俺の母さん、実は魔王でした⁉   作:KuRoNia

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第七節:微笑みは嘘を隠せず

煌びやかな音楽と香り高い料理、そして人々の談笑が交差するパーティ会場。表向きには平和で華やかな時間が流れていたが、その水面下では、様々な思惑と策謀が静かに蠢いていた。

 

そんな中、リゼリアは一人グラスを片手に立ち上がると、穏やかな笑みを浮かべながら、ノクス達と魔王エステア達が座るテーブルへと向かっていた。先ほどの“フォーク事件”で魔王が激昂するはずだった場面が思いがけず穏やかに終わったことに、いまだ釈然としない気持ちが胸に引っかかっていた。

 

(まさか、あの魔王があんな対応を……?)

 

そう思いながらも、リゼリアはすぐに気を切り替えた。

 

(まぁいいわ。機を逃したとしても、私には次の一手がある)

 

その考えとともに、彼女はすっとノクス達のテーブルに立ち寄り、丁寧な作法で会釈した。

 

「ご歓談中のところ失礼いたします。魔王陛下、先ほどはご挨拶が遅れてしまい申し訳ありません。他の来賓の応対に手間取ってしまいまして……」

 

リゼリアの口調は柔らかく、まるでどこにでもいる貴族の淑女のように礼儀正しい。だがその瞳の奥には、冷たい計算と野心が燃えていた。エステアも微笑みを浮かべて一礼を返したが、その視線はどこか皮肉めいていた。

 

「構いませんよ。私たちも先ほど来たばかりですから。ええ、つい先ほど盛大に紹介されましたので」

 

「ふふ、あれは私の手違いではありませんよ?」

 

そんな軽口を交わしながらも、互いに腹の探り合いをしている気配がテーブルに漂った。

 

そして次の瞬間、リゼリアはふとアリスに視線を移し、柔らかな笑みを浮かべながら問いかけた。

 

「そういえば、風の噂で聞きました。聖女様は、王国から奪われた“聖遺物”を取り戻すために日々修行されているとか……。それはそれは、大変なご苦労でしょうねぇ」

 

突然の話題に、テーブルの空気が一瞬で変わった。

ノクスはぽかんとし、ジョーヌとルカは手を止める。

セスとモルテは鋭い目つきでリゼリアの方を見つめ、アミーはニコニコと人の良さそうな笑みを浮かべ、リュースはため息混じりに水を一口飲んだ。

 

アリスはわずかに戸惑いながらも、すぐに表情を引き締め、凛とした口調で答える。

 

「はい、仲間や指導者にも恵まれて、大変有意義に修行をさせてもらっています。決して楽ではありませんが……後悔はしていません」

 

その返答を聞き、エステア達の口元には微かな笑みが浮かんだ。だがそれは、嘲笑ではなく、どこか誇らしげで暖かな表情だった。

 

だがその空気をぶち壊すかのように、リゼリアはにこりとしながらも、明らかに意図的な次の質問を口にした。

 

「……それで、その聖遺物の現在の所有者って、確か……魔王陛下だと聞いたのですが。それって本当なのですか?」

 

その場の空気が、一瞬で凍りついた。

 

言った本人は、ニヤニヤとした悪意のある笑みを隠そうともせず、完全にこの場の崩壊を狙っていた。

 

(どう?さすがにこれには怒るでしょう? 魔王と聖女の確執を刺激すれば――)

 

アリスはぎこちなく笑顔を保ちつつ、心中では冷や汗が止まらなかった。

 

(なんでこのタイミングでそんなことを!? 魔王を刺激してしまったら、この場で戦闘になる可能性だって……!)

 

ノクスも隣で焦りに焦り、喉が詰まるような感覚を覚えた。

 

(な、なんでこんなピリついた空気に……!)

 

そんな全員の緊張感をよそに、エステアはグラスをくるりと回しながら、まるで雑談でもするような調子で口を開いた。

 

「ああ、聖杯のことね」

 

その言い方があまりにも軽すぎて、全員が一瞬ぽかんとした。

 

「えぇ、持ってるわよ。今もちゃんと、わかる所にあるわ。執事が定期的に埃を払ってくれてるし」

 

「……えっ?」

 

アリスが思わず声を上げた。リゼリアも目を見開く。

 

「ただねぇ、返すのは簡単だけど……。返したら戦争になりそうで困るのよ」

 

そうさらりと“爆弾発言”を落としたエステアは、さも面倒そうに肩を竦めた。

 

一方、セス・アミー・リュース・モルテの四人は、席でそれぞれに「やっちゃったなぁ」という顔をしていた。

 

「……あーあ、言っちまった」

 

「はいはい、また余計なことを……」

 

「毎回こうなるんだよな……」

 

「魔王様、もうちょっと計画的に発言を……」

 

呆れたように、それでいてどこか慣れた様子で彼らは各々嘆息を漏らしていた。

 

その様子に、リゼリアは動揺を隠せなかった。

 

(な、何この空気!? なんで怒らないの!? 聖女様も困惑してるし!?)

