「アンタ、奴とはどういう関係だ?」
どこへ行くつもりなのか? と考えながら、全蔵さんの後をついていくと、そう言われた。
「火サスの犯人と被害者みたいな?」
「被害者元気すぎだろう。火サスの被害者なら崖から落ちて海に浮いてんのが相場じゃねぇーのか。いや、火サスそんなに知らないけど」
「うーん、私、加害者。被害者はあっち」
「んあ?」
疑問符のついた言葉で、理解し得ないと全蔵さんは首を捻る。
「ほらよくあるじゃん、脅した相手が悪くて、逆上されて殺されちゃうみたいな」
倦怠感を漂わせ歩いていた全蔵さんが歩みを止める。
「オイオイ、夢を現にする吉原だからって、大ぼら吹いていい道理はないんだがな。
「もちろん、その上でだよ。試してみる?」
逡巡のち、首を振った。
「いや。例えお前さんがホラ吹いてようが、シャコガイ吹いてようが俺には関係ねぇ話だ」
「それもそうだね。ところで全蔵さん、ここって……?」
裏路地を三度曲がり、一本奥まった通りを抜ける。吉原にも裏に回れば、生活地味た場所はある。その中でもうらびれた一角、一軒のあばら家の前に立つ。木戸は傾き、割れた板塀からは雑草が顔をだしている。
「三日前まで奴さんが巣を作ってた場所だ。今じゃ空っぽだがな。ここを調べるのに使った人間が三人、再起不能になった」
『再起不能』の意味を考えていると、全蔵さんは「死んじゃいねぇよ」と言葉を足した。どこか尻の座りが悪くなるような言い方だった。何かを見透かすような――。
「ところでお前さん。奴の情報に何を支払う?」
こちらを向いた。調子は軽いというのに、髪に隠された見えない視線が酷く心をざわつかせた。
「……言い値で」
幾分粘つくような口を開き答える。覚悟を問われているのであるのであれば、私もそれなりのモノを差し出すべきだろう。金銭がそれに値するかは、人それぞれだが。
「言い値……ねぇ。まあいい、忍ってのは高く買ってくれる人間につくものだ。出すもん出しゃあ誰にでも膝を折るさ。それに……うぐっ……」
全蔵さんは体をくの字に折り、そのまま崩れるように
ケツを抑える手とは反対の手を懐に差し込んだかと思うと、これまた震える手で札と、白い折りたたまれたメモを差し出してくる。
「わ、悪ィ……薬を……」
ダラダラと変な汗をかいていた。使いにいけと? これでは、どちらが雇い主かわからない。だが、哀れみを誘う姿で伸ばされた手を振り払う程に、私は鬼ではない。
「承知しましたよ。筆頭殿」
吉原にだって薬屋ぐらいはあるだろうと、受け取り、表通りへ向かった。
それに気付いたのは、通りへ出る少し前。てっきり愛用の薬名が書いてあるのだと思い、開いたメモに書かれていたのは、ある場所の名前だった。今はもう使われていない、小さなドック。吉原の片隅に残るそこは、忘れ去られた記憶の欠片のようでもあった。明るい灯と賑やかな囃子は遠く、錆びた鉄壁に張り付くようなむき出しの蛍光灯が、切れかかる寸前のように瞬いていた。
壊れた工作機械、コンテナ、ベルトの無くなったコンベア。そういった朽ちかけたモノ達の間を縫って歩く。一見倉庫にも見えるが、崩れかかったポットの残骸や、シャトルの椅子などが転がっているのを見るに、かつてはちゃんとしたドックだったのだろうと思いを馳せる。
――ゴーン
鈍い音にそちらを向けば、天井から吊り下げられたフックが揺れていた。壁にでもぶつかった音だろうと見当をつけ、振り返ったそこに……
「蜘蛛の糸を手繰り寄せ、わざわざ地獄へ来るとは」
積み上げられたコンテナとコンテナの間。暗く、沈んだ影に埋もれるように地雷亜が立っていた。
――ぴちゃり……ぴちゃり
水音。鉄錆の匂いの根源は鉄屑だけではない。暗闇に慣れた視界に入るのは、苦無から滴り落ちる血と、足元に広がる水溜り。十を越える屍が地雷亜の背後に横たわっていた。
