「でさ、どうなんだよ、ノクス?」
「うん?」
仮登録の書類を書くために、冒険者ギルドに向かう街道沿いの道を歩きながらベアルが身を乗り出してきた。相変わらず大柄で陽気な彼は、先ほどからずっとノクスに話しかけ続けている。
「だからよ、冒険者になってみてどうなんだ? 大変だろ?」
その言葉にマリーも「危険な依頼とか受けてない?」と続けてくる。すっかり“保護者モード”だ。
ノクスは少し笑って首を振った。
「大丈夫だよ、ベアルさん、マリーさん。確かに簡単なことばかりじゃないけど、すごく充実してるんだ。今でも野菜運びや荷物運びとかばかりで危険らしい危険にも遭遇してないよ、それにパーティメンバーにも恵まれてるしね」
その言葉に、ベアルは安心したように口角を上げ、ドンッとノクスの肩を軽く叩いた。
「そっかそっか! それならいい! 困ったことがあったら遠慮なく言えよ? お前はもう俺たちの大事な後輩だからな!」
「もう、叩かないでよ、ベアルさん」
叩かれた肩をさすりながら苦笑するノクスを見て、マリーもほっと息をついた。
「パーティメンバーって……ルカちゃんとかでしょ? あの子、何か問題起こしてないでしょうね?」
その問いには、ノクスも思わず苦笑するしかなかった。
「うん、ルカもジョーヌも大丈夫だよ。二人ともいい人だから」
「本当? あの子、ノクスの言う事ちゃんと聞いてるか心配でね」
心底安堵したように言うマリーに、ノクスは改めて「ありがとう」と小さく頭を下げる。そんな穏やかなやり取りが続く中、その後ろで別の会話が繰り広げられていた。
「でさ」
「……なんでしょうか?」
ジョーヌがアリスの横に並び、顎に指を当てながら首を傾げた。
「アンタさ、なんであーしらのパーティに入りたいわけ?」
その問いは軽い調子だったが、その目は一切笑っていなかった。
ルカも両手を頭の後ろに組みながら横から顔を寄せる。
「そうそう、俺もそれ気になってたんだよ。冒険者になりたいだけなら別にどこでもよくないか? なんでノクスのとこ?」
二人からの質問に、アリスは思わず足を止めた。その小さな肩がかすかに揺れる。
「……えっと……」
返事に詰まるアリス。視線は足元へと落ち、手元で指をもじもじと絡める。
「その……ノクス君を見ていたら……私も、冒険者になりたくなったっていうか……」
その言葉はどこか誤魔化すような響きで、笑顔もどこかぎこちないものだった。
「へえ~~~~~?」
ジョーヌの口元が吊り上がる。その笑みは笑顔ではなく、猫が鼠を追い詰めるときのような冷たい鋭さがあった。
「ほーん……あいつを見てたらねぇ?」
「なんか、隠してねぇ?」
ルカもジョーヌに同調し、紅い瞳がじっとアリスを射抜く。さっきまで笑顔で「ノクス~」と騒いでいた二人とは思えない冷徹さが、その目に宿っていた。
アリスは一瞬で背筋を凍らせた。だがすぐに笑顔を取り繕い、無理に明るい声を出す。
「そ、そんなことないよ! 本当に、それだけなんだから!」
「ふーん……」
「へぇ……」
二人の声が同時に重なった。その温度は冷たい水を浴びせられたかのように冷え切っている。
アリスの表情は笑顔のままだが、指先は微かに震えていた。それに気づいたのは彼女自身だけだった。
(この二人……ただ者じゃない……!)
