翌朝、差し込む光でキリは目を覚ました。
身体を確かめる。袖から覗く腕も、布団の中で持ち上げた脚も、昨日と変わらない。まだ十四歳のままだった。
枕元には、昨夜持ち帰った空の湯呑みがある。
咳はまだ残っていたが、夜中ほど苦しくはない。キリはゆっくりと身体を起こし、湯呑みを持って襖を開けた。
銀時はソファーに横になり、顔にジャンプを載せていた。
居間を抜け、廊下の先の台所へ向かおうとすると、雑誌の下から声がする。
「おはようさん」
「おはようございます。寝なかったんですね」
「寝ましたよ。ぐっすりです」
「嘘でしょう。あんなことがあって、貴方が寝られるわけないでしょう。安眠を妨げて、すみませんでした」
銀時はジャンプの下で顔を顰めた。
「お前、謝罪の形にすりゃ何言ってもいいと思ってるだろ」
「謝らない方がよかったですか?」
「そういう話でもねぇんだよ」
「やめませんか? 貴方と喧嘩するのは疲れます」
「そうだな」
「そうしてください」
台所で湯呑みを洗い、新しくお湯を沸かしているところで神楽が起きてきた。
「おはようヨー」
「おはようございます」
戸棚から大型犬用のドッグフードを取り出す神楽を見て、キリの視線がその袋へ留まった。
「定春君のごはんですか?」
「そうアル。きーやんも一緒にあげるアルか?」
「いいんですか?」
「もちろん」
キリはお湯が沸いたのを確認し、火を止める。
「重いから気をつけるアルヨ」
「わっ、おもっ」
「やっぱり一緒に持つネ」
神楽は袋の片側を持ったまま、もう一方をキリへ渡した。
それでも予想以上の重さに身体が傾き、神楽がすかさず支える。
二人で袋を運んでいくと、ご飯をもらえると察した定春が、おすわりをしたまま尻尾を振って待っていた。
「定春、ご飯ですよー。待てアルヨー」
ざらざらと、定春の体格に見合った大きな餌皿へ、ドッグフードを注いでいく。
神楽が袋の口を持ち、キリが後ろから底を支える形だ。神楽一人でも難なくできるのだろうが、一緒にあげることにこだわった結果だった。
「偉いね、ちゃんと待てて」
完全に準備が整うまで、涎を垂らしつつも定春は座った姿勢を崩さなかった。
「ヨシ。食べていいアル」
神楽の号令で、定春は餌へ勢いよく食らいついた。その間に、神楽は汚れたペットシートや、その下に敷いた新聞紙を片付ける。
キリもゴミ袋を持ち、その作業を手伝う。
ごちそうさまの代わりに一声鳴いた定春を、神楽はいい子だと撫で回した。
「私も触っていいですか?」
「定春、きーやんが触りたいって。いつもみたいに抱きついたら駄目アルよ? 今日のきーやんはちょっと弱っちいネ、わかるアルか?」
返事をするように、定春がきゃうんと鳴いた。
「いい子アル」
キリが恐る恐る手を伸ばすと、定春はその指先をぺろりと舐めた。
「くすぐったい」
そのまま頭を撫でると、定春は飛びつくのを我慢する代わりに、尻尾だけを忙しなくぱたぱたと振った。
ひとしきり撫で回したところで、神楽はリードの準備をした。朝の散歩に行くらしい。
「一緒に行くアルか?」
「ごめんね、少し体調が良くないみたいで」
昨夜、ろくに眠れなかったのはキリも同じだった。無理をした所為か、どうも身体が重い。
断ると、神楽は少し残念そうな顔をした。それでも、「じゃあ、行ってくるアル」と傘を片手に定春を連れ、元気よく飛び出していった。
台所へ戻り、手を洗う。沸かしておいた湯は、ちょうど飲みやすい温度まで冷めていた。湯呑みに注ぎ、その場でゆっくりと飲み干す。
使った湯呑みを洗い、水切り籠へ伏せてから和室へ戻った。
再び布団へ入ると、疲れもあってか、ようやく眠気が戻ってきた。
人の話し声で、キリは再び目を覚ました。
いつの間にか新八が来ていたらしい。神楽も散歩から戻っており、襖の向こうから三人分の声と、食器を並べる音が聞こえる。