 

混乱と動揺。自分の読みが完全に外れていることに、リゼリアの表情から余裕が消え始めていた。

 

 

 

「返したら戦争になりそうでねぇ」

 

魔王エステアの口から、軽く放たれた一言。その意味を理解するには、一瞬の静寂が必要だった。

 

アリスはフォークを持ったまま手を止め、視線を彷徨わせた。

隣にいるノクスは何が起きたのかわからず、きょとんとした顔をしていたが、それとは対照的に、他の大人たち――セス、モルテ、アミー、リュースは全員「またか」と言いたげにため息を漏らしていた。

 

アリスは勇気を振り絞り、震える声を押し殺して問いかけた。

 

「……魔王様。先ほどの“返したら戦争になる”というのは、どういう意味なのですか?」

 

その言葉に、会話の中心にいた者たちの視線がエステアに集中した。

 

「うーん……」

 

エステアはグラスを置き、腕を組んで考えるような素振りを見せる。だがその表情は苦悩というより、むしろ「いつ話そうか」と思案していたような、軽いものだった。

 

「まぁ、どうせ遅かれ早かれ知ることになるでしょうし、いいわ。あなたなら聞く耳を持ってくれると信じてるから、教えてあげる」

 

そう言ってエステアは少しだけ身を乗り出し、囁くように話し始めた。

 

「私がね、あの聖杯を手に入れたのは……王国が仕掛けてきた戦争の真っ只中だったの」

 

「戦争……?」

 

アリスの眉がわずかにひそめられる。

 

「そう。私はあのとき、たまたま最前線に出ていて、崩れた戦場跡であの聖杯を拾ったの。王国側の指揮官が逃げる途中で手放したのか、それとも誰かが捨てたのかはわからない。でも、その日――いや、次の日には、王国からいきなり“停戦要請”が来たわ。まるで……何かを失ったことを悟ったようにね」

 

アリスは目を丸くした。その話は、彼女が幼い頃から聞かされてきたものとは大きく違っていた。

 

「ですが、私は……聖杯は魔族によって盗まれたと……」

 

「ええ。きっとそう教えられてきたんでしょうね」

 

エステアは皮肉な笑みを浮かべながら、手のひらで空中に円を描いた。

 

「ただの遺物だと思っていたの。でもね、あれを調べてみたのよ。すると――」

 

「……?」

 

「聖杯には、魔力を高純度のエリクサーに変換する効果があったのよ。回復薬として、どんな致命傷でもほぼ即座に回復できるレベルのね」

 

その言葉に、アリスの手が震えた。

 

「そんな……!」

 

「驚いた? 私も驚いたわよ。妙に粘り強い兵士たち、どんなに負傷しても翌日には前線復帰する兵隊たち。まるで()()()()()()()()()()()()()だった。最初は信じられなかったけれど……あの聖杯の効果を知ってすべて腑に落ちたの」

 

アリスは言葉を失っていた。

彼女が信じていた“聖杯を奪還して平和をもたらす”という正義は――実は、その裏に“戦争の道具”としての意味があったのかもしれないという疑念。

 

「でも、そんなこと……。本当に、王国が戦争のために聖杯を……?」

 

「私は王国の意図なんて知らないわ。ただ、私が聖杯を拾った次の日に停戦が申し込まれたという事実があるだけよ」

 

エステアの瞳は真っ直ぐだった。嘘を言っているようには、どうしても思えなかった。

 

(じゃあ……私は……)

 

アリスは青ざめ、わずかに体を震わせた。今まで信じてきた正義、導かれてきた指導、祈ってきた信念――それらが一気に崩れそうになる。

 

(もしそれが本当なら、私は……ただの戦争の道具として……?)

 

そのときだった。

 

「……!」

 

アリスの精神が大きく揺らぎ、心の隙間が一瞬、露わになった。

 

その“隙”を、狙っていた存在がいた。

 

――リゼリア。

 

美しく微笑みながら、静かに詠唱を始める。

 

(今よ……。その動揺、見逃すはずがない。魅了の術で操れば、あとは私の――)

 

しかし。

 

「……なっ……!?」

 

リゼリアの目が見開かれる。術が、発動しなかった。

 

完全に整えた詠唱、的確な魔力制御。それにも関わらず、術は弾かれたように空中で霧散した。

 

(な、なぜ!? 今のは完璧なはず……!)

