俺の母さん、実は魔王でした⁉   作:KuRoNia

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第五節:手の中の力

昨日の地獄のような修行の翌日、朝の光が差し込む屋敷のダイニングでノクスはいつも通りパンとスープの朝食を取ったが、スプーンを持つ腕が小刻みに震えるのをどうにも誤魔化せなかった。体のあちこちがきしむ。腕も足も、握力も踏ん張りも利かず、スプーンを持ち上げるたびに思わず顔をしかめる。

ああ、昨日はさすがに無茶をしたな……と、身体が動かせるうちにやっておいた皺寄せが一気に来ているようだった。

 

食後、屋敷の廊下を引きずるように歩きながら、自室に戻って横になれば楽になるかと思ったが、ベッドの上で横になった途端、痛む場所に意識が集中しすぎて逆に辛くなってきた。背中の打撲の鈍痛、肩の傷、足の筋肉の痛み。寝返りを打とうにも「イッ」と声が出る。

ダメだ……これじゃ休めない。じっとしてる方が痛みが増す……。

 

「……はぁ……誰か、いないかな……」

 

無意識のうちに口に出してから、いても立ってもいられなくなり、ゆっくりと立ち上がると、再び廊下へ向かう。廊下の先からは庭の風が入り込み、カーテンが揺れていた。家の中は静かで、みんな今日は屋敷にいないらしいことが歩くうちに分かってきた。

 

リビングに差し掛かると、ソファに座る黒衣のローブの姿が視界に入る。杖を膝に立てかけ、本をめくる手を止めずにゆっくりページを送っている。

「モルテ姉ちゃん……」

 

思わず声をかけると、モルテは本から目を離すことなく「ん?」と相槌を打った。

 

「体は大丈夫かの?」

いつもの穏やかな声で、いつものようにゆっくりと問いかけてくる。

 

ノクスはソファの近くに移動し、背もたれに手を置きながら答えた。

「ちょっと筋肉痛で痛いぐらい。昨日、無理しすぎたからね……でも、一人でジッとしてると余計に痛みを感じるんだ。……だから、俺を助けると思って、話し相手になってくれると助かるよ」

 

モルテの指がページを止めた。肩が小さく震え、わずかに口元が緩む。

 

「……ふふ。しかたないの~。まぁ、いいじゃろう。我で良ければ相手になってやるわい」

 

頼られて嬉しいのが隠し切れない様子で、目尻を緩めながら杖を立てかけ直し、本を閉じてからノクスの隣をぽんぽんと叩いて座るように促してくる。

ノクスは「お邪魔します」と小声で言いながらソファに腰を下ろすと、再び鈍痛が腰と太ももを襲ったが、すぐに目を閉じて深呼吸する。

 

「……本当、疲れたんだな、昨日は」

 

「当たり前じゃろう。あんな無茶苦茶な訓練を何度も何度も繰り返し、吹っ飛ばされて立ち上がるなんぞ……普通は出来んぞ」

 

モルテは隣で杖を立てかけ直しながら、じっとノクスを見つめた。目は細められ、けれど奥には真剣な色があった。

 

「……でもさ、俺、負けっぱなしは悔しいからさ。昨日も痛かったけど、最後にお母さんに『自慢の息子でしょ』って言われた時、絶対に立ち上がろうって思えたんだ」

 

ノクスは無意識に拳を握りしめ、すぐに痛みに顔を歪めてしまう。

モルテはくすっと笑い、ノクスの頭をぽんと軽く叩いた。

 

「お主は昔から頑固じゃな。だが、それでよい。それでこそ、お主じゃ」

 

「……昨日の修行さ、どうだった? 俺、少しはマシになれてるのかな?」

 

ノクスが弱気に問いかけると、モルテは少しだけ視線を天井に移し、考える素振りを見せる。やがてゆっくりとノクスに目を戻すと、口元に笑みを浮かべた。

 

