教会の奥に通されたノクスたちは、静かな礼拝室のような場所に案内された。
天井は高く、日の光がステンドグラスを通って淡い色彩を落としている。どこか神聖な空気の中で、ノクスは心の高鳴りを抑えきれず、ぴょこぴょこと椅子に座っては立ち上がりそうになっていた。
「落ち着きなさい。椅子の脚、ギシギシ鳴ってるわ」
隣に座ったアミーがやんわりと注意するが、ノクスの興奮は収まらない。
「だって、だって! 本物の冒険者の話が聞けるんだよ!? すごいよね!」
「そうじゃのう」
モルテは苦笑しつつ、背筋を伸ばして座る。
その向かいに座ったベアルは、紅茶のカップを受け取ると軽く口をつけたあと、柔らかい笑みを浮かべて話し始めた。
「さてと。何を話そうかな。いろんな冒険をしてきたけど……そうだな、一番命の危険を感じた時の話でもしようか」
「うわ……なにそれ……!」
ノクスの目がさらにきらきらと輝き、アミーは静かにカップを持ち上げる。マリーは黙って彼の隣に座り、何かを企んでいるような薄い笑みを浮かべていた。
「……あれは、王都から西に離れた“鏡の峡谷”でのことだった」
ベアルの声が少し低くなった。
その瞬間、空気が変わる。まるでその場が物語の舞台へと変わったかのようだった。
「調査依頼だった。そこに現れた魔物の目撃情報があったんだ。目撃者の話では“自分にそっくりな奴に襲われた”って言っててな……まあ、まさかとは思ったが」
ベアルはゆっくりと指を組みながら、思い返すように目を細めた。
「初めてそいつと対峙したとき、俺は目を疑ったよ。そこにいたのは――まさに俺そのものだった。顔も、声も、服装も、剣さばきまで。すべてが俺と同じ」
ノクスは息をのんで身を乗り出す。マリーは顎に指を当て、興味深げにベアルを見つめていた。
「ただ……違ったのは“目”だ。まるで感情が無くて、鏡の中から自分を見てるみたいでな。戦ったよ、そいつと。何度も斬り合った。どちらが本物かわからなくなるくらい、そいつの剣は俺と同じだった」
「ひぇぇ……」
ノクスが肩をすくめる。
「それで……どうやって勝ったの……?」
その問いに、ベアルはふっと息を吐き、背筋を正した。
「“あいつ”は俺の真似をしてただけだった。本当の俺は、自分自身の弱点を知ってる。だから……そこを突いたのさ」
カップをテーブルに戻し、ベアルはどこか遠い目で続けた。
「だけど、紙一重だった。あの時は、これで終わりかと思ったよ。魔物じゃなく、まるで俺の影そのものと戦ってるようだったからな。……本当、もうあんなのは二度とごめんだ」
重々しく語り終えると、ベアルは一呼吸ついて紅茶をすする。
「すごい……そんな魔物がいるんだね……! そ、それってもしかして“変身する魔物”とか……?」
ノクスの声は震えていた。
ベアルは少し肩をすくめると、
「種類はわからない。だけど間違いなく“俺”だった。記録にも残っていないし、もしかしたら……もうこの世にいないのかもな」
「……こ、怖すぎるよぉ……」
ノクスは思わず身を縮めた。
──その時だった。
その後ろで、モルテが肘でアミーを小突いた。
「……のう、もしかして、お前か?」
「……っ!」
アミーは手にしていたカップを少し揺らし、露骨に目を逸らす。
「……し、知らないわよ」
「顔が真っ青じゃぞ」
「うるさいわね……」
小声のやりとりに気づかないノクスとベアルの背後で、モルテは顔を近づけてひそひそと聞く。
「何で襲ったんじゃ。お前、そんなタチの悪い趣味あったかの?」
「……あのときは、ちょっと機嫌が悪かっただけよ。たまたま通りがかったイケスカない男がいたから、ちょっとからかっただけなのに……」
「……お前、それで相手が命の危機を感じるって、どんな“からかい”なのじゃ」