「それは……?」
息を押し殺し、動揺をさとられまいと問うと、気だるげに、さしてたいした事のないような返事が返ってきた。
「犬にも劣る、屍喰らいの鴉どもよ。腐肉を漁りに常世まで来るとは。あまりにも煩かったのでな」
横たわる死体達の着物を着崩した姿は一見浪人のようにも見えるが、
「て、天に楯突いて……ぐがっ」
辛うじて息のあった一人。地雷亜は、スルリと袖口から滑り落とした苦無をためらいなく投げ打ち、トドメを刺す。
「少々、餌の匂いを嗅がせ過ぎたようだ。お前という存在をちらつかせただけで、この有様だ」
『天』と言った。そして『鴉』とも。それに繋がる存在といえば――だが、今は。
「地雷亜。人は地へ、月は空へ、蜘蛛は森へ。あなたの居場所はここにはない」
「そして、お前の居場所もここにはない」
「私の居場所は私が決める」
身勝手だという自覚はあったが、地雷亜は私の言葉を聞き流し、一歩、歩みを進める。
「アレは俺の作品だ。依る所を持たず、頼る者を持たず、孤独の中、私を滅して敵に刃を向け続ける。そう在らねばならない。そう在るべき俺の作品だ」
「
「愚かな。アレの何を知っているというのだ。アレの技は俺が仕込んだ。アレの道は俺が作った。アレの存在理由を決めるのは俺だ。夜王がいなくなり、敵は去った。ならば新たな敵が必要だ。敵はだれだ? 俺か? お前か?」
冷たい双眸が私を断罪するように、見つめていた。
――斬ることでしか救えない何かを斬り捨てるのは正しいか。
総悟はそれと誤りだと言ったが……。
「私はそんな役どころごめん被るし、
「ならばその役は俺が貰おう」
――キュリ
微かにそんな音がした。
とたん襲いくる圧。思えば、地雷亜の後ろに転がる死体は丸太を鋭利な刃物で切り刻んだような体をなしていた。鋼線――地雷亜が得意とするそれが、私がここにくる以前から張り巡らされていたのだろう。
しかし、プツッ、その音を皮切りに、はらはらと、糸が落ちていく。
「ほう……鋼をも切り裂く俺の糸を絶つか」
油断なく苦無を構えながら、地雷亜は腰を低くする。
「地雷亜やめにしよう。アンタでは私には勝てない」
「そのようだな。だが――目的を達するのであれば何も打ち勝つ必要はない。そうだろう? 月詠」
私の背後へ発せられる言葉に思わず振り向く。月詠さんは、忍び装束を身に纏い、白粉も紅もさしていないというのに、遊女達にも引けを取らない
「
「どうしてもこうしてもありはせん。『こに行けと』と、場所とそれだけを書かれた文が届いたというか、あれは投げ入れられたというのが正しいか。来てみれば――キリそいつは誰じゃ? なぜ刃を交えておる」
その文の主というのは恐らく全蔵さんだろう。そうか月詠さんは知らないのか。今の地雷亜は、私の
「久しいなぁ月詠。随分と技を磨いたな。その苦無で何度敵を切った? 何度日輪を守った? だが――俺の化粧はまだ見破れなんだか」
ペリペリと、爪でこそぎ落とすように地雷亜はその化粧を解いていく。四分の一。丁度右目から額にかけての化粧を落とすと、焼けただれた浅黒く赤い肌と、眼孔の縁、めいっぱいに見開いたぎょろぎょろと――子供が見たら悪夢に魘されそうな、そんな目玉が姿を表した。
「……師匠?」
現実をにわかには受け止めきれないような呟きが月詠さんから発せられる。
「そうだ。思い出したか? 月詠」
「なぜ……なぜ師匠、あなたがここにいる! 生きていたのならなぜ! なぜ!」
それはダムが決壊したような。幼子の慟哭だった。
生きているか不安になる方向け。
ツイッターやってます。
@flyingchickin
執筆スピードは、上がりません。申し訳ありません。
心苦しくは思っています。