「昨日の修行がもし我が同じ年の頃にやらされていたら、一発で泣いて家に帰っておったじゃろうな」

 

「え、それ褒めてる?」

 

「褒めとるとも」

 

ノクスがくすっと笑い、モルテも笑う。リビングの窓から吹き込む風が、緊張しきっていた空気を少しだけ和らげてくれる。

 

「なぁ、モルテ姉ちゃん」

 

「なんじゃ?」

 

「俺……もっと強くなりたいんだ」

 

言葉は短いが、その声には確かな決意があった。モルテはその声をじっと聞き、静かに目を細める。

 

「強くなるじゃろうて、お主なら」

 

ノクスは思わず横目でモルテの顔を見た。モルテはいつもと変わらない笑顔だったが、その笑顔にはどこか安心感があり、ノクスの張り詰めていた胸が少しだけ軽くなる。

 

ノクスは返す言葉がなくなり、ただ小さく「うん」とだけ呟く。外では小鳥の鳴き声が聞こえ、屋敷の庭で草が揺れる音がかすかに耳に届く。

 

昨日の激しい修行が嘘のように、リビングには穏やかな時間が流れていた。けれどその中でノクスは静かに、心の奥で炎を灯し続けていた。

 

もっと強くなる。

絶対に、仲間を守れるくらいの強さを手に入れる。

 

その決意だけは、どれだけ体が痛くても揺らがなかった。

 

そしてその横でモルテは再び本を開きながらも、ページの先ではなくノクスの横顔をちらちらと見て、小さく笑いながらページをめくる音を重ねていた。

 

庭の木々が窓越しに揺れる音を聞きながら、ノクスはソファでモルテと他愛もない話をしていた。少し前まで体の痛みに意識を取られていたが、誰かと話しているだけでずいぶん気が紛れていた。

 

そんな中、不意にモルテが読んでいた本を閉じる音がした。

 

「……のう、ノクスや」

 

「うん?」

 

「強くなりたいんじゃろう?」

 

モルテはいつものいたずらを思いついたような微笑を浮かべながらノクスの目を見つめてくる。その笑みの奥に確かな優しさと真剣さが宿っていることをノクスは知っていた。

 

「……ああ、なりたいよ」

 

その言葉を聞くと、モルテはフフッと嬉しそうに笑いながらノクスの片手を掴んできた。

 

「ならば、体を動かさずに強くなれる知識を教えてやろう」

 

「え?」

 

モルテの手は温かく、小さな手なのにしっかりとしていた。そのままノクスの右手を両手で包み込み、目を閉じて「ふむ……」と小さく呟く。

 

ノクスはソファに座り直し、掴まれた手を見つめる。モルテが何をしているのか分からず少し戸惑ったが、目を閉じているモルテの真剣な表情を見て黙っていた。

 

「……おお、やはりの。お主、平均レベルの魔力があるようじゃな」

 

「へ、平均ってどれくらい?」

 

「十分じゃ、戦えるくらいにはの。これなら使えるじゃろう」

 

そう言うとモルテはニヤリと笑みを浮かべ、

 

「少しこそばゆいが我慢するんじゃぞ?」

 

と小さく宣言した。

 

「……へ?」

 

言うが早いか、モルテは掴んでいたノクスの手から、何か温かくさらさらとしたものを流し込むような感覚をノクスに与えた。身体の奥底から何かがくすぐられるような感覚が湧き上がり、ノクスは思わず肩を震わせる。

 

「く、くすぐった……でも、このくらいなら……」

 

「我慢じゃ我慢」

 

モルテは目を開けるとそのままノクスの手を掴んだまま、真剣な顔で語り始めた。

 

「今、やっておるのは魔力操作じゃ。この感覚、絶対に忘れるんじゃないぞ。今は我が主導しておるが、これを一人で出来るようになれば上出来じゃ」

 

「魔力操作……」

 

