事件の翌日、辺境の街の朝は肌寒く、それでいてどこか柔らかい日差しが差し込んでいた。
昨日のあの騒動が嘘のように穏やかな朝だったが、ノクスの胸の奥にはまだ少しだけ震えるような余韻が残っていた。それでも、今日は昨日とは違うのだ。昨日より少しだけ、強くなれた気がしていた。
ギルドの奥のテーブル席。窓際の明かりが差し込む場所に、ノクス、ジョーヌ、ルカ、アリス、ベアル、マリーの六人が集まっていた。昨日の出来事を越えた後では、どこか居心地が違った。
先に口を開いたのはアリスだった。
「改めて……昨日は助けてくれて、本当にありがとうございました……」
アリスは深々と頭を下げ、揺れる銀髪がテーブルにかかる。目元にはまだ泣き腫らした跡があったが、そこに残るのは不安ではなく、安堵と感謝の色だった。
「そんな……僕は別に……」
ノクスは頭を掻きながら言葉を濁した。昨日のことを思い出すと、胸がざわつく。走り出したあの瞬間の恐怖も、リッチと鍔迫り合いになった時の手の震えも、今もまだ身体に残っている。
「助けてくれたのは、僕だけじゃないからさ。スケルトンを抑えてくれたのはルカとジョーヌだったし……最後に倒したのは、お母さんだったし……」
言い訳のように呟くと、それを遮るようにジョーヌが声を上げた。
「違うでしょ、ノクス」
彼女はその赤い瞳で真っ直ぐにノクスを見つめる。
「助けるって最初に決めたのは、あんたでしょ?」
その言葉に被せるように、ルカも頬杖をつきながらニヤリと笑う。
「そうだぜ、ノクス。お前が助けるって言ったから、俺らも剣を振るったんだ」
静かに流れるギルドの朝の空気の中、その言葉が胸に突き刺さった。何度も頭で否定しようとするのに、心は否定しきれなかった。
あの時、自分が逃げなかったから、みんなが一緒に動いてくれたのだ。
「……ありがとう」
やっと絞り出せた言葉は小さかったが、ノクスの顔には笑顔が戻っていた。
その様子を見て、ベアルが口の端を上げて笑う。
「いいパーティだな、お前らは。」
重くも軽くもない、温かい声だった。その言葉にマリーも笑みを浮かべて頷く。そして、その視線は隣に座るルカへと移った。
「……本当に、変わるものね」
マリーはそれ以上の言葉を言わなかったが、その瞳には確かな尊敬と喜びが宿っていた。
ルカはその視線に気づくと、頭を掻きながら少しだけ視線を逸らした。
「別に……ただ、ムカついただけだよ。あんなガイコツにビビってるのがさ。」
それでも、その顔には小さな笑みが浮かんでいた。吸血鬼として人を恐れさせる側だったルカが、人を守るために剣を振るったこと。それをマリーは言葉にせずとも理解していた。
アリスもまたその光景を見つめていた。薄く笑みを浮かべながら、手のひらをぎゅっと握り締める。
(……守られるだけじゃなくて、私も……)
昨日の恐怖も痛みも忘れたわけではない。だが、あの時見たノクスの背中、ジョーヌの叫び、ルカの無謀な突撃、そしてエステアの強さ。それら全てが、アリスの心に火を灯していた。
「本当に……ありがとうございました。」
もう一度頭を下げるアリス。その声には迷いがなかった。
ギルドの扉が開き、朝の光が差し込む。冒険者たちの声が行き交う中、ノクスたちは互いに目を見合わせ、小さく笑い合った。
昨日までの自分たちではなく、昨日を越えた“今の自分たち”で笑えたことが、何よりも嬉しかった。
その笑顔の中で、ノクスの胸の奥にわずかに残っていた震えが、すっと消えていくのを感じていた。
「ねえ、ジョーヌ、ルカ」
向かいの席で水を飲んでいたジョーヌが赤い瞳をこちらに向ける。その隣でルカもパンをかじりながら首を傾けた。
「何だよ、改まって」
「昨日のことがあって思ったんだ。これからのこと、パーティのこと」
ノクスは一度アリスの方を見やった。彼女はまだほんの少し緊張した笑みを浮かべていたが、その瞳には昨日泣いていた少女の面影はなく、しっかりとした決意の光が宿っていた。
「だから、その……アリスを正式に、僕たちのパーティに迎えたいんだ」
言葉に出した瞬間、何かが確かに変わった気がした。仲間として、一歩前に進む瞬間だった。
