ルカは自室の小さな机に手紙を置くと、暗い部屋の中で灯したランプの光にかざしながら無言で封を切った。乾いた蝋がぱきりと音を立てて砕ける音が夜の静寂に響く。そのわずかな音でさえ、自分の心臓の鼓動を際立たせていた。
ゆっくりと便箋を取り出し、その内容を目で追った瞬間、背中に冷たい汗がじわりと伝った。
親愛なるルカお姉さまへ
いつまでも遊んでいないで、一度ヨトソラスにお戻りください。
近々古城にて建国記念のパーティの時期ですし、最近よく一緒に居る聖女と男子と赤髪の子も一緒に誘ってみてはいかがですか?
帰って来られるのを首を長くして待っています。
追伸
私のプレゼントは刺激的でしたでしょう?気に入りましたか?
ルカは一度目を閉じ、深く深く息を吐いた。
手紙を握る指先が白くなるほどに力が入り、便箋がしわくちゃになる。
身体の内側からぐわりと嫌な熱が込み上げてきて、喉が焼けるように乾く。
「……ふざけやがって」
絞り出すような声で吐き捨て、ルカは立ち上がり、部屋の小窓を開け放った。夜の涼しい風が一気に部屋に流れ込み、冷や汗で湿った額と首筋を撫でる。
三日月が夜空を支配していた。
月光の光が嫌に鮮明で、まるで自分の動揺を嘲笑うように見下ろしている気がした。
手紙に書かれていた「最近よく一緒に居る聖女と男子と赤髪の子」という言葉が脳内で何度も木霊する。
聖女はアリス。
男子はノクス。
赤髪はジョーヌ。
――完全に知られている。
ヨトソラスから、この街にいる自分とノクス達を見張っている目が確実に存在しているのだ。
私のプレゼントは刺激的でしたでしょう?
あの群れ事件の時のオーク。
あの異常な生命力、戦闘の最中に垣間見えた血の呪縛のような赤い光の瞬き。
あれが差出人の言う
ルカは壁に拳を叩きつけた。
ゴツンと鈍い音が響き、小さな痛みが指先から肘へと駆け上がる。
「……あのバカ共が、関わっちまったじゃねぇか」
声が震えていた。
これまで自分だけの問題として押し込めてきた『故郷』の影が、ノクス達にまで迫ろうとしている。
ノクスはただの人間の少年だ。
ジョーヌはまだ未熟な悪魔で、表向きはただの少女。
アリスに至っては、聖女として大切に育てられてきただけの少女だ。
そんな彼らに、ヨトソラスの吸血鬼一族が関わってくるなどあってはならないことだ。
だが、手紙は容赦なく現実を突きつけてきた。
「戻れってか……戻らなかったら、どうなるか分かってるだろうなって、そういうことだろうが……!」
再び拳を握り締める。
だが、拳を振り上げる先はもうなかった。
相手は遠く離れた故郷の古城に居る。
今すぐ殴ることなどできるはずもない。
ルカはそのまま崩れるようにベッドへ腰を下ろし、手紙を見つめ続けた。
今まで忘れたかったヨトソラスの冷たい石の床、血の匂いのする廊下、夜毎響く泣き声と笑い声、あの場所で生きる吸血鬼の一族の笑み――。
頭の奥で蘇る記憶を振り払いながらも、ルカは諦めたように笑った。
「戻るしか、ねぇか……」
どれだけ隠しても、どれだけ逃げても、結局いつかはこうなることはわかっていた。
逃げ切れるほど生ぬるい相手ではないのだ、あの国の王族は。
『首を長くして待っています』
その文面の裏に込められた不気味な笑みを想像して、ルカは大きく息を吐いた。
「チッ……」
短く舌打ちをしてから、ルカはようやく手紙を丁寧に折りたたむ。
この手紙の内容を、ノクス達に話すべきか迷っていた。
黙って行ってしまうこともできる。
だがそれでは、あのバカ正直で優しい少年が自分を探し回るに決まっている。
ジョーヌもアリスも放っておかないだろう。
「……ったく、なんでこうなるんだよ」
ルカはぼやきながら窓の外の満月を見上げた。
冷たい光が彼女の赤い瞳に映り込む。
月の光の下で、吸血鬼としての本能が微かに疼いている。
あの国へ戻る以上、自分の血筋と向き合うことになる。
「せめて……自分のケツくらい、自分で拭いてやるよ」
その呟きは誰に向けたものでもなかった。
ただ静かに決意を固めると、ルカはもう一度手紙を鍵付きの引き出しにしまい込み、立ち上がる。
長い夜の静寂が部屋を包む中で、吸血鬼の少女は次に訪れる不快な予感を胸に、月の光を睨み返していた。
ルカは、夜の冷えた空気が部屋に満ちる中、机に向かって置手紙を書いていた。
「……よし、これでいい」
手紙には大きく乱れた文字で書かれていた。
