この屋敷に住む者たちは、みな一癖も二癖もある存在ばかりだった。
魔王エステアを筆頭に、腹黒幼女ネクロマンサーのモルテ、剛腕鬼人族のリュース、堅物すぎる竜人執事セス、不定形人たらしアミー、小悪魔の中の小悪魔ジョーヌ、そして最近加わった、泣き虫吸血鬼少女のルカ。
そんな家族たちにとって、ここ数日、やけに目立つ「ちっちゃなスパイ二人組」の行動は、もはや日常の一部となっていた。
――ノクスとアリスである。
「………………」
「………………」
壁の影から、柱の後ろから、庭の植木の向こうから。
チラ、チラチラと見える黒髪と金髪の頭。
あからさまな視線と、数歩遅れてついてくる足音。物陰に隠れているつもりなのか、時折カーテンの隙間からのぞく目が「まんまる」すぎて隠れていない。
……誰がどう見ても、観察しているのは一目瞭然だった。
エステアは少し困った表情でモルテに話しかける。
「あの二人、また今日もやってるわね……」
リビングで読書をしていたモルテが、ふと視線を上げて溜息をつく。
「今朝は我の朝食の食べ方を凝視してたのじゃ。パンのちぎり方までの……まるで調査員じゃな」
「尾行中に物陰から“見失っちゃう”ってノクスが言ってたの、わたし聞いちゃったわよ?尾行中に声出しちゃダメなのにねぇ」
アミーはクスクスと笑いながら、お茶菓子を口に運んだ。
「まぁ……かわいいわよね。新しい遊びなのかしら」
エステアも同意するようにゆっくり頷いた。
ノクスがこういう“遊び”を始めることは、実は以前にもあった。
今回もきっとその延長。見慣れない少女という新しい友達と一緒に何かを計画して遊んでいるのだろう、と誰もが思っていた。
「よし……じゃあ、しばらくは“気づいてないふり”でいきましょうか」
エステアの言葉に、家族たちはそれぞれ苦笑交じりに頷いた。
ノクスの“秘密調査ごっこ”を壊してしまうのも可哀想だし、何より――
(可愛すぎて、ツッコむ気が起きないわ……)
エステアは心の中で思った。そんなことより、今日は久々に街まで買い物に出る予定がある。いい機会なので、食材の在庫や日用品の補充もしておこう。
そうして支度を整え、扉を開けると――
「…………いた」
エステアは足を止めた。
通りを歩き出してわずか十数秒。もう背後に気配を感じていた。
(ついてきてるわね……)
振り向かずにチラと横目で確認すると、遠くの路地からひょっこり顔を出すノクスと少女の姿。しかも、ものすごく“忍んでるつもり”らしい。
街路樹の影にピタリと張り付き、少女がメモを取りながら何やら小声で囁いている。ノクスはノクスで、こっそりと母の足取りを追い、歩幅まで真似しているようだった。
(……なにやってるのほんとに)
エステアは、軽く吹き出しそうになるのを堪えた。笑えばバレてしまう。あくまで“気づいていないフリ”が、母親の務めなのだ。
――でも。
(なんで……?)
観察しているのが“私”だというのが、少し気になる。
(何か、考えがあるのかしら……)
何気なく立ち寄った八百屋で、トマトを選びながらも、後ろから感じる「ガサガサ……ピタッ」という雑な足音に集中力が削がれる。
「エスティ様、こちらの根菜も新鮮でございますよ」
同行していたセスが、空気を読んだように“気にしていない風”を装って話しかける。
「ええ、そうね。今夜は煮込み料理にしましょうか」
セスと会話をしながらも、後ろの“ふたりスパイ”が小声で「今の、煮込み料理って言ったよ!」などと盛り上がっているのが耳に入る。
(……遊びじゃなく、何か企んでるわね)
ノクスの表情も、少女の雰囲気も、いつものごっこ遊びの時よりどこか真剣だ。
微笑ましい反面
(……ノクス。あなた、何を考えてるの?)
