俺の母さん、実は魔王でした⁉   作:KuRoNia

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第十節:うちのルカがすみません

 リゼリアに案内され、ノクスは静かな一室へと足を踏み入れた。部屋の中は思っていた以上に広く、重厚な緋色のカーテンが月明かりを遮っていた。蝋燭の揺れる光が絨毯に影を落とし、天井の高い空間には、どこか貴族的な静寂と威圧が漂っている。

 

 中央に置かれた丸卓の一角に座るよう促され、ノクスは控えめに椅子に腰かけた。向かいにはすでにリゼリアが優雅に腰を下ろし、指を鳴らすと部屋の隅に待機していた侍女が静かに近づいてくる。

 

「果実水を。あと、わたくしにはいつものを」

 

 静かに、しかし確固とした口調で告げられると、侍女は深く礼をして退室していった。

 

 ほどなくして運ばれてきたのは、ノクスにも馴染みのある上等な果実水。パーティでも振る舞われていたものだ。一方、リゼリアの手元には細長いグラスに並々と注がれた、深紅の液体。

 

 ノクスは思わずそのグラスに視線を奪われた。

 

「……赤ワインとかですか?」

 

 何気ない好奇心から発したその問いに、リゼリアはふふっと微笑みを浮かべながら、赤いグラスを少し掲げて言った。

 

「残念ながら、違いますわ。ノクス様は飲まない方がよろしいかと。これは――血液ですもの」

 

 その言葉にノクスはごくりと喉を鳴らした。グラスの縁に紅い唇を当て、血液を飲むその姿は美しくもあり、どこか背筋をぞくりとさせる不気味さを伴っていた。

 

「……本当に、吸血鬼なんですね」

 

「ええ。わたくしも、他人の、ましてや人間の前で堂々とこうして飲むのは、初めてですけれどね」

 

 やや気まずそうに笑うリゼリアに、ノクスも「へえ」と間の抜けた返事をした。

 

 ひとしきり空気が落ち着いたところで、リゼリアは指をこめかみに添え、静かに目を閉じた。

 

「さて……どこからお話ししましょうか」

 

 数秒の沈黙の後、リゼリアは目を開け、まっすぐノクスを見据えて語り始めた。

 

「この国――ヨトソラスの始まりについて、ご存じですか?」

 

「いいえ、何も」

 

「そうでしょうね。では、少し昔話を」

 

 リゼリアの声は、まるで語り部のように静かで、そしてどこか悲しげだった。

 

「かつてヨトソラスは、魔界国から独立した吸血鬼たちが築いた国でした。人と距離を置き、自らの種のために自給自足の国家を造ったのです。最初の数百年は、何の問題もありませんでした」

 

 ノクスはじっと聞き入った。

 

「ですが――何百、何千年と時が流れ、世代交代が繰り返される中で……少しずつ、“血”が薄れていったのです」

 

「血が……?」

 

 リゼリアはゆっくりと頷く。

 

「吸血鬼とは、本来“真祖”――すなわち、弱点を持たない完全な吸血種を指します。けれど血が薄れることで、段々と、かつてなかった弱点を持つ子供たちが生まれるようになったのです。聖水に触れられない、銀に焼かれる、陽光に晒されれば焼ける――そんな、弱き“喰種”が」

 

 リゼリアの声にかすかな憤りが滲んでいた。だがそれは怒りというより、深い悲しみのようにも聞こえた。

 

「……つまり、吸血鬼が“吸血鬼もどき”になっていった、と?」

 

「ええ。その事実は、わたくしたちの誇りを蝕んだのです。誇り高き吸血種が、ただの亜種と化していく――それは、国としての根幹を揺るがす出来事でした」

 

「でも……どうにもできなかったんですか?」

 

「どうにかする術は、ありました。ただし、手段が――問題でしたの」

 

 リゼリアはわずかに視線を落とし、そして再びノクスをまっすぐに見据えた。

 

「それが“聖女”の血です」

 

 空気が一瞬で凍りついたような錯覚に、ノクスは背筋を伸ばした。

 

「……アリスを狙った理由は、それですか?」

 

「……はい。聖女の血には、血統の再構築と強化作用がある。これは神代から伝わる一部の吸血種に知られている、極秘の因果です。聖女の血を受け継げば、喰種の子供たちも真祖へ近づく……。その可能性を信じて、我々の先代たちはずっと研究を続けていたのです」

 

 ノクスはしばし黙り込んだ。

 

「でも、アリスに無理矢理……それは、彼女を“モノ”として扱うことになりますよ」

 

 その言葉にリゼリアはわずかに目を伏せた。

 

「……わかっています。だからこそ、私は“魅了”という手段で解決しようとした。説得や交渉では、王族の反対を超えられなかったから」

 

「それでも、間違ってると思います」

 

 ノクスの声は静かだったが、どこか芯があった。リゼリアはその眼差しに黙り込み、そして、ぽつりと漏らす。

 

「……まったく、ですわね」

 

 そして、グラスの血液を一口、喉に流し込んだ。

 

「だから、私はもう強制はしません。――ノクス様。お願いです。アリス様に、私たちの話を伝えたうえで、協力を仰いでもらえませんか?」

 

「……協力?」

 

「わたくしは、もう力で奪うようなことはいたしません。アリス様の意志に委ねます。ただ、そのきっかけだけでも――あなたにお願いしたいのです」

 

 ノクスは返答に迷いながらも、リゼリアの瞳からにじみ出る真摯な願いを感じ取っていた。

 