ノクス、ジョーヌ、アリスへ
少し旅に行く。探すな。必ず戻る。
ルカ
たったこれだけの短い文章だった。
これ以上余計な言葉は要らなかったし、書けば書くほど未練が生まれそうで嫌だった。
椅子の背もたれにぐっと寄りかかり、深く息を吐いた。
「行くか……」
荷物は小さな鞄ひとつだけ。
血筋から逃げていた自分が、結局戻らざるを得ない場所へ向かうのだから、未練など抱きたくなかった。
机の上に置手紙を置いたその瞬間――。
「バンッ!!」
机の天板が震えるほどの音と衝撃が響き渡った。
「うわっ!?」
ルカは思わず後ろへ飛びのき、振り返る。
そこに立っていたのは、寝癖で髪が跳ねたままのジョーヌだった。
「お、おい……お前、いつ起きて……」
「……はぁ?」
ジョーヌの目が暗闇の中で光った。
手元の置手紙を指さし、その小さな指が怒りで震えていた。
「これ、どういうことよ、ルカ?」
ジョーヌの声は怒りに満ちていたが、微かに震えてもいた。
ルカはその視線から目を逸らした。
「お前、見てたのかよ……」
「音も立てずに部屋を出て行こうとして、何隠してるのかと思ったら……どっか行く気だったんだ?」
「……」
ルカは唇を噛んだ。
こいつにだけは黙って行くつもりだった。
面倒な説明も、涙目で縋られるのも嫌だった。
だが――。
「……わかった。明日、ノクスとアリスが集まったら……ギルドで話す」
それ以上、ルカは言葉を続けられなかった。
ジョーヌはしばらく睨みつけていたが、無言で「絶対だかんね」と吐き捨て、布団へ戻っていった。
ルカは深いため息をつきながら、机の上の置手紙を丸めてゴミ箱へ放り込んだ。
――どうして、こうも上手くいかねぇんだか。
翌日、ギルドの食堂の隅に集まったノクス、ジョーヌ、アリス、ルカの四人は、いつになく重い空気に包まれていた。
ジョーヌは腕を組みながらルカを睨みつけ、アリスは「何か深刻な話ですか……?」と不安そうに視線を揺らしていた。
「で、ルカ。話って?」
ノクスが率直に問いかける。
ルカはしばらく言葉を探していたが、ポケットから例の手紙を取り出して机に置いた。
「……これが昨日届いた手紙だ」
ノクスとアリスが興味深そうに手紙を覗き込み、ジョーヌはすでに知っていると言わんばかりに腕を組んだまま見下ろしている。
親愛なるルカお姉さまへ
いつまでも遊んでいないで、一度ヨトソラスにお戻りください。
近々古城にて建国記念のパーティの時期ですし、最近よく一緒に居る聖女と男子と赤髪の子も一緒に誘ってみてはいかがですか?
帰って来られるのを首を長くして待っています。
追伸
私のプレゼントは刺激的でしたでしょう?気に入りましたか?
「えっ、これ……私達のことですよね?」
アリスが驚いたように言い、ジョーヌが「やっぱりな」と唸る。
ノクスは「ヨトソラス……?どこかで聞いたことがあるような……」と首をかしげていた。
ルカは顎を掻きながら、どこまで説明するか迷った。
だが、この手紙の内容と事情を正直に話すわけにもいかず少し誤魔化して説明した。
「……ヨトソラスって国は、王国と魔界の中間にある国だ。建国記念のパーティがあるとかで、呼ばれたんだよ」
「へぇ~!パーティか、なんだか面白そうじゃない!」
ジョーヌが興奮気味に言うと、アリスも「私、行ってみたいです……!」と目を輝かせた。
「いや、これは……そんな気軽なもんじゃねぇんだ」
ルカが頭を抱えるが、ノクスも「パーティなら楽しそうだし、僕達も行けるなら行ってみたいな」と笑顔を浮かべていた。
ルカは顔を覆うように手を当てる。
「お前らなぁ……!いいか?あの国は、簡単に行けるような場所じゃ……」
「でも、手紙には『一緒に誘ってみてはいかがですか』って書いてありますよ?」
アリスの純粋な言葉がルカの心臓を刺した。
あの言葉の裏に含まれた不穏な意図を、この子達は知る由もない。
だが、ルカはその顔を見て確信してしまった。
――このバカ共は、何を言っても絶対についてくる。
「……はぁぁぁ」
大きくため息を吐いたあと、ルカは観念したように顔を上げた。
「わかった。……連れてくよ!」
そう言うと、ノクス、ジョーヌ、アリスの三人は同時に「やったー!」と笑顔を見せた。
その笑顔を見て、ルカは口元を緩めながらも心の中で呟く。
(だから……お前らはバカなんだよ)
こうしてノクス達は、吸血鬼の根城であるヨトソラスへの旅路が決定することになるのだった。
