気にはなるものの、気にしても良い考えが生まれることはなく、頭の片隅に置きながら日常を送るうちに、まあなるようになるんじゃない? と考え出した頃にソイツは現れた。
『ミ……ツケタ』
バイト帰りにそう声をかけてきたのは、馬の顔をした天人だった。
赤光を背にしているからか、それとも天人に慣れていないからか、その表情はよくわからなかった。
「なにか?」
『……ナイ』
ノイズがかった、そういうとしか言えない声だった。
一瞬遅れて吹き出した赤い水に何が起こったか判断がついたのは、咄嗟に弾き飛ばした二撃目を受けてからのことだった。
首から胸にかけてバッサリとやられた。二撃目は確実に首を狙っていた。
『殺ろ……さ……』
続けて抜き放たれた腕が頬の横を通り過ぎる。
「キリさんっ!!!」
「っっ!! 新八君!? 来ないで!!」
押し留めようと上げた片腕はきり飛ばされ、腰に手をやった右手は、存在しない刀に空を切る。何をやっているのだ。
だが、致命的なその隙をつくことなく天人は距離を取る。
『ぐっ……つ……ぎ』
そして、そのまま、ふらつき、さがるとそのまま空に溶けて消えていった。
「きりさん! 大丈夫ですか! 抑えて!! だれか! 救急車を!! 血が!! 抑えて!!」
「ありがとう。でも、大丈夫だから心配しないで」
懐から出した手ぬぐいが押し付けられる。
無駄に汚してしまったな。横に立つ新八君の顔はひどく青ざめていた。
「何が……あったんですか?」
「私もわかんない。とりあえず場所を移そうか……」
誰かが呼んでくれたのだろう救急車のサイレンの音と遠巻きにする人混み。だいぶ騒ぎになってしまった。遠くからサイレンの音も聞こえてくる。ご親切な誰かが呼んでくれたのだろう。
だが、あれは――想像通りであれば最悪だ。
何度も転移を重ね、経路を辿られないように万事屋に駆け込む。「相変わらずデタラメですね」とは新八君の談だったが、「きーやんは最強だからね」と伝えた顔は笑えていただろうか?
玄関のドアを経由せず上がり込んだ私に、銀さんは驚いたよう腰を浮かせた。
「おい! その怪我どうした!?」
ああ、安全第一で後回しにしていたのだったと気づき、血痕を消し去る。ついでに腕も。
銀さんへの返事をおいて、とっさの判断が鈍らない程度の数の鳥を辺りにばら撒き警戒にあたる。私の知っている限り宇宙一安全な場所になった筈だが通用するか……。
「流石に辛い。悪いけど新八君、銀さんに説明して貰っていい? 余裕がない」
「えっ! そんな無茶な!」
抗議の声をあげる新八君を置いて、ソファーに身を預け情報を処理する。万事屋の周りにはいない。神楽ちゃんと定春は今どこに? 吉原には……人の数が多すぎる。少なくともひのやの周りにはいない。源外さんのところはどうだ?
同時に、取り落としそうになりながら携帯を取り出す。
「サブちゃん。ああ、話早いね。ごめん、そっちに情報いっていたら統制をお願い。ってかそっちじゃないよね? なにか知ってたら連絡頂戴」
「急にごめん。
「鴨ちゃん、天女の件だけど、アレを知っているのは誰? ごめん、まとめてメールに送って貰っていい?」
「エリー、桂さんに代わって。私だけど、天の羽衣計画って知ってる? あー、ごめん余裕ないんだわ、知らないならいい」
大声を浴びせかけられながら通話をしているようなものだ。とてもじゃないが会話できない。一方的に内容を伝え次々に電話を切る。
少なくとも身内は白だ。信じるならば、だが。最低限だけ残し、鳥の数を減らす。
「おい!」
「ごめん、しばらく反応ないと思うけど気にしないで、声は聞こているから」
続けて呼びかける銀さんの声が水の表面から聞こえてくるように、鈍く響く。
物理的に近づくのならば問題ない。だがあれは空間を斬ったのだ、私の想像通りならばアレは――空間を渡れる。
きちんと考えたことはないが、いつもやっている転移を丁寧に行うとしたら、表からこの世界ではない空間へ一瞬身を投じ、空間距離のないその世界を渡り、再び表へ出るという手順を踏むことになるだろう。
もし奴がここに来るのならば、そうやって来るのが自然か……。意識的に表と裏どちらにも存在するように潜る。
どこからくる? 虹色の油膜のような世界で目を凝らし、意識を尖らせ、千分の一を感じ取れるように感覚を引き伸ばしていく。
どのぐらい経っただろうか……表が騒がしい。あいつが来た様子はないが、何だ? と思っていたら、横に寝かせられ……いやちょっと。
「まって!!!」
無理やり浮上したせいで、世界が鮮明に見える。だがそんな理由とは別に、心臓が早鐘を打つ。
驚愕の出来事に何もかもが吹っ飛んだわ。
「……いってぇええ」
思わず頭突きをかましてしまった銀さんが転げ回っていた。
「人が真面目にやってる時に何してんの!?」
いや、分かる! 何をしようとしていたかは分かる!