ノクスは目を閉じ、その温かく、さらさらと流れるような感覚を必死に覚えようと集中する。皮膚の下を何か柔らかな光が流れるような感覚、血流とも違う心地よさと微かな熱が指先から手首、腕へと伝わる。

 

「なぁモルテ姉ちゃん、これが出来るようになると何が出来るの?」

 

その問いかけに、モルテはふっと短く笑い、瞳を輝かせて答えた。

 

「身体強化じゃ」

 

「……!」

 

思わずノクスは目を開き、モルテの顔を見つめる。

 

「これはの、一定のレベル以上の戦いではほぼ必修科目と言っても良い重要な技術なんじゃ。お主、昨日の修行で銀の楯の連中が強かったじゃろ?」

 

「うん……あの人たち、すごく速かったし、力もあって……」

 

「それが身体強化を使っておったからじゃ。昨日は知らなかったじゃろうが、ジョーヌやアリスもまだ拙いが身体強化を使っておる」

 

「えっ、ジョーヌとアリスも……!」

 

知らなかった。ジョーヌは確かにいつも転んだりするくせに回避が異常に速い時があるし、アリスも不意に力が強くなることがあった。それが魔力操作を使った身体強化だったのか。

 

「これを覚えられれば、今よりずっと強くなれるってことだね!」

 

ノクスの顔がぱっと明るくなり、その目が希望で満ちていく。モルテは嬉しそうに頷くと、さらに話を続ける。

 

「この身体強化を一番上手く使っておるのはエスティじゃ。それに次いでルカじゃの」

 

「お母さんとルカが……そっか……」

 

ノクスは目を細めて笑いながら「今度聞いてみるよ」と呟いた。その声を聞き、モルテは口元を綻ばせながらも、人差し指を立てて釘を刺す。

 

「まぁ、まずは魔力操作を十全に使いこなせるようになってからじゃがな~」

 

図星を突かれ、ノクスは肩を落としながら「タハハ……」と笑う。

 

「さすがモルテ姉ちゃんにはお見通しだね」

 

するとモルテはニヤニヤと笑い、少しだけ誇らしげに胸を張って答えた。

 

「何年お主の姉をやっとると思っておるのじゃ?」

 

その言葉にノクスもつられて笑った。

痛む体の中で、こうして笑い合える時間がどれだけ支えになるか、ノクスは知っている。

 

「モルテ姉ちゃん、ありがとう」

 

「礼などいらんわ。お主は我の……我らの大切な家族じゃからな」

 

その言葉が屋敷の静かな空間に優しく響き、窓の外から吹き込む風がカーテンを揺らした。

ノクスは目を閉じ、掌の中に残る温かさとさらさらと流れる魔力の感覚を、決して忘れまいと心に刻んだ。

 

これを使いこなせるようになった時、きっと自分は今より強くなれる。

仲間を守れる、自分自身を守れる、本当の意味で“自慢の息子”になれる。

 

そう胸に誓いながら、ノクスはモルテの隣でゆっくりと集中するのだった。

 

夕方、黄昏色の光が屋敷の廊下を満たし始めた頃、出掛けていた家族たちが続々と帰ってきた。玄関からルカが「疲れたー!腹減ったー!」と大声を上げながら入ってくるのが聞こえ、その後ろをアミーが肩を回しながら「ホント、アンタは声だけは元気だよね」と笑い、さらにその後ろでジョーヌがあくびを噛み殺しながらだるそうに歩いてくる。

 

「ただいまー……」

 

「おかえり、みんな~」

 

声をかけるとジョーヌは眠そうな顔で小さく笑い返した。今日は休息日で外での訓練は無かったが、少し歩き回ったらしくそれぞれが程よく疲れているようだった。

 

その頃、リビングでは――。

 

「ん……くっ……んぅ……」

 

「力まず、もっと流れを感じるんじゃ……お主の力の流れを。」

 

「う、うん……!」

 