身体を起こすと、早朝より倦怠感が増していた。熱が出たようだ。手足が妙に重い。
襖を開けると、真っ先に新八が振り返った。
「おはようございます。よく眠れましたか?」
「少しだけ。新八さんも来てたんですね」
「はい。ちょうど朝ご飯にするところです。キリさんも食べますか?」
食べ物を受けつける気はしなかった。
「いえ。薬だけ飲んで、もう少し寝ようと思います」
そう答えると、食卓へ茶碗を運んでいた銀時がキリを見た。
「粥ぐれぇなら食えるか?」
「別で用意するぐらいならいらないです」
「分かった。待ってろ」
「……話、聞いてました?」
銀時は答えず、廊下へ出て台所へ向かった。
やがて、鍋を火にかける音が廊下の向こうから聞こえてきた。しばらくして戻ってきた銀時が椀を片手に戻ってくる。
特別なものは何も入れず、白い米を柔らかく煮ただけの粥だった。小さな梅干しが一つ添えられている。
「ほれ、座れ」
仕方なしに寝床から起き上がり、居間のソファーへ腰掛ける。
ほかの三人の前には、白米と味噌汁、目玉焼きが並んでいた。
「いただきます」
四人で手を合わせ、箸を取る。
キリは匙で粥を少しだけ掬った。息を吹きかけて冷まし、口へ含む。味つけらしい味つけはない。それでも、柔らかく煮えた米の優しい甘みがした。
一口ずつ、ゆっくりと飲み込む。
だが、四口ほど食べたところで、匙が動かなくなった。
「すみません。残りはお昼に食べるので、ラップをして取っておいてもらえますか?」
「もういいんですか?」
新八が心配そうにキリの顔を覗き込む。神楽も箸を止めていた。
「はい、ごめんなさい」
そういいながらキリは、ちらりと銀時を見る。
「謝らないでいいアル。でも、ぜんぜん食べてないネ。そんなんじゃお腹空くアルヨ」
「大丈夫。体調が悪いにしては食べれた方なんですよ、これでも。皆が一緒に食べてくれたからだと思います」
新八と神楽は顔を見合わせた。
銀時だけが何も言わず、目玉焼きをつまみ、ご飯茶碗の上に乗せていた。
残した粥へラップをかけてもらい、キリは薬を飲んだ。
礼を言って和室へ戻る。布団へ横になると、今度はすぐに眠りへ落ちた。
次に目を覚ました時には、もう昼時だった。
身体の重さは変わらない。水分を欲して身体を起こす。
「起きたアルか? 体調はどうネ」
「少し良くなりました。白湯か、湯冷ましのようなものを頂きたいのですが」
「ちょっとまってネ。とってくるアル。銀ちゃーん」
とたとたと足音を立てて神楽は台所に向かう。
身体を起こしただけで体力を消耗してしまう。身を預けるようにソファーに座った。
「ふぅ……」
「大丈夫ですか?」
ローテーブルで帳簿をつけていた新八が、顔をあげて聞いてくる。
「ええ、でも慣れているので。心配かけてすみません」
「とんでもない。無理しないでくださいね」
「今日はお仕事は」
「あー……、今日はお休みです」
視線をそらした新八に、キリはちらりと壁にかかったカレンダーをみる。
そこには、今日の日付の下に『溝さらい』と書かれた文字が取り消され、翌日に矢印が引かれていた。
「想像以上にご迷惑をおかけしてるみたいですみません」
「いいんですよ。皆で今日は休みにしようって決めたんで」
バツの悪そうな顔をして新八は頭を掻いた。
「やっぱり優しいんですね。困った人を見たら、手を貸してお金をふんだくる、それが万事屋でしたっけ。私の面倒を見た代金、大人の私につけておいてください」
「たっぷりつけておきます」
笑う新八に、キリも笑う。
「貰ってきたアルー」
「ありがとう」
急須と湯呑を盆に載せて、神楽が戻ってくる。
キリは盆を受け取り、急須から湯呑へ中身を注いだ。わざわざ沸かしてくれたらしい。
