俺の母さん、実は魔王でした⁉   作:KuRoNia

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第四節:夜風に紛れる影

「今日は本当にありがとう! すっごく面白かった!」

教会の扉の前、すっかり日が落ちて空が藍色に染まりきった頃、ノクスは満面の笑みでアベルとマリーにお辞儀をした。

 

「こちらこそ。君が楽しんでくれて良かったよ」

「また聞かせてくれって言ってくれるの、ちょっと嬉しいもんだね」

アベルもマリーも、どこか微笑ましそうにノクスの頭を撫でた。

 

「でももう遅い時間だ。そろそろ家の人が心配するだろう?」

「……うん」

名残惜しそうに頷くノクス。口をとがらせながらも、しっかりとした足取りで帰る準備を始める。

 

「今日は送ってあげられないんだ、ごめん。別件でやらなきゃならないことがあってさ」

「大丈夫。もう道は覚えたし、魔物なんか出たら──」

と、ノクスが胸を張った瞬間。

 

「こんな街中で魔物なんか出ないよ、きっとね」

マリーが軽くノクスの肩に手を置いて制した。柔らかな笑顔の奥に、どこか翳りがある。ノクスはそれに気づかず、首をかしげた。

 

「じゃあ、気をつけてな。何かあったらすぐ叫ぶんだぞ」

「うん! またね!」

手を振って去っていくノクスを見送るアベルとマリー。表面上は穏やかだが、二人の目はまるで狩人のように鋭かった。

 

「……行ったな」

「尾行するよ。魔物が姿を見せるなら、あの子が一人のときだ」

アベルは軽く頷き、教会の裏手に回ると、ひそやかにその姿を夜に紛れさせた。マリーもその後を追うように影へ消える。

 

──

 

一方その頃、ノクスは軽やかな足取りで夜道を歩いていた。街灯がぽつぽつと灯る石畳の道。人通りはほとんどなく、風に乗ってどこかからパンの香ばしい匂いが漂ってくる。

 

「……マリーさんの話、すごかったなぁ……ネクロマンサーって、やっぱり怖いけどかっこいいな……」

小声で呟きながら、ノクスは両手を腰に当てて背筋を伸ばす。少しでも冒険者っぽく見えるように、誰も見ていないのに背伸びしている様子はどこか微笑ましい。

 

その顔には不安の色は微塵もなかった。今日、家族には“夜まで遊んでいいよ”と許可をもらっていたのもあり、足取りはご機嫌そのもの。何より、自分のことをちゃんと話を聞いてくれる“大人”たちと過ごした時間が、嬉しかったのだ。

 

──そして、その油断こそが、影を呼び寄せる。

 

「こんな夜更けに、一人で、なにか良いことでもあったのかい?」

 

唐突にかけられたその声に、ノクスはぴたりと立ち止まった。背後、建物の影からひょっこりと現れたのは──銀髪の人物。

 

月明かりを背負うように立つその姿は、どこか幻想的だった。細身の体に長めのマント。肩からかかる髪は絹のように滑らかで、淡く光を反射している。

 

「えっと……誰?」

ノクスが警戒心よりも先に首をかしげて問いかけると、相手は楽しそうに口元を緩めた。

 

「名乗るほどの者じゃないけど──ま、せっかく会ったんだし。自己紹介しようか。俺の名前はルカ、吸血鬼という奴さ。少しだけ付き合ってくれないか?」

 

その声は妙に耳に残る、どこか愉快そうな響きを持っていた。

 

──そしてその背後、少し離れた場所。

屋根の上、闇に溶けるように身を潜めたアベルが、その異質な存在に眉をひそめる。

 

「ようやく現れたな──魔物」

風の音にまぎれた小さな声が、ルカの耳に届いた。

 

「──まさか、一人じゃなかったのかい?」

息を呑むように呟いた。

 

その表情は驚愕そのもので、金色の瞳が大きく見開かれている。ついさっきまで余裕ぶっていた態度は消え失せ、まるで足元から床が抜けたかのような動揺があらわになっていた。

 

「ノクス、下がって!」

 

鋭い声が背後から飛ぶ。振り返れば、街灯の影から現れたのは、鋼の鎧を纏ったアベルと、ローブ姿のマリーだった。

 

ノクスは目を丸くしたまま、驚きで動けない。いつの間に後ろにいたのか、いや、それ以前に──なぜ二人がここに?

 

「え、アベルさん? マリーさん……どうして……?」

 

「ごめん、ノクス。実は……お前のこと、最初から見張ってたんだ」

 

アベルはその場に立ち止まり、真っ直ぐノクスの目を見つめた。声に後悔が滲んでいる。

 

「お前を囮にする形になっちまった。危険なことはさせないつもりだったが……本当にすまない」

 

「……っ!」

 

ノクスの表情が凍る。脳裏に、夕暮れ時のあの楽しかった冒険譚の思い出が浮かび、同時にそれが罠の一環だったことを理解してしまう。

 

「……僕を、騙してたの?」

 

その言葉は小さく、震えていた。

 

「騙すつもりはなかった。けど……言えなかった。言ったら君は来なかっただろうし……」

 

マリーがすまなそうに視線を逸らす。

 

そのやり取りを聞きながら、吸血鬼は肩をすくめた。

 

「なるほど、そういうことか。まんまとハメられたってわけだな」

 

ルカは口の端を吊り上げ、皮肉気に笑いながら、背を向けて一歩後退した。

 

「ま、今更どうこう言っても仕方ない。こうなったら──逃げる!」

 

