「で……どうする?」
アベルがやれやれと肩をすくめながら、泥まみれで泣きつかれた吸血鬼少女を見下ろした。
ルカはまだ地面にぺたんと座り込み、すすり泣いている。涙と鼻水のせいで顔が原形を留めていないが、若干満足げな笑顔が混じっているのは、本人なりに気を緩めた証なのだろう。
「殺すのはやめたとしてもだ、このまま野放しってわけにもいかないだろ」
「そうね……監視対象にはした方がいいけど、収容所かな?でも魔族だし…」
マリーも困り顔で頬を掻いた。
「っていうか、この子、めっちゃ懐いてるわよ? ノクスに」
見ると、ルカはノクスの足元にぴったりとくっつき、袖をちょこんと掴んでいる。
「……え、えーと。」
ノクスが困ったように言うと、ルカは顔を上げて力強く首を横に振った。
「このままで! このまま! 心が! 心が軽くなるの!」
「そっか…」
そんなルカの姿を見て、ノクスはふと思い出す。
(――そういえば、母さんが言ってたな)
しばらく前に、母さんがふと真面目な顔で語ってくれた言葉。
『ノクス。大事なのは……見た目じゃなくて中身なの。どんな種族でも、心が優しければ――』
あのときの母の目は、優しくて、どこか遠くを見ているようだった。
(……母さんは、きっと人以外の種族のことも、そういうふうに考えてたんだ)
気づけば、ノクスの口が自然と開いていた。
「じゃあ――僕が保護するよ。この子のこと」
ルカの肩がびくっと跳ねた。
「……へ?」
アベルとマリーも、同時に「は?」という顔になる。
「ちょ、ちょっと待てノクス、それは軽々しく――」
「そうよ。いくらなんでもそれは――」
「母さんが、言ってたんだ」
ノクスはふたりの言葉を遮って、静かに言った。
「大事なのは、種族じゃなくて中身だって。この子が……人を殺してないってのが本当なら、僕はこの子を信じたい」
その目はまっすぐで、揺るぎがない。
アベルとマリーは顔を見合わせて、小さく息を吐いた。
「……マジで、あの母親の子どもだな」
「ほんと、変なところでブレないのよね」
「変って言った!?」
ノクスが即座に反応したが、マリーはスルーして小さく笑った。
「……でも、まあいいか。ノクスがそこまで言うなら」
「俺は反対しない。保護って形なら、こっちも管理しやすいしな」
「それに……うん。なんか、この子見てると、こっちが負けた気がしてくるのよね」
マリーの言葉に、ルカがぴくりと反応した。
「えっ、えっ? なに? 今のってつまり、え、ええっ?」
ノクスが笑顔で言った。
「保護ってことで、うちに来る? ちょっと狭いけど、みんないるし……うるさいけど、楽しいよ」
ルカはしばらくポカンとした顔をしていたが、次の瞬間、顔をぐしゃっと歪ませて――
「え゛え゛え゛え゛ん゛!! ありがとうございまああああすゥゥゥッ!!!」
大音量の泣き声を上げて、ノクスに再びしがみつく。
「うわ、鼻水つく……」
「うるせええええええっ!! うわあああああん!!」
「泣きながらキレてる!?」
泣いているルカのその姿に、マリーとアベルは再び頭を抱えるのだった。
「……これ、うちの依頼の記録にどう書くの?」
「“潜伏していた吸血鬼、少年の一声で情緒崩壊し、結果保護”……とか?」
「やめて、すごく誤解されそう……」
静かな夜の街に、再び泣き声が響く。
でもその声には、もう怯えや恐れはなかった。
――それは、誰かに受け入れられた、安心の声だった。
「……ふぅ。やっと静かになったね」
帰り道、ノクスはため息をつきながら隣を歩くルカを見やった。
泣きつかれたのか、ルカはポケーっと口を開けながら、どこか魂が抜けたような顔をしている。
「……わたし、今日だけで一年分くらい泣いた気がする……」
「そっか、よかったね……?」
「いや、よくはない……目の腫れ方が今日一番の殺意……」
ふにゃふにゃと文句を垂れながらも、さっきまでの殺されそうだった吸血鬼とは思えないゆるさである。
ノクスは小さく笑ってから、ふと思い出したように口を開いた。
「ねえルカ。僕の家族の話、少しだけしておくね」
「うん?」
「えーと、僕、ずっと母さんたちと暮らしてて、家族みんなすごく大事なんだけど……一つ、ちょっと気をつけてほしいことがあるんだ」
ノクスは足を止め、真剣な顔をしてルカを見た。
「……僕の父さん、魔族に殺されたんだ。家族みんな、それで心に傷を負ってて。だから……もしルカが吸血鬼だって知られたら、怖がらせちゃうかもしれない」
「…………」
ルカの顔が引きつる。
「いや、それ今言う!?」
「ごめん、今思い出した」
「今!?」
バシバシとノクスの肩を叩くルカに、ノクスはひらりとかわしながら続ける。
「でもさ、ルカって見た目は人間とそんなに変わらないよね? 牙さえ見られなければ、少し若い中性的な旅人って感じだし」
「いや、女だからね!? 性別迷子じゃないからね!?」
