【完結】天国には理想郷がありまして   作:空飛ぶ鶏゜

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万事屋とキリ、十四歳 後編

 翌朝、差し込む光でキリは目を覚ました。

 身体を確かめる。袖から覗く腕も、布団の中で持ち上げた脚も、昨日と変わらない。まだ十四歳のままだった。

 

 枕元には、昨夜持ち帰った空の湯呑みがある。

 咳はまだ残っていたが、夜中ほど苦しくはない。キリはゆっくりと身体を起こし、湯呑みを持って襖を開けた。

 

 銀時はソファーに横になり、顔にジャンプを載せていた。

 居間を抜け、廊下の先の台所へ向かおうとすると、雑誌の下から声がする。

 

「おはようさん」

「おはようございます。寝なかったんですね」

「寝ましたよ。ぐっすりです」

「嘘でしょう。あんなことがあって、貴方が寝られるわけないでしょう。安眠を妨げて、すみませんでした」

 

 銀時はジャンプの下で顔を顰めた。

 

「お前、謝罪の形にすりゃ何言ってもいいと思ってるだろ」

「謝らない方がよかったですか?」

「そういう話でもねぇんだよ」

「やめませんか? 貴方と喧嘩するのは疲れます」

「そうだな」

「そうしてください」

 

 台所で湯呑みを洗い、新しくお湯を沸かしているところで神楽が起きてきた。

 

「おはようヨー」

「おはようございます」

 

 戸棚から大型犬用のドッグフードを取り出す神楽を見て、キリの視線がその袋へ留まった。

 

「定春君のごはんですか?」

「そうアル。きーやんも一緒にあげるアルか?」

「いいんですか?」

「もちろん」

 

 キリはお湯が沸いたのを確認し、火を止める。

 

「重いから気をつけるアルヨ」

「わっ、おもっ」

「やっぱり一緒に持つネ」

 

 神楽は袋の片側を持ったまま、もう一方をキリへ渡した。

 それでも予想以上の重さに身体が傾き、神楽がすかさず支える。

 二人で袋を運んでいくと、ご飯をもらえると察した定春が、おすわりをしたまま尻尾を振って待っていた。

 

「定春、ご飯ですよー。待てアルヨー」

 

 ざらざらと、定春の体格に見合った大きな餌皿へ、ドッグフードを注いでいく。

 神楽が袋の口を持ち、キリが後ろから底を支える形だ。神楽一人でも難なくできるのだろうが、一緒にあげることにこだわった結果だった。

 

「偉いね、ちゃんと待てて」

 

 完全に準備が整うまで、涎を垂らしつつも定春は座った姿勢を崩さなかった。

 

「ヨシ。食べていいアル」

 

 神楽の号令で、定春は餌へ勢いよく食らいついた。その間に、神楽は汚れたペットシートや、その下に敷いた新聞紙を片付ける。

 キリもゴミ袋を持ち、その作業を手伝う。

 ごちそうさまの代わりに一声鳴いた定春を、神楽はいい子だと撫で回した。

 

「私も触っていいですか?」

「定春、きーやんが触りたいって。いつもみたいに抱きついたら駄目アルよ? 今日のきーやんはちょっと弱っちいネ、わかるアルか?」

 

 返事をするように、定春がきゃうんと鳴いた。

 

「いい子アル」

 

 キリが恐る恐る手を伸ばすと、定春はその指先をぺろりと舐めた。

 

「くすぐったい」

 

 そのまま頭を撫でると、定春は飛びつくのを我慢する代わりに、尻尾だけを忙しなくぱたぱたと振った。

 ひとしきり撫で回したところで、神楽はリードの準備をした。朝の散歩に行くらしい。

 

「一緒に行くアルか?」

「ごめんね、少し体調が良くないみたいで」

 

 昨夜、ろくに眠れなかったのはキリも同じだった。無理をした所為か、どうも身体が重い。

 断ると、神楽は少し残念そうな顔をした。それでも、「じゃあ、行ってくるアル」と傘を片手に定春を連れ、元気よく飛び出していった。

 台所へ戻り、手を洗う。沸かしておいた湯は、ちょうど飲みやすい温度まで冷めていた。湯呑みに注ぎ、その場でゆっくりと飲み干す。

 使った湯呑みを洗い、水切り籠へ伏せてから和室へ戻った。

 再び布団へ入ると、疲れもあってか、ようやく眠気が戻ってきた。

 

