俺の母さん、実は魔王でした⁉   作:KuRoNia

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第九節:手向けの言葉と沈黙の誘い

ノクスが部屋に現れたとき、エステアは正直、少し驚いていた。

 

何か問題があったのかと思ったが、彼は深々と頭を下げ、礼を述べた。「魔王様、今回はアリスとルカを助けてもらいありがとうございました」

 

その言葉を聞いた瞬間、胸の奥がじんわりと温かくなった。

ノクスは――彼女が育てたその少年は――確かに成長していた。

 

礼儀正しく、慎み深く、そして何より――魔族だからといって偏見を持たない、まっすぐな瞳をしていた。

魔族に対する恐怖や嫌悪は、あの王国では当然のように植えつけられているはずだ。

だが彼は違った。助けられた相手が魔族であろうと、その行動に心から感謝を示した。

 

(ああ、本当に…立派になって…)

 

エステアは誇らしさを感じた。

この子を育ててよかった。そう、心から思った。

 

…だが。

 

その温かい感情は、次の一言で吹き飛んだ。

 

「それで魔王様、もう一つ聞きたいことがあるのですが――」

 

ノクスはまっすぐ彼女を見つめた。どこまでも純粋な目で。

 

「なぜ、あの……パーティで俺が粗相をしたとき、フォローしてくれた上に、その……頭を撫でてくれたんですか?」

 

エステアの顔は笑顔のまま、固まった。

 

(……終わったわ)

 

心の中で鐘が鳴った。彼女は顔では笑っていたが、思考は完全に凍りついていた。

 

(やばいやばいやばい!! え、そんなこと聞く!? なんで!? 今それ聞く!?)

 

もちろん、撫でた理由は明白だった。

日頃からノクスを育ててきた彼女にとって、それはごく自然な行為だったのだ。

彼が幼い頃は、落ち込んでいるときに何度も頭を撫でて励ましてきた。

あの時も、ふと身体が動いた。ただそれだけだった。

 

だが――

 

今のノクスはもう10歳。

しかも彼の前では“魔王”という立場である。

そんな存在が、パーティの場で少年の頭を撫でるなど、どう見ても不可解だった。

下手をすれば――いや、確実に親しすぎると思われる。

 

(今さら昔から撫でてた癖でついなんて言えるわけないわよ!)

 

焦ったエステアは、周囲に助けを求めた。

 

視線を右に向ければ、執事セスが固まっていた。顔は静かなのに、よく見れば右手の指先が細かく震えている。

 

左に目をやれば、モルテがうつむいている。たぶん、どう誤魔化すかを必死に考えて脳内でシミュレーションをしているのだろう。

 

アミーは珍しく無言だった。というより、頬を引きつらせながら目を逸らしていた。

関わりたくないというオーラが全身からにじみ出ている。

 

リュースに至っては、背中を向けてなぜか棚の上の壺をいじり始めていた。

お前等絶対聞こえてるだろ!? と言いたくなるようなタイミングだった。

 

(……全滅か!!)

 

このままではノクスに余計な疑念を抱かせてしまう。何か、何か言わなければ――!

 

エステアは震える声で、なんとか言葉を紡いだ。

 

「え、えっと……あれは、その、あなたの頭にゴミがついていたから……そう! それを払ってあげただけなのよ! べ、別に撫でたわけじゃないわよ!? 勘違いしないでね!?」

 

一気にまくし立てると、目を泳がせながら、なぜか語尾を強調してしまった。

 

(……これ、無理ある? いや、さすがに無理あるよね?)

 

そう思っていた矢先、ノクスがきょとんとした表情になった。

 

「……なるほど、そうだったんですね。すみません、変なことを聞いてしまって」

 

そして、素直に納得してしまった。

 

エステアは驚愕した。

 

(えっ!? 信じたの!? この言い訳で!?)

 

思わず目を見開いてしまったが、ノクスは全く疑っていないようで、椅子に座り直すと、

 

「いや、でもなんというか……自分にそこまで気を配ってくれたってだけで嬉しいです。魔王様は聞いていた話よりも優しい人ですね」

 

などと言って、にっこりと笑った。

 

(あああああああああああああああ!!!)

 

エステアは今にもテーブルに突っ伏したい気持ちだった。

 

まっすぐな目。まっすぐな心。

疑いを知らない少年の無垢な感謝が、逆に痛い。

 

凄いわノクス!魔王の私をこうまで追い詰めたのはあなたが初めてよ!

助けてセス! モルテ! アミーでもいい!

誰かこの場から私を連れ出して!!

 

だが彼らは見て見ぬふりをしていた。

セスは完全に無表情を決め込んで壁の一点を見つめており、モルテは下手な口笛を吹きながら目を逸らしていた。

アミーはいつの間にかお茶を飲み始めており、リュースはまだ壺をいじっている。

 

地獄だった。

 

(……でも、まぁいいわ)

 

そう、エステアは自分に言い聞かせるように、息をついた。

 

確かに気恥ずかしかった。撫でた理由も、完全に“保護者のクセ”だった。

だが――彼はそれを素直に受け入れてくれた。心から感謝してくれた。

 

(これで……いいのよね)

 

それにしても。

 

ノクスはなぜ、このタイミングでこんなことを聞いてきたのだろう?

