――ある意味、それは突然だった。
ここ数日間、ノクスとアリスの「隠密行動」に振り回されていた屋敷の住人たちは、今日もまたそれに備えて精神を整えていた。エステアは静かに紅茶を啜り、セスは廊下の掃除をしながら足音に耳を澄まし、リュースは窓辺で見張り、モルテとアミーは台所に潜みながら張り詰めた神経で気配を探っていた。視界の端でいつもの二人が飛び出してくるのを待っていた。
だが、その日だけは、いつまで待ってもノクスもアリスも現れなかった。
「……あれ? 今日は来ないな?」
ふとリュースが首をかしげる。
「気配もない、視線も感じない。……何じゃこの喪失感」
「いや、逆に怖いんだけど」
モルテが不安げに包丁をまな板に置いた。アミーが怖がりながら周囲を警戒していた、エステアも紅茶を啜る手を止め、考え込むように眉をひそめる。
「今までは毎日観察されてたのに、急に来なくなるなんて……やっぱり気づかれたのかしら」
「まさか“こっちが気づいてるのを気づかれた”と気づいたとか?」
「ややこしすぎて頭が痛いわ……」
それでも、時間は流れる。夕方が近づき、今日もまたノクスが帰ってくる頃合いだ。食卓の準備を進めつつも、どこか落ち着かない家族たち。
――そんな空気を一刀両断するように、元気な声が響いた。
「ただいまーっ!!」
勢いよく玄関の扉が開かれ、ノクスが駆け込んでくる。その手には、何やらいくつかの包みが握られていた。
家族たちが振り返る中、ノクスは玄関で靴を脱ぎながら、嬉しそうに言った。
「えっと、みんなに……プレゼントがあるんだ!」
一瞬、家族全員の時間が止まる。
「……プレゼント?」
「うん。ちょっと前から、家族のみんなに何かお礼をしたいなって思ってて。それで色々考えて、観察して……。そしたら、これがいいかなって」
そう言いながら、ノクスは包みをひとつずつ手渡していく。中身は――それぞれのサイズにぴったり合った、あたたかそうな手袋だった。
モルテが思わず呟く。
「……これって、もしかして、最近我らを観察していたのは……」
「うん。贈り物を考えるためだったんだ」
ノクスは照れ臭そうに笑いながらうなずいた。
「何を贈ったら喜んでくれるかなって考えたんだけど、みんなけっこう、手とか肩とかさすってることが多くて……。だから、もうすぐ寒くなるし、手袋ならちょうどいいかなって思ったんだ」
その言葉を聞いた瞬間、家族たちは一斉に目をそらした。
心当たりが、山ほどあった。
モルテは鉢植えの世話をしている時によく手をさすっていた、エステアは台所仕事の合間に肩を回しては手を揉んでいた。リュースは朝の巡回で冷たい門扉に触れるたびに、ぶるっと震えながら手をこすり合わせていた。
(……見られてたのか……!)
(よりにもよって、あの時……!)
セスがそっと手袋を嵌めてみると、驚くほどぴったりだった。
素材も上質で、縫製も丁寧。なにより、ノクスの心が込められているのが伝わってくる。自然と表情がほころぶ。
「とても感激しております、ノクス様。まさか、こんな心のこもった贈り物をいただけるなんて……」
「ふふ、すっかり立派な男になって……。嬉しいやら寂しいやらね」
「いや~、こいつがプレゼント用意するなんて、なんか泣けてくるわ……」
「へへっ。観察した甲斐があったよ!」
そう言って、ノクスがまたにっこりと笑う。
その笑顔を見て、誰もが口には出さずとも、胸の奥で思った。
(……この子の家族で、本当に良かった)
エステアはそっとノクスの頭を撫でる。
「ありがとう、ノクス。とってもあたたかいわ本当にね」
ノクスは照れくさそうに目をそらすが、その頬にはしっかりと笑みが浮かんでいた。
その日の夕食は、手袋の話題で大盛り上がりとなり、みんなの笑顔が絶えなかった。
――初めての、ノクスからの贈り物。
それはきっと、家族にとって一生忘れられない宝物になったに違いない。
家族みんなが手袋を受け取り、ノクスの贈り物に胸を打たれていた、そんな感動の空気の中。
「うおー! いい匂いぃぃぃっ! 腹減ったーっ!!」
唐突に屋敷中に響き渡る豪快な声と、階段を駆け下りる足音。
ドタドタと賑やかに、ルカが屋根裏から一気にリビングへと飛び込んできた。
「お、丁度晩飯? 最高! ほらノクス、早く席つこうぜ! 今日はシチューか!? パンはあるか!?」