「……わかりました。アリスと話してみます。でも、無理強いはしませんからね」

 

「ええ、もちろん」

 

 リゼリアは少しだけ微笑んだ。その微笑みには、どこかほっとしたような安堵があった。

 

 リゼリアの話を聞いていたノクスは、ふと首を傾げた。

 

「……あれ?」

 

 リゼリアが目を細めて問い返す。

 

「どうかなさいましたか?」

 

「いえ、ちょっとした違和感があって……。今回のパーティって、招待されたのってルカだけですよね? 俺とジョーヌとアリスは、ついでみたいな感じで。『もしよければ』って」

 

「ええ、そうですわ。まさにその通り」

 

「でも、それって……。もしアリスが来る気がなかったら? あるいは、別の予定があって来なかったら? その可能性だって普通にあったんじゃないですか?」

 

 リゼリアは一瞬驚いたように目を見開き、次いで小さく笑った。

 

「……さすがノクス様。よく気づかれましたわね。ええ、実はアリス様がこの場にいらっしゃるのは、完全に“想定外”でしたの」

 

「じゃあ、最初は……狙いはアリスじゃなかった?」

 

「ええ、そうです。わたくしの本来の目的は――ルカお姉さまですわ」

 

 ノクスは驚きに眉を上げる。

 

「ルカ……?」

 

 リゼリアはうなずきながら言葉を続けた。

 

「真祖――つまり、先祖返りのように生まれ持って弱点のない純粋な吸血鬼。今の時代では極めて希少な存在です。そんな存在が、まさに目の前にいるというのに、これまで何度も逃げられてきたんですの。だから今回は、今度こそと」

 

 「今度こそ」という言葉に、ノクスは反応する。

 

「……前にも、捕まえようとしたことがあるんですか?」

 

「ええ、もちろんですわ。何度も、何度も」

 

 リゼリアはそこで一呼吸置き、ゆっくりとグラスを揺らしながら、過去のことを語り出した。

 

「わたくしとルカお姉さまは、従姉妹の関係にございます。幼いころはよく一緒に遊びました。ですが……私は“欠陥品”と呼ばれて育ちました。太陽の下に出ることもできず、銀の食器にも触れられず、聖水なんて視界に入っただけで涙が止まらなくなる。そんなわたくしに比べて、ルカお姉さまは――完璧でした。太陽も平気、教会の中でも居眠りができる。誰もが彼女を“真祖”と崇めたのですわ」

 

 静かに、しかし内側から沸き上がるような感情がリゼリアの声に滲む。

 

「そしてわたくしは、いつしか決めたのです。研究しようと。自らの弱点を克服して、誰の力も借りずに立ってみせると。そして――それが、可能であるとわかったんです。真祖の血を使えば、治癒と再構成によって、喰種の欠陥すら克服できるということが」

 

 ノクスは言葉を挟まず、黙って聞いていた。

 

「それで……ルカに頼んだんですね」

 

「ええ。必死でしたわ。従姉妹ですもの。信じていたのです、快く協力してくれると。でも――」

 

 リゼリアは唇を噛み、目を伏せた。

 

 ノクスは小さく問う。

 

「……断られたんですね?」

 

 その瞬間、リゼリアの口元にうっすらと浮かんだ微笑みが、なぜか異様な“凄み”を帯びたものに変わる。

 

「その通りですわ。しかも、ですよ。理由が――最悪なんですの」

 

 ノクスがごくりと唾を飲む。まさか、そこには高潔な思想や吸血鬼としての誇りがあるのかもしれない、と思っていた。

 

 だが。

 

「――注射が怖いからって!!」

 

「……え?」

 

「もう一度言いますわ! わたくしが真祖の血を少しだけ分けてほしいと頼んだ時、ルカお姉さまが言ったのですよ“注射……痛いのやだ”と! それだけの理由で、この国から逃げ出したんですのよ!! しかも真祖なのに!」

 

 リゼリアはテーブルをばんっと叩いた。ノクスは口を半開きにしたまま、しばし言葉が出なかった。

 

「……そ、それは……」

 

「おかしくありません!? 真祖ですよ!? ちょっとやそっとの傷なら即座に再生する真祖が! 注射の痛みにビビるなんて!!」

 

 リゼリアは今にも噛みつきそうな勢いで憤っていたが、ノクスのほうはというと、完全に拍子抜けしていた。

 

(そっちかよ……)

 

 ノクスは内心で苦笑しながら思った。

 

(ルカ、注射くらい我慢しなよ……)

 

 そう思った瞬間、彼の脳裏に浮かんだのは、ヨトソラスに到着したときのルカの様子だった。どこか黄昏れていて、落ち着きがなく、やけにソワソワしていた。

 

(あれ……まさか……)

 

 リゼリアはこちらの考えを見透かしたかのようにニヤリと笑って言った。

 

「ええ、ビビってただけですわ。わたくしに捕まって注射されることを思い出して。可愛らしいでしょう? あれで真祖なんですのよ?」

 

 ノクスは思わず深いため息を吐いた。

 

「はぁ……」

 

 そのまま立ち上がって申し訳なさそうに頭を下げた。

 

「……うちのルカがすいません。本当に」

 

 リゼリアはわずかに目を丸くし、そしてふっと笑って言った。

 

「いえ、ノクス様が謝ることではありませんわ」

 

 ノクスは苦笑いを浮かべたまま席に戻るしか出来なかった。

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