 

 

 

 人の話し声で、キリは再び目を覚ました。

 いつの間にか新八が来ていたらしい。神楽も散歩から戻っており、襖の向こうから三人分の声と、食器を並べる音が聞こえる。

 

 身体を起こすと、早朝より倦怠感が増していた。熱が出たようだ。手足が妙に重い。

 襖を開けると、真っ先に新八が振り返った。

 

「おはようございます。よく眠れましたか?」

「少しだけ。新八さんも来てたんですね」

「はい。ちょうど朝ご飯にするところです。キリさんも食べますか?」

 

 食べ物を受けつける気はしなかった。

 

「いえ。薬だけ飲んで、もう少し寝ようと思います」

 

 そう答えると、食卓へ茶碗を運んでいた銀時がキリを見た。

 

「粥ぐれぇなら食えるか?」

「別で用意するぐらいならいらないです」

「分かった。待ってろ」

「……話、聞いてました?」

 

 銀時は答えず、廊下へ出て台所へ向かった。

 やがて、鍋を火にかける音が廊下の向こうから聞こえてきた。しばらくして戻ってきた銀時が椀を片手に戻ってくる。

 特別なものは何も入れず、白い米を柔らかく煮ただけの粥だった。小さな梅干しが一つ添えられている。

 

「ほれ、座れ」

 

 仕方なしに寝床から起き上がり、居間のソファーへ腰掛ける。

 ほかの三人の前には、白米と味噌汁、目玉焼きが並んでいた。

 

「いただきます」

 

 四人で手を合わせ、箸を取る。

 キリは匙で粥を少しだけ掬った。息を吹きかけて冷まし、口へ含む。味つけらしい味つけはない。それでも、柔らかく煮えた米の優しい甘みがした。

 

 一口ずつ、ゆっくりと飲み込む。

 だが、四口ほど食べたところで、匙が動かなくなった。

 

「すみません。残りはお昼に食べるので、ラップをして取っておいてもらえますか?」

「もういいんですか?」

 

 新八が心配そうにキリの顔を覗き込む。神楽も箸を止めていた。

 

「はい、ごめんなさい」

 

 そういいながらキリは、ちらりと銀時を見る。

 

「謝らないでいいアル。でも、ぜんぜん食べてないネ。そんなんじゃお腹空くアルヨ」

「大丈夫。体調が悪いにしては食べれた方なんですよ、これでも。皆が一緒に食べてくれたからだと思います」

 

 新八と神楽は顔を見合わせた。

 銀時だけが何も言わず、目玉焼きをつまみ、ご飯茶碗の上に乗せていた。

 

 残した粥へラップをかけてもらい、キリは薬を飲んだ。

 礼を言って和室へ戻る。布団へ横になると、今度はすぐに眠りへ落ちた。

 

 

 

 

 次に目を覚ました時には、もう昼時だった。

 身体の重さは変わらない。水分を欲して身体を起こす。

 

「起きたアルか? 体調はどうネ」

「少し良くなりました。白湯か、湯冷ましのようなものを頂きたいのですが」

「ちょっとまってネ。とってくるアル。銀ちゃーん」

 

 とたとたと足音を立てて神楽は台所に向かう。

 身体を起こしただけで体力を消耗してしまう。身を預けるようにソファーに座った。

 

「ふぅ……」

「大丈夫ですか?」

 

 ローテーブルで帳簿をつけていた新八が、顔をあげて聞いてくる。

 

「ええ、でも慣れているので。心配かけてすみません」

「とんでもない。無理しないでくださいね」

「今日はお仕事は」

「あー……、今日はお休みです」

 

 視線をそらした新八に、キリはちらりと壁にかかったカレンダーをみる。

 そこには、今日の日付の下に『溝さらい』と書かれた文字が取り消され、翌日に矢印が引かれていた。

 

「想像以上にご迷惑をおかけしてるみたいですみません」

「いいんですよ。皆で今日は休みにしようって決めたんで」

 

 バツの悪そうな顔をして新八は頭を掻いた。

 

「やっぱり優しいんですね。困った人を見たら、手を貸してお金をふんだくる、それが万事屋でしたっけ。私の面倒を見た代金、大人の私につけておいてください」

「たっぷりつけておきます」

 

 笑う新八に、キリも笑う。

 

「貰ってきたアルー」

「ありがとう」

 