ジョーヌは「ふーん」と短く息を吐いて肩を竦めた。
「異議なし。……まぁ色々あったけど今更あーしも別に反対する理由はないしね」
そう言いながらもその口元は僅かに緩み、からかうような笑みが浮かんでいた。
「異議なーし!」
ルカはパンを飲み込みながら親指を立てて笑った。
「人数増えるのはいいことだぜ! 俺も強ぇ奴と組む方が面白いしな!」
「強くは……ありませんよ」
アリスは頬を赤らめて視線を伏せる。
「ただ、私も……昨日みたいな時にただ怯えてるだけじゃなくて、ちゃんと戦えるようになりたいんです」
昨日の夜、震えながら泣き崩れていた自分を思い出しているのだろう。それでも、アリスは今、笑おうとしていた。
「だから……私で良ければ、よろしくお願いします」
言葉を終えた瞬間、ジョーヌが「ま、決まりね」と言って手を伸ばし、アリスの肩を軽く叩いた。
「これで晴れて四人パーティだな!」
ルカもニカッと笑い、「よし! 飯代四等分だな!」と言い、ジョーヌに「そこ! 台無し!」と小突かれていた。
笑いが弾けたその時だった。ノクスは改めて深く頭を下げ、息を整えながら言葉を紡ぐ。
「みんな本当に、ありがとう」
短い感謝だったが、全員にしっかりと届いた。
しかしノクスはすぐに真剣な顔になった。
「それで……その、もう一つみんなに言いたいことがあるんだ」
ジョーヌがパンの残りを口に運びながら眉を上げ、ルカが「ん?」と首を傾げ、アリスは静かに耳を傾ける。
「昨日のこと、あれは……僕が無茶をしただけで、本当に助けられたのは、お母さんの力だった」
エステアのあの圧倒的な一撃を思い出す。あれがなければ、きっと自分たちは全滅していた。
「僕は……弱かった。自分でも分かるくらい、全然力が足りなかった」
言葉を詰まらせながら、それでもノクスは顔を上げて仲間の瞳を見た。
「だから……修行をしようと思う。本格的に、自分を鍛え直したいんだ」
静寂が一瞬テーブルを覆った後、ジョーヌが「……あーあ」と肩を落とした。
「修行とか柄じゃないって思ってたけど……まぁ、昨日みたいなことがまた起きて、あんたが勝手に突っ込んで足手まといになられるのも面倒だしね」
腕を組み、赤い瞳をそらしながら、
「しょうがないなぁ……あーしも付き合ってやるわよ」
その言葉にルカが笑い声を上げる。
「修行か! 面白そうじゃねぇか!」
吸血鬼の瞳が楽しそうに光る。
「俺もちょうど壁越えしたいって思ってたところだしな! 一緒にやるぞ!」
アリスは微笑みを浮かべて、小さく胸に手を置いた。
「……私も、聖女と呼ばれて少し驕っていたのかもしれません」
その瞳には覚悟が宿っていた。
「この街での修行がきっと、私を変えてくれる気がします。私も、一緒に頑張らせてください」
ノクスは胸が熱くなるのを感じた。昨日までは想像もできなかった言葉が今、自分たちの間で交わされている。
四人の決意に、小さく拍手をする者がいた。
笑顔を浮かべながら立っていたのはベアルだった。その隣でマリーも小さく微笑んでいる。
「これからが楽しみだな、ノクス」
「……俺たちは、そろそろ王都に戻る」
ノクスが「えっ?」と驚き顔を上げると、ベアルは肩を竦めて言った。
「昨日の件を王都に報告しておかないとな。リッチの襲撃のこと、聖女が誘拐されかけたこと、そして……」
視線をアリスに向ける。
「聖遺物の件もな。まだまだ時間がかかりそうだって、きちんと報告しておく」
マリーも頷く。
「王都の方でも聖遺物の件はずっと気にしてるでしょうしね」
アリスが目を伏せて小さく頷く。ベアルが片手を軽く上げた。
「だから……俺らは先に戻るが、お前らはお前らでやることをやれ」
「じゃあな」
短く、それでいて確かな別れの言葉を残して二人はギルドの扉へと向かっていった。
その背中を見送った後、ノクスは胸の奥で強く思った。
(次にベアルさんたちに会う時、少しでも成長した姿を見せられるように……)
その思いが、これから始まる修行の日々への覚悟へと変わっていくのを、ノクス自身がはっきりと感じていた。