湯気が立つ湯呑を両手で持つと息を吹きかけ、ゆっくりと啜る。
「おい、お前ら飯だ」
「はいヨ」
そう言いながら銀時が入ってくる。
手には四角い盆を持っていた。その上には椀が四つ乗っていた。
新八と神楽が手を貸し、椀を机の上に並べていく。
どれにも白い粥が盛られ、梅干しが一つずつ載っている。
「ほれ、お前の分だ」
朝の粥を温め直したのだろう。湯気の立つ椀をキリの前に置く。
「どうして……。いえ、そうですね」
「何分かったって面してんだよ。今日はそーいう日なの、おかゆの日なの」
「おかゆデーアル」
「今朝、キリさんが食べてるの見たら美味しそうだなって、たまにはいいですよね」
「おかゆデーって初めて聞きましたよ」
「今日作ったアルからな」
にしっと笑う神楽にキリは目を細めて笑う。
「もうすぐ消える私に、そこまで付き合わなくてもいいのに」
「それでもです」
新八は迷わず答えた。
「それでもアル」
神楽も隣で大きく頷く。
銀時は会話へ加わらず、どかりと座り込む。だが、粥を炊いたのが誰なのかは聞かなくても分かった。
四人でもう一度手を合わせ、椀に手を付ける。
朝よりも、もう少しだけ食べることができた。
食後の薬を飲むと、キリは布団へ戻らず、ソファーの端へ身体を預けた。
熱が再びあがってきたのか、「ほぅ」と息をついた。
「無理しなくていいんだぞ」
向かいに座った銀時が言う。
「少し無理をしたいんです」
「何で」
「ここにいたいから」
何か特別なことがあるわけではない。
テレビでは、昼の情報番組が流れていた。新八は食器を洗い、神楽は洗濯物を抱えてベランダへ出る。銀時は時折画面へ野次を飛ばしながら、畳へ掃除機をかけていた。
洗濯物を干す音。
掃除機の低い唸り。
食器が重なる音と、テレビから聞こえる笑い声。
ただ見ていたかった。
たとえ消えゆく身でも、今の自分がここにいたと思える時間が、少しくらいあってもいい気がした。
しばらくすると、銀時が紙袋を一つ差し出してきた。
「戻る前に着替えとけ」
「何ですか、これ」
「大人になったお前の服。神楽に取ってこさせた。今のまま戻ったら、パジャマが弾け飛ぶぞ」
「……それは困りますね」
袋の中には、成人女性用の服が一式入っていた。
言われたとおり和室へ戻り、神楽から借りていたパジャマを脱いで着替える。今の身体にはどれも大きかったが動けないほどではなかった。
再び居間へ戻る頃には、効果が切れると聞いていた時刻が近づいていた。
身体が重い。体調の問題ではなかった。
キリは布団へ戻る前に、新八と神楽を見た。
「新八さん、神楽さん」
「はい」
「なんアルか?」
「楽しかったです。ありがとうございました」
二人が目を丸くする。
それから、揃って嬉しそうに笑った。
「僕たちも楽しかったです」
「今度はでっかいきーやんとも定春の散歩行くネ」
キリは小さく頷いた。
最後に、少し離れたところにいる銀時へ目を向ける。
「貴方にも……ありがとうございました」
「何で銀さんにだけ、そんな不服そうなの?」
「感謝はしています」
「嫌々絞り出したようにしか聞こえねぇんだけど」
「感謝と貴方に対する評価は別ですから。私はやっぱり坂田銀時のことが
銀時の眉が僅かに動いた。
「そりゃどーも」
キリは布団へ横たわった。
目を閉じると、すぐに強い眠気が訪れる。意識を手放す直前まで、居間から聞こえる三人の声に耳を澄ませていた。
眠りが深くなるにつれ、キリの身体は徐々に変化し始めた。
細かった手足が伸び、頬や身体の輪郭が大人のものへ戻っていく。大きすぎた服が、少しずつ本来の形で身体へ収まった。
しばらくして、キリはゆっくりと目を開けた。
見覚えのある天井を眺め、次に布団のそばへ集まっている三人を見る。自分がどこにいるのか確かめるように、室内へ一度視線を巡らせた。
