天国には理想郷がありまして   作:空飛ぶ鶏゜

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紫色の合わせ鏡

 馬面の天人が、私である。

 空間を斬るような移動。再生の仕方。攻撃の組み立て。人前で手をださない謎ルール。銀さんに向けられた声。

 どれもこれも、認めたくなさすぎて逆に説得力がある。

 鏡を見たら馬が映っていました。はいそうですかと受け入れられる人間がいたら、その人は相当徳が高いか、何かに到達している。

 けれど、それを認めた瞬間、今まで散らばっていた違和感が気持ち悪いぐらい綺麗に並んだ。

 私を殺そうとする私。銀さんの中からいなくなった魘魅。これでピンとこないのならばそいつは銀魂読んでて主人公が銀さんだって気付かないタイプの人間だ。

 夕方の埠頭は、昼の江戸とは別の生き物みたいだった。

 海面には沈みかけた夕日が細く伸び、赤く濁った水の上で千切れたり繋がったりしている。積み上げられたコンテナは長い影を引いて四角い墓標のように並び、錆びた鉄と潮の匂いが風に混ざって鼻の奥を刺した。

 遠くで船の汽笛が鳴る。

 その間延びした音だけが、ここがまだ現実の端っこに引っかかっているのだと教えてくれていた。

 

『ちガう』

 

 ノイズ混じりの声が返る。

 

「否定が遅い」

『違ウ』

「二度言ったところで説得力は二倍になりゃしねーよって銀さんなら言うだろうね」

「お前……ガ銀さんヲ……語るナ!!」

「語るに落ちたとはこのことだね」

 

 軽口を叩きながら、足元の影へ意識を沈める。

 海。倉庫。コンテナ。街灯。潮。風。

 濡れたコンクリートの冷たさ。靴底に張り付く細かな砂。少し離れた場所で、切れたロープが風に煽られ、金具をかつんかつんと鳴らしている。

 逃げる場所はいくつもある。

 隠れる場所も、壊して足止めに使えるものも、視線を遮りブラフに使えるものもある。

 けれど、それは相手も同じだ。私の考えなんてまるっとお見通しに違いない。

 脇腹を斬撃がかすめる。

 

『お前は私ジャない!!』

「でも、私は私だよ」

 

 答えになっているようで、何も答えていない。

 だが、相手はそれで十分だったらしい。馬面の奥で、何かが僅かに歪む。

 笑ったのかもしれない。

 泣いたのかもしれない。

 

 私は私を殺せるか――死んだふりは天丼もいいとこだ。私だったら死体蹴りを躊躇しない。

 「勝手に行くな」といった神楽ちゃんがちらつく、何度だって許してくれる彼女に甘え、私は何度だって謝らなければいけない――ちゃんと「ただいま」を言わなければ――。

 

『馬鹿……だネ』

「あんたに言われるのは心外だなぁ」

 

 次の瞬間、未来の私が腕を振った。

 見えない刃が斜めに走り、私の足元から背後の海までまとめて切り裂く。

 海面に一直線の裂け目ができ、赤黒い水が一拍遅れて白く泡立った。切られた水が左右にずれ、すぐに崩れて元へ戻ろうとする。

 空間そのものを斬られたせいか、夕日の光までぐにゃりと曲がって見えた。

 斬撃はそのまま私の頬をかすめる。

 熱い線が走り、血が一筋浮いた。

 私は体を捻って致命傷だけを避け、その血を空中で針に変えて撃ち返す。

 馬面の天人――未来の私と呼ぶにはまだ心が拒否するそれは、血の針を最小限の動きで躱した。

 私ならそうする。

 分かっていた。

 分かっていたから、針の一本を途中で折り、軌道を変える。

 その一本が袖を裂いた。

 勿忘草の布が夕風に舞う。

 布切れは潮風に煽られ、ひらひらと落ちていく。

 落下するほんの数秒の間に、街灯の橙、海面の黒、血の赤を順番に映して、最後には濡れた地面へ張り付いた。

 