空気も読まずにノクスの肩をバシバシ叩きながらはしゃぐルカ。その後ろからは、顔をしかめたジョーヌがトコトコと降りてくる。
「ちょっと……うるさい。ていうか、なにその空気。あーしの知らないところで、なんか大事なイベント発生してない……?」
部屋を見渡したジョーヌの目が、皆の手元に視線を移し、そして一点に止まった。ノクスが手に持っていた、包装紙の残骸。そして家族たちの手元にある、同じデザインの手袋。
「……なにそれ」
鋭くジョーヌが指を差した。
「それ、もしかして、ノクスがくれたの?」
ノクスが「うん」と笑ってうなずいた瞬間、ジョーヌの顔が真っ赤に染まる。
「え、ずるくない!? なにそれ!? あーしだけハブられてない!? ハブられたの!? マジ!? えっ、ちょ、ねぇ、聞いてる!? あーしだけ!? あーしだけなの!? これが差別社会!? 居候だからってひどくなーい!?」
「いやいやいや、違う違う! ちゃんとルカとジョーヌの分もあるから!」
ノクスが慌てて残りの包みを取り出して二人に差し出す。
「え? ……あ、ほんとだ。ある……」
ジョーヌが受け取った包みを開いて中身を確認し、その場でパタリと口を閉じた。中から出てきたのは、彼女の小さな手にぴったりのサイズで、色合いも落ち着いた深い赤の手袋。
「……あーしの好きな色、覚えてたんだ」
ぽつりと呟いて、そっぽを向きながら手袋を嵌める。
「……まあ、悪くないけど? ちょっとチクチクする気がしなくもないけど? でも、まあ……許す」
すでに目尻がほんのり潤んでいるのを、ノクスは見て見ぬふりをした。
「おっ、こっちのは俺のか? おー! なかなかいいセンスしてんじゃんノクス! 色もバッチリ! これで寒い朝の鍛錬もバッチリだな!」
ルカも豪快に笑いながらノクスの頭をくしゃくしゃに撫でていた。
そんなふたりの様子に、周囲の家族たちも微笑ましそうに見守っている。和やかで、あたたかくて、まるで本当の家族のような空気。
――そんな雰囲気の中で、ノクスがぽつりと言った。
「そういえば、みんなに紹介したい人がいるんだ」
「紹介?」
家族たちが首を傾げると、ノクスはすっと立ち上がって玄関へと向かった。
「少しだけ、待っててもらえる?」
数秒後、玄関の扉が開かれ、外から入ってきたのは――見慣れないシスター服の少女だった。
小柄で整った顔立ちに、柔らかい雰囲気を纏った少女。見た瞬間、エステアの目がわずかに細くなり、モルテは反射的に背筋を正す。セスは持っていたティーカップを微妙に持ち直し、アミーはぎこちない笑顔を張り付け、リュースは眉をひそめた。
ルカとジョーヌも、どこか空気の変化を感じ取っている。
ノクスは少女の背中を軽く押しながら、皆に言った。
「この子、アリスって言うんだ。最近ちょっと仲良くなって、一緒に色々手伝ってもらっててさ」
アリスは軽くお辞儀をすると、柔らかな笑顔を浮かべて自己紹介した。
「はじめまして、皆さま。アリスと申します。ノクス君にはたくさんお世話になっていて……今日はそのご挨拶に参りました」
一瞬、家族の空気が張り詰める。
(聖女、ですよね?)
(うん、聖女だね?)
(なんで来てるの聖女!?)
全員の目が言葉にしない問いを交わしていた。
だが、アリスはその緊張をまるで感じさせないほど、にこやかに続けた。
「それと……もうひとつ、お願いがあって」
少女はノクスの隣に立ち、少しはにかんだように、でも真っ直ぐに前を向いて言った。
「……わたしも、ノクス君のパーティに入れてください!」
「え?」
「……は?」
「うぇええええええっ!?!?!?!?」
叫んだのはジョーヌとルカ、そしてノクス本人だった。
リビングに、盛大な間の抜けた声がこだまする。
それを見てアリスは、いたずらっぽく笑いながら続けた。
「もっと、ノクス君のそばで、色々助けてあげたいなって思ったんです」
誰もが、驚きと混乱の中で言葉を失っていた。
そしてその混乱の中、唯一冷静なセスが呟いた。
「これは……また波乱の予感ですね」
エステアは紅茶を一口啜りながら、深いため息をついた。
「ノクスの成長も嬉しいけれど……落ち着く暇がないわね、ほんと」
――こうして、嵐のようなサプライズと共に幕は閉じるのだった。