その瞬間、ルカの姿が闇に溶けた。まるで風そのものになったかのような素早さで、屋根伝いに駆け上がろうとする。

 

「させるか!」

 

アベルの怒声と共に、彼の足元の石畳が砕けた。

 

一歩。二歩。たったそれだけで、彼はまるで矢のように前へと跳び、空中に消えかけていたルカの影に肉薄した。

 

「チッ、速いなあ……!」

 

舌打ちしながらも、ルカは飛び退き、アベルの剣をぎりぎりで回避する。

 

だが、完全には逃げきれない。続いて地面から放たれた聖光の矢が、マリーの杖から放たれ、ルカの逃走経路を塞いだ。

 

「くっ、ちょっと、マジじゃないか……!?」

 

ルカの顔に焦りの色が浮かぶ。闇に紛れ、強者から逃げる術には長けていた。だが、今回は完全に包囲されている。

 

目の前にはアベル。剣の扱いにおいて一流と名高い銀の楯の剣士。その後方には、術式の構築を終えつつある魔術師。そして、逃がしてはいけない存在として、確実にマークされている自分。

 

(……これ、ガチでヤバいヤツだ……)

 

ルカは軽く息を吐くと、地面を蹴って一気に跳躍した。

 

「舐めるなよ、昼行灯の冒険者ども!」

 

月明かりの下、ルカは空中で体をひねり、真上に跳びながら周囲の屋根の影に向けて飛び移る。その動きはまるで燕のように軽やかで、普通の追手ならば見失っていたはずだった。

 

だが──

 

「甘い」

 

低く押し殺した声と共に、アベルの姿が一瞬にしてルカの背後にあった。

 

「なっ──!」

 

ギリギリで身体をひねって回避するルカ。そのすぐ横を、アベルの大剣が風を切って通り過ぎ、屋根の角を鋭く抉る。

 

(どうやって……!? 今のは見えてなかったはず……!)

 

ルカの額に汗がにじむ。速度だけなら自分が上のはず。けれどアベルの剣は動きの「先」を読んでいた。

 

「速いだけでは通じないぞ、()()

 

アベルの言葉には、驕りはなかった。ただ静かな確信がある。

 

ルカは無言で舌打ちしながら、屋根を滑り降り、狭い路地裏へと飛び込む。高所から地面への落下すら、膝を軽く曲げて受け止めると、すぐさま反転しようと──

 

「──遅い」

 

その声に、ルカの背筋が凍った。

 

そこにいた。アベルが。既に路地の先回りをしていたのだ。

 

「嘘……っ、どうして!?」

 

「街の地形くらい、こっちは熟知してる。逃げ道は予想済みだ」

 

ルカは無意識に後退した。

 

(正面突破なんて無理だ。こんなの、正面からぶつかって勝てる相手じゃない……!)

 

それでも。逃げられないなら、やるしかない。

 

ルカは牙を噛み、爪を研ぎ澄ませたような指先を構えた。真紅の魔力が、その手からほとばしる。

 

「……本気でやるからな……!」

 

その身が一瞬にして霞んだ。残像すら追えない速度で突っ込む。だがアベルは、剣を低く構えたまま、わずかに体勢を低くする──

 

「甘い!」

 

ルカの爪がアベルの側面を掠めた直後、彼の剣が下からすくい上げるように振るわれる。

 

「……っくぅ!!」

 

ギリギリのところで跳び退いたルカの頬に、一筋の血が滲む。薄皮一枚だが、それは明確な戦闘力の差を物語っていた。

 

「逃げられると思うな」

 

アベルの口調は変わらない。追い詰めながらも、決して激情に駆られていない。淡々と、ただし確実に──敵を仕留める技量がそこにはある。

 

(もう、こいつだけでも無理なのに、後ろにはあの魔女もいる……!)

 

ルカは歯を食いしばった。選択肢は、残されていない。

 

(なら……仕方ない!)

 

ルカは次の瞬間、真正面からアベルに向かって突撃した。

 

「うおおおおおおっ!!」

 

夜の路地に響き渡る叫びとともに、ルカの身体が一瞬だけ赤黒く輝く。吸血種の本能的な力を束ねた一撃。

 

それに対し、アベルも構える。

 

(──この構え、受け止める気か!?だったら!)

 

ルカは咄嗟に気づいた。その隙を突くように、軌道を逸らし、アベルの脇をすり抜ける。

 

「やったぁ!!」

 

勝利の雄叫びとともに、背後の狭い路地へ飛び込んだ──

 

──その瞬間。

 

「そこ、発動──《聖域結界・第四陣》」

 

透明だった空間が、音もなく変質した。

 

空中に跳び込んだルカの四肢が、一瞬で光の鎖に絡め取られる。足首、手首、そして腰──ルカの動きはぴたりと止まり、まるで空中で凍結したかのように静止した。

 

「な……!? なにこれ、こんなの……ずるい……っ」

 

「あなたが逃げる方向は、だいたい予測してたから」

 

路地の先、淡く光る杖を掲げたマリーが現れた。術式陣の一部が彼女の足元に輝いている。

 

ルカの体がゆっくりと地面に降ろされ、がしゃりと鎖が杭に打ち込まれたかのように固定された。

 

「……俺の負け……か」

 

ルカは天を仰ぎ、乾いた笑いを漏らした。

 

静寂が訪れた。誰もが息を整え、そして──その場に、ノクスの小さな足音が近づいてきた。

 

小さな少年が、捕らわれた吸血鬼を見つめていた。

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