ギルドの扉を開くと、いつも通りの落ち着いた雰囲気が迎えてくれる。それでも以前と違う部分がひとつあった。ノクスたちのことを見ていた冒険者たちの視線が、ほんの少しだけ“敬意”を含んでいるように見えるのだ。
「おかえり、ノクス君たち。今日も無事に依頼を終えたみたいだね」
受付嬢の笑顔は温かく、挨拶の声にも自然な親しみが混じっていた。ギルドに通うたびに、少しずつ信頼が積み上がっていくのを感じる。
「ただいまです! はい、野菜配達、終わりました!」
ノクスが元気に報告すると、受付嬢は伝票を確認し、すぐに報酬を渡してくれる。
「はい、依頼完了です!依頼料の30ゴールドになります。ありがとうございます」
「「「ありがとうございます!」」」
ルカとジョーヌもお揃いでお礼を言い、ノクスはトレイについた30ゴールドを受け取った。
「ふふ……ありがたいや」
ノクスはその場で真剣な顔になり、お金を三等分しようと手際よく分けていく。
「ルカ――10ゴールド。ジョーヌ――10ゴールド。僕の分が……10ゴールド。ふふ、いい感じだね!」
「毎回、思うけどちゃんとしてるな」
ルカが感心していると、ノクスは誇らしげにうなずいた。
「もちろん! パーティなんだから、みんなでちゃんと分けないと!」
「まあ、あんたらしいやり方だよね。でもちゃんと貯金もしてるんでしょ?」
ジョーヌが小声でノクスの肩をつつく。ルカもその隣で興味津々の顔だ。
「貯金……? あはは、それは……その……」
ノクスが言葉を濁すと、ルカとジョーヌの目がギラリと光った。
「随分貯め込んでるみたいだけど、何か欲しいものでもあるの?」
「ずいぶん貯金してるってことか……」
宴会芸かと思うようなからかいに、ノクスは目を泳がせながらも、胸の中ではワクワクしていた。
「えっと、まぁ、そういう感じかも……?」
照れ隠しに頬を赤らめ、ノクスは財布を握り直す。
「ふふん、何買うか決まったら早く教えなさいよね?」
ジョーヌが笑うと、ルカも「俺も教えてほしいぜ」と笑いを添えた。
少しの押し問答の後、ノクスは「今日はちょっと一人で用事があるから」とそのままギルドの前でふたりに言い、立ちあがる。
「用事? なにそれ!」
「ひとりの時間が欲しい日もあるんだよ!」
ノクスは苦笑いしながら手を振りその場を後にする。ルカとジョーヌはそれを見て小さく頷きつつも。
「夜ご飯までには帰ってこないと怒られるからね~」と伝えつつ二人はノクスを見送るのだった。
街中の石畳に反射する午後の陽光が飲食屋や雑貨店の軒先に降り注ぎ、繁華街を歩く人々の声が心地よいざわめきとなってノクスの耳に届く。冒険者ギルドの前でジョーヌとルカと別れた後、ノクスはゆっくりと歩きながら考えていた。
(家族のみんなに、なにか贈り物をしよう)
――ひと月、Fランクの依頼をこなした報酬で、ノクスは貯めに貯めたゴールドを手にしていた。でも、それをただ自分の欲望に使うのではなく、大切な家族に喜んでほしい。そんな気持ちから、サプライズに挑もうとしていたのだった。
けれど、その優しい思いは次第に揺らぎ始めていた。なぜなら、エステア、セス、モルテ、アミー、リュース、ジョーヌ、ルカ、――みんな、ノクスが適当に選ぶだけで「きっと喜んでくれる」。しかしそれで本当にいいのか? 自分が考えて選んだものなら、もっと喜んでもらえるのではないか? そう思い始めると、何をどう選んでいいのか全く分からなくなっていた。
「それに、ただ喜んでほしいと思うだけじゃ……感謝の気持ちとして足りないかもしれない」
ノクスはつぶやきながら、広場へ向かう通りを歩いていた。そのとき、ふいに――
「わっ!」