同日、夕暮れが街を淡い茜色に染める頃、ノクスとジョーヌはいつものようにリビングのソファに座り、テーブルの上の冷めかけたハーブティーをちびちびと啜りながら話し込んでいた。
「パーティってどんな服着ていけばいいんだろうな~。ヨトソラスって国はよく知らないけど、城でやるんでしょ?絶対ドレスコードとかあるよね?」
ジョーヌは興奮気味にクッションを抱きしめ、足をバタバタさせている。
ノクスはそんなジョーヌに笑いながら「たしかにね。アリスもドレスとか着るのかなぁ、ルカはどんな服着るんだろう」と呟いた。
「アリスは絶対似合うよなー、あいつ背筋伸びてるし綺麗だしな!あ、あーし?あーしも似合うよな!?な!?」
「うん、ジョーヌも絶対似合うよ!」
「よし!!」
そんな他愛のない会話をしていると――。
「パーティ……?」
聞き覚えのある柔らかな声が会話の隙間に割り込んだ。
振り返ると、キッチンとリビングを隔てるカウンターの向こう側で、エステアが木のスプーンを持ったままこちらを凝視していた。
「えっ、あっ、母さん!」
ノクスが少し焦って呼ぶと、エステアはにこっと笑った。
しかしその笑みはどこかひきつっていた。
「で、その……パーティって、どこで開催するの? どんなパーティなの?」
「……?」
ジョーヌが不思議そうに首を傾げる。
エステアはスプーンを片手でくるくる回しながら、息を呑むような笑顔を作った。
ノクスは素直に答える。
「えっと、ヨトソラスっていう国の建国記念パーティらしいよ。ルカに招待状が届いて、それで僕達も行くことにしたんだ」
「……」
エステアの手が止まる。
木のスプーンがカラン、と音を立てて床に落ちた。
「あらやだ、手が滑っちゃったわ~」
ぎこちなく笑ってスプーンを拾い上げるエステア。
その目は笑っていなかった。
「……ヨトソラス……って、あの、ヨトソラス?」
「うん!王国と魔界の間にある小国ってルカが言ってた!」
ジョーヌが何気なく答えると、エステアは内心の焦りを隠しきれず、乾いた笑顔を浮かべながら何度も頷く。
「へぇ~……いいわね~……パーティ……楽しそうね~……羨ましいわ~……」
「……?」
心配そうに見つめるノクスに、エステアは唐突に手を叩いた。
「そうだわ!私も行きたいわ~!!」
「「……え?」」
ノクスとジョーヌは固まった。
「だ、だって、パーティでしょ!?美味しい料理とか、お洒落な音楽とか、あるんでしょ!?私、そういうの大好きなのよぉ~!」
エステアは笑顔で迫ってくるが、その笑顔がどこか引きつり、目が笑っていなかった。
完全に焦っているのが丸わかりだった。
「え、でも……招待されてない人を急に連れて行くのは先方に悪いんじゃ……?」
ノクスが正論を口にすると、エステアは笑顔を固めたまま一瞬沈黙した。
「……そ、それもそうね~~~……」
かろうじて絞り出した声がひどく虚ろだった。
その様子をソファの反対側で見ていたセスとモルテは、それぞれ紅茶をすすりながら目を合わせ、小さくため息を吐く。
(どうするのが最善ですかね)
(んむぅ……何とも、困ったのぅ……)
エステアが「パーティ……いいわねぇ……」と呟きながらスプーンを握りしめる横で、場が異様な空気に包まれていく。
一方、事情を何も知らないアミーとリュースはリビングの隅で談笑していたが、空気の異変に気づくと笑顔で声をかけてきた。
「おう!パーティに行くんだって?いいじゃねぇか!お土産頼むぜ!」
「わー、楽しそうだね!ノクス、ジョーヌちゃん、みんなで楽しんできてね!」
「うん……ありがとう!リュースさん、アミー姉ちゃん」
ノクスが返事をし、ジョーヌは「土産ってなにがいい?」と調子を戻したように笑うが、エステアの背中がびしっと固まっているのに気づき、目を逸らした。
「……なぜ、行くのよ……ヨトソラスになんて……」
その夜、部屋に戻ったエステアは一人、窓辺に座り込みながらつぶやいた。
「……放っておけるわけないじゃない……ノクス達を、あんな場所に……」
魔王としての本能が告げていた。
あの国は表向きこそ小国だが、裏では古い血を引く吸血鬼の一族が支配する国。
何かあるに決まっている。
(……私が、私が守らなくちゃ……)
エステアの瞳が夜の暗闇に静かに光り、決意を秘めて冷たく輝いていた。
後日、心配性を拗らせたエステア達はとんでもない方法でヨトソラスのパーティに赴くのだった。