俺の母さん、実は魔王でした⁉   作:KuRoNia

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第六節:モルテの誤算

――屋敷でモルテがネクロマンサーとして力を振るっていた頃。

 

冒険者ギルドの食堂には、何とも言えない重い空気が漂っていた。

 

木製の長椅子に深く腰掛けたノクスは、コトリと小さく器の残りを置くと、何度目かもわからない深いため息をついた。

目の前には空になったコップが並び、ジョーヌとルカが、沈黙の中でストローをくわえながらも、目だけで何度も合図を送り合っていた。

 

(……魔王。魔界。聖遺物。聖女。お母さんを魔界へ……)

 

アリスの計画を聞かされてからというもの、ノクスの思考は混乱の渦の中にあった。

 

(……どうして、こんなことに)

 

あの柔らかく笑う少女が王命を背負う聖女であり、その目的のために自分に近付いたこと。

さらに、聖遺物が魔界の魔王の元にあるという事実――

 

ノクスにとって“魔王”など絵本の中の存在であり、勇者が倒すべき遠い存在でしかなかったはずなのに、その“魔王”という単語が急に現実味を帯び、胸の奥に重くのしかかっていた。

 

(……でも、アリスが悪い子じゃないことは分かってる。あの時、一緒に悩んでくれて、笑ってくれたあの子が嘘をついていたなんて思えない……けど……)

 

ぐるぐると考え込むノクスの頭に、ふと母エステアの顔が浮かぶ。

 

(お母さんに相談した方がいいのかな……いや、でもお母さんに“魔王”の話をするなんて……)

 

その時だった。

 

「よし、今日はこの辺でお開きにしようぜ。」

 

重苦しい空気を察したベアルが笑顔を作って言った。

その隣でマリーも小さく頷く。

 

「……そうね。今はそれぞれ、考える時間が必要でしょう?」

 

ベアルとマリーの二人は、ノクスの頭の上に大きな手を置くと、小さく笑った。

 

「ノクス、何か困ったことがあったら、遠慮なく言えよ?オレたちは同じ冒険者だ」

 

「そうよ、何があっても私たちは味方だから」

 

その言葉に、ノクスの目がわずかに潤む。

 

「……ありがとう」

 

曖昧ながらも頭を下げて感謝の言葉を返した時、向こうで席を立ったアリスが小さな肩を落としていたのが目に入った。

 

きっと彼女自身も、言いたくて言ったわけではなかったのだろう。

王都の命令。聖遺物の回収。大きすぎる使命を背負って、それでもノクスにだけは本当のことを話そうと決意してくれた。

 

それを思うと、胸の奥がチクリと痛んだ。

 

アリスはベアルとマリーに肩を支えられながら最後まで何度も振り返り、小さな声で「ごめんなさい」とだけ繰り返していた。

その背中は見ているだけで痛々しく、ノクスは立ち上がることもできずにただ見送った。

 

(……アリスも、謝る必要なんてないのに)

 

「ンン……あの子も大変なんだね」

 

先ほどまで無表情で沈黙していたジョーヌがストローをカラカラと回しながら呟く。

その隣でルカも腕を組み、目を閉じながら吐息を漏らした。

 

「色々あるみたいだが……ま、オレたちはオレたちでできることをやるしかねぇだろ」

 

二人ともいつものように軽口を叩くわけでもなく、珍しく真面目な顔をしていた。

 

(……家に帰ったら、お母さんに話してみよう。魔力のことも、アリスのことも……ちゃんと話そう)

 

ようやく一つの結論に辿り着いたノクスは、少しだけ表情を和らげると、テーブルの上を片付け始めた。

 

その時だった。

 

「ねぇ、ノクス」

 

ジョーヌが首を傾げながら言った。

 

「そろそろ帰ろ?こんな所で悩んでてもしゃーないっしょ」

 

「そうだな。家に帰ってから考えよう」

 

ルカも椅子から立ち上がり、伸びをする。

 

「お、珍しく正論言うじゃん」

 

「うるせぇ、ジョーヌ」

 

「なにさ、この泣き虫」

 

いつもの二人の軽口が戻りつつあり、ノクスも思わず笑みを漏らしながら立ち上がろうとした、その瞬間だった。

 