「最初は本気じゃなかったのよ? でもね、あいつ、意外と強くて調子に乗ったから……こっちも少し本気になっちゃって……」
アミーは肩をすくめてため息をつく。
「まさか今になって冒険譚になるとは思わなかったわ……しかも、教会で」
モルテは笑いを噛み殺しながら肩を震わせ、
「くくく……ドンマイなのじゃ」
とだけ返した。
その一方で、ノクスはキラキラした目でベアルを見上げていた。
「すごいや! やっぱり冒険者ってかっこいい……!」
その無垢な言葉に、アミーは「うぐっ」と小さく呻いて紅茶を一気に飲み干したのだった。
ベアルの冒険譚が終わると、室内にはしばしの静寂が訪れた。ノクスは夢見るように目を細め、アミーは狼狽えつつ頷き、モルテはどこか表情を引き締めていた。
やがて、マリーが静かに紅茶を飲み干し、口を開いた。
「……じゃあ、今度は私の番」
その一言で、全員の視線がマリーに集まった。低く、抑揚の少ない声は、逆に緊張感を煽る。
「ベアルの話も十分スリリングだったけど……私が命を落としかけたのは、もう少し“えげつない”相手だった」
ノクスが目を見開いた。
「え、えげつない……?」
「“死人の森”って知ってる? 古戦場跡に瘴気が残って、今は禁域とされている森」
「あ……うん。二度と戻ってこられないって噂の……」
マリーはこくりと頷いた。
「そこにいたの。たった一人で、森全体を支配していた存在、ネクロマンサーが」
その言葉に、ノクスはごくりと唾を飲む。
「そのネクロマンサーは、ただの死霊術士じゃなかった。彼は自分の死体を器にして、数百年も存在し続けていた。ある種の“自分自身を媒体としたアンデッド”だったの」
マリーは頬杖をつき、まるで悪夢を追想するように語り続ける。
「彼の特異な能力は“死者の記憶”を読み取ること。そこから得た情報を使って、相手の戦い方の苦手な戦法で戦ってくるの。戦っているうちに、ジリジリ追いつめられて最後は新しい彼の傀儡の出来上がり」
ノクスの手がぶるりと震えた。
「そ、そんなの……どうやって勝ったの?」
「戦わなかったわ。私が選んだのは“術式汚染”。彼の能力の逆手を取って、複数のアンデットの“精神構造”に細工したの。私の術式の一部を紛れ込ませて、術の中で混在させた」
マリーはさらりと話すが、内容は明らかに尋常ではなかった。
「結果、彼は“浄化術式”を読み取ってしまい、自壊した。正確には、存在を維持できなくなったの。……まあ、そこまで持っていくのに何度か死にかけたけど」
「……すごい……」
ノクスは呆然と呟くように言った。
その一方で──。
マリーの語りが佳境に差し掛かったあたりから、椅子に腰掛けていたモルテの様子が明らかにおかしくなっていた。
真っ白な顔で、額には脂汗。目は泳ぎ、カップの持ち手をぐっと握りしめている。
それに気づいたアミーが、口元を抑えてくすくす笑いながらモルテに囁いた。
「……ねぇ、あんた、まさか……」
「……ち、違うのじゃ」
「何がとは言ってないのに“違う”って言うの、めっちゃ怪しいわよ」
「うぐ……」
モルテは目をそらす。アミーはますます面白がって小声で続ける。
「知り合いだった? そのネクロマンサー」
「……まぁ……若い頃に、ちょっと教えたことはあるような~…」
「教えた!?」
アミーが咳をして、声が漏れるのを誤魔化す。
「ほんの、ちょっとなのじゃ! 術式の組み立て方を……遊び半分で……深淵を一舐め程度なのじゃ!」
「……で、その“遊び半分”が数百年後にマリーに討伐されて、技術の提供者は今ここでお茶してるってわけね?」
モルテは無言で紅茶を飲んだ。震える手でカップを持ち上げながら。
アミーは腹を押さえて肩を震わせる。
「ぷふ……どんまい、モルテ」
「……アミー、笑いすぎじゃ。我だって反省してる……」