 急須と湯呑を盆に載せて、神楽が戻ってくる。

 キリは盆を受け取り、急須から湯呑へ中身を注いだ。わざわざ沸かしてくれたらしい。

 湯気が立つ湯呑を両手で持つと息を吹きかけ、ゆっくりと啜る。

 

「おい、お前ら飯だ」

「はいヨ」

 

 そう言いながら銀時が入ってくる。

 手には四角い盆を持っていた。その上には椀が四つ乗っていた。

 新八と神楽が手を貸し、椀を机の上に並べていく。

 どれにも白い粥が盛られ、梅干しが一つずつ載っている。

 

「ほれ、お前の分だ」

 

 朝の粥を温め直したのだろう。湯気の立つ椀をキリの前に置く。

 

「どうして……。いえ、そうですね」

「何分かったって面してんだよ。今日はそーいう日なの、おかゆの日なの」

「おかゆデーアル」

「今朝、キリさんが食べてるの見たら美味しそうだなって、たまにはいいですよね」

「おかゆデーって初めて聞きましたよ」

「今日作ったアルからな」

 

 にしっと笑う神楽にキリは目を細めて笑う。

 

「もうすぐ消える私に、そこまで付き合わなくてもいいのに」

「それでもです」

 

 新八は迷わず答えた。

 

「それでもアル」

 

 神楽も隣で大きく頷く。

 銀時は会話へ加わらず、どかりと座り込む。だが、粥を炊いたのが誰なのかは聞かなくても分かった。

 四人でもう一度手を合わせ、椀に手を付ける。

 朝よりも、もう少しだけ食べることができた。

 食後の薬を飲むと、キリは布団へ戻らず、ソファーの端へ身体を預けた。

 熱が再びあがってきたのか、「ほぅ」と息をついた。

 

「無理しなくていいんだぞ」

 

 向かいに座った銀時が言う。

 

「少し無理をしたいんです」

「何で」

「ここにいたいから」

 

 何か特別なことがあるわけではない。

 テレビでは、昼の情報番組が流れていた。新八は食器を洗い、神楽は洗濯物を抱えてベランダへ出る。銀時は時折画面へ野次を飛ばしながら、畳へ掃除機をかけていた。

 

 洗濯物を干す音。

 掃除機の低い唸り。

 食器が重なる音と、テレビから聞こえる笑い声。

 

 ただ見ていたかった。

 たとえ消えゆく身でも、今の自分がここにいたと思える時間が、少しくらいあってもいい気がした。

 

 しばらくすると、銀時が紙袋を一つ差し出してきた。

 

「戻る前に着替えとけ」

「何ですか、これ」

「大人になったお前の服。神楽に取ってこさせた。今のまま戻ったら、パジャマが弾け飛ぶぞ」

「……それは困りますね」

 

 袋の中には、成人女性用の服が一式入っていた。

 言われたとおり和室へ戻り、神楽から借りていたパジャマを脱いで着替える。今の身体にはどれも大きかったが動けないほどではなかった。

 再び居間へ戻る頃には、効果が切れると聞いていた時刻が近づいていた。

 身体が重い。体調の問題ではなかった。

 キリは布団へ戻る前に、新八と神楽を見た。

 

「新八さん、神楽さん」

「はい」

「なんアルか?」

「楽しかったです。ありがとうございました」

 

 二人が目を丸くする。

 それから、揃って嬉しそうに笑った。

 

「僕たちも楽しかったです」

「今度はでっかいきーやんとも定春の散歩行くネ」

 

 キリは小さく頷いた。

 最後に、少し離れたところにいる銀時へ目を向ける。

 

「貴方にも……ありがとうございました」

「何で銀さんにだけ、そんな不服そうなの?」

「感謝はしています」

「嫌々絞り出したようにしか聞こえねぇんだけど」

「感謝と貴方に対する評価は別ですから。私はやっぱり坂田銀時のことが()()です」

 

 銀時の眉が僅かに動いた。

 

「そりゃどーも」

 

 キリは布団へ横たわった。

 目を閉じると、すぐに強い眠気が訪れる。意識を手放す直前まで、居間から聞こえる三人の声に耳を澄ませていた。

 眠りが深くなるにつれ、キリの身体は徐々に変化し始めた。

 細かった手足が伸び、頬や身体の輪郭が大人のものへ戻っていく。大きすぎた服が、少しずつ本来の形で身体へ収まった。

 しばらくして、キリはゆっくりと目を開けた。

 見覚えのある天井を眺め、次に布団のそばへ集まっている三人を見る。自分がどこにいるのか確かめるように、室内へ一度視線を巡らせた。

 

