「……これにて、今回の件の報告は以上です」
王都冒険者ギルドの受付カウンターの前で、マリーは深く頭を下げた。ギルドの記録員が忙しなく羽ペンを走らせ、今しがた語られた内容を記録用の紙に書きつけている。その横で、ベアルが疲れきった顔で壁にもたれかかり、大きく息を吐いた。
「お疲れ様です。改めて確認いたしますが、件の聖女アリスは救助済み、攫ったリッチは討伐済み、加えて王都からの依頼対象であった《聖遺物》については……」
「現状回収不能、だ」
ベアルが短く答える。マリーがちらりとベアルを見たが、彼は疲れ切った目で天井を見ているだけだった。記録員は頷きながらメモを取り続ける。
「ただしその理由は、今魔界に向かっても道中で全滅する可能性が高いと判断したため、です。誤解のないよう記録しておいてください」
マリーが補足すると、記録員は「かしこまりました」とだけ答え、また紙へ視線を落とした。羽ペンの走る音が数秒続き、ようやくペンが止まる。
「これで報告は完了です。本当にお疲れ様でした、ベアルさん、マリーさん」
「はぁ……ようやく終わったな」
「長かったわね……」
ギルドを出ると、まだ太陽は高い位置にあり、王都の中央通りには活気が満ちていた。商人が荷馬車を引き、露店の呼び込みの声が響き渡る。だがベアルとマリーの二人はその賑わいを横目に、どこか浮かない顔で歩いていた。
「久しぶりに帰ってきたけど、やっぱり王都は騒がしいな」
「ええ……でも、それが王都の良いところよ」
そんな会話を交わしながら、《銀の楯》が所有する王都の屋敷へと足を向ける。二人が帰ってきたと知らせると、館を管理する老執事が深々と頭を下げ、門を開けてくれた。
「お帰りなさいませ、お二人とも」
「ただいま、爺さん」
「お帰りなさい」
屋敷の中は王都の喧騒とは打って変わって静寂が満ちていた。重厚な木製の扉をくぐり、石造りの廊下を歩いていくと、真鍮のランプが淡い光を灯している。二人はリビングへと足を運び、大きなソファへ同時に腰を下ろした。
「疲れたぁぁ……」
ベアルが背もたれに体を預け、腕をだらりと下げる。マリーも「本当に……」と息を吐きながら、髪を耳にかけ直して目を閉じた。
それからわずか数分後だった。
「おっかえりー!」
ガチャリ、と音を立ててリビングの扉が開き、弓を背負った軽薄そうな少女が飛び込んできた。短く切りそろえた金髪がふわりと揺れる。片手にはリンゴを持ち、口にくわえながら笑顔で手を振っている。
「なんか疲れた顔してるけど、どしたのさ?」
「……カルラか」
「相変わらず賑やかね」
カルラと呼ばれた少女は、屈託のない笑顔でソファの背もたれに肘をつき、二人を覗き込んだ。続いて扉の向こうから、大楯を肩に担いだ巨躯の男が入ってくる。銀の短髪に深い皺を刻んだ顔、だがその目には穏やかな光が宿っている。
「顔から察するに、苦労が絶えなかったようだな」
「ジーン……まあ、色々あったさ」
ベアルが重い腰を上げ、カルラとジーンに向き直る。
カルラはポリポリとリンゴをかじりながら、「なになに?気になるなー」と身を乗り出す。ジーンは黙って椅子を引き、卓上の水差しから水を注いでベアルに差し出した。
「ありがとう、助かる」
水を一口飲んだベアルは深呼吸し、続けてマリーの方を見やる。マリーは目を閉じたまま、「分かったわ」と呟き、ゆっくり目を開けてカルラとジーンを見つめた。
「実はね……」
静かな屋敷の中で、マリーの落ち着いた声が響く。アリスという聖女の少女が攫われたこと、リッチが出現したこと、それを助けた辺境の街の少年ノクスという存在、そして彼の仲間たち。最終的に彼らにアリスを託して来た事などを詳しく説明した。
すべてを包み隠さず話すと、カルラは口をぽかんと開けたままリンゴを握りしめていた。ジーンはただ黙って目を閉じ、話の全容を咀嚼するように腕を組む。
「……おいおい、ちょっと待てよ。それマジなのか?リッチって、あのアンデッドの大物だろ?それを倒したのって、そのノクスとかいうガキなのか?」
「正確には、その母親だけどね」
ベアルが肩をすくめる。
「ただ、その少年が真っ先に動いたのは事実だ。あの状況で動けるのは大したもんだ」
「ふーん……面白そうじゃん、そのノクスってガキ」
カルラがにやりと笑った。ジーンは目を開き、その鋭い瞳でベアルを見つめる。
「……それで?聖遺物の件は?」
「俺とマリーが居ても何も出来ずに完封してくる化物が居るんだぜ?そんな中魔界をアリスを護衛しながらじゃすぐに崩壊だろ」
マリーが苦々しげに答えた。
「最悪、パーティの誰かが死ぬことも視野に入れないと無理」
