屋敷のリビングの床に転移陣が光り、バチンという小さな破裂音と共にアミーが姿を現した。赤黒いドレスの裾をひらりと揺らし、アミーは深呼吸してから「ふぅー、ただいまー」と軽く手を振る。
「おかえりなさい、アミー!」
待ち構えていたエステアがぱっと笑顔になり、アミーの手からヨトソラスからの返事が入った招待状を受け取る。深い紅の封蝋が押された招待状は、確かに魔王へ宛てられた正式なものだった。
「久々に格式張ったことしたから肩凝っちゃったー!」
アミーは腕を上に伸ばし、両手を組んで大きく背筋を伸ばすと骨がポキポキと鳴った。肩を回しながら「古城のあの空気、やっぱり重たいのよねー」と愚痴をこぼす。
「本当にありがとう、アミー。これでノクス達にもしものことがあっても守れるわ」
エステアは手に入れた招待状を胸元に抱きしめ、瞳を細めて喜びを噛みしめていた。その姿を見ていたセスが静かに笑みを浮かべる。
「エステア様がそんなに嬉しそうなのは久しぶりですね」
その時だった。
「ところでエステアよ」
モルテが読んでいた本を閉じて、パタリと机の上に置いた。
「パーティには誰か連れていくのか?」
「え?」
エステアは少し驚き、首を傾げる。
「だって私が魔王として参加するのよ? 誰か一緒に行きたい人いるかしら?」
「あんまり大人数で行くと向こうにも迷惑だから、二人までね」
と指を2本立てて制限を加える。
「護衛兼執事として、私が同行いたします」
即座にセスが右手を胸に当て、一礼しながら名乗り出る。
「おお、決断が早いなセス」
リュースがソファの背もたれに腕を置きながら笑うと、セスは「当然です」と真顔で返す。
「エステア様は戦闘能力はもちろん申し分ないですが、あくまで執事として私が付き添うことで、魔王としての振る舞いや接遇の補佐もできます」
「わかったわ、セスは決定ね」
エステアは嬉しそうに頷いた。
アミーはなんとなく視線をモルテに向け
「モルテはどうする?」と聞いてみる
「ふむ…」
モルテは深く椅子にもたれながら、ぼりぼりと杖で髪をかく。
「我は遠慮しておく。パーティなどの賑やかな場は苦手じゃし、そもそもエステアとセスが居るなら心配もいらぬ」
「そっかぁ、やっぱりモルテはそう言うと思った」
アミーは苦笑しつつ、次にリュースへ視線を向ける。
「じゃあ、リュースは?」
「俺か?」
リュースは一瞬だけ楽しそうな顔をしたが、すぐに頭をガシガシかきながら笑う。
「悪いが、俺が行ったらマナー違反しまくるぞ? ああいう格式張った場で椅子壊したり料理食い散らかしたりしそうだ」
「はぁ…」
アミーはため息を吐きながらソファに腰掛ける。
「結局、消去法で私しか残らないじゃない」
「じゃあこれで決まりね!」
エステアは手をパンと叩き、満面の笑みを浮かべていた。
「セスとアミーが居てくれるなら安心だわ。パーティに参加する時は魔王としての姿で行くし、あなた達も人化を解いた状態で行くのよ?」
「はぁ…エステア様、あなたも相変わらず面倒なことを楽しいことのように言いますね」
セスは肩を落としながらも小さく笑う。
「何も無ければそれでいいのよ。それに、面白そうじゃない? 吸血鬼の古城で開かれる建国記念パーティ、どんな料理が出るのかしら、どんな演奏があるのかしら…」
エステアは瞳を輝かせながら声を弾ませていたが、その背後でモルテが「宴会に行く気分か…」と呆れ顔をしていた。
「まぁまぁ、エステア様が楽しそうで何よりですよ」
アミーも肩をすくめて笑い、リビングには一瞬だけ暖かな笑い声が広がった。
しかし、その笑い声が収まった時、空気はひやりとした。
「でも…忘れないでくださいね。ヨトソラスは表向きは小国ですが、裏では古い吸血鬼の一族が支配している国です。何があってもおかしくありません」
セスが改めて引き締めるように声を落とした。
「わかってるわ。私たちの目的はあくまでノクス達の安全を守ることよ」
エステアはゆっくりと頷きながら、封蝋が押された招待状を見つめる。その瞳は一瞬、魔王としての冷厳な光を帯びていた。
「さぁ、準備を始めるわよ」
その宣言と共に、再び魔王城のリビングには活気が戻り、ヨトソラスへの“魔王参加計画”は順調に進行していくのだった。
◆ ◆ ◆
エステアたちの秘密の企みから一週間後の朝。
ついにヨトソラスの建国記念パーティへ向かう日がやってきた。
「よし、準備完了っと!」