「きーやん、おかえり」

「おかえりなさい、キリさん」

「おかえり」

 

 三人の声を聞き、キリはようやく状況を飲み込んだ。

 

「……ただいま」

 

 身体を起こし、手足を確かめる。見慣れた大人の身体へ戻っていた。

 

「ごめんね。手間かけたでしょう」

「手間なんてもんじゃねぇよ」

 

 銀時は疲れた顔をしていた。

 よく見れば、目の下には薄く隈ができている。昨夜はほとんど眠っていないようだった。

 

「何かあった? 発作とか起きた?」

「そんなんじゃねぇーよ」

「銀ちゃん、きーやんに心底嫌われてたアル」

「拗ねてるんですよ。心底嫌われてましたから」

「ちげーよ、お前らも聞いてただろ。嫌いだつってただろ、心底じゃねぇよ」

 

 キリが固まる。

 

「何があったの?」

「十四歳のお前、尖りすぎてんだろ。尖ったナイフどころじゃねぇよ、少しつっついたらばっさりやられたよ。ありゃ日本刀だ」

「じゅうよん……? 八歳じゃなく?」

 

 十四と聞いた瞬間、キリの顔から見る間に血の気が引いていった。

 布団を抜け出し、そのまま畳へ両手をつく。

 

「誠に申し訳ございませんでした」

「謝ってんじゃねーよ。ばーか。まぁ、楽しかったぜ、俺は」

「珍しいものも見れましたね。キリさんの口から『坂田銀時のことが嫌い』って言葉が聞けるとは思いませんでした」

「触るなって銀ちゃん睨んでたネ」

 

 次々投下される情報にキリは頭を抱える。

 

「そんな事を言ってたの? 他にも?」

 

 恐る恐る尋ねるキリへ、銀時は指を折って数えた。

 

「心底嫌いが二回。嫌いが一回」

 

 キリは頭を下げたまま、両手で顔を覆った。

 

「ごめん。本当にごめん」

「きーやん、銀ちゃんのこと嫌いだったアルか?」

「反抗期みたいなものです」

 

 顔を覆ったまま、くぐもった声でキリは言った。

 あれが反抗期かよ、と銀時は思ったが、口には出さなかった。

 

「夜中にも、二人で凄い喧嘩してたアル」

「嘘……」

 

 神楽の追撃に、キリは顔を覆ったまま動かなくなった。

 もう何かを尋ねることも、弁解することもできないらしい。

 三人はそれを見て笑った。

 

 

 

 

 それから数日経ったある日。神楽がキリへ相談を持ちかけた。

 

「最近、銀ちゃん全然寝れてないみたいアル」

 

 万事屋の居間で、定春の背中を撫でていたキリは手を止めた。

 

「寝れてない?」

「夜中に何度も起きてるみたいなんです」

 

 新八も困ったように頷く。

 

「僕らから聞いても、『なんでもねぇよ』ってしか言わなくて。まあ、あの人は()()だから仕方ないんですけど……。キリさんが子どもに戻ってからのことなんで、キリさんになら理由を話してくれるかもって」

「銀ちゃんに話聞いてみてほしいアル」

 

 子どもに戻った時のこと。

 

 十四歳の自分が、銀時を眠れなくさせるような何かを言ったのだろうか。と想像して、頭が痛くなる。

 キリは十四歳の己を反抗期と称しはしたが、あの頃の自分が『坂田銀時が嫌い』だけで話を済ませたとは思えなかった。

 どれだけの暴言を吐いたのか。

 

「分かった」

 

 キリは頷いた。

 

 

 

 

 その日の夜、キリは自宅まで送ってくれた銀時を引き止める。

 

「銀さん」

「ん?」

「お酒、貰い物だけど一緒に飲まない?」

 

 銀時は一度、怪訝そうに瞬きをした。

 

「お前から酒の誘い? 珍しいこともあるもんだな」

「飲まない?」

「飲む」

 

 答えは早かった。

 

 「座ってて」と銀時を促し、キリは手早く準備を整えた。

 ローテーブルの上には徳利と猪口が二つ並んでいた。

 つまみ代わりの柿ピーが小皿へ盛られていた。

 キリが徳利から日本酒を猪口へ注ぐ。米の甘い香りが、ふわりと立った。

 