『上手』

「褒められても嬉しくない。自分で自分褒めるの、だいぶ末期感ある」

『褒められルト軽口……を叩くクセ……ソろソロ止めた方がい……ィ』

「やめてよ、急に解像度上げるの」

 

 胸の奥が嫌な音を立てる。

 その言葉は私を知っている者の言葉だった。

 それも、外側からではない。内側から。人に褒められても、どう受け取ればいいか分からず茶化す癖。好意は投げられるくせに、受け取るのは下手な癖。

 ああ、本当に私なのか。

 こんな姿になってまで。

 

「何があったの」

『アなタが……殺しタ』

「誰を」

 

 聞く前から、答えは分かっていた。

 これは確かめ算だ。確証が真実であることの答え合わせ。

 

『銀さん』

 

 世界から音が消えた。

 波の音も、風の音も、遠くの船のエンジン音も、何もかもが遠ざかる。

 代わりに、自分の心臓の音だけが耳の内側で大きくなる。

 どくん、どくん、と不格好に脈打つそれは、まるで私の体がまだ生き物であることを必死に主張しているみたいだった。

 足元の海が揺れているのか、自分が揺れているのか分からない。

 坂田銀時。

 銀さん。

 あのだらしない、糖分過多で、家賃を滞納し、ジャンプを読んで、面倒くさがりで、それでも最後には前に立つ人。

 やっぱりなという確証と、嘘であって欲しい期待が混じり合う。

 

「……冗談にしては趣味が悪い」

『冗談デ済むなら……来なカった』

 

 未来の私は、腕を上げる。

 その指先がほどけ、刃になる。血と骨と空間が混ざったような、見ているだけで吐き気のする刃。

 指の輪郭が糸のように裂け、節くれだった骨の白と、濡れた血の赤と、光を吸う黒い亀裂が絡まり合う。

 刃というより、失敗した祈りの形だった。

 あんなものが自分の行き着く先だなんて、悪趣味な占いにも程がある。

 私の刃だ。

 私がやろうと思えばできることだ。

 だから余計に嫌だった。

 

『アなタが魘魅を抱えタ』

 

 魘魅。

 その名前に、古い記憶が引きずり出される。

 銀さんの血。

 白詛。

 ナノマシン。

 源外さんが言った、血液の偏り。

 何かがあった形跡。

 なかったことになった何か。

 

「……私の中にいるの?」

『今は眠ッていル。けレど、いつか起きル。起きた時、アなタは母体になル。広がリ。壊シ。殺ス』

「それで私を殺しに来た?」

『そう』

「でも、私を殺しても魘魅は……」

 

 言いながら、答えが見える。

 未来の私が僅かに動きを止めた。

 やっぱり。

 

「分かってたんだね、そりゃそうだ」

『……』

「私を殺しても駄目だって。原因は私じゃない。私の中に入ったもの。私を殺したところで、それが別の場所へ逃げたら終わり。むしろ悪化する可能性もある」

『黙ッテ』

「それでも来た。私を殺しに」

 

 未来の私は答えない。

 けれど、沈黙は肯定だ。

 私は一歩前へ出る。

 未来の私は一歩下がる。

 

「銀さんを殺した私が許せなかった?」

 

 刃が飛んだ。

 早い。

 避けきれない。

 肩から胸にかけて裂かれる。血が噴き出す。肺に空気が入らない。膝をつきかける。

 裂かれた服の下で、肉が開く感触があった。

 熱い痛みが遅れて届き、潮風に晒された傷口が焼けるように疼く。血が胸元を伝い、腹のあたりで冷えて重くなる。

 コンクリートに落ちた赤は、すぐに黒く見えた。

 だが倒れない。

 倒れたら、きっとあの人達が来る。

 根拠もないのにそう確信を持つ。来てしまう。それだけは駄目だ。

 

「図星かぁ」

 