「――ノクス!」

 

ギルドの扉が勢いよく開き、風鈴のようなベルの音が鳴り響く。

 

血相を変えたマリーが息を切らしながら駆け込んできた。

 

「マリーさん……どうしたの?」

 

「あ、あんたたち……無事だったのね!」

 

マリーは周囲の冒険者達の視線も気にせず、一直線にノクスたちのテーブルへと駆け寄ると、その場で膝に手をつき、息を整えながら顔を上げた。

 

「何があったんだ?」

 

ルカが真剣な顔で問いかける。

 

ジョーヌも真顔に戻り、ノクスも胸がひやりと冷えるのを感じた。

 

マリーの瞳には、明確な恐怖が宿っていた。

 

「アリスが……アリスが……!」

 

「アリスが?」

 

「アリスが、リッチに攫われたのよ――」

 

その言葉は、ギルドの食堂にいた全員の耳に入った。

 

その瞬間、ギルド内の空気が張り詰める。

一瞬、誰も息を呑むことさえ忘れたような沈黙が走った。

 

ノクスの頭の中で何かが砕ける音がした。

 

「……なん、だって?」

 

身体が一気に冷え、血の気が引いていく。

 

アリスが、リッチに攫われた――

 

まるで悪い冗談のような言葉が、冒険者ギルドに重く沈んでいた。

 

「リッチ……だと……?」

 

ぽつりと呟いたのは、ノクスのすぐ近くの席に座っていた、顔に古傷のある中年の冒険者だった。

彼は震える手で酒杯を置くと、その隣の仲間と目を合わせ、首を振った。

 

「そんな……リッチなんて……俺たちがどうにかできる相手じゃねえだろ……」

 

「バカ言うなよ……助かるわけない……」

 

街のしがない冒険者たちが、その場で目を伏せるように俯く。

それは空気に伝染するように、ギルド内の全員へと広がっていった。

 

「……あの子は……もう……」

 

「神様に祈るしかないな……」

 

それはまるで諦めを前提とした、静かな絶望の囁きだった。

 

その空気の伝播を感じながら、マリーは拳を握りしめて震えていた。

 

(……なによ、それ……!)

 

目の奥がじんと熱くなる。唇を噛みしめ、血が滲む。

 

(この街の冒険者の力量なんて分かってる。リッチなんて化け物、相手になるわけがない。私だって、分かってる……!でも――!!)

 

(なのに、助からない?助けられない?ふざけるな!)

 

怒りと悲しみが混じり、声が漏れそうになった瞬間――

 

「――なあ、詳しく話せ。」

 

ルカの声が低く、鋭く響いた。

 

その声に、ギルド内の冷え切った空気がぴしりとひび割れたような感覚が走る。

 

マリーは顔を上げた。ルカの瞳が、真っ直ぐにこちらを射抜いていた。

 

「ルカ……」

 

「お前の話、ちゃんと聞く。落ち着いて話せ」

 

その隣でジョーヌが、珍しく真剣な顔をして頷いた。

 

「詳しい状況、頼むわ。変な省略なしで」

 

(……この子達は……)

 

マリーは拳を握り直し、深く息を吸った。

 

「……あの時は……」

 

静かに語り出すマリーの声を、ギルド内の冒険者たちが一斉に息を殺して聞き入っていた。

 

「アリスを慰めながら、ベアルと三人で教会まで送り届けていたの。いつもの大通りよ。でも、あそこは時間帯によっては人気がないから……」

 

空気が凍るような緊張がマリーの背を這い上がるのを感じながら、続きを絞り出した。

 

「突然、目の前に黒い霧の渦が現れたと思ったら……リッチが現れたの」

 

「リッチが転移で現れた……?」

 

ルカの眉がぴくりと動く。ジョーヌの表情も険しい。

 

「信じられないほど唐突だったわ。アリスも、ベアルも、私も、一瞬面食らった。でもアリスはすぐ神聖魔術を放ったの。反応だけなら、誰よりも早かった」

 

マリーの声がわずかに震える。

 

「でも……効かなかったのよ。アリスの魔術が、リッチに当たったのに、煙が散るように霧散して……。あの子、目を見開いて固まってしまった」

 

(神聖魔術が……効かない!?)