 

エステアはふと気になって、彼に尋ねた。

 

「ねえ、あなた、どうしてそんなことを急に聞こうと思ったの?」

 

ノクスは少し照れたように笑った。

 

「……アリスのことがあって、少し空気が重くなっていたので。だから……少しでも自分が前に進むために、ちゃんと伝えたいことを伝えておこうと思ったんです」

 

「それに、俺――魔王様のこと、よく知らないですし一方的に怖がるのも失礼だと思ったので…」

 

その一言が、またエステアの胸を打った。

 

彼は本当に、自分が育てた子だった。

 

どこまでも真っ直ぐで、どこまでも優しい。

だからこそ、守ってあげたいと思える。

 

エステアはそっと微笑んだ。

 

「……あなたは、本当に立派な子ね」

 

「へ? なんですか、急に」

 

「なんでもないわ。ふふっ」

 

ノクスはきょとんとしながらも、その笑みに満足そうに納得していた。

 

 

 

ノクスは、長くなった対話に満足していた。

疑問は解けた。礼も伝えられた。

言葉にできない思いは胸の奥にまだ渦巻いていたが、それもまた、成長の一部なのだろう。

 

「それじゃあ、僕、そろそろ自分の部屋に戻ります」

 

そう言うと、ノクスは椅子を引いて立ち上がった。

 

だが、その瞬間だった。

 

「おや、もうお帰りですか?」

 

セスが静かに立ち上がり、礼儀正しく一礼を送る。

それに続き、モルテもゆるやかに頷きつつ手を振り、リュースは腕を組んで渋くうなずく。

 

「気をつけてな、坊」

 

そしてアミーは両手を振って笑顔を見せた。

 

「また話そうね、人間くん♪」

 

極めつけはエステアだった。

椅子に座ったまま、頬杖をついて、意味深に笑いながら言う。

 

「迷わず、まっすぐ帰りなさい。寄り道はだめよ?」

 

それはあまりに手厚く、過剰な見送りだった。

 

(……え、なんでこんなに見送られてるの?)

 

ノクスは困惑しながらも、一人で古城の長い石造りの廊下へと足を歩く。

 

――カツン、カツン、と響く靴音だけが、闇に沈んだ通路に残される。

天井は高く、外の月明かりがアーチ状の窓から差し込んで、床に薄く白い影を落としていた。

 

自室に向かって歩いていた彼は、その途中で違和感を覚える。

 

――窓辺に、人の気配。

 

視線を向けると、そこに立っていたのはリゼリアだった。

 

窓から差す月光を背に、金髪の髪が淡く光っている。

その瞳はどこか艶やかで、妖しく光を帯びていた。

 

「まぁ……お一人でこんな時間に廊下を歩くなんて。とても不用心ですわよ、ノクス様?」

 

ふと見せたその笑みは、まさしく『妖艶』という言葉そのものだった。

 

ノクスは自然と立ち止まり、表情を引き締めた。

 

「……リゼリアさん。何か用ですか?」

 

警戒心を隠さず、真正面から対峙する。

 

リゼリアはふふ、と口元に手を当てて笑う。

 

「その警戒心、正しいですわ。ええ、あなたの反応は間違ってません」

 

そう言い終えると同時に、彼女の身体がふわりと前へ。

 

ノクスの目では、彼女の動きが追えなかった。

気づけば、すでに至近距離――

 

柔らかな指先が彼の頬に触れていた。

 

「……でも、それでも無意味ですわね?」

 

月光の中、その顔は陶器のように美しく、そして無機質だった。

 

ノクスは身体が凍りついたように動けなかった。

急に間合いを詰められたことで反射的に目を閉じ、身構える。

 

(やられる!?)

 

一瞬、最悪の事態を覚悟した――が。

 

「……く、くくっ、ふふっ……」

 

聞こえてきたのは、抑えきれない笑い声だった。

 

驚いて目を開けると、目の前には、笑いを必死に堪えて肩を震わせるリゼリアの姿。

 

「ふふ……すみません。あまりにも怖がっていらっしゃったので、つい……少し揶揄ってしまいましたわ」

 

そう言って、軽く身を引くリゼリア。

彼女の笑みは、どこか悪戯好きな少女のようでもあった。

 

ノクスは困惑したまま眉をひそめる。

 

「……からかったんですか? こんな夜中にわざわざ?」

 

「いいえ、もちろん目的はありますわ」

 

リゼリアの声が急に落ち着き、トーンが変わった。

彼女は再び一歩、距離を詰めるが、今度はゆっくりとした動作だった。

 

「ノクス様。あなたが……私たち魔族に対しても偏見を持たず、等しく礼を言える方だとわかりました。だからこそ、お願いがありますの」

 

彼女はゆっくりと跪き、ドレスの裾を静かに揃えた。

 

「……私は吸血種。名をリゼリア

あなたに――ある協力をお願いしたいのです」

 

ノクスは目を見開いた。

 

リゼリアは、もう笑っていなかった。

その瞳は真剣で、誠実だった。

 

「私がなぜアリス様を狙ったのか……すべてをお話しいたします。

その上で――私の目的に、力を貸していただけませんか?」

 

頭を深く下げる彼女。

 

ノクスは混乱していた。

なぜ自分に? なぜこのタイミングで? そもそもリゼリアが何を考えているのか、自分にはまるで見当がつかない。

 

けれど――

 

その頭を下げる姿勢から伝わる覚悟と、言葉ににじむ真剣さに、ノクスは本能的に「嘘ではない」と感じ取った。

 

(……なんなんだ、この人)

 

彼女の本音と目的、その核心にはまだ触れていない。

それでも、ここで背を向けるのは――自分の在り方ではないと思った。

 

「……わかりました。話を、聞かせてください」

 

ノクスは静かにそう言った。

 

リゼリアは、ゆっくりと顔を上げ、月光の中でほほえんだ。

 

その笑みは、妖艶でも、からかうものでもなく――

どこか、安堵のようなものすら感じさせる、静かな微笑みだった。

 

こうして、月光に照らされた廊下での密やかな対話は、静かに幕を開けるのだった。

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