俺の母さん、実は魔王でした⁉   作:KuRoNia

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第三節:静寂の裏側

「……また、何も起きなかったわね」

 

マリーは長椅子の背にもたれ、ひとつ深い溜息を吐いた。

通りを眺めるふりをしながら、数時間前から広場で遊んでいたノクスを目で追い続けている。

 

アベルも近くの建物の影に立ち、同じ方向を見つめていた。

広場では市場が賑わい、家族連れや行商人のやり取りが続いている。

その中に、ノクスの姿はすっかり溶け込んでいた。

 

「この数日、日替わりで監視してるが……どこにも怪しい動きはないな。魔力の気配も、異常行動も、何一つ」

 

「そう、何も起きない。それが逆に、怖いのよ」

 

マリーは小声でつぶやき、日記のような手帳に今日の経過を書き加えた。

ページの端には、数日前の市場でノクスと会話を交わした時の記録が残っている。

あの日の無邪気な笑顔、冒険譚を聞いて目を輝かせた姿が。

 

「ノクス本人には、何の変化もないのよね?」

 

「……ああ。だが“魔物に狙われている”という状況は、変わらん」

 

アベルの声には、苦みが混じっていた。

ノクスの母――エステアが治癒魔術を使った件も、確かに普通ではない。

だが、それは単に彼女が高い魔術の素養を持っている、というだけの話にすぎないかもしれない。

 

「……それでも、私たちは動かなきゃならないのよね」

 

マリーはそっと目を伏せた。

 

このままノクスを見守っていても、魔物の影は現れない。

だが動かねば、何かが起きた時に手遅れになる。

その危険を背負っている以上《銀の楯》は決断を迫られていた。

 

アベルが腕を組み、低くうなり苦渋の決断をした。

 

「……なら、やはり“隙”を作るしかないな。魔物にノクスを狙わせ、その瞬間を狩る」

 

「そのために、ノクスに教会の中庭まで来てもらうのはどう? “続きを話してあげる”って言えば、彼は喜んで来るわ」

 

「……それで、夜に一人で帰す、と」

 

「ええ。その帰路を、私たちで見張る。魔物が動けば即座に排除。それで一件落着、のはずよ」

 

沈黙が、二人の間に落ちた。

 

「マリー。……本当に、大丈夫なのか?」

 

アベルの声には、いつになく強い色がこもっていた。

 

「……見たろ? あの親子の仲の良さを」

 

「ええ」

 

「母親に抱かれて笑うノクスを見て、俺は……未だに迷っている。初めて、かもしれん」

 

マリーは答えなかった。

代わりに、静かにノクスのいる広場の方へ視線を戻す。

その小さな背中は、あまりに無垢だった。

 

「だけど、私たちは“何もしない”という選択肢を取れない。たとえ一時的に裏切るような形になっても、結果的にノクスを守ることになるなら……それが、私の正義」

 

「……わかった、行こう。教会までの護衛は俺がつく。何かあった時、すぐに対応できるように」

 

アベルはそう言って立ち上がった。

決して納得してはいなかった。

だが、この街で命を預かる者として、選ぶべき道が他にないことも知っていた。

 

「明日、誘導するわ。広場でノクスに話しかけて、冒険譚の続きを教会で話してあげるって」

 

「……頼む、マリー。あの子を絶対に、傷つけるな」

 

「わかってる。私たちのやり方で、必ず守る」

 

二人は言葉を交わし、夕暮れの街に溶け込んでいく。

その姿は、正義と現実の狭間で揺れる者たちの、静かな決意の表れだった。

 

 

 

その日――ノクスはまた、新しい冒険譚を楽しみに、笑顔で明日を待っていた。

 

今日はなんだか、良いことが起きそうな気がしていた。

 

空は晴れていて、広場には屋台がたくさん並んでいて、パン屋さんの前を通るたびにバターのいい匂いがした。

ぼくは母さんに内緒で銀貨を一枚だけポケットに入れてきた。エステア母さんは、よく「勝手にお金を持ち出しちゃだめよ」と言うけど、今日は特別。マリーさんとアベルさんにまた会えたら、何かお礼をしたかったのだ。

 

あの二人は、ぼくが憧れている冒険者。

大きな剣や鎧を持ってるのに、優しくて、話をしてるととってもワクワクする。

この前、エルフの王国でドラゴンと戦った話をしてくれて、ぼくはその夜、興奮して寝られなかったくらいだ。

 

「んー……今日は会えるかなぁ……」

 

ぼくは広場の端にある石の階段に座り、パンをかじりながら人の波を眺めていた。

教会の鐘が、遠くでコーンと鳴った。その音がやけに気持ちよく響いたその時――

 

「よっ!ノクス元気にしてるか?」

 

「わっ!」

 

声をかけられて、びっくりして飛び上がった。

振り返ると、そこにはマリーさんがにこやかに立っていた。

後ろには、アベルさんもいた。二人とも相変わらずかっこよくて、ぼくはすぐに笑顔になった。

 

「また会えたね! 今日はなにしてるの? 怪物のしっぽを追ってるの? それともお姫さまを助けてる最中?」

 

「ふふ、今日はちょっと一休み。実はね、前に話した冒険譚の続きを、君に聞かせてあげようと思ってたの」

 

「ほんと!?」

 

思わず立ち上がって、パンを落としそうになった。

急いで口いっぱいに押し込んで、慌ててゴクンと飲み込む。

 

「き、聞く! 聞きたいです! 前回、砂漠の魔神が出てきたところで終わっちゃったから、ずっと気になってた!」

 

「じゃあ……今日は特別に、教会の中庭で続きを話してあげる」

 

「中庭?」

 

「うん。静かで、邪魔も入らないし、星も見える時間帯に話したいの。ちょっと大人っぽい雰囲気、どう?」

 

「星の下の冒険譚……! それ、ぜったいにロマンが詰まってるやつだ!!」

 

ぼくは飛び上がるようにして頷いた。

アベルさんが「走るとまた転ぶぞ」と苦笑いしてたけど、ぼくは気にならなかった。

だって、また冒険者のお話が聞けるんだもの!

 

「じゃあ、夕方の鐘が三つ鳴ったあとに、この広場の前においで。アベルが待ってるから一緒に来なよ、あと()()()()()()()()?」

 

「……わかった、約束する。僕は冒険者になるから、約束を守るのも得意なんだ!」

 

「いい子ね。それじゃあ、また夜に」

 

マリーさんはぼくの頭を軽く撫でて、それから二人で去っていった。

その背中をぼくは、ずっと見送っていた。

 

――なんだか、少しだけ変な感じがした。

 

マリーさんの笑顔が、いつもよりやさしすぎた気がした。

アベルさんの目が、ぼくじゃなくて、その向こうを見ていた気がした。

 

でも、すぐにそんな気持ちは吹き飛んだ。

 

ぼくは一人でくるくる回って、石段に座り直した。

 

「今夜は、冒険譚の続き……!」

 

胸が高鳴る。まるで本当に、自分が物語の中に入り込んでいくみたいだった。

ぼくはこの街で、母さんとたくさん思い出を作ったけど――

きっと、今夜のことは、特別な夜になる。

 

何が起こるかなんて、ぼくは想像もしていなかった。

 

けれど、その夜。

教会の門の向こうで、ぼくを狙う“影”が静かに忍び寄っていたことを――

その時のぼくは、まだ知らなかった。

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