 

ノクスはごくりと唾を飲み込み、汗が背中を伝うのを感じた。

 

「その間に……!」

 

マリーの肩が跳ねる。

 

「ベアルが剣を抜いて前に出たの。でも、その瞬間、リッチが暴風みたいな魔術を放って…… ベアルは壁まで吹き飛ばされて、その場で動けなくなったわ」

 

「……!」

 

ルカの目が細められる。

 

「その隙に、アリスが捕まったのか」

 

「……ええ」

 

マリーは唇を噛み、肩を震わせる。

 

「リッチはアリスを片手で掴みながら、尊大な口調で言ったわ。『取り返したければ街外れの森に来い』って……。」

 

息を整えるために、一度目を閉じた。

 

「そう言った次の瞬間、霧が巻き起こって……また、あっという間に転移して消えたの」

 

ギルド内には、また重苦しい沈黙が戻った。

 

しかし先ほどと違ったのは、沈黙の奥で小さな決意が育ち始めていたことだ。

 

「……そうか」

 

ルカは短く言うと、視線をノクスへ向けた。

 

「ノクス、どうする?」

 

問いかけられたノクスは、視線を落としたまま拳を握りしめた。

 

アリスの笑顔が脳裏をよぎる。手袋を渡した時の、あの無邪気な笑顔が。

 

(……助けるに決まってるだろ)

 

自分自身に向けて言い聞かせるように、ノクスは顔を上げた。

 

「助けに行くよ。大事なパーティメンバーじゃないか」

 

その瞳には恐怖がありながらも、確かな決意が宿っていた。

 

その言葉を聞いたジョーヌが口角を上げる。

 

「言うと思った」

 

「バカだな、オマエは」

 

ルカが小さく笑ったが、その目には同じ光が宿っていた。

 

「だが、それでこそお前だ」

 

そして、その三人の決意を見つめながら、マリーはわずかに泣き笑いのような顔で呟いた。

 

「……ありがとう」

 

絶望が支配する中で、小さな希望の火が灯った瞬間をノクスの鞄に中から骨の鼠が静かに見ていた。

 

 ◆ ◆ ◆

 

パチ……パチ……

 

暖炉の薪が弾ける小さな音が、真夜中の屋敷に静かに響いていた。

 

屋敷の応接間、分厚い絨毯と深い赤のソファに沈み込みながら、モルテは本を片手に足を組んでいた。表紙は古代魔術の研究書だが、眼は半分しか文字を追っておらず、右手で指を動かすたび、遠隔地の使い魔たちが地面を這ったり、木の枝を飛び回ったりと、森の中で小さな影となって動き続けていた。

 

(……暇じゃのう)

 

本をめくる指が止まり、顎に手を当てて欠伸をひとつ。

 

(……まぁ、久しぶりに本気でスケルトンを動かしたし、運動にはなったか)

 

その時だった。

 

『モルテ様、報告します。無事、聖女の捕獲に成功しました!』

 

脳内に直接響く使い魔――いや、リッチからの念話は、何故かどこか弾んでいた。

 

「ん?おお、成功したか」

 

思わず頬が緩み、にやりと笑みを浮かべるモルテ。

 

「よいぞよいぞ、これでエステアが聖女を偶然を装って助けに動く流れじゃな。……ああ、それとな、くれぐれも聖女を傷つけたり、街の住民を殺したりするではないぞ?」

 

『はっ、そのつもりで動いておりましたが……少しだけ、手が滑りました』

 

一瞬間の抜けた空気が流れた。

 

「……なんじゃと?」

 

『護衛についていた赤髪の剣士が抵抗したため、つい暴風魔術で吹き飛ばし、壁に叩きつけてしまいました……』

 

モルテの目が細められるが、その顔には呆れた笑みが浮かんでいた。

 

「……赤髪の剣士……ベアルのことか」

 

苦笑しながら肩を竦める。

 

「まぁ、その程度で死ぬような奴ではないわ、気にするでない」

 

『はっ、以後は最大限気を付けます』

 

「うむ、それでよい。あとはエステアが助けに来るまで、森でアリスを傷つけぬように大人しく待機しておれ」

 

『かしこまりました』

 

念話が途切れ、モルテは本を置きながら深く椅子にもたれた。

 

