぇことに」

 

 キリがその手を少し強く握ると、銀時も指を絡めるように握り返した。

 

「そっか」

「そっかじゃねぇよ」

「でも、聞けてよかった」

「こっちはよくねぇ」

 

 そう言いながらも、銀時は手を離さなかった。

 

「プリン、食べる?」

「……食う」

「一個だけあるよ」

「二個買っとけよ、そこは」

「半分こする?」

「多い方、俺の」

 

 ようやく、いつもの調子が少しだけ戻った。

 

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