「きーやん、おかえり」
「おかえりなさい、キリさん」
「おかえり」
三人の声を聞き、キリはようやく状況を飲み込んだ。
「……ただいま」
身体を起こし、手足を確かめる。見慣れた大人の身体へ戻っていた。
「ごめんね。手間かけたでしょう」
「手間なんてもんじゃねぇよ」
銀時は疲れた顔をしていた。
よく見れば、目の下には薄く隈ができている。昨夜はほとんど眠っていないようだった。
「何かあった? 発作とか起きた?」
「そんなんじゃねぇーよ」
「銀ちゃん、きーやんに心底嫌われてたアル」
「拗ねてるんですよ。心底嫌われてましたから」
「ちげーよ、お前らも聞いてただろ。嫌いだつってただろ、心底じゃねぇよ」
キリが固まる。
「何があったの?」
「十四歳のお前、尖りすぎてんだろ。尖ったナイフどころじゃねぇよ、少しつっついたらばっさりやられたよ。ありゃ日本刀だ」
「じゅうよん……? 八歳じゃなく?」
十四と聞いた瞬間、キリの顔から見る間に血の気が引いていった。
布団を抜け出し、そのまま畳へ両手をつく。
「誠に申し訳ございませんでした」
「謝ってんじゃねーよ。ばーか。まぁ、楽しかったぜ、俺は」
「珍しいものも見れましたね。キリさんの口から『坂田銀時のことが嫌い』って言葉が聞けるとは思いませんでした」
「触るなって銀ちゃん睨んでたネ」
次々投下される情報にキリは頭を抱える。
「そんな事を言ってたの? 他にも?」
恐る恐る尋ねるキリへ、銀時は指を折って数えた。
「心底嫌いが二回。嫌いが一回」
キリは頭を下げたまま、両手で顔を覆った。
「ごめん。本当にごめん」
「きーやん、銀ちゃんのこと嫌いだったアルか?」
「反抗期みたいなものです」
顔を覆ったまま、くぐもった声でキリは言った。
あれが反抗期かよ、と銀時は思ったが、口には出さなかった。
「夜中にも、二人で凄い喧嘩してたアル」
「嘘……」
神楽の追撃に、キリは顔を覆ったまま動かなくなった。
もう何かを尋ねることも、弁解することもできないらしい。
三人はそれを見て笑った。
それから数日経ったある日。神楽がキリへ相談を持ちかけた。
「最近、銀ちゃん全然寝れてないみたいアル」
万事屋の居間で、定春の背中を撫でていたキリは手を止めた。
「寝れてない?」
「夜中に何度も起きてるみたいなんです」
新八も困ったように頷く。
「僕らから聞いても、『なんでもねぇよ』ってしか言わなくて。まあ、あの人は
「銀ちゃんに話聞いてみてほしいアル」
子どもに戻った時のこと。
十四歳の自分が、銀時を眠れなくさせるような何かを言ったのだろうか。と想像して、頭が痛くなる。
キリは十四歳の己を反抗期と称しはしたが、あの頃の自分が『坂田銀時が嫌い』だけで話を済ませたとは思えなかった。
どれだけの暴言を吐いたのか。
「分かった」
キリは頷いた。
その日の夜、キリは自宅まで送ってくれた銀時を引き止める。
「銀さん」
「ん?」
「お酒、貰い物だけど一緒に飲まない?」
銀時は一度、怪訝そうに瞬きをした。
「お前から酒の誘い? 珍しいこともあるもんだな」
「飲まない?」
「飲む」
答えは早かった。
「座ってて」と銀時を促し、キリは手早く準備を整えた。
ローテーブルの上には徳利と猪口が二つ並んでいた。
つまみ代わりの柿ピーが小皿へ盛られていた。
キリが徳利から日本酒を猪口へ注ぐ。米の甘い香りが、ふわりと立った。
「飲み方わからないけど、冷たくてもいい?」
「なんでもいいぜ」
二人で猪口を持ち上げ、軽く触れ合わせる。
何に乾杯するでもなく、一口飲んだ。
話したのは、他愛もないことばかりだった。
定春が雌犬を見てのしかかろうとしたのを、神楽が止めたこと。
新八が眼鏡を新しくしようか迷っていること。
スーパーで特売だった菓子のこと。