その横で、何も知らずに目を輝かせるノクスは、純粋な声で言った。
「マリーさん、ボク、ますます冒険者になりたくなってきたよ!」
「……あら、それは良いことね。危ないけど、悪くない世界よ」
と微笑むマリー。
そしてモルテは、遠い目で呟いた。
「……黒歴史を暴露されておる気分なのじゃ……」
教会を後にしたノクスたちは、夕暮れの街を歩いていた。
空は茜色に染まり、雲の切れ間から差し込む光が、三人の影を地面に長く引き伸ばす。
「ボク……ほんとにあんなすごい人たちに会えたんだね!」
ノクスは頬を紅潮させながら、まるで胸がはちきれそうな勢いで語った。
「最初はちょっと無茶かとも思ったけど、結果的にはいい出会いだったわね」
とアミーが微笑むと、
「うん……まぁ、我たちの黒歴史もセットで振り返る羽目になったがの……」
とモルテが遠い目で呟いた。
そんな二人の様子を気にも留めず、ノクスは足取り軽く家路を急ぐ。
「ベアルさん、また話を聞かせてくれるって言ってたし! しばらくはこの街にいるって!」
「それは楽しみじゃな。……うむ、楽しみ……ほんとに……」
モルテの口元が引きつる。
家に着くと、ノクスはリビングにいた家族たち――エステア、セス、リュース、ジョーヌの元に駆け寄り、すぐさま今日の出来事を語り始めた。
「聞いて聞いて! 今日、あの《銀の楯》の二人に会ったんだよ!」
「おっ、ついにご対面か。で、どうだった?」
リュースが興味深げに身を乗り出す。
「うん! ベアルさんはすごく優しくて、マリーさんはちょっと怖そうだけどすごく賢くて! それでね、それでね……!」
ノクスの口から飛び出す冒険譚は、熱と勢いに満ちていた。
剣士が自分そっくりの何者かに襲われた話。
魔法使いが、死者の記憶を読み取る恐ろしいネクロマンサーと対峙した話。
家族たちは、それぞれに思うところがあるようで――
「…!?」
エステアはびっくりしてモルテとアミーをチラチラ見る。
「……んふっ……」
セスが喉を鳴らして手で口を押さえる。
「まさかあれって……アミーとモルテの話、だよな……」
リュースが腕組みをしながら、唇を噛みしめている。
「ふーんそれは
とジョーヌは肘掛けに寄りかかり、ニヤニヤ笑っている。
一方、視線を逸らすモルテとアミーはというと、ノクスの背後で完全に沈黙していた。
(こいつら絶対気づいておる……!)
と、額に冷や汗を浮かべるモルテ。
(というかノクス、全部細かく覚えすぎでしょ……!)
とアミーも心の中で悲鳴を上げる。
しかし肝心のノクス本人はというと、まったく気づかず、目を輝かせて続ける。
「ベアルさんの話、すごくカッコよかったんだよ! 自分の弱点を利用して相手に一矢報いたりさ! ああいうの、ボクもやってみたい!」
その興奮の語りは夜が更けても続き、やがてリビングに暖かな笑いと静かな余韻が流れた。
深夜の教会。
人の気配が消えた静寂の中、一室に灯るランプの明かり。
その部屋に、ベアルとマリーが向かい合って座っていた。
机には書類と地図が広げられ、赤と青の駒が点在している。
「……思ってたより静かな街だな」
と、ベアルが肩を回しながら言った。
「それが“奴ら”の厄介なところ。擬態に関しては本能的に長けている」
マリーは目を伏せ、地図の一点を指先でなぞった。
「そろそろ本題に入ろうか……」
「そうだな」
ベアルは少し目を細めた。
「それでさっき言っていた話は本当なのか?」
「……うん」
マリーは首を縦に振る。
「調査依頼の内容通り、この街には人間に化けてこの街に潜んでいる“魔物”がいる――そして」
静かに目を閉じた。
「
蝋燭の炎が揺れ、部屋を赤く染める。
その瞬間、空気がわずかに張り詰めた。
──次なる嵐の予感を孕んだまま静かに幕を閉じた。