目の前に現れたのは、ノクスと同じくらいの背丈の少女。シスター服を着ていて、やや年上にも見えるが、ふわりと優しそうに笑う瞳が印象的だった。その少女と、不注意にぶつかってしまった。
「す、すみません」
ノクスが慌てて謝りながら手を差し伸べると、少女も同じように手を伸ばしてきて――二人の手がぴったり重なった。
「私の方こそ、不注意でした……そちらこそ大丈夫ですか?」
少女はにこりと微笑みながら跪く。ノクスも自然と膝をついて、同じ高さで頭を下げる。
「はい……ごめんなさい。本当にこっちのせいなので」
しばし二人は見つめ合うようにあいさつを交わしたあと、少女がようやく言った。
「もし、よかったらですけれど……お話を聞いても大丈夫ですか? 先ほどから、どこか悩んでいるように見えたので……」
ノクスは驚いた。なぜそんなことを言ってくれるのか? でもその優しい声と、ふとした気配に、心の奥がほっと緩んだ。
「……そうですね。あの、実は……」
ノクスはぎゅっと包みを抱きしめたまま、自分の胸の内を打ち明けることにした。まだ誰にも話したことのない、不安と期待の入り混じる“サプライズ計画”について。
「ひと月、一生懸命お金を貯めて……家族のみんなにプレゼントをしようと思ってるんです。みんな、いつも僕のことを大切にしてくれて……。だから、僕からも、なにか喜んでもらいたくて……」
少女は優しくうなずきながら
「それは素敵な気持ちですね。でも、もしかして迷っているのは何を贈ったらよいかわからないということでしょうか?」
「うんそうなんだ…だって、みんなは多分僕が選んだものならなんでも喜んでくれるんだ、ならなんでもいいって思えるけど……でも、それだけでいいのかなって……」
「わかります。贈る側としては、『想い』が込められていないと、なんだかその人に対して無難な物を選んだ、というだけに思えて……それだと、もらう方も寂しくなるかもしれないですね」
「そ、そう……かも……」
少女はにっこり微笑んだ。
「では、あなたのお気持ちを大切にしましょう。贈り物とは、値段じゃなくて――
「ありがとう……そう言ってもらえるとすごく、安心したかも……」
少女は優しく頷くと、少し恥ずかしそうに言った。
「では、私も……もしよければ、あなたの悩みに一緒に付き合いたいです。よければ、この後、少しお茶でもどうですか?」
ノクスは少し戸惑いながらも、ゆっくり笑顔を作った。
「うん、ありがとう! お茶、いいかも」
遠くで、音楽店のからくり人形時計が十五時を告げる。
ノクスと少女は、自然に並んで歩き出した。――その温もりは、自分の想いを優しく包み込んでくれる、不思議な手応えだった。
二人は、繁華街の一角にある落ち着いた雰囲気の小さな茶屋へと足を運んでいった。木製の暖簾が風に揺れ、ほのかに甘い香りが漂う。中はテーブルが四つほど、座敷がひとつといったこじんまりとした店内で、誰かの家の縁側のようにやわらかな日差しが差し込んでいる。
「こちらのお席でよろしいですか?」
店主らしき女性が笑顔で案内してくれる。白木の香りが心地よく、ノクスは一瞬ホッと息をついた。
「はい、ありがとうございます」
と、ノクスはおじぎをして席に落ち着く。少女も隣に座ると、二人はそれぞれメニューを開いた。果実水は数種類あるようだった。ノクスは赤い甘酸っぱいイチゴ味、少女は緑色のキウイ味を選んだ。
「うふふ、今日は、あなたの気持ちを聞かせてもらえて嬉しかった。そのうえ、協力もできるなんて、私も光栄です」
少女がにっこりと笑うと、ノクスの胸がきゅっと温かくなる。
「そんな……僕の相談に乗ってくれるなんて、本当にありがとう!」