銀時も、いつもどおりにくだらない合いの手を入れる。
酒は一合を少し越えたあたりだった。
ふと、銀時の返事が途切れた。
片膝に身体を預け、猪口を持ったまま、眠気に引かれるように、頭が下がる。
だが次の瞬間、銀時の身体がびくりと跳ねた。
何かを思い出したように顔を上げ、辺りを見回す。
「悪ィ。寝そうだった」
先程までの気の抜けた雰囲気は抜け落ち、焦るような固い声だった。
「最近、寝れてないって聞いた」
銀時の目が細くなる。
「誰に」
「新八君と神楽ちゃん」
「あのガキども……珍しいと思ったら、そーいうことかよ」
今日の酒の誘いが、二人の差し金だったことを悟ったらしい。
「それだけじゃないよ。前から銀さんと飲みたいと思ってたのも本当。お酒、本当は買っておいたの」
「お前またすぐ……」
銀時は、お猪口の中身を一気に飲み干した。
「ねぇ、何かあった?」
「なんでもねぇよ」
「新八君と神楽ちゃんが心配してたよ」
キリは少し間を置いた。
「私も心配してる」
銀時は眉間に皺を寄せる。眉尻が落ちている。困っているようだとキリは思った。
すぐには答えない。猪口の縁を親指でなぞり、空になったお猪口の中を見ている。
「……あのガキ、俺への腹いせに包丁持ち出してきやがった」
キリは息を呑んだ。
「銀さんを刺そうとしたの?」
「それだったら、どんだけ良かったか」
自嘲するように、銀時は短く笑った。
「その刃を自分に向けやがった」
十四歳のキリが万事屋へいた、あの夜のことを銀時は話した。
喉が渇いたと起き出し、居間を抜けて台所へ向かったこと。
やけに遅いから何かあったんじゃないかと見に行ったら、流しの脇にあった包丁を、震える手で握っていたこと。
止めた時には、死ぬつもりはなかった、確かめたかっただけだと言ったこと。
「自分が死ねば、大人のお前がいなくなるかもしれねぇ。そうすりゃ俺に一発噛ませるんじゃねぇかって、腹積もりだったらしい。俺が追い詰めすぎた結果だ」
その時のキリの声は、今も耳に残っている。
――貴方が大切にしているものを、私にも壊せるのか
まるで積み木や砂の城を崩すかのように、感慨もない声だった。
「そん時は、止めるのに必死だったから何とも思っちゃいなかった」
銀時は徳利を手に取ったが、酒は注がなかった。
「けど、後になってから、気づくのが遅れてたら、と思うとよ。あの時、寝ていて間に合わなかったら。包丁を持った手が、ほんの少しでも先に動いてたら」
言葉の途中で、銀時は一度黙った。
「もうアイツはいねぇって分かってんのに、夜中になると気になって、台所見に行く癖がついちまった」
誰もいない廊下の先を、何度も確かめる。
包丁がそのままあることを見て、ようやく戻る。
戻っても眠れず、また少し経つと気になって起きる。
そんなことを、銀時は拗ねたように白状した。
「十四歳って凄いね」
キリは、少し他人事のように呟いた。
「てめぇのことだろうが」
銀時は片手で顔を覆った。
包丁を持ち、自分が死ねば、銀時へ傷を残せるかもしれないと考える。
十四歳の自分がそうしたと聞いても、本当にできたとはキリには思えなかった。
けれど、銀時が眠れなくなるほど怖いというのなら、それはそれとして別で考える話だろう。
「助けてくれてありがとう」
キリは静かに言った。
「銀さんのことだから、放っておかなかったんでしょ、その後も。縛って押し入れにでも放り込んでおけば良かったのに、きっとそうしなかったんでしょ?」
銀時は顔を覆ったまま、指の隙間からキリを見た。
「そーだよ、そしたら散々言われた」
「なんて」
「亡霊の言葉を利用してるだの、過去をみてないだの」
「嘘……そんなことまで!? もう、なんというか……ごめん」
焦りながら、けれど上手く弁明もできずキリは肩を落とした。