「これでよし……あとはエステアが助けに行って、この件は丸く収まる……」

 

がらんとした部屋に再び静寂が戻る。

 

パチ……パチ……

 

薪の弾ける音だけが、再び小さく響き続けた。

 

(……しかし、遅いのう)

 

窓から見える空は、すでに暗くなり、淡い月光が差していた。

ノクスが帰ってくる時間は、とっくに過ぎている。

 

(おかしいのう……もう帰ってきても良い時間じゃが…)

 

暇つぶしのつもりでページをめくっていた本を閉じると、モルテはポケットから小さな骨の欠片を取り出した。それはノクスの鞄に紛れ込ませていた骨鼠の使い魔とリンクするための媒体だ。

 

(まぁ、様子だけ確認しておくかの)

 

目を閉じ、意識を骨鼠に同調させる。

 

直後――

 

『……リッチ!?』『アリスが攫われた!?』

 

飛び込んできたのは、ノクスの怯え混じりの声と、それを支えるルカとジョーヌの張り詰めた空気だった。

 

(……ほ?)

 

思わず顔が引きつる。

 

骨鼠の視界に映ったのは、ギルドの食堂。そこには顔を青ざめさせながら必死に何かを伝えるマリーと、それを聞きながら硬直するノクスたちの姿があった。

 

『……取り返したければ、街外れの森に来いって……』

 

マリーが涙をこらえるように震えながら、必死に続けていた。

 

(いやいやいや……まさか……)

 

モルテの額に冷や汗が伝った。

 

(馬鹿な……あれほどの相手じゃぞ、普通は怯えて家に帰るじゃろ……)

 

だが――

 

『助けに行くよ。大事なパーティメンバーじゃないか』

 

その小さな決意の声が、骨鼠越しにモルテの耳に届いた。

 

(はぁぁぁぁぁ!?!?)

 

モルテの魂が凍りつく。

 

「ま、待て待て待て、ノクスよ!お主の力量でリッチ相手とか無理じゃろ!?」

 

部屋に誰もいないにも関わらず、モルテは立ち上がって叫んでいた。

 

「いや、馬鹿か!?なぜ行くのじゃ!?せめて帰ってこい!!」

 

しかし、骨鼠はただ静かにノクスたちがギルドの外へと向かう準備をしている光景を淡々と映し出していた。

 

モルテの額から汗がぽたぽたと落ちる。

 

「ど、どうする!?ど、どうする!?あああ、こうなったら……!」

 

慌てて部屋を飛び出したモルテは、屋敷の廊下を駆け抜け、そのまま階段を滑るように降りる。

 

「エステアぁぁぁぁぁ!!エステアぁぁぁぁぁ!!!大問題が起きたのじゃぁぁぁぁ!!」

 

怒声のような叫びが屋敷に響き渡る。

 

「どうしたの!!?」

 

驚いた様子で皿洗いをしていたらしいエステアが台所から飛び出してくる。

 

「ノクスじゃ!ノクスが!アリスを助けに行く気じゃ!!止めろ!今すぐギルドに行って止めるのじゃぁぁぁ!!」

 

「はぁ!?なんで!?迎えに!?どういうこと!!?」

 

「いいから早く!!早くせんとノクスがあああああ!!」

 

「ちょ、ちょっと待って――」

 

「早く!!」

 

「わかったわかったわかった!!!」

 

慌てふためくモルテと、急いでエプロンを外して転移術式を練り始めるエステア。

そんな二人の大騒ぎに、セスが顎に手をやりながら動揺しているのかウロウロしだし、リビングから覗いていたアミーが肩を震わせながら「馬鹿モルテ!!節穴!」と焦り、リュースは「おおおい、文句言ってる場合か!?」とツッコミを入れていた。

 

「ノクス!!無茶だけはするなぁぁぁぁぁぁぁぁ!!」

 

その叫びが屋敷に響き渡った瞬間、エステアは転移魔術を発動させ、ギルドに向けて転移していった。

 

(あああああああ……我が思っていたより……ノクスは遥かに勇気がある子じゃったわ……!!)

 

モルテは頭を抱えながらも笑みがこぼれた。

 

その笑顔は、焦燥と絶望、そしてどこか誇らしさが混じった笑顔だった。

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