 傷を塞ぐ。

 痛い。

 痛いが、口は動く。

 自分のしぶとさに感謝すべきか、呆れるべきか迷う。最近の流行はコスパとタイパだ。根性論の泥臭い生き方なんて時代遅れも甚だしい。

 

『アなタは……何も知ラない』

「そうだね。知らない。未来のことなんて知らない。銀さんが死ぬところなんて知らない。私が何をしたのかも知らない」

 

 息を吸う。

 潮の匂いに血の匂いが混じる。

 『全てを知っている』筈のわたしが知らない物語。その可能性に気づけたのは幸いか不幸か。

 

「でも、あんたが後悔してることは分かる」

 

 未来の私の動きが止まる。

 

「あんたは私を憎んでる。銀さんを殺した私を許せない。でも、私を殺せない。だって私があんたの正体を知ってしまったから。私があんたを()()()()()()()()()

『殺ス』

「殺せない」

『殺ス!』

 

 叫びと同時に、空間が砕けた。

 周囲のコンテナが紙みたいに裂ける。海面が吹き上がる。街灯が落ち、火花が散る。

 鉄板が軋む音が夕暮れを引っ掻き、積まれていたコンテナの一つが斜めにずれて落ちる。地面を叩いた衝撃が足裏から膝へ抜け、遅れて埃と潮水が混ざった霧が立ち込めた。

 落ちた街灯は火花を吐きながら明滅し、私達の影を長く伸ばしては細切れにした。

 私は真正面から受けた。

 防御に回した腕が消える。腹が裂ける。視界が赤く染まる。

 それでも、未来の私から目を逸らさない。

 だってこれは、私だ。

 勝手に行かないと約束したのに、一人置いていかれた私だ。

 

「銀さんに会いたかった?」

 

 未来の私の体が震えた。

 

「だから動きが止まったんでしょ。だから殺せなかった。会いたかったんだよね。死なせた人に。自分が殺した人に」

『黙れ』

「好きだった?」

 

 問いは、刃より深く刺さったらしい。

 未来の私の顔が歪む。

 馬面の奥、崩れた輪郭の向こうで、ほんの僅かに人の顔が見えた。

 私の顔だった。

 疲れ果て、泣き腫らし、何度も死に損なったような顔。

 頬はこけ、目の下には深い影が落ちていた。唇は乾き、笑おうとして失敗したような形に歪んでいる。

 それでも、目だけは知っているものだった。

 諦めたふりをしながら、最後の最後でまだ何かを諦めきれない目。

 鏡に映る自分の嫌いな部分だけを煮詰めて、人の形に戻したらこうなるのかもしれない。

 

『好き……だッた』

 

 割れた声。

 聞いた瞬間、胸が痛んだ。

 それは未来の私の感情のはずなのに、なぜか自分の奥で同じ形をしたものが震えた。

 

『好きダった。好きダったヨ。好きデ、好きデ、でも言えナくて、言わナいまま殺しタ』

 

 未来の私は笑った。

 酷い笑い方だった。

 

『だかラ、アなタも気づいテ欲しかッた。死ぬ前に。殺さレる前に。自分が何を大事ニしていルのか。でも知らないまま死ねばヨカった』

「……矛盾してるね」

『知っテる』

 

 刃が下りる。

 私は避けなかった。

 避ける代わりに、一歩踏み込んだ。

 刃が腹を貫く。

 体の奥で、冷たいものが背中まで抜けた。

 衝撃で息が詰まり、吐き出した空気に血の味が混ざる。膝が笑う。視界の端が白く滲む。

 それでも、踏み込んだ足だけは引かなかった。

 海風が傷口を撫でるたび、意識が薄く削られていく。

 痛みで意識が白く弾ける。

 それでも、私は未来の私の腕を掴んだ。

 

「馬鹿だね」

 

 未来の私が息を呑む。

 私は笑う。

 

「私を殺しに来たのに、私の恋路の心配してる場合じゃないでしょ」

『貴方の方こそ』

 

 返ってきた声は、クリアに届いた。

 未来の私は、泣きそうな顔で笑っていた。

 

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