その言葉にジーンはふむ、と小さく呟き、視線を窓の外に移す。王都の青空は澄み渡っているが、その空の下で何かが動き始めている予感が確かにあった。
カルラが残ったリンゴを一口でかじり取ると、明るい声で言った。
「ま、私らがここで悩んでても仕方ないよ!で、そのノクスってガキ、今度会ったら私が腕試ししてあげようか!」
「お前がやったら泣くんじゃないか?」
「えー、それはないでしょ?ギルドの推薦状くらい書いてあげるよ!」
そう冗談を言いながらも、カルラの目はわずかに鋭く光っていた。
その向かいで、ベアルは黙ってマグカップの中を覗き込んでいた。熱気が少しずつ冷めていく茶の表面が、わずかに揺れる。それをじっと見つめながら、ぽつりとつぶやいた。
「そういや……ノクス達、修行するって言ってたな」
その言葉に、カルラがぴくりと肩を跳ねさせる。
「ん?修行?」
「おう。向こうで話したんだ。あの事件を経て、あいつらこれからのために修行すると決めたらしい」
「へぇ~~!面白そうじゃん!」
カルラの口元がにやりと吊り上がり、瞳がわずかに細まる。狩人のそれだ。
「え、何その顔。カルラ、まさか……」
「決まってるじゃん!見に行こうよ、それ!」
声が部屋に響いた瞬間、ソファに深く腰かけていたジーンが、ふっと小さく笑った。
「まあ……あれだけのことを成し遂げた子供達だ。様子を見に行くのも悪くないかもしれんな」
「だよねー!見物ついでに、教えてやれることもあるかもだし!」
カルラはすっかり乗り気で立ち上がり、軽くその場で体をひねると「体が鈍ってるしちょうどいいじゃん!」と笑った。
ベアルは、そんな彼女を見て力なく笑った。
「まったく、お前は本当に落ち着きがないな……」
「なにそれ褒め言葉?あはは!」
「だが、悪くない案だと思う」
ジーンがそう言うと、カルラは勢いよく親指を立てた。
「じゃあ決まり!《銀の楯》の4人でノクス達の修行見に行って、ついでに鍛えてあげよーよ!」
ベアルは肩をすくめて笑った後、少しだけ真剣な目をした。
「まあ……これからのために力をつけるっていうなら、教えてやれることは教えてやりたい」
マリーは呆れたようにため息をついたが、その目は優しく、どこか安心しているようにも見えた。
「あなた達、本当に単純なんだから……でも、確かにあの子達の修行に付き合うのはいいかもしれないわね。あの街は遠いけれど、もう一度足を運ぶ価値はあると思う」
カルラはパッと笑顔になり、その場で軽く飛び跳ねる。
「じゃ、決まりだね!もう荷物まとめちゃうよ!」
「お、おい、ちょっとは落ち着けって……!」
カルラはすでにソファから飛び降りると、自室へ向かう階段を駆け上がっていく。その背中を見送りながら、ベアルとジーンは顔を見合わせ、どちらからともなく笑った。
「……マリー、俺達も準備を始めるか」
「そうね。どうせ言っても止まらないし」
マリーも立ち上がり、自分の部屋へと向かおうとする。その背を見送りながら、ジーンはゆっくりと立ち上がり、大盾の持ち手を握り直した。
「まったく、あのガキ共に触発されて、こっちまで血が騒ぐとはな……」
「お前もだいぶ若返ったな」
「うるさい。だが、その少年が見せた目が本物なのだとしたら。いずれ名のある冒険者になるだろうな」
「……ああ、だろうな」
ベアルは短く頷き、笑う。
準備は即日始まった。ベアルは剣を手入れし、鞘に収めると深く息を吐いた。ジーンは大盾の革紐のほつれを確認し、カルラは弓弦の張り具合を調整する。マリーはポーションや薬草の整理をしながら「全く……遠足じゃないのよ」とぼやきつつ、表情はどこか柔らかい。
ベアルは窓の外を見やりながら、ぼそりとつぶやく。
「修行を見てやると言っても……あいつら、どこまでやれるかだな」
「見極めることも俺達の役目だろう」
ジーンの落ち着いた声に、ベアルは頷いた。
カルラが弓を肩に担いで駆け寄ってくる。
「準備完了!あとはあんた達だけだよ!」
「お前な……落ち着けって」
「だってさー、楽しみなんだもん!そのノクスってガキ、どんな顔して修行するのか見てみたいし、ジョーヌとかルカとかいうのも面白そうじゃん!」
「お前はただ遊びたいだけだろ」
「それもあるけど、それだけじゃないってば」
カルラがにっと笑ったその目には、王都随一の弓使いとしての鋭い光が宿っていた。
マリーは準備した荷物を抱えながら、再び大きくため息を吐いた。
「まったく……この前帰ってきたばかりなのに、また遠征ね。でも……」
ふっと笑みを浮かべる。
「私も少し、またあの子達に会いたい気持ちはあるわ」
「じゃあ決まりだな」
ベアルは剣の柄を軽く叩くと、「よし」と声を上げた。