ふと、エステアの中に一抹の不安がよぎった。
ノクスが、何かを決意しているような――そんな眼差しをしていたのだ。
「……まぁ、いいわ。今はまだ見守る時ね」
そう言ってエステアはトマトを三つ袋に入れ、買い物かごを持ち直した。背後では、「メモに“トマト×3、重要っぽい”って書いてください!」と少女の声が響いていた。
……街の片隅で繰り広げられる、ちっちゃな尾行劇。
果たして彼女たちの観察の先にあるものは何か――エステアには、まだわからない。
けれど、確かなことが一つ。
(ノクスは、何かをしようとしている)
それだけは、確実に伝わっていた。
そんな日々の中、その日は、特に何の変哲もない、いつも通りの朝だった。
エステアはリビングで朝刊代わりの街の告知文を読み、モルテは小さな鉢植えの手入れに精を出していた。アミーは優雅にミルクティーを啜りながら、リュースは食卓に座ったまままだ寝ぼけていた。ジョーヌとルカの二人はまだ自室で眠っているようだった。
そこへ、ゆっくりと、だが確実に空気を揺らすような気配と共に現れたのが、執事セスだった。
「皆様、お話がございます」
「……ん? どうしたのセス、いつになく真剣な顔して」
「ノクス様と共に行動している、あの少女。名前は……アリス、でしたか」
セスは眉間に皺を寄せ、静かに言った。
「――彼女、恐らく
「…………」
「…………」
「…………」
一瞬、空気が止まった。
いや、止まったように“感じた”。
エステアの手から紙が滑り落ち、アミーのティーカップがかちゃりと小さく音を立て、リュースが目を覚ましモルテの鉢植えから「ぱきん」と葉が折れた。
「……は?」
最初に声を発したのはリュースだった。
「せ、聖女って……人間界でたまに聞く、あの“神の加護を受けし、魔族の天敵”とか呼ばれるやつか?」
「……はい。見た目や言動、立ち振る舞い、加えて私が彼女から感じた“浄化の波動”……間違いないかと」
セスの冷静な言葉が、まるで爆弾のように家族の胸に落ちていく。
「ねぇ、なんでその重要情報を今まで黙ってたの……」
アミーが若干引きつった顔で問うと、セスは申し訳なさそうに小さく頭を下げた。
「失礼を承知で申し上げれば、最初は気のせいかと思ったのです。ですがここ数日の接触頻度と、観察行動の積極性……確信に至りました」
「…………ちょっと待つのじゃ。え、聖女が、ノクスと……毎日……一緒に?」
モルテの声が一オクターブ上がる。
エステアは無言のまま、眉間に指を当てていた。目を閉じ、呼吸を整える。その姿は冷静そのもの――に見えるが、手は微かに震えている。
(……まさか、ノクスのそばに聖女がいたなんて……!)
魔族にとって、聖女は存在そのものが“天敵”だ。
聖女は神に選ばれた存在であり、光の加護を受け、魔族の気配を敏感に察知し、場合によっては討伐すら任される存在。
そんな人物が、ノクスの隣で笑いながら、一緒に調査ごっこをしている。
(……いや待って。落ち着いて。バレてない、まだ何も起きてない……)
「こ、これは……あれか? 我々の正体がバレて、すでに監視されてるってことか……!?」
リュースが青ざめた顔で言い放つ。
「そんな、ノクス様は彼女と笑い合っておられました。もし正体がバレていたなら、もっと……」
アミーは引きつった笑みで皮肉る。
「え、でも、だったらなんで観察なんてしてるのよ。なに、教会主導の“家庭調査強化月間”とか?……ガチで怖いんだけど」
「…同感じゃな」
一人、また一人と家族がパニックに染まっていく中、唯一冷静そうな顔をしていたのはエステアだった。
「――落ち着いて。今のところ、何も起きていない」
エステアの声が静かに、しかしはっきりと響いた。
「ノクスが聖女と親しいこと、それは事実。でも、それだけじゃ判断はできない。もし本当に我々の正体がバレていたら、あの子はこんな風に自然に過ごしていない」
「でも、でも……!」
「いい? こういう時に大事なのは、取り乱さず、普段通りに過ごすことよ。私たちが焦って行動を変えたら、それこそ“何かある”って勘づかれてしまうわ」
「……う」
全員が、言葉を飲んだ。
たしかにそれは正論だった。
パニックに乗じて屋敷を封鎖したり、ノクスを隔離したりすれば、かえって怪しまれる。いっそ普段通り、余裕のある“大人の対応”を見せるのがベスト。
「了解した……普段通り、な」
「じゃ、じゃあ……観察されても、あくまで自然にじゃな……」
「ううう、心臓に悪い……」
そんな家族たちをよそに、エステアはゆっくりと立ち上がる。
「私が、ノクスとアリスの様子を見ているわ。変なことがないか、注意して」
「エステア様、一人では……」
「大丈夫よ、セス。もしもの時は、あなたに“暗号文”を残しておくから」
そう言って微笑むエステア。
その笑顔の裏で――
(やばいやばいやばいやばいやばい!!)
彼女は、家族の誰よりも内心でパニックを起こしていた。
魔王たる彼女が、一番慌てていたのである。
(ど、どうしよう……やっぱりあの“お母さん設定”で誤魔化してるの無理がある? バレてる? でもノクスは平気そうだったし……え? いやでも聖女よ!? ガチであの“伝説枠”じゃない!?)
内心の声はもはや叫びに近かった。
しかし、それを一切表に出すことはない。
優雅に微笑み、立ち振る舞いは淑女そのもの。
だが――
(明日から……ちゃんと日記つけよう……バレた時に証拠として“良いお母さんでした”ってわかるように……)
すでに、最悪の事態を想定し始めていた。
こうして、家族たちは静かなるパニックの中で、それぞれの“普段通り”を演じ始めたのであった。
(頼む……何も起きないで……!)
心の中で全力土下座しながら、魔王エステアは聖女アリスの動向を見守るのだった。