ノクスはいつもより少しだけ上品な、でも動きやすさを考えた服装に袖を通し、胸を張って玄関に立っていた。その横でジョーヌも珍しくリボンをつけ、スカートをふわりと整えながらソワソワしている。
「初めてのパーティって、なんかちょっとドキドキするわね」
「だよな! どんな料理が出るんだろうな!」
二人とも顔が自然に笑顔になり、少し高めのテンションを隠せずにいた。
その横で、ルカは肩の荷を下ろすどころか重くなったような表情で深いため息をつく。
「お前ら……パーティって言ってもただの楽しい場じゃないんだぞ」
「えー? ルカ、また難しい顔してる~」
ジョーヌが肘でルカを小突くが、ルカは「はぁ……」とさらに深いため息で返すだけだった。
「ねぇねぇ、本当に何も忘れてない?」
「食事マナーは大丈夫かしら?」
「羽織るものを持ったか?」
玄関前では、エステア・モルテ・リュースが次々と声をかけてきて、玄関は一時、出発前の慌ただしい空気に包まれていた。
「大丈夫だって、それじゃあ行ってくるから!」
ノクスが振り返り、笑顔で手を振る。
「気をつけてけよ」
「なにかあったらすぐ戻ってくるんじゃぞ」
リュースとモルテもそれぞれの言葉で見送る。
そうしてノクス、ジョーヌ、ルカは門を出て歩き出す。アリスとは街の教会前で合流する予定だった。
「さて……」
三人の姿が角を曲がり、完全に見えなくなった瞬間、エステアはくるりと踵を返し、
「じゃあ、私たちも準備始めるわよ!」
と目を輝かせて宣言した。
「忘れ物ないようにのー」
「こっちも出発準備だな」
モルテとリュースも家に戻り、準備が本格的に始まる。
リビングではエステアがパーティへ持参するお祝い品について頭を抱えていた。
「お祝い品、何がいいかしら……高級な酒? 宝石箱? それとも――」
「その前にエステア様、忘れぬうちに“人化の術”を解いておきましょう」
とセスが進言する。
「あ、そうだったわ」
エステアはすっと目を閉じ、手を組んで短く呪文を唱えると、その体を淡い紅の光が覆い、一瞬で変化が起きる。
彼女の後頭部から真紅のねじれた二本の角がゆらりと現れた。鮮やかな紅の瞳は夜明け前の月光のように鈍く光り、魔王としての威圧感が部屋の空気を重く変える。
「よし……久しぶりの魔王の姿、違和感ないわね」
鏡の前で角の位置を触って確認しながら、エステアは小さく笑う。
「私も解いておきますか」
セスも無言で呪文を唱えると、肩甲骨あたりから大きな蒼銀の翼が伸び、影のように揺らめく。整った顔立ちはより冷厳さを増し、隠していた魔族としての気配が辺りに満ちていく。
「私も、私も~」
アミーも小さく呪文を口にすると、紅紫の瞳が鮮やかに光り、髪は血のように深い赤へと変わった。人化していた時のあどけない笑顔は薄れ、魔族本来の美貌がより際立つ。
「お互い違和感はないわね」
「ええ、問題ありません」
アミーとセスは互いを見て頷く。
三人の魔族姿をじっと見ていたモルテとリュースは同時に何かに気づいたようにはっとした表情で顔を見合わせた
「……なぁ、モルテ」
「……リュースよ」
モルテが杖をトントンと床に叩きながら言う。
「あー、変な事を聞くが、その姿で行くつもりなんじゃよな?」
「当然じゃない? 魔王として行くんだから、この姿で行くわよ」
エステアが胸を張って答える。
リュースが額に手を当てながら眉をひそめる。
「その姿でパーティにも参加するって事だよな?」
「ええ、そうですが?」
セスが冷静に答える。
……。
二人は言葉を失い、同時に頭を抱えた。
「なに? どうしたのよ、二人とも?」
不思議そうにアミーが問いかける。
モルテは震える声で言った。
「お主ら、その姿で行ったら……ノクスにその姿を見られてしまうんじゃよ……?」
「……」
「……」
「……」
その瞬間。
エステア、セス、アミーの三人は数秒固まった後、同時に脳が理解し、顔が青ざめた。
「――ああああああああああああああ!!!!」
エステアが両手で顔を覆いながら飛び上がり、
「ちょっと待って! どうしよう!? どうしよう!? あの子に魔王の姿見られる!? 聞いてない!!」
アミーは顔を両手で覆い、左右に体を揺らしながら
「やばいやばいやばいやばい!! あの子達にバレてもし嫌われでもしたら私たちの平穏が!!!」
セスは動揺しながらも必死に平静を装おうとするが、手が震えていた。
「だ、大丈夫です! 大丈夫です! 最悪の場合、記憶操作でなんとか……」