茶屋の店主が果実水を運んでくると、透明なグラスに浮かぶ氷の音がかすかに響いた。赤と緑の清涼感あふれる飲み物は、まるでノクスたちの思いがひとつずつ形になったようだった。
「そういえばまだ自己紹介してなかったよね? 改めて自己紹介しようか」
ノクスがそっと切り出す。
「ええ、確かにそうですね。お先にどうぞ」
少女がうなずき、穏やかな声で応じた。
「僕の名前はノクス。一か月前に冒険者になって、貯めたお金で、家族のみんなにありがとうの気持ちを込めた贈り物をしたくて……でも、何を選べばいいのかわからなくなっちゃって」
ノクスの言葉にははにかむような力があり、少女は目を優しく細める。
「私の名前はアリスです。今は教会の見習いシスターで、祈りや教えの手伝いをしています。少しずつ人のためになることを学んでいて、道を探す毎日です。いつかきちんと証となるような人になりたいけれど……まだまだ未熟で、こうやって一歩踏み出すノクス君が羨ましいくらいです」
アリスは照れたように、メニューの角をかるくつまむ。
「そう言ってくれるとうれしいな」
ノクスは少しの気恥ずかしさのあまり、果実水を一口飲んでむせかけた。
「ご、ごめん…」
「大丈夫よ。ノクス君はいつも全力だから、素直なのね」
アリスは優しげに頷き、そして言葉をつないだ。
「ノクス君。プレゼントを選ぶとき、私も似たような悩みを感じたことがあります。どうしたら、相手が本当に喜んでくれるものを贈れるんだろうって……」
しばらく二人はゆっくり果実水を飲みながら、悩みについて打ち明け合った。
「でもね」とアリスは目をぱあっと開いた。
「もしかしたら、一番大事なのは
ノクスの目がキラリと光る。
「そうか……それなら、僕にもできそうだよ!」
アリスはにこりと笑い、立ち上がると店主に声をかけた。
「すみません、おかわりください。それと、少しお時間をいただきたいので……」
用意してもらった紙と鉛筆を取り出しながらアリスは言った。
「観察メモでも作りましょう。プレゼント候補と理由を書き出す。私はしばらく毎日、ノクス君と一緒に……あ、でも教会の都合もあるから、無理のない範囲でね」
「うん、ありがとう。助かるよ! じゃあ、次に会うのは――いつがいい?」
「そうね……明日の夕方くらいは?」
「了解!それでまた、街で会おう!」
アリスはにっこり笑って、果実水を一口飲む。
「そうしましょう。そのときまでに、ノクス君の家族のこと、いろいろ教えてね」
約束が交わされて、二人は茶屋の前で別れることになった。ノクスは軽快な足取りで街角のほうへ走り出し、嬉しそうに小さく歌いながら去っていった。
茶屋の前、あたたかな午後の陽が石畳を照らす中、ノクスの背を見送るアリスの目が細められていた。果実水の余韻を口に残しながら、そっと両手を胸元に添えて、名残惜しそうに微笑んでいる。
そのとき、茶屋の角を曲がった人物が、まっすぐアリスのもとへと近づいてきた。
「……探しましたぞ、
低く穏やかな声だった。年の頃は五十ほど。白と深紫の神官装束を身にまとった男性が、やや肩で息をしながら歩み寄ってくる。銀の十字架を胸元に下げ、その顔には慈愛と安堵がにじんでいた。
「本当に、ご無事でなにより。こんな町中にお一人で出られては、こちらの身がもちませんよ」
アリスはくすっと笑みをこぼし、小さく頭を下げる。
「ごめんなさい、神父様。心配をおかけして。でも今日は……ふふっ、良い出会いがあったんです」
そう言って空を見上げる彼女の横顔には、柔らかな光が差していた。
まるで、何かが始まることを、心から喜んでいるかのように――。
「この地にも、やはり希望はあるのですね」
――その小さな出会いが、やがて大きな運命を動かすとは、このときまだ誰も知らない。