しかしアリスは一度視線を下げ、次に顔を上げたときには穏やかな笑顔を浮かべていた。
「本当だよ、ジョーヌちゃん、ルカ君。私は嘘なんてついてない」
その微笑みは柔らかく、シスターらしい慈愛に満ちたものだったが――ジョーヌとルカの視線は冷たいままだった。
「……ま、いいけどさ」
「ノクスが決めたことだからな、それと俺は女だ」
二人はそれ以上言葉を続けず、また前を向いて歩き出した。
だがその瞳の奥には、「本当の理由があるなら、絶対に見抜く」という意思が、はっきりと宿っていた。
アリスは微笑みを崩さぬまま、その背中を追いかけて歩き出した。
(大丈夫、私の目的は――)
その思いを胸に、アリスは小さく息を吐く。
その頃、少し前を歩くノクスは、ベアルとマリーの質問攻めを受けながらも笑顔を崩さず、歩みを進めていた。
「本当に、色々大変なんだね」
「でも、毎日楽しいよ」
「そっか、良かった……」
言葉を交わしながら進む三人の後ろを、また別の三人が複雑な思いを胸に抱きながら歩く。
冒険者ギルドへの道のりは、普段よりも少し長く感じられた。
受付で仮登録の手続きを無事に終えた後、一行はそのまま帰るつもりでいた。
「さて無事終わったし、本格的に暗くなる前に今日はこれで解散で……」
ノクスがそう言いかけた時だった。
「おいおい、それじゃあつれないだろ?」
肩に手を置いてきたのはベアルだった。いつも朗らかで頼りがいのある笑顔が、今日はやけに頼もしく見えた。
「こういう時はな、新規が入ったら親睦を深めるために飯でも食うもんだ。冒険者の常識だぜ?」
「そうだね、折角だし一緒に行こうか?」
マリーも微笑んで提案し、結局ノクスも断れず頷いた。
こうして一行はギルド併設の食堂へと向かった。時間は夕方近く、昼と夜の狭間の中で、少し落ち着いた店内には数組の冒険者たちが飯を食いながら笑い声を上げていた。
6人で座れるテーブル席に案内されると、自然とノクスを挟む形で左右に座席が分かれた。
右にはジョーヌ、ルカ、ノクス。左にはベアル、マリー、アリス。
いつもと変わらない笑顔で注文を済ませるノクス。ギルドの食堂は質素ながら、煮込み料理や温かいパン、甘酸っぱい果実酒が有名で、ベアルが「肉の煮込みは外せないぞ!」と鼻息荒く注文していた。
しかし、料理が運ばれるまでの短い時間の中で、ノクスは奇妙な空気に気が付いた。
「……あれ?」
笑顔の裏側で、冷たい視線が飛び交っていたのだ。
ジョーヌとルカが、一切の笑みを見せずにアリスをじっと睨んでいる。
じっと。瞬きすら惜しむように。
アリスはそんな二人の視線を感じ取り、肩を微かに震わせながら視線を落としていた。スプーンを持つ手が震え、膝の上で指を絡めている。
ベアルとマリーはというと、二人の刺すような視線に気付きながらも、「なんでそんなに睨んでいるんだ?」と言わんばかりの不思議そうな顔をしていた。
(……なんでこんな空気になってるんだ?)
ノクスは頭を掻きながら視線を二人へ向けた。
「二人とも、どうしたの? なにかあった?」
問いかけに、ジョーヌはカツンとスプーンを皿の上に置き、瞳を細めてノクスを見た。
「こいつ、あーしらに隠し事してる。」
吐き捨てるようなその声は、普段のジョーヌの軽い口調ではなく、氷のような冷たさを含んでいた。
「……隠し事?」
ノクスが聞き返すと、ルカも腕を組み、目を閉じて頷く。
「俺も思う。お前……なんか隠してるだろ。」
鋭い二つの視線がアリスに突き刺さる。
アリスは小さく息を飲み、肩がピクリと震えた。震えを隠すように胸元の十字架のペンダントを握りしめ、視線を落としたまま口を開かない。
ノクスは愛想笑いを浮かべて場を和ませようとした。
「いやいや、アリスが何か隠してるわけないだろ? そうだよね?」
笑顔で問いかけられたアリスは、小さく震えながら視線を上げる。
だがその目には涙がにじみ、口は震え、言葉が出てこなかった。
(アリス……?)
視線が泳ぎ、すぐに俯くアリス。
ジョーヌとルカの視線はますます鋭くなる。
「ね? 答えられないじゃん」
「やっぱ怪しいんだよなぁ」
空気が重く沈んだその瞬間だった。
「……ノクス、いいかな?」
場の空気を変えたのは、ベアルだった。大きな手をアリスの肩に置き、優しく微笑む。
「もう正直に話してもいいんじゃないか?」
「そうね、アリスちゃん」
マリーも穏やかに笑顔を向けた。その目には優しさと、それでいてどこか覚悟を決めたような光が宿っていた。
アリスは驚いたように二人を見つめると、小さく唇を噛んだ。
「でも……」
「大丈夫だ、俺たちがいる」
「アリスちゃん、あなたのためでもあるのよ」
ベアルとマリーの声は温かく、どこか背中を押すような力があった。
アリスは再びノクスを見つめた。その金色の瞳には、怯えと決意が入り混じっていた。
ノクスは何も言わず、その目を見つめ返した。問いかけるように、だけど急かすことはしない穏やかな視線で。
ギルドの食堂の喧騒が遠ざかるような感覚の中で、アリスはゆっくりと深呼吸をし、震える唇を開いた。
「ノクス君……私……本当は――」
その言葉は、これまで隠されてきた秘密の扉を開く合図であり、この場にいる全員の未来を大きく揺るがす“始まり”になることを、まだ誰も知らなかった。
そしてノクスの目の前で、アリスはようやく、すべてを打ち明ける決意を固めるのだった。