天国には理想郷がありまして   作:空飛ぶ鶏゜

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袖する縁も縁は縁

 仕事へ行くといった私は『馬鹿か』『馬鹿じゃないんですか?』『馬鹿アルか』と三者三様の罵声を浴びさせられ、一時撤退を余儀なくされた。

 電話一本で辞めると告げた私に、アンコウさんはグチグチと困るんだよねぇ~と小一時間小言をいい、結局受け入れてくれた。

 再び借りぐらしの始まりだ。

 今日は万事屋の仕事に付き合い、

 ひたすら馬を探していた。

「いや、なんで?」

 

 思わず口から零れ落ちた疑問は、江戸の青空に吸い込まれるでもなく、銀さんの死んだ魚のような目にぺちんとぶつかった。

 依頼内容はこうだ。

 近所の老人会が共同で世話をしている馬が逃げたので探して欲しい。名前はマイケル。純和風の長屋の裏庭で飼われているのにマイケル。飼い主のおばあちゃん曰く、若い頃に見た異国の踊る男に似ているからマイケルらしい。何をどう見たら馬が踊る異国の男に見えるのか分からない。もしかしたら私の知らないマイケルは四足歩行だったのかもしれない。

 

「馬に縁がありすぎじゃない? これ、神様が雑に伏線を張ってない?」

「腐った縁は廃品回収にでも回しておけ」

「いやでも、腐った伏線でも、未回収のまま終わると読者が怒らない?」

「誰だよ読者って。お前の脳内に住んでる読者(でんぱ)か?」

 

 銀さんはだるそうに木刀を肩に担ぎ、道端の電柱に貼られた手書きの張り紙を見る。

 そこには『馬をさがしています。人をかみます。野菜をぬすみます。さみしがりやです』と、反抗期と思春期が同居した紹介文が書かれていた。

 

「さみしがりやかーどっかの誰かみてぇだな」

「盗むのはいただけないけど、ヘルシー思考は誰かにも見習って欲しいねぇー」

 

 互いに互いをけなし合う銀さんと私の横で、新八君がため息混じりに眼鏡を押し上げる。

 その横で神楽ちゃんは酢昆布を噛みながら、張り紙の馬の似顔絵をじっと見つめていた。

 

「野菜といっしょに煮込んだらうまそうアルな」

「神楽ちゃん、依頼対象を食材カテゴリに入れないで。おばあちゃん泣いちゃうから」

 

 いつもなら、この手の依頼はくだらないと文句を言いながらも、まあ平和で何よりだと流していたと思う。

 実際、依頼内容だけ見れば平和そのものだった。馬が逃げた。探す。捕まえる。謝礼を銀さんがパチンコに溶かそうとして新八君に怒られる。神楽ちゃんが残りで酢昆布を買う。私は横でプリンを要求する。予定調和。日曜朝の健康体操ぐらい健全な流れだ。

 けれど、馬という単語が出るたびに、どうしても脳裏に勿忘草色の着物がちらついた。

 馬面の天人。

 空間を斬る腕。

 銀さんの名前を呼んだ声。

 そして、あの一瞬だけ私ではなく銀さんを見ていた目。

 

「きーやん」

 

 ぐいっと袖を引かれ、意識が浮上する。

 神楽ちゃんがこちらを見上げていた。

 

「顔が葬式アル」

「え、そんなに? 喪主っぽい?」

「棺桶の中身っぽいネ」

「それはもう表情の問題じゃないよね」

 

 頬を両手で揉む。むにむにと人の顔を粘土のように成形していると、新八君に「往来で何やってるんですか」と普通に止められた。

 銀さんは何も言わない。

 言わないくせに、視線だけはこちらに置いている。

 そういうの、やめて欲しい。優しさを雑巾でくるんで投げてくるのは反則だ。受け取る方の身にもなって欲しい。臭そうじゃないか。

 

「大丈夫だよ。馬探しでしょ? 任せて。私、こう見えて動物には好かれる方だから」

「定春に頭から齧られてた人間の台詞とは思えませんね」

「あれは愛情表現だから」

「この前隣の岩倉さんも噛んでたアル」

「さすが定春、博愛主義だね」

 

