俺の母さん、実は魔王でした⁉   作:KuRoNia

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第二節:静寂と騒音の狭間で

 ノクスは今、自分がどこにいるのかわからなかった。

 

 背中に冷たい感触。見上げれば、灰色の石。重く湿った空気が肺を押し潰すように広がっていた。目を凝らして辺りを見渡すと、無機質な石造りの壁と天井、足元には藁のようなものが敷かれた硬い床。鉄格子の扉に閉ざされた、独房のような場所だった。

 

「……え?」

 

 状況が飲み込めない。つい数時間前、いや、たしか昨晩は自室でモルテ姉さんに借りた悪魔の本を読んでいたはず。疲れた身体を布団に沈め、眠りについたはずだった。なのに、今、自分は見知らぬ牢の中にいた。

 

心臓がドクンと跳ねた。呼吸が浅くなる。

 

 ノクスは慎重に立ち上がり、恐る恐る鉄格子の扉に手をかけてみた。ダメ元だった――だが、扉は意外にも、ギィィ…という不気味な軋みを上げてあっさりと開いた。

 

「……開くのかよ」

 

安堵よりも不安の方が強い。何かの罠ではないかとすら思えるほどだった。

 

 廊下はただ一方向にしか延びていなかった。石の壁が続き、薄暗くて先が見えない。まるで地下迷宮のようだ。慎重に一歩、また一歩と足を進める。自分がどこに向かっているのかも分からないまま、ただ導かれるように歩き続けた。

 

 やがて、曲がり角の先から淡いランプの明かりが漏れてくるのが見えた。それと同時に、誰かの気配――確かに、人のいる気配を感じた。

 

 ノクスは息を殺し、足音を殺し、壁に体を寄せてそっと顔を出して様子をうかがった。

 

そこで、ノクスは息を呑んだ。

 

「……え……?」

 

 ランプに照らされたその先にあったのは、血に染まった床。そして、動かぬ三つの影。

 

ジョーヌ。ルカ。アリス。

 

 三人は地面に倒れ、胸元から深々と血を流していた。生気はなく、明らかに事切れている。顔は穏やかで、まるで寝ているかのようで、それが逆に現実味を削いだ。

 

そして、その傍らに立っていたのは――ノクス自身だった。

 

 自分にそっくりなその男は、無表情に血の滴る槍を手にしていた。まるで感情というものが存在しないかのような、空っぽの瞳。それが静かに立ち尽くす姿は、異様なまでに不気味だった。

 

「――あっ……」

 

息を呑む音が漏れた。それがいけなかった。

 

カツン、と靴音を立てて、そいつ――もう一人のノクスがこちらを向いた。

 

「――!」

 

次の瞬間、空間が歪んだ。

 

 圧倒的な速さ。身体が反応するより先に、奴はノクスの目の前にいた。その顔は、ノクスのものと寸分違わぬはずなのに、どこか狂気が滲んでいた。

 

「やめ……っ!」

 

叫ぶ暇もなく、ノクスの胸元に槍が突き立てられようとした――

 

その瞬間。

 

「ノクスー? 起きろノクスー」

 

軽く頬をペチペチと叩く感触と声で、ノクスはハッと意識を引き戻された。

 

 視界が明るい。布団の感触。見慣れた天井。胸の上には汗が滲み、呼吸が荒くなっていた。

 

――夢だ。

 

「はぁ、はぁ……っ」

 

夢だった。すべて、夢だった。

 

 隣ではジョーヌが心配そうにノクスを覗き込んでいる。頭に寝癖を跳ねさせたまま、いつもの気だるげな顔で、けれど少し眉を下げていた。

 

「なんか、うなされてたから起こしたけど……大丈夫?」

 

「……ああ。大丈夫……たぶん、ちょっと悪い夢を見てたみたい」

 

ノクスは額の汗を袖で拭いながら答える。手は微かに震えていた。

 

 夢の中の出来事が、あまりにも鮮明で。ジョーヌの冷たくなった姿が、ノクスの脳裏に焼き付いて離れなかった。

 

ジョーヌはそんなノクスを見て、小さく肩をすくめて言った。

 

「ふーん。まぁ、朝ごはんできてるってさ。アリスももう来てるから準備できたら早く来なー?」

 

そう言って、のそのそと部屋を出ていった。

 

その背中を見送りながら、ノクスは大きく息を吐いた。

 

 現実のジョーヌは、いつも通りだった。あくび混じりの口調で、寝起きの癖毛を直す気もない様子。その姿に、妙に安心する。

 

「……ただの夢だ。うん、ただの夢」

 

自分にそう言い聞かせるように呟いた。

 

ノクスは顔を洗い、汗を拭って身支度を整えると、リビングへと向かう。

 

そこには、いつも通りの仲間たちがいた。

 

 ルカはパンを頬張りながらジョーヌに絡み、アリスはエステアに料理の感想を伝えている。モルテは本を読みながらトマトスープを啜り、ジョーヌはテーブル

に突っ伏してルカの相手をしていた。

 

「おはようノクス、寝坊だなー」

 

と、ルカが食べかけのパンを揺らして笑う。

 

「……おはよう。うん、ちょっと変な夢見てさ」

 

ノクスは、微笑んで返した。

 

 だが、その心の奥底には、夢の中に見た血まみれの光景と、もう一人の“自分”の姿が、うっすらと影を落としていた。

 

 

 ◆ ◆ ◆

 

 

「それで、どんな夢だったの?」

 

ギルドへ向かう道すがら、アリスがノクスに問いかける。

 

「えーっと……石の独房に閉じ込められてて、そこから出たらさ……」

 

