深夜の路地裏に、ようやく静寂が戻った。
街灯もなく、ただ月明かりと星々が降り注ぐなか、拘束術式に捕らわれた吸血種──ルカは、地面に膝をついて項垂れていた。光の鎖に絡め取られたその姿は、普段の強気な言動からは想像できないほどに、打ちひしがれた様子だった。
その傍らに、ノクスはおっかなびっくりと距離を取りながらも、じっとルカを見つめていた。先ほどまで命を狙ってきた相手。だが──それでも、倒れて泣きそうになっている彼女を見て、ただの「敵」と断じることが、どうしてもできなかった。
「……だ、大丈夫……?」
ぽつりと、ノクスが声をかける。ルカは顔を上げなかった。ただ、小さく肩を揺らして答える代わりにため息を漏らす。
「……子供に気を遣わせるなんて、最っ悪……」
その呟きが聞こえたかどうかもわからないまま、ノクスは数歩だけ近づいた。
そんな様子を見届けたアベルとマリーも、ようやくその場の緊張が解けたことを受けて、ゆっくりとノクスの方へ向き直った。
「……ノクス」
アベルが静かに口を開く。彼の表情は、疲労と後悔に満ちていた。
「……改めて、今日は本当に、すまなかった。お前を……囮に使ってしまって」
言葉を選びながら、苦しげに彼は続ける。
「結果的に、怪我もなく帰ってこれたのは不幸中の幸いだが……俺たちの判断が、お前を危険に晒したのは事実だ。謝る。俺たちの責任だ」
続いて、マリーもゆっくりと頭を下げた。
「……私も。あなたを守るべきなのに。ごめんなさい
でもおかげで、依頼内容の
道具のように扱ったつもりはない──その心は本物だ。だが、彼らが優先したのは「任務」だった。ノクスの無事よりも、背後にいるかもしれない魔族の排除。
小さな少年にとっては、あまりにも残酷な現実だったかもしれない。
それでも──ノクスはほんの少し、首を傾げると、小さく微笑んだ。
「ううん……怒ってないよ。ぼく、無事だったし……それに、すごく大事にされてるって、ちゃんと伝わってるから」
その言葉に、アベルもマリーも、わずかに目を見開く。
小さくて、優しくて、少しだけ大人びたその少年の心の広さに、二人は返す言葉を失った。
「……おまえは、本当に……」
アベルはそれ以上言葉を継げず、代わりに大きく息を吐いた。そして、視線をルカへと移す。
──吸血鬼。魔族。危険な存在。
「……さて。こいつの処遇を、決めなきゃならないな」
マリーも無言でうなずいた。今までのやり取りから見て、ルカが魔界の精鋭ではないことは明らかだった。だが、だからといって、見逃せるわけではない。放てば、また誰かの命を脅かすかもしれない。
例え本人にその気がなくとも──。
「……殺すしか、ない」
静かなマリーの言葉は、まるで裁判の判決のようだった。
その瞬間、ルカの身体がびくりと震えた。
「え……?」
それが、口から漏れた最初の反応だった。
「ま、待って。俺、別に何もしてないじゃん……!」
「ノクスを尾行していたな?それが遊び半分だったかは関係ない。正体を隠して人間の街に潜入し、しかも吸血種──」
アベルの目は、もう容赦をしなかった。
「……その時点で、処分対象だ」
それを聞いたルカは、まるで地面に縋るように体を起こし、縋るような視線をマリーに向けた。
「ちょ、ちょっと待ってくれって! わかったよ、悪かった! 俺が悪かったから! でも殺すのは、ね、冗談だよな? な、なぁ……?」
必死の声。プライドなんて投げ捨てた哀願。
「お願いだって……俺、誰も殺してない……血だって、ちょっとしか吸ってない! ほんとにほんとに、それだけは……!」
その叫びにも、マリーの表情は変わらない。ゆっくりと前に進み、光の術式を再調整する。