新八君が慌てた様子で駆け寄ってくる。
「生きてます? 息してます? 心臓ちゃんと動いてます? 吸ってー、吐いてー」
「動いてる、動いてる、息もちゃんとしてる。スッスッハーだっけ?」
「こんなときにまでボケなくていいですから……。気づいたら呼吸も脈も止まってて、こっちこそ心臓止まるかと思いましたよ」
どうやら深く潜りすぎて危うく心臓まで止めるところだったみたいだ。そして、それに気付いた銀さんが人工呼吸をしようとしてくれたというのがことの経緯か。怪我の事もあってだろうが、
よく見たら、銀さんの鼻からぼたぼたと血が出ている。
「うわー、ごめん。ちょっと手どけて、はい、痛い痛いの飛んでいけー」
「あ゛ー、すっげー違和感……。大丈夫? 俺の鼻、凹んでない? 低くなってない?」
「大丈夫、大丈夫、もとからそんなもん。本当にごめん」
ちょっと鼻にヒビが入っていたってことは隠しておこう。きちんと治したから許して。
手を合わせて平謝りする私に、銀さんはため息を一つだけついて許してくれた。
今、
神楽ちゃんもそろそろ帰ってくる時間だ。何か言いたそうな二人を前にして、とりあえずご飯にしない? と声をかけてみた。
「で、なんだったんですか……?」
夕食のコロッケを塗箸で割りながらそう聞いてきたのは新八君だった。
「どこから話したらどう話したらよいものか……。結論だけいうと、私に似た存在が私を殺そうとしたってところかなぁ。憶測も交じるけど……」
端的に話せばそうだろう。
「ぜんっぜんっ、分かりません」
新八くんが力強く首を振る。そりゃそうだろう……。そう思ったのは私だけではないようで、
「秘密主義も過ぎればタダのウザキャラアル」
と、神楽ちゃんが止めを刺してくれた。
「秘密主義を気取るつもりはないんだけど……。うーん、信じられないと思うような話だから信じなくてもいいんだけど……」
そう断りを入れると、皆の目が一の字を貼り付けたようになった。付け合せのキャベツが甘くて美味しい。
世間はいつだって世知辛いものである。
「重大発表! 実はきーやんは別の世界から召喚された異世界人だったんです!」
「えーそうだったんですかー」
「しらなかったあるー」
ドヤ顔の私に対し棒読みで合いの手をいれてくれた二人はおやつを抜いてやろう。
「今更てめぇがどうだろうと驚かねぇよ」
「そっかそっか」
「何にやにやしてんだよ気持ちわりぃな」
思わず茶化したい気持ちが芽生えるが、筋道が逸れそうだったので修正する。
「いや、まぁこっからが本題なんだけど、異世界人だからってこういう力が普通に使える人間ってのはいないわけで、こっちに召喚? されるとついちゃうオマケ機能というか、本体がオマケでこっちが目的みたいなところがあってさ、超万能兵器きーやんを召喚した連中はそれはもう躍起になって私を捉えようと……してないな?」
「してないのか?」
「してない……ねぇ……」
「してない」というか「できない」が正しいのだろうがそこは曖昧に誤魔化しておく。
資料、施設、資金諸々焼いてやったからなぁー。特に最後のがどっかのM資金的なやつでやばかったらしく、生きていても、責任逃れで死んだふりした連中も多かったみたいだし、全ては闇の中に葬り去られたと思ったのだけど。
「うーん……言っててなんなんだけど、別に私殺す理由ないよね……?」
「ちなみにキリさんを呼び出した人達ってキリさんに何をさせようとしてたんですか……?」
「天人との全面戦争――をさせようとしてたみたいなんだけど、武力による外交カードが関の山だって気付いて欲しかったかなぁー。私で失敗したからもう一人を呼び出した? それにしたって理由がなぁ……」
感情論抜きにしても、私一人で地球規模の戦争とか無謀だから。
「止められると思ったんじゃないですか……? もう一人召喚したその人が始めようとする戦争を……」
「それが理由だったら、私はもう一人の存在なんて知らないんだから、先におっぱじめるべきだと思うんだよね。手なんて出さないで。そうしたら私は地球側につくしかないのだから、それこそ戦力二倍で向こうの思う壺だと思うんだよねー」
だがしかし、馬と私だけが矢面に立たされるスターウォーズなんて簡便願い下げたい。
ってかそうだ……。
「天人だった……」
「天人?」
呟きを銀さんが拾う。
「よく考えたら、天人だったなぁーと。相手、馬の顔をした天人だった。少なくとも地球人ではない感じの……」
呼び出し元となる別の次元では馬人間がデフォルトなのかもしれないが、どうもしっくりこない。フウイヌム的な平和主義者ではないことだけは確かなのだが。
「それで何か手はあるのか?」
色々考えを巡らせつつという感じで、銀さんが口を開いた。
「防戦一方ってのは分が悪いんだけど、こっちから出ようと思っても相手の居場所がねぇ」
「わかんねぇのか」
「わかんないねぇ……。ああでも人質とか取られたらやっかいだと思ってたけど、それもやるならとっくにやってるだろうからその線はないのかなぁー」
同じだ。戦争するにしても、人質を取って交渉するにしても先手必勝でやればよかったのだ。ますます理由が分からない。ただ、私を殺そうとした。それだけは確かだ。
「お前、今日泊まってけ」
断ることのできない口調で伝えられたソレに、頭を悩ませ、悩ませ続け、疲れて寝た。