「ガキの言うことだ、真に受けちゃいねーよ」
手酌で酒を入れると、ちびりと舐めるように口に含めた。
「なんで俺をそこまで嫌うかね」
自分を道具の様に使ってまで、銀時に復讐をしたい。その思いが銀時には良く分からなかった。
キリにはその顔が傷付いているように見えた。だからなのだろう、いつまでも引きずってしまうのは。
「世界が嫌いだったんだよ。正しく生きても報われるわけじゃない。努力したって、その先に何もない。要領がいい人が得をして、悪い人が傷つく。そういう世界がインチキに見えて、許せなかった」
「ありがちな話だな」
「そう、ありがちな話。そして、銀さんも……そのインチキな世界に上手く馴染んだ大人に見えちゃった。裏切られたような気持ちだった」
傷から目を逸らし、過去を置き去りにして、目の前の人間を助けることで自分を保っている。
かつての生きる指針だった人間が、インチキで嘘っぱちな世界で、要領良く生きる大人のように見えてしまった。
「正しいよ。そりゃ嫌われてもしかたねぇな」
「違うよ。銀さんが要領良く生きれてたら、ここでお酒飲んでなんかいないじゃない」
お猪口を置き、顔を撫でる銀時を見ながらキリは笑う。
銀時は気まずげな表情を浮かべた。
「ただ酒飲んでるだけだよ」
「可愛い彼女のお家で?」
「お前、酔ってるだろ」
テーブルに膝をつき、キリは少し眠たげな目を銀時に向けていた。
そのまま姿勢を崩し、頬をテーブルにつけると投げ出した手を銀時の方へとよこす。
銀時はその手を握った。
「人は変わるんだよ。銀さん」
キリは握った手に指を絡める。
「アイツがお前みたいになるなんて、想像もできねぇが、でもアイツは確かにお前だったよ」
「あの時は怒ることしかできなかった。何もないって、こんなに頑張ってるのにって。もちろん、そんなの当たり前の話かもしれない。でも、まだガキンチョだったから受け入れられなかった」
「受け入れられねぇよ、いつまでもそんなんは。大人だって酒使ってやり過ごしてるだけだ」
「それがまだ分からなかったんだ。ごめんね、銀さん沢山傷つけた」
「あいつにだって、正当に怒る権利くらいあるだろ。それが俺にだったってだけだ」
キリは銀時を見つめた。
「本当にごめん」
「謝らせたいわけじゃねぇよ」
「でも」
「あいつは、俺を刺したかったんじゃねぇよ。いや、刺したかったのは間違いねぇけど」
銀時は頭を掻いた。
「それでも、俺には助けてくれって叫んでるように聞こえたよ。俺を滅多切りにした刃で、自分のことも同じだけ刺してやがった」
何かをしてやることなんてできなかった。どうにか踏みとどませただけだった。
後悔するような口ぶりにキリは絡めた指にわずかに力を込める。
「大丈夫だよ。ちゃんと助けられたよ」
「そうだったらいいけどな……」
「違うよ、ちゃんと助けられたんだ。坂田銀時に。だから今の私は貴方が好きなんだ」
まっすぐに向けられた柔らかな眼差しに耐えきれず、銀時は視線を逸らす。
「心底嫌いって言われてたんだけどな」
「今は心底好きだよ」
「そうかよ」
銀時は照れたように笑った。
「お前さ、八歳の可愛げどこに無くして来たんだよ」
「世知辛い世の中のどこかに」
「そうだったにしても、口悪すぎんだろ」
「そうかな?」
「オナニーなんて卑猥な言葉どこで覚えたんだ?」
「銀さん」
「俺?」
「そう」
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続編もやってるよ!
天国には理想郷がありまして、その後
https://syosetu.org/novel/419107/
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