 

術式の解離、精神の防壁……いや、それとも……

 

リゼリアの思考を遮るように、隣の席から椅子を引く音がした。

 

「……へぇ、随分と面白いことしてるじゃねぇか」

 

どこか調子の抜けた、けれど確実に冷えた声。

 

リゼリアの隣の席から立ち上がったのは、――ルカだった。

 

「な……!?」

 

「勇み足が過ぎたな、俺が魅了の術に反応しないわけねぇだろ。バカが…」

 

ルカは笑いながらも、目はまったく笑っていない。

 

「狙いは俺かと思って警戒してたら、まさかのアリスかよ?」

 

リゼリアが言葉を失う。

だが今、術を“打ち消した”のではない。途中で“横取り”して“無効化”した。

(こいつ……以前より魔力操作が上手くなってる!?)

 

リゼリアは焦っていた。

あまりに自然な流れで術を放ち、それが無効化された瞬間――まるで自分の思考が読み取られていたかのような感覚に襲われた。

美しく塗り固めた仮面の下で、鼓動が激しく打ち鳴る。

動揺を隠すべく、彼女は一拍置いてから表情を作り直し、咄嗟に“言い訳”を思いついた。

 

「ルカお姉さま……なにか、誤解されているようですわ」

 

声を震わせながら己の“無力”を演出する。

 

「私はただ……酷く動揺されていたアリス様をお見受けして、少しでも心を落ち着かせて差し上げたくて……精神安定の術をおかけしようとしただけですのよ」

 

ルカの目を見つめながら、リゼリアはひときわ綺麗な泣き顔を作り、わざとらしく目元を拭う。

 

「それを、まさか“魅了”だなんて……酷い言いがかりですわ……うぅ……っ」

 

空気が微かに凍りついた。

 

(よし、これで私は“誤解された可哀想な令嬢”になる……少し芝居を打てば、ルカの印象も悪くなり、術の痕跡も曖昧に――)

 

だが。

 

その計算を真っ向から破壊する、冷え冷えとした声が、テーブルの端から飛んだ。

 

「つまらない出し物ね」

 

リゼリアの背筋が凍る。

エステアが、まるで他人事のような顔で、自分の爪の先を見つめながらぼそりと呟いたのだ。

 

「リゼリアは“魅了の術”を使ったのかしら? あなた、ドッペルゲンガーだからわかるでしょう?」

 

リゼリアの顔から血の気が引く。

 

アミーは、にやにやとした笑みを浮かべながらエステアの方に顔を向けた。

 

「ええ、魔王様。勿論わかりますよ。リゼリア様が使った術は“魅了”ですね」

 

笑みの裏に、容赦ない確信があった。

柔らかな声音とは裏腹に、突き刺すような真実をさらりと突きつける。

 

「対象はアリス様。魔力波の流れが精神領域に向けてピンポイントに飛んでいましたし、詠唱と術式構築の波長は典型的な魅了系魔法のそれでした。安定化に必要な呪句の省略も見受けられたので、恐らく常習……もとい、相当手馴れているのでは?」

 

エステアはくるりと爪先でグラスの縁をなぞると、乾いた口調で短くまとめた。

 

「……だそうよ」

 

その言葉には裁きの宣告にも似た重さがあった。

 

一瞬、空気が張り詰める。

周囲にいた他の貴族たちはエステアの一言を明確に聞いてはいないものの、微妙な緊張を感じ取り、誰も口を開こうとはしなかった。

 

リゼリアは、ぎこちなく笑みを浮かべたまま、まるで舞台の照明が自分だけに当てられているような孤独の中に立ち尽くす。

 

「……あの……っ、誤解ですわ。本当に誤解なんですの。わたくし、ただ……っ」

 

「私が見逃すマヌケだと思った?」

 

エステアの声が静かに刺さる。

その顔は微笑んでいるようで、まるで氷の彫刻のように冷たかった。

 

「私の優秀な部下達もそして私も。あなたが何をしようとしていたか、ちゃんと見ていたのよ」

 

「…………っ」

 

リゼリアは何かを言おうとして、喉の奥で声を詰まらせた。

その瞬間だけ、仮面が割れ、吸血鬼としての“獣性”が顔を覗かせる。

 

ルカが立ち上がる。

 

「ま、俺は別に怒っちゃいねぇよ。魅了がどうこうじゃなくて、随分調子に乗っているのが気に入らねぇだけさ」

 

「やめなさい、もういいわ」

 

エステアが手を上げて制した。

 

「宴の場よ。これ以上は無粋ってもの」

 

「チッ……」

 

ルカは小さく舌打ちをして席に戻った。

 

リゼリアは、感情の処理が追いつかないまま椅子に座り直し、震える手でグラスを掴む。

だが、その水はわずかに震え、揺れてこぼれた。

 

その様子を見ていたアミーが、まるで慰めるように、だが確実に皮肉を込めて囁いた。

 

「……次はもう少し“上手に”演じましょうね、リゼリア様?」

 

その笑顔は、舞台の終わりを告げる鐘の音のように冷たく響いていた。

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