モルテはノクスの手を両手で掴んだまま、真正面から向き合っていた。ノクスは目を閉じ、モルテの言葉に合わせてゆっくりと息を吐き、魔力の流れを探っている。時折息を呑むような音が洩れ、モルテが「力まぬように」と指導するたびに「ん、んぅ……」と応えるノクス。

 

それは外から見ると、何やら危うく、どこか不穏な空気すら漂わせていた。

 

その光景を、帰ってきてから台所で夕飯を作っていたエステアとセスが扉の隙間から同時に覗き見ていた。

 

「……あの二人、何をしているのかしら?」

 

エステアは木べらを持ったまま困惑した声で呟き、隣で鍋の火加減を見ていたセスが眉を下げて答える。

 

「……わかりませんが、必要な事なのではないでしょうか」

 

「う、うーん……そうね……」

 

エステアは鍋の中をかき混ぜながらも気になって仕方がない様子で、ちらちらと視線をリビングの方へ送り続けていた。

 

そんな空気の中、ドタドタと足音を立ててアミー、ルカ、ジョーヌがリビングへ乱入してきた。

+

「なぁなぁ、何やってんだノクス?」

 

「何だか面白そうな声あげてたけど、修行?お姉さんに教えてよ?」

 

「はぁ、マジで何やってんの……つーかその顔、なんかエロいな」

 

立て続けに浴びせられる質問と軽口にノクスは顔を赤くしながらも、目を閉じたまま答える。

 

「い、今は秘密!」

 

ジョーヌが「あー?ずるくない?教えろよー」とだらしなくソファに寝転び、アミーが「なんだか青春してるじゃなーい」と肘でつつき、ルカが「このやろー!教えろって!」と無邪気に頭をぐりぐりしてくる。

 

「わ、わかったって、ちょっとやめろってば!」

 

「お主ら、静かにせんか!」

 

さすがにモルテが少しムッとして声を上げると、三人は一瞬だけ固まるが、次の瞬間には「だって気になるんだもん」「そーだそーだ」「なーにー?モルテだけずるいぞ!」とさらにダル絡みを続行。

 

モルテは困ったように小さく笑みを浮かべると、ふぅと一息つきながらノクスの手を離した。

 

「もう少しで感覚を掴めるところだったのに……やれやれじゃ」

 

しかしその目は柔らかく、弟を見守る姉のそれであり、リュースも腕を組んでその様子を見ながら「随分賑やかだな……」と笑う。

 

そんな騒がしさが広がる中、

 

「もう!ご飯できるからお皿運んでちょうだい!」

 

と台所からエステアの声が響く。リビングが一斉にそちらを向くと、エステアは木べらを腰に当てながら困ったように笑い、セスがその後ろで肩を竦めながら三人組に「手伝え」という無言の視線を送っていた。

 

「えー、あーしお皿運ぶのだりぃ……」

 

「ダメ。運ぶ」

 

「……チェ」

 

ジョーヌはしぶしぶ立ち上がり、アミーも「はいはい、手伝いますよー」と笑いながら皿を取りに行く。ルカは「腹減ったから早く食おうぜ!」と言いながら大皿を二枚同時に持ち上げる。

 

ノクスは一度深呼吸をし、先ほどの魔力操作の感覚を胸の奥で反芻しながら「さぁ、手伝うよ」と立ち上がると、モルテは笑顔で「よしよし」と肩を軽く叩いてくれた。

 

その時、リビングは夕焼け色の光に包まれ、家族の声と笑い声が重なり合っていた。

外では虫の音が響き始め、どこかで犬が遠吠えを上げる。

 

平和で温かな時間。

だがその奥底で、ノクスの胸の奥には確かに灯った決意と成長への願いが脈打っていた。

 

それを知ってか知らずか、周りの家族たちが笑い合いながら食卓を整え、今日もまた「家族としての当たり前の夕食」が始まろうとしていた。

 

その当たり前がどれほど幸せで、どれほど守るべきものかを、ノクスは剣を携えるようになって初めて、ゆっくりと理解し始めていた。

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