「いやいやいやいや、簡単にそんなことしたらノクスが傷つくでしょ!? 私達、家族なのよ!!?」
混乱する三人を前に、モルテとリュースは気まずい顔で黙るしかなかった。
こうして、平穏を保ちつつノクス達を守るつもりで始めた“魔王参加計画”は、出発前から重大な欠陥に直面し、修羅場へと突入するのであった。
「――落ち着くのじゃ、三人共」
モルテが杖で床を軽く叩きながら落ち着いた声で言った。
その声はリビングの混乱した空気を一瞬だけ震わせたが――
「落ち着けるわけないでしょおおおおおおお!!」
「アミー! あんたが変な計画言い出すからでしょ!!」
「何!? エステアもいい計画ね! とか言ってたじゃん!!」
「お、お二人とも落ち着いてください!!」
「「うるさい!!」」
三者三様に大混乱である。
モルテは額を押さえながら大きくため息をついた。
横でリュースも「こりゃダメだな……」と肩を落とす。
エステアは金髪を振り乱しながら、
「どうしてもっと早く気づかなかったのよ!? ノクスにこの姿見られたら、母親が魔王ってバレるかもしれないじゃない!!」
と叫びながらソファに倒れ込み、クッションを殴る。
その横でセスも冷静さを失い、
「そもそもアミーが! こんな計画を立てたのが悪いと思います!!」
「はぁ!? それ言う!? じゃああんたは止められたでしょ!? 何で止めなかったのよ!!」
「止められるわけないじゃないですか! 私の立場わかってますか!?」
アミーはアミーで机をドン! と叩きながら反論し、
「それを言うならエステアだって悪いでしょ!? 何で二人までお供連れて行くとか言ったのよ! エステア最強なんだから一人で行けばよかったじゃん!!」
「私だってノクス達が心配だったのよ!! 私だって私だって……!!」
バン! バン! と机が痛ましい音を立てる。
「ったく……」
リュースが静かにソファに座り込む。
「お前ら、落ち着けって……な?」
「ずるい! リュースずるい!!」
アミーが急にリュースを指差しながら叫び出した。
「ずるいよ! あんた達は留守番だから関係ないでしょ!! 私達だけ巻き込まれるの!? ずるい!!」
エステアも便乗し、
「そうよ! ずるいわ! リュースもモルテも他人事みたいな顔して! 私達はもう逃げられないのよ!?」
「いや、いやいや……」
リュースが目を逸らす。
「そ、それは……」
モルテも杖をくるくる回しながら目を逸らした。
だが視線を逸らした瞬間、セスが恨めしそうな目で二人をじっと見てくる。
「……」
「……」
モルテとリュースはその視線に耐えられず、「そんな目で見るな……」と声を漏らす。
この空気はまずい――モルテはそう判断した。
「わ、わかったわかった! じゃったら、使い魔でサポートしてやる! それにノクスもまさか母親が魔王とは思わんじゃろ! 角も生えとるし別人じゃ別人!」
必死にフォローするモルテだったが、エステアはクッションを抱えたまま、
「そんなこと言えるのはモルテが来ないからよ! あなたは気楽でいいわよね!!」
と全く納得しなかった。
アミーも目をギラつかせ、
「そうだよ! もういい! この際だからみんなで行こう!! 道連れだよ!!」
と自棄になって叫び始めた。
「ま、待てアミー、それは――」
「そうよ! それがいいわ!!」
エステアがバン! とクッションを投げ飛ばしながら立ち上がった。
「は!? え!? ちょ、ちょっと待った待った!!」
リュースが慌てて手を振るが、
「セス、準備お願い!!」
「は、はい!!」
セスは完全に思考停止しながらも、長年の執事習慣で体が勝手に動き、転移術の陣の準備を始める。
「おいおいおいおい!! 本気かよお前ら!! 待てって!!」
リュースがアミーの肩を掴んで叫ぶ、モルテも青ざめながら、
「お、お、おちつくんじゃ! ちょっと待つんじゃ!!」
と制止するが――
「転移準備完了しました!!」
「よし!! それじゃあ――」
「落ち着けお前等!!!」
リュースとモルテの絶叫は空しく、
エステアが指を鳴らした瞬間――
赤黒い転移の光がリビングを覆い尽くす。
次の瞬間、モルテとリュースを含む全員の姿が屋敷から掻き消えた。
エステアの“転移術”が発動され、
これにて 魔王ファミリー全員強制参加決定 となったのである。
こうして、ノクス達が知らぬところで進んでいた“魔王参加計画”は、
修正も調整もきかぬまま、全員巻き込みの大惨事への道を突き進むのだった。