 とりあえず、逃げた馬の足跡を探す。

 地面に残った蹄の跡。落ちている人参の葉。妙に整然と抜かれた大根。なかなか計画性のある犯行である。犯行予告にメッセージカードを残していくタイプに違いない。

 追跡自体は難しくない。

 

「あっちアル」

「なんで分かるの?」

「かじられた大根の匂いがするアル」

「銀さんちゃんと食べさせてあげてね」

「今日も神楽ちゃんはお茶漬けサラサラご飯を一升平らげてましたー」

「あんなんで足りると思ってんのか、夜兎をなめんなヨ」

 

 軽口を叩きながら、横道に入る。

 昼下がりの細い路地は、洗濯物の影で斑に暗い。魚を焼く匂い、味噌汁の匂い、どこかの家から聞こえる夫婦喧嘩の声。生活の音が当たり前みたいに積み重なっている。

 その当たり前の中に、一筋だけ異物が混じっていた。

 

 切れ目。

 

 空気の中に、細い傷のようなものが残っている。

 たぶん、普通の人には見えない。見えたとしても、目の疲れか、夏でもないのに蜃気楼が出たか、昨晩飲み過ぎたかで片付ける程度の歪み。

 けれど私には分かる。

 これは、空間が一度ほどけた痕だ。

 

「……銀さん」

 

 小さく呼ぶと、銀さんの足が止まった。

 新八君と神楽ちゃんも、遅れて空気を読む。いや、神楽ちゃんは空気というより私の袖を読む。がっちり掴まれた。逃走防止のリードかな?

 

「いるのか」

「今はいない。けど、通ったかもしれない」

 

 そう答えた自分の声が、思ったより平坦で驚く。

 怖いと思うより先に、体の内側が冷える。あれともう一度やりあったらどうなるか。答えは簡単で、きっと負ける。少なくとも今のままでは。

 私は強い。

 理不尽なほど強い。

 その自覚はある。

 けれど、世の中にはテストで百点を取っても隣の席に百二十点を取る転校生が現れることがある。教育委員会は早急に採点制度を見直して欲しい。

 

「きーやん」

「大丈夫」

「まだ何も言ってないアル」

「先手必勝かなって」

「そういうところが信用ならないんですよ」

 

 新八君の声がいつもより低い。押し殺した声に怯えがかいま見えた。

 新八君は優しいからねとか、自分の愚かさを悔いるべきとか、今まで自虐的な方法で取り扱っていた私はその感情を持て余す。

 喜ぶできだろうか? その恐れに同調すべきだろうか? 理性で方向を決めた感情は、油膜の上の水滴のように弾かれ四散する。受け取りそこねた感情を消化できぬまま、事実だけを口にする。

 

「本当に今はいないよ。残り香みたいなもの。多分、ここを通っただけ」

「馬は?」

「あっちアル」

「……なんで同じ方向かなぁ」

「そりゃ馬だからじゃねぇの」

「銀さん、その雑な結論で人生乗り切ってきたでしょ」

「乗り切れてりゃあ苦労してねぇよ」

 

 それはそれで悲しい説得力があった。

 路地を抜けると、小さな児童公園に出た。滑り台とブランコと、用途の分からない半球状の遊具。そこに、いた。

 茶色い馬が、砂場の真ん中で大根を齧っている。

 張り紙の似顔絵より三割ほど目つきが悪い。マイケルというより、借金取りの下っ端みたいな顔だ。

 

「いたアル」

「いましたね」

「思ったより反社会的な顔してるね」

 

 私達が近づくと、マイケルは顔を上げた。

 黒い目がこちらを見る。

 違う。

 これは、あの天人じゃない。ただの馬だ。多分。少なくとも大根を口からはみ出させているあたり、世界を滅ぼすタイプの敵ではない。ラスボスが大根咥えて登場するゲームなんて嫌だ。

 

「キリ」

 

 銀さんが短く呼んだ。

 

 勝手に身構えた体の力を抜く

 

「わかってる」

 

 うっかり消し飛ばした日には全国の馬主協会から抗議文が来るに違いない。

 

