盛大な拍手と華やかな音楽が鳴り響く中、エステア達はヨトソラス古城のパーティ会場へと堂々と歩みを進めていた。
漆黒のドレスに紅い瞳、ねじれた紅の角、堂々たる魔王の威容を纏うエステアの姿に、集まった貴族達が息を呑み視線を奪われる。後ろには赤い礼装に蒼銀の翼を揺らすセス、艶やかな笑みを浮かべるアミー、逞しい体躯で堂々と歩くリュース、そして無表情ながら底知れぬ存在感を漂わせるモルテが従う。
その姿はまさに“魔界の王”とその側近たちだった。
壇上で拍手を促す金髪ロングの少女、リゼリアは静かに口角を上げた。
(来たわね、魔王陛下……そしてあの席に座っているのが、聖女……これ以上ないわね)
リゼリアはこの瞬間、確信していた。
勝利を、自由を、太陽からの解放を掴むための計画が今、完成すると。
元々彼女の狙いは、太陽光や聖水などの弱点を持たない“真祖”となることだった。そのため、おそらく先祖返りをした――ルカを
(もしあの聖女の血を吸うことができれば……態々ルカお姉さまを捕まえなくても出来損ないから解放される!)
リゼリアの瞳に怪しく光が宿った。
だが、そんな事情を毛ほども知らないエステア達は。
会場を見回していたエステアはノクス達が座るテーブルにリゼリアが歩み寄るのを見て、一瞬だけ目を見開いた。
(え……!? ノクス達のテーブル……!?)
「魔王陛下、こちらへどうぞ」
リゼリアが微笑みながら、手でエステア達を誘導する。
その先には――ノクス、ジョーヌ、ルカ、アリスが座っていた。
「え? 魔王陛下って……こちらに?」
アリスは戸惑ったように立ち上がりかけたが、リゼリアが笑顔を崩さず、
「ええ、こちらのテーブルでお願いしたいの。遠方よりお越し頂いた大切なゲスト同士、ぜひ親睦を深めて頂きたいわ」
と声をかけた。
(な……何考えてるのよこの子は……!)
エステアは顔には出さず、内心で冷や汗を流していた。
(や、やばい……よりによってノクス達のテーブルに座らされるなんて……!!)
「魔王陛下、ようこそお越しくださいました」
リゼリアが柔らかな笑みを浮かべ、何事もないようにエスコートして椅子を引く。その隣でアミーが肩を竦めながら小さく囁いた。
「ねぇエステア……これ、大丈夫なの? 後ジョーヌとルカにはバレてるよね?」
「う、うるさいわね……座るしかないでしょ……!!」
緊張で声が震えそうになるのを堪え、エステアは優雅に微笑みを浮かべたまま席に着く。
「…………」
席に座ると、魔王エステアとノクス達の間に、妙な沈黙が流れた。
ノクスは魔王の存在に息を呑みながらも、
(この威圧感……すごい、俺なんかじゃ文字通り格が違う!)
と心臓を高鳴らせていたが、母さんだとは当然思っていない。
隣のアリスも同じく、
(緊張しますね……こんな近くで魔王を見るなんて……)
と神妙な面持ちで礼儀正しく頭を下げていた。
「お招きいただき光栄ですわ」
魔王の姿のエステアが静かにそう言うと、アリスはびくっと肩を震わせ、
「あ、あの……こちらこそ……」
と小さく返事をする。
一方でジョーヌとルカは顔を真っ赤にし、盛大に咳き込みながら目を逸らしていた。
「けほっ、けほけほ……!!」
「げほっ……くっ……」
(な、なんでいるんだよあいつらここに……!!)
(ちょ……笑うな私……絶対笑うな……!!)
二人はお互いに顔を見合わせて目が合った瞬間、吹き出しそうになり必死に口元を押さえていた。
「……風邪かしら?」
エステアがわざとらしく首を傾げると、
「ち、違いますっ!!」
二人が同時に立ち上がりかけて叫び、慌てて席に座り直す。
その様子を見たノクスは首を傾げ、
「大丈夫? ルカ、ジョーヌ」
と声をかけるが、二人は
「な、なんでもない!!」
「気にすんな!!」
そんな中、リゼリアは笑顔を浮かべたまま、ちらりとアリスに視線を向ける。
(あの魔力量……清らかなオーラ……間違いない、あれが聖女ね)
この混乱と近距離での接触の中で“魅了の術”をかける準備は整った。
あとは隙を見て、彼女の意識を私のものにするだけ。
(さあ、私の勝利を祝うパーティにしてあげるわ……聖女アリス)
静謐で煌びやかな空気の中、ヨトソラスの建国記念パーティは粛々と進行していった。
魔界の王、魔王エステアとその幹部たちが同席しているテーブルは否応なく会場の視線を集めていたが、その中心に座るノクスの心臓はずっと高鳴り続けていた。
目の前の銀の皿には香り高いソースがかかった肉料理が盛られ、周囲の客たちは談笑しながらナイフとフォークを滑らかに扱い、口へと運んでいく。
しかしノクスの手は、皿の横で止まっていた。
(やばい、やばい、やばい……)
彼の頭は今にも沸騰しそうだった。
パーティの前に母さんとモルテ姉さんからテーブルマナーは一通り教わっていた。ナイフとフォークの持ち方、ナプキンの使い方、グラスの扱い方、声のトーン……それらは必死に覚え込んだ。だが、その初お披露目の場がよりによって魔王とその幹部たちの目の前とは――。
(想定してないよ……!!)