「飲み方わからないけど、冷たくてもいい?」

「なんでもいいぜ」

 

 二人で猪口を持ち上げ、軽く触れ合わせる。

 何に乾杯するでもなく、一口飲んだ。

 

 話したのは、他愛もないことばかりだった。

 定春が雌犬を見てのしかかろうとしたのを、神楽が止めたこと。

 新八が眼鏡を新しくしようか迷っていること。

 スーパーで特売だった菓子のこと。

 銀時も、いつもどおりにくだらない合いの手を入れる。

 酒は一合を少し越えたあたりだった。

 

 ふと、銀時の返事が途切れた。

 片膝に身体を預け、猪口を持ったまま、眠気に引かれるように、頭が下がる。

 だが次の瞬間、銀時の身体がびくりと跳ねた。

 何かを思い出したように顔を上げ、辺りを見回す。

 

「悪ィ。寝そうだった」

 

 先程までの気の抜けた雰囲気は抜け落ち、焦るような固い声だった。

 

「最近、寝れてないって聞いた」

 

 銀時の目が細くなる。

 

「誰に」

「新八君と神楽ちゃん」

「あのガキども……珍しいと思ったら、そーいうことかよ」

 

 今日の酒の誘いが、二人の差し金だったことを悟ったらしい。

 

「それだけじゃないよ。前から銀さんと飲みたいと思ってたのも本当。お酒、本当は買っておいたの」

「お前またすぐ……」

 

 銀時は、お猪口の中身を一気に飲み干した。

 

「ねぇ、何かあった?」

「なんでもねぇよ」

「新八君と神楽ちゃんが心配してたよ」

 

 キリは少し間を置いた。

 

「私も心配してる」

 

 銀時は眉間に皺を寄せる。眉尻が落ちている。困っているようだとキリは思った。

 すぐには答えない。猪口の縁を親指でなぞり、空になったお猪口の中を見ている。

 

「……あのガキ、俺への腹いせに包丁持ち出してきやがった」

 

 キリは息を呑んだ。

 

「銀さんを刺そうとしたの?」

「それだったら、どんだけ良かったか」

 

 自嘲するように、銀時は短く笑った。

 

「その刃を自分に向けやがった」

 

 十四歳のキリが万事屋へいた、あの夜のことを銀時は話した。

 喉が渇いたと起き出し、居間を抜けて台所へ向かったこと。

 やけに遅いから何かあったんじゃないかと見に行ったら、流しの脇にあった包丁を、震える手で握っていたこと。

 止めた時には、死ぬつもりはなかった、確かめたかっただけだと言ったこと。

 

「自分が死ねば、大人のお前がいなくなるかもしれねぇ。そうすりゃ俺に一発噛ませるんじゃねぇかって、腹積もりだったらしい。俺が追い詰めすぎた結果だ」

 

 その時のキリの声は、今も耳に残っている。

 

――貴方が大切にしているものを、私にも壊せるのか

 

 まるで積み木や砂の城を崩すかのように、感慨もない声だった。

 

「そん時は、止めるのに必死だったから何とも思っちゃいなかった」

 

 銀時は徳利を手に取ったが、酒は注がなかった。

 

「けど、後になってから、気づくのが遅れてたら、と思うとよ。あの時、寝ていて間に合わなかったら。包丁を持った手が、ほんの少しでも先に動いてたら」

 

 言葉の途中で、銀時は一度黙った。

 

「もうアイツはいねぇって分かってんのに、夜中になると気になって、台所見に行く癖がついちまった」

 

 誰もいない廊下の先を、何度も確かめる。

 包丁がそのままあることを見て、ようやく戻る。

 戻っても眠れず、また少し経つと気になって起きる。

 そんなことを、銀時は拗ねたように白状した。

 

「十四歳って凄いね」

 

 キリは、少し他人事のように呟いた。

 

「てめぇのことだろうが」

 

 銀時は片手で顔を覆った。

 

 包丁を持ち、自分が死ねば、銀時へ傷を残せるかもしれないと考える。

 十四歳の自分がそうしたと聞いても、本当にできたとはキリには思えなかった。

 けれど、銀時が眠れなくなるほど怖いというのなら、それはそれとして別で考える話だろう。

 

「助けてくれてありがとう」

 

 キリは静かに言った。

 