「……大丈夫。マイケルだね。よーしよし、怖くないよー」

「怖がってんのお前じゃねぇか」

「繊細な乙女心に塩を塗り込まないで欲しい」

「乙女心って便利な言葉ですね」

 

 ゆっくり近づく。

 マイケルはじっとこちらを見ていたが、ふいに鼻を鳴らすと、私ではなく銀さんの方へ歩いていった。

 そして、銀さんの着流しの袖を噛んだ。

 

「いってぇ! おいコラ離せ! なんで俺!?」

「モテ期だね銀さん。種族を超えた」

「馬界隈で人気出ても嬉しくねぇよ!」

「銀ちゃん、責任取るネ」

「何の責任!?」

 

 神楽ちゃんがマイケルの首に縄をかける。新八君が宥めるように人参を差し出す。私は銀さんの袖から馬の歯を外そうとして、マイケルと目が合った。

 その黒い目の奥に、ほんの一瞬、別の色が重なる。

 勿忘草。

 

『ギん……』

 

 聞こえた気がした。

 耳ではない。もっと奥。空間の薄皮一枚向こうから、擦れた声が漏れてきたような感覚。

 思わず顔を上げる。

 公園の向こう。電線の影。誰もいない。

 でも、見られている。

 

「キリさん?」

 

 新八君の声に我に返る。

 まだ、マイケルは銀さんの袖をむしゃむしゃしていた。クリーニング代って概念を学んで欲しい。

 

「……ごめん。ちょっと電波」

「受信しないでください。今すぐ解約してください」

「違約金が高くて」

「踏み倒すといいネ」

 

 神楽ちゃんが縄を持ったまま、こちらを睨む。子供特有の遠慮のなさで、私の言い訳を真っ二つにする一言だった。

 私は笑う。

 笑えたと思う。

 

「うん。そうする」

 

 その視線の本当の意味に納得したくない自分がいる。

 迷惑をかけたくない。巻き込みたくない。護りたい。そういう言葉は綺麗だけれど、要するに私はまだ、一方的に他人と接していたいだけなのだ。境界線を踏み越えられるのを恐れている。

 マイケルの綱を引く神楽ちゃんを見ながら、そんなことを考える。

 

「なに馬見てしんみりしてんだよ。感動巨編始めんな。こっちは袖が死にかけてんだよ」

「銀さん」

「あ?」

「マイケルとお幸せに」

「話聞けよ!」

 

 結局、マイケルは銀さんの袖と引き換えに無事捕獲された。

 老人会のおばあちゃん達はたいそう喜び、謝礼として煮物と漬物と、なぜか大量の人参を持たせてくれた。馬探しの報酬が人参。経済が局地的に馬基準になっている。

 帰り道、神楽ちゃんは人参をかじり、新八君はそれを注意し、銀さんは穴の開いた袖を見て不貞腐れていた。

 私は少し後ろを歩きながら、さっきの公園を振り返る。

 気配は完全に消失していたが、あの声だけが耳の奥に残っている。

 

 銀さんの名前を呼ぶ声。

 会いたかったと、泣くような声。

 

「……元カノじゃないなら、なんなんだろうね」

 

 小さく呟いたそれに、前を歩く銀さんが振り返った。

 

「何か言ったか?」

「ううん。銀さんの袖、馬に取られたなぁーって、結局好かれてたのは銀さんじゃなくその袖ってこと? 袖にされた? 袖だけに?」

「お前なぁ……」

 

 怒ったような、呆れたような顔。

 その顔を見て、胸の奥が変に痛んだ。

 なんだろうこれは。

 不安とも違う。恐怖とも違う。もっと面倒くさくて、名前をつけると人生に汚点を残しそうな感情。

 こういう時、名前を知らないものは全部空腹せいにしておけばいい。便利だ。人類はもっと食欲に感謝すべきだと思う。

 

「帰ったら人参プリンでも作る?」

「やめろ。食材に罪はねぇ」

「銀さん酷い。私の料理スキルは日々進化しているというのに」

「進化の過程で絶滅する種もいるんですよ」

「新八君まで」

 

 くだらない会話をしながら、万事屋へ帰る。

 その道中、私は一度も振り返らなかった。

 振り返らないでいられた。

 それが良いことなのか悪いことなのかは、まだ分からない。

 

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