「それで、家の中では“普通の人間”っぽくしてくれると助かるなって。お願いできる?」
ノクスは、少しだけ申し訳なさそうに言った。
ルカはぷくっと頬を膨らませたが、すぐに肩を落とした。
「……わかったよ。命の恩人だし、仕方ないなあ。人間のふりくらい、お安い御用だよ」
「ありがとう、助かるよ」
二人は再び歩き出す。やがて、屋敷の灯りが見えてきた。
そして――
「ただいまー」
ノクスが扉を開けて元気よく声を上げると、廊下の奥からすっとセスが姿を現した。相変わらず丁寧な身なりと優雅な所作は、完璧な執事そのものである。
「お帰りなさいませ、ノクス様。……おや、後ろの方は?」
「あ、うん。ちょっと街で知り合った人でね。ちょっと訳ありの旅人なんだ。一緒に住んでもいいかなって」
「ほう……訳ありの旅人ですか」
(なんですかね、あの妙に控えた魔力……いや、これは吸血種? ノクス様、なぜ吸血鬼を連れて……)
セスはにこやかな笑みを浮かべたまま、背後のルカを観察する。
「は、はじめまして。ルカって言います。人間です。生粋の、人間です」
(ああ、なんて分かりやすい嘘)
続いて、奥の部屋から料理を持ってきたエステアが現れる。まるで絵に描いたようなお母さんスタイルである。
「おかえりなさいノクス。それと……新しいお友達かしら?」
「う、うっす……ルカです。人間です」
(その言い方がもう人間じゃない)
笑顔を崩さずエステアは視線を流す。その瞳が、一瞬だけ鋭く光った。
(牙、見えた。うん、吸血鬼ね)
だがエステアは何事もなかったように優しくうなずいた。
「まあ……大変だったのね。ノクスがそう言うなら、歓迎するわ。ゆっくりしていってね」
(なんで魔族の匂いがプンプンする子が“訳あり旅人”って説明でここにいるのよ……!?)
一方のルカは、にこにこ笑うエステアに頭を下げながら、内心は大混乱だった。
(なにこの人!? この家、人間のはずじゃ……? でもこの女の人、オーラがやばいんだけど!?)
そこへ、階段からぬるっとモルテが登場。
「……来客か」
「わ、わっ!? な、なんか出た!?」
「私はノクスの……姉じゃ」
(誰が見ても人間じゃないからね!? その不気味な魔力、バリバリに魔族だからね!?)
一方モルテは、冷めた目でルカを観察していた。
(吸血種か……まあそれはよいか。問題は、なぜノクスがそれに気づかず家に連れてきたかじゃが……まさか“人間”と思ってるのか?)
続いて、奥からアミーとリュースも登場。
「きゃー、可愛い子! ノクスが連れてきたの? 中性的なのがタイプなのかしら?」
(吸血鬼か……なんで?)
「ほう……旅人かぁ」
(なんで吸血鬼が?)
「ふあぁぁぁ~、あれ?ノクス帰ってたんだ~、ん?誰?」
(魔力の感じ的に吸血種かな?騙されては…ないっぽいね)
「わ、わたしはルカ!旅人ですっ!! 生まれてこのかたずっと人間!!」
(寝起きっぽい子以外全員化け物レベルじゃないか!どうして!?)
ルカは必死に胸を張った。明らかに挙動不審なその様子に、家族全員の心の中には同じ文字が浮かんでいた。
((( バレバレ )))
だがノクスは、それらをまったく気にしていない。
「みんな優しいから大丈夫だよ。ルカ、家族だと思ってゆっくりしてってね!」
ぱあっと笑うノクスの言葉に、ルカは微妙な顔で頷く。
「……う、うん。ありがとう。えっと……ここの家族は、その、普通の人なんだよね?」
ピタッと動きが止まる家族たち。
((( 普通の……人…… )))
――絶対違う。
「ええ、もちろんですわ。私は“普通の”未亡人のお母さんですもの」
「はい、私は“普通の”執事でございます」
「“普通の”姉じゃ」
「“普通の”姉2です~」
「……“普通の”護衛だな~」
「“普通の”居候っしょ~」
(絶対嘘!!)
思わずルカが頭を抱えた、そのときだった。
「ルカちゃん、好きな食べ物ある? 夜ご飯は一緒に食べようよ!」
「え、あ、うん、わたし血は……じゃなくて、トマトとか、好きかな……?」
「いいね! トマトたっぷりのハンバーグにしよう!」
(トマト!? 血っぽい色にしとけばバレないって思ってる!?)
ぎこちなく会話を続けるルカを見て、家族たちは内心の混乱を押し殺しながら思っていた。
(どういう状況なのこれ……なぜ吸血鬼が“人間のふり”をしてる?)
そしてルカも思っていた。
(どういう状況なのこれ……なんで“人間のふり”してる化け物だらけなの!?)
そして誰も真実を言わないまま、全員が“バレてないフリ”をし続けた結果――
「……ええい、もうどうにでもなれーっ!!」
ルカ、精神の限界を迎え、床に突っ伏して悶絶。
ノクスだけが、ほんわか笑いながらそんなルカの背中を撫でていた。
(……うん。なんだかんだ、きっと大丈夫、家族のみんなにはバレてないよね?)