冷や汗が背中を伝う。
さらにノクスは気づいてしまった。魔王エステアと、その隣の小さな黒髪の子が、時折こちらをチラリと見ていることを。
(な、なに見てるんだ……もしかして、粗相をしたらその場で殺されるとか!? いやだ、死にたくない……!!)
ノクスの脳内は悲鳴と絶望で埋め尽くされていたが、その頃当のエステアとモルテはというと――。
「大丈夫かしら、ノクス……お肉切れるかしら」
「心配するでない、エステア。ちゃんと我々で教えたじゃろう?」
二人は完全に“母親”と“保護者”の目線で見守っているだけだったのである。
しかしそんな事情など知る由もなく、ノクスの動揺はピークを迎えた。
(ええい、やるしかない……!!)
覚悟を決めてナイフで肉を切り、フォークで刺し、慎重に口へ運ぼうとした――その時だった。
カラン――ッ!!
甲高い金属音が会場に響き渡った。
「……あ」
ノクスの手元から、フォークが床へと落ちてしまったのだ。
一瞬で会場の空気が張り詰めた。
周囲の貴族たちが視線を向け、同じテーブルのアリスが小さく「あっ」と声を上げる。
その時――
(や、やってしまった……!!)
ノクスの顔から血の気が引き、瞳が揺れた。
会場の別席で来賓の相手をしていたリゼリアは、その光景を目撃すると口元を歪めた。
(フフ……これで魔王陛下が無礼と怒り、場が混乱する。あの子の失態がきっかけで聖女が守られず、騒動の最中に魅了の術をかけられる……!)
リゼリアは勝利を確信し、心の中で不気味な笑みを浮かべていた。
しかしその刹那――
椅子の音も立てずに立ち上がった者がいた。
紅の瞳、紅の角、威厳を纏った魔王エステアである。
静かに席を立つと、ゆっくりとノクスの隣へ歩み寄り、何も言わずに落ちたフォークを拾い上げた。
魔王の周囲の魔力が、一瞬だけ空気を震わせる。
「…………」
エステアは小さく指を鳴らすと、フォークにかかった埃や汚れが魔術によって瞬時に消え、金属が光を取り戻す。
そのフォークをそっとテーブルへ戻すと、エステアはノクスの頭に手を置き、いつものように優しく撫でた。
「…………っ!!」
周囲が凍り付いた。
普段なら当たり前の日常の光景。しかし今、ここは“ヨトソラスの建国記念パーティ”の会場。ノクスはただの少年、エステアは魔界の王――魔王である。
その魔王が、なぜか一人の少年の頭を撫でている。
会場が静まり返る中、ノクスは目を見開きながら、頭を撫でられたまま硬直していた。
「――!!」
席に戻った瞬間、モルテが無言でエステアの足を踏んだ。
「……っ、いった!!」
「お前は今、魔王じゃろが!! いつもの調子で撫でるなと言ったじゃろが!!」
「あっ! いつもの癖で……」
エステアは顔を引きつらせながらも小声で言い訳した。
しかし気まずい空気を悟り、エステアは咳払いをして場を整えると、優雅な笑みを浮かべて周囲へ向けて言った。
「誰しも失敗はするものよ。気にすることなどありませんわ」
場はぎこちない空気を含みながらも、その後付けのフォローにより次第に会話と笑い声が戻っていった。
その様子を見ながら――
セスは額に手を当てて小さくため息をつき、
リュースは「まぁ、らしいっちゃらしいな」と肩を竦め、
アミーは「あーあーやっちゃったね」と苦笑し、
ジョーヌとルカは、「だろうな」と顔を見合わせながらも笑いを堪えていた。
そしてアリスだけはその光景に困惑しきりで、
(な、なんであの魔王陛下が……ノクス君の頭を撫でるの……!?)
と混乱の極みに陥っていた。
こうしてノクスの初めてのパーティでのテーブルマナー披露は“魔王陛下による頭撫でフォロー事件”という前代未聞の展開で幕を閉じた。
その時、会場の片隅で金髪ロングの少女、リゼリアはカクテルグラスを傾けながら光の反射で揺れる紅い液面をじっと見つめていた。
(……どういうこと?)
彼女の思惑では、フォークを落とした人間の凡ミスに対し、魔王は眉をひそめるなり、冷たい叱責を浴びせるはずだった。
あるいは「魔王に無礼を働いた」として会場が一気に張り詰め、その混乱に乗じて聖女へ近づき、魅了の術を施すはずだった。
だが現実は――
(なぜ……なぜ怒らないの……!?)
目の前で魔王エステアは落としたフォークを拾い上げ、魔術で清め、少年の頭を優しく撫でていた。
その光景はあまりにも“家庭的”で“親しげ”であり、威厳の欠片もない穏やかさを帯びていた。
リゼリアはグラスを持つ指に力が入り、氷が小さく鳴った。
(おかしい……あれが人間嫌いの魔王の振る舞い? 信じられない……)
場の混乱を誘うどころか、逆に空気が柔らかくなり、人々の警戒心を解く結果となってしまったことが、彼女の誤算だった。
リゼリアはグラスを置き、ステージを離れて静かに瞳を細めた。
(……まぁ、いいわ。なら、別の方法で聖女を手に入れるだけ……)
そう心の奥で呟きながらも、その紅い瞳には消えぬ違和感とわずかな焦燥が宿っていた。