そして、アベルが剣を抜いた。
夜の冷気が、鉄の刃に触れてかすかに霜を生んだ。月明かりがその輝きを淡く照らし、ルカの首筋にぴたりと当てられる。
「…………や、やだ」
ルカの目が、恐怖に染まる。
「やだ……やだやだやだっ、やだよおおおおおおおおおっ!!」
次の瞬間、抑えていたものが全て決壊したように、ルカは大声で泣き喚いた。
ごまかしの強がりも、悪役ぶった虚勢も、もうそこにはない。
――と思いきや。
「こんな
ごろんごろんと地面を転がりながら叫ぶルカ。泥まみれになった銀髪を気にも留めず、泣き顔は全力。
「俺! 悪役っぽい言動してるけど! 実は繊細な心を持った乙女なんだよ!? ガラスメンタルだよ!? むしろ絹ごしだよ!? 崩れやすさランキング五指に入るよ!?」
「絹ごしは豆腐でしょ……」
ノクスがぽそっと突っ込んだ。
その横でアベルは剣を下ろしつつ、思わず半歩下がった。
「お、おい、なんだこれは……泣き方にキレがありすぎる……」
「俺を殺そうとした人が、その発言!? 心が痛まないの!? ねぇアベルって名前でしょ!? アベルさぁぁん!! アベルくん! アベル氏ぃ!!」
「呼び方のバリエーション増やさないでくれ……」
アベルはひとつ深くため息を吐き、剣を鞘に戻す。
「落ち着け、小僧―」
「小僧」と言いかけた瞬間、ルカの目がカッと見開かれる。
「ほらまただあああああああ!! 小僧扱いだあああああっ!! 俺はれっきとした女の子なんだからねええええええ!!」
「めんどくさい……」
アベルの本音が、素で漏れた。
だがルカの暴走は止まらない。
「この体型が悪いの!? スラッとしててボーイッシュって言われるのが悪いの!?」
と言いながら、自分の胸元をぐいっと押さえて叫ぶ。
「あの魔術師はまだあるのに!なのに、俺は……俺は……!」
隣にいたマリーが、突如として巻き込まれた。
「はぁっ!? ちょ、なんで私に飛び火してくるのよ!?」
「だってぇ……ッ!! 俺もそっち側に行きたかったのにぃぃ……! 悔しいっ……人生ガチャがっ……!!」
「泣きながら“人生ガチャ”って言うな!!」
マリーの顔が真っ赤になりながら、勢いよくルカの頭にゲンコツが落ちた。
「いたぁっ!? 魔族差別だぁっ!!」
「誰が魔族関係あるって言ったのよ!」
ぎゃーぎゃーと喚くルカと、それを容赦なく怒鳴り返すマリーの構図は、もう完全に“姉妹ゲンカ”のそれだった。
それを見ていたノクスは、ぽつりとルカに問いかける。
「でも……本当に、誰も殺してないの?」
その声に、ルカの肩がピクリと震える。
「え……あ、う、うん。ホントに殺してない……ちょっと血は吸ったけど……精々、数日貧血になるくらいで……死なないようにちゃんと量は調整したし……その後、りんごとかパンとか、差し入れもしたし……」
「え、善良……?」
ノクスが首をかしげる。
「むしろ吸血鬼のイメージより人間的な対応してる気がする……」
「でしょ!? そう思うでしょ!? もっと評価されていいと思う!!」
急に元気を取り戻したルカが、顔を涙と鼻水でくしゃくしゃにしながら満面の笑みを浮かべる。
「えっと、つまり……反省してるってこと?」
「うんうん! めっちゃ反省してる!もう二度と不審な尾行とかしないし、夜道でいきなり嚙みついたりしない!ついでに筋トレもするし、バストアップ体操もするし!!」
「最後のいらないでしょ!!」
またもマリーが全力で突っ込む。アベルはとうとうその場で頭を抱えた。
「こいつ、殺すのが逆に難易度高くなってきたな……情が湧くというか……」
「別の理由で処刑したくなりましたけどね…」
マリーが呆れたように言うと、ノクスは苦笑いを浮かべるのだった。