魔王城の朝は早い──というより、騒がしい。
「ノクスぅぅぅ! 今度は何を口に入れたのじゃあああ!? それはゾンビ用の保存眼球!!!」
「キャッキャ!」
「余り急ぐな、ノクス! 廊下は滑ると危な──」
「わぷっ」
「……だから言ったでしょう」
「ノクス、ノクスぅ……ちょっとこの姿はどう? お姉ちゃんバージョンアミーよ、ほら見てこの完璧バランス!」
「……ぷい」
「ぷい!? ぷいってなに!? 今、無言の否定された!? 人生で初めてこんな冷たい“ぷい”された!!!」
魔王エステアによって保護された人間の赤子、ノクスは、魔王城という世界最凶の魔族たちが集う場所で、今日も元気に育っていた。
──といっても、まだ言葉もつたなく、歩くのもやっとな年頃。
だが、さすがは異世界からやってきた存在というべきか、たった数日で魔王城全体を支配する勢いで存在感を示し始めていた。
「魔王様。そろそろ午睡の時間です」
「む、ノクス。寝ようね~」
エステアが優しくノクスを抱き上げるが、ノクスはぷい、と顔をそむける。
「おーい、魔王様~、今日は我が寝かしつけに挑戦してもいいかのう?」
と、現れたのはネクロマンサーのモルテ。幼女姿で長年を生きてきた彼女は、ノクスに一種の親近感すら抱いていた。
「歌も用意しておる。題して、『夜の墓場の子守唄~永眠ver~』!」
「やめて! 子どもが不安になるからやめて!」
一日育児交代制、スタート!
「魔王様の心労を軽減するため、幹部全員で一日交代制の育児ローテーションを提案します」
セスの冷静な提案に、全員が頷いた。
「もちろん自分は大賛成じゃ。あやし方には自信あるぞ」
「私は“モフモフ変形お昼寝モード”あるから大丈夫。任せて」
「……俺にできるか分からんが、やってみよう」
幹部たちの意外な協力体制のもと、魔王城の育児生活は着々と進行していった。
アミーのターン:誘惑型ドッペルベビーシッター
「ノクスぅ~、見て~このキラキラの羽根つき美人スタイル~」
「……」
「反応が無い!? この私が!? えっ、もしかして今、ドッペルゲンガーである私の『中身』を見てる!?」
ノクスは、アミーがどんな姿に変わっても大して驚かず、むしろ毎度抱っこをねだってきた。
──それがアミーにとっては、衝撃だった。
(私は……中身を見られている……? 見た目じゃなく、私自身に……?)
赤子一人に、アイデンティティを揺さぶられるドッペルゲンガー。
「もしかして私、癒やされてる……? ノクス、恐ろしい子……!」
リュースのターン:寡黙な武人、優しさに目覚める
「今日は……俺の番か」
近衛師団隊長リュース。
普段は敵の群れを拳一つで粉砕する鬼人族の豪傑だが、ノクスを前にすると完全に戦闘力がゼロになる。
「……こっちに来い」
ぶっきらぼうに差し出した手。
「……」
ノクスがちょこんと手を乗せた。
「………………っ」
そのまま抱き上げ、頭をわしゃわしゃ。
「………………ふっ」
この日以降、リュースの部屋に“ふわふわのぬいぐるみ”が大量に並び始めたという。
セスのターン:完璧育児モード、稼働開始
「さて、では本日は私が」
完璧主義の執事、セス。
彼は膨大な育児書、人体図、食事計画書を用意して完璧なロジック育児を展開する。
「……ミルクは体温+1.2度、哺乳瓶の角度は35度、飲み込みのリズムは平均で──」
「いや、そこまで細かくなくていいってば!!」
ただし、あまりに精密すぎてノクスが逆にキョトン顔になることが多かった。
「……なぜでしょう。この表情……失敗?」
モルテのターン:研究室でのお遊び
魔界最恐のネクロマンサーが、赤子一人に振り回されていた。
「よいか……我は魔術の探究者。己を超える存在を目指す者……! だというのに……!」
「はむっ」
「きゃわっ……!? ほっぺ……吸われた……」
ノクスがモルテの頬に吸い付いてきた。
「──許す」
「いいの!?!? そこはもっと怒るとこじゃないの!?」
死霊たちは口々に「ぐわぁあ……またじゃ……」「お嬢様の負けパターン……」と頭を抱えていた。
とはいえ、モルテにとってもこの時間は決して無駄ではない。
死霊と赤子の波長が意外に相性が良く、ノクスはふよふよ浮かぶ魂の灯にキャッキャと喜ぶ。
「ふむ……この反応、転生後の精神適応に興味深い。魂の構造、観察の価値あり。だが……」
ノクスがぐずって手を伸ばすと、即座にモルテは抱き上げて笑顔になった。
「学術的興味を超えて……ただただ癒し……尊い……」
そして夜──魔王エステアの眠れぬ時間
全員が寝静まった深夜。
エステアは、そっとノクスの寝顔を見つめていた。
「……笑ってる」
小さな寝息。
時折、にこりと笑う。
(この子、どんな夢を見ているのかな……)
ふと、ノクスがうわごとのように口を開いた。
「……まぁ……ま……」
「……え?」
「まま……」
心臓が、止まりそうになった。
「……今の、わたし……?」
ノクスが、そっと彼女のマントを握っていた。
──この夜、魔王はベッドに顔を埋めて、誰にも見られぬように足をバタバタさせるのであった。