「銀さんのことだから、放っておかなかったんでしょ、その後も。縛って押し入れにでも放り込んでおけば良かったのに、きっとそうしなかったんでしょ?」

 

 銀時は顔を覆ったまま、指の隙間からキリを見た。

 

「そーだよ、そしたら散々言われた」

「なんて」

「亡霊の言葉を利用してるだの、過去をみてないだの」

「嘘……そんなことまで!? もう、なんというか……ごめん」

 

 焦りながら、けれど上手く弁明もできずキリは肩を落とした。

 

「ガキの言うことだ、真に受けちゃいねーよ」

 

 手酌で酒を入れると、ちびりと舐めるように口に含めた。

 

「なんで俺をそこまで嫌うかね」

 

 自分を道具の様に使ってまで、銀時に復讐をしたい。その思いが銀時には良く分からなかった。

 キリにはその顔が傷付いているように見えた。だからなのだろう、いつまでも引きずってしまうのは。

 

「世界が嫌いだったんだよ。正しく生きても報われるわけじゃない。努力したって、その先に何もない。要領がいい人が得をして、悪い人が傷つく。そういう世界がインチキに見えて、許せなかった」

「ありがちな話だな」

「そう、ありがちな話。そして、銀さんも……そのインチキな世界に上手く馴染んだ大人に見えちゃった。裏切られたような気持ちだった」

 

 傷から目を逸らし、過去を置き去りにして、目の前の人間を助けることで自分を保っている。

 かつての生きる指針だった人間が、インチキで嘘っぱちな世界で、要領良く生きる大人のように見えてしまった。

 

「正しいよ。そりゃ嫌われてもしかたねぇな」

「違うよ。銀さんが要領良く生きれてたら、ここでお酒飲んでなんかいないじゃない」

 

 お猪口を置き、顔を撫でる銀時を見ながらキリは笑う。

 銀時は気まずげな表情を浮かべた。

 

「ただ酒飲んでるだけだよ」

「可愛い彼女のお家で?」

「お前、酔ってるだろ」

 

 テーブルに膝をつき、キリは少し眠たげな目を銀時に向けていた。

 そのまま姿勢を崩し、頬をテーブルにつけると投げ出した手を銀時の方へとよこす。

 銀時はその手を握った。

 

「人は変わるんだよ。銀さん」

 

 キリは握った手に指を絡める。

 

「アイツがお前みたいになるなんて、想像もできねぇが、でもアイツは確かにお前だったよ」

「あの時は怒ることしかできなかった。何もないって、こんなに頑張ってるのにって。もちろん、そんなの当たり前の話かもしれない。でも、まだガキンチョだったから受け入れられなかった」

「受け入れられねぇよ、いつまでもそんなんは。大人だって酒使ってやり過ごしてるだけだ」

「それがまだ分からなかったんだ。ごめんね、銀さん沢山傷つけた」

「あいつにだって、正当に怒る権利くらいあるだろ。それが俺にだったってだけだ」

 

 キリは銀時を見つめた。

 

「本当にごめん」

「謝らせたいわけじゃねぇよ」

「でも」

「あいつは、俺を刺したかったんじゃねぇよ。いや、刺したかったのは間違いねぇけど」

 

 銀時は頭を掻いた。

 

「それでも、俺には助けてくれって叫んでるように聞こえたよ。俺を滅多切りにした刃で、自分のことも同じだけ刺してやがった」

 

 何かをしてやることなんてできなかった。どうにか踏みとどませただけだった。

 後悔するような口ぶりにキリは絡めた指にわずかに力を込める。

 

「大丈夫だよ。ちゃんと助けられたよ」

「そうだったらいいけどな……」

「違うよ、ちゃんと助けられたんだ。坂田銀時に。だから今の私は貴方が好きなんだ」

 

 まっすぐに向けられた柔らかな眼差しに耐えきれず、銀時は視線を逸らす。

 

「心底嫌いって言われてたんだけどな」

「今は心底好きだよ」

「そうかよ」

 

 銀時は照れたように笑った。

 





「お前さ、八歳の可愛げどこに無くして来たんだよ」
「世知辛い世の中のどこかに」
「そうだったにしても、口悪すぎんだろ」
「そうかな?」
「オナニーなんて卑猥な言葉どこで覚えたんだ?」
「銀さん」
「俺?」
「そう」

――――――――――――――――
続編もやってるよ!
天国には理想郷がありまして、その後
https://syosetu.org/novel/419107/

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