 ノクスは昨夜の悪夢をなるべく簡潔に説明した。自分にそっくりな男が、ジョーヌ達を槍で貫いていたというショッキングな場面について話すと、ジョーヌは即座に肩をすくめた。

 

「……えっぐ」

 

「それはまた……えげつない内容ですね~」アリスも目を丸くして、「支離滅裂な感じが、特に悪夢っぽいですね。でも、無意識って本質を映すらしいですよ?」などと、占い師っぽいコメントをつける。

 

「俺ってさ……真祖だけど、心臓一突きされたら流石に死ぬのかな?」

 

「そこじゃねぇよ」

 

ルカのどうでもいい疑問にノクスが即ツッコミを入れ、朝の緊張感はすっかり薄れていた。まだ太陽は高く昇っておらず、街には朝の匂いとパン屋の焼きたての香ばしい風が漂っていた。

 

ほどなくして、四人は冒険者ギルドへ到着した。だが、いつもと違う光景が目に入る。

 

「……なんか、男の人が受付で話してない?」ルカがぼそっと言った。

 

「うわ、確かに。しかも結構ヒートアップしてる?」

 

ノクスたちは掲示板へと向かおうとしたが、受付嬢が彼らを見つけると、ぱあっと明るい表情を浮かべた。

 

「それなら、冒険者ギルドとしても名有りのパーティを紹介しましょう!」

 

そして、迷いなくノクスたちを指差した。

 

「ノクターン・ブルームの皆さんにご相談ください!」

 

\\ドーン!//

 

「……あ、これアレだ。めんどくさい案件を全部押しつけるパターンだ」

ジョーヌが瞬時に察した。

 

「見事に厄介払いされましたね~」アリスは苦笑しつつも目が輝いている。

「ではギルドからの指名依頼ということで、よろしいですか?」

 

受付嬢はニコッと笑いながら、親指を立てて「もちろんですとも」と即答した。

 

「…………しっかりしてるな、ほんと」

 

 ノクスはため息をつきつつも、依頼とあらば無下にはできない。

仕方なく話の詳細を聞いてみる事にした。

 

男性が語り始めった話は、昨日アリスが話していた悪魔崇拝の噂と全く同じ話をし始めた。

 

「最近、この辺に黒いローブの連中が集まってんだよ。夜な夜などこかに集まって怪しい儀式してるって話だ! アレ絶対悪魔崇拝の連中だろ!?」

 

「私が言った通りじゃないですか~! 昨日!!」

 

 アリスが得意げに胸を張ってドヤ顔を披露する。うっすら眉を上げたジョーヌとルカが同時に、「はいはい」とでも言いたげな顔をした。

 

「……マジで、そんな奴らいるのかね?」ルカが額に手を当てながら呟く。

 

「てか、なんでわざわざこの辺境に……?」ノクスも疑問視していた。

 

「気でも狂ってるんでしょ」ジョーヌは興味なさそうにあくびをした。

 

「まぁ、そういう変人は一定数いますし……っというか、私が言った通りでしょ? もう一回言っておきますね? 私が言った通り――」

 

「三回目だぞ、アリス」

 

ノクスの冷静なツッコミに、アリスは舌を出してごまかした。

 

だが、住民の口からある言葉が出た瞬間、空気が変わる。

 

「しかも最近、変な夢ばっか見るようになったんだよ! 悪夢ってやつだ。これも絶対アイツらのせいに違いないだろう!?」

 

「……悪夢?」ノクスは思わず小さく反応してしまう。

 

 今朝、自分が見たあの夢。もし偶然ではなく、外部の干渉によるものだったとしたら?

 

(……まさか、儀式の影響で夢を操るなんて。いや、でも悪魔って契約出来れば何でもやるんだっけ?)

 

少し心に引っかかるものを感じながら、ノクスは住民の不安げな顔を見る。

 

「……わかりました。俺たちで調査してみます」

 

 ノクスがそう宣言すると、住民は安心したように「頼んだぞ!」と叫び、ギルドを去っていった。

 

「おお~! ノクス君頼もしいですね!」

アリスがにっこり笑いながら拍手する。

 

「やるってんなら、こっちも気合い入れていくか」

ルカが腕まくりをする。

 

ジョーヌはというと……ぼそっと、誰にも聞こえない声で呟いた。

 

「……悪夢、か」

 

「じゃ、とりあえず町で聞き込みでもするか。怪しいローブの奴らがいたって話、他にもないか調べよう」

 

ノクスがそう言うと、仲間たちは頷き、冒険者ギルドを後にした。

 

 朝の空はすでに高く昇り、辺境の街アルセナの一日が本格的に動き出していた。

だが、街のどこかに潜む異常な気配と、住民に静かに広がる不穏な影――

ノクスたちはまだ、それがただの前触れに過ぎないことを知らなかった。

 

 

 ◆ ◆ ◆

 

 

 夕方まで、ノクターン・ブルームの面々は街のあちこちを駆けずり回っていた。酒場、雑貨屋、路地裏の噂好きのおばちゃん連中――怪しい人物や黒いローブの信者らしき者について、あらゆる方面に聞き込みを試みたものの、そのすべてが空振りだった。成果ゼロである。

 

日が傾く頃、さすがに皆の足も気力も尽きかけていた。

 

「ちょっと休みましょうか。教会の方なら静かですし、座って休めますよ」

 

 アリスのその提案は全会一致で採用され、四人は街外れの小さな教会へと足を運んだ。中は誰もおらず、静寂と古びた香の残り香が漂っている。長椅子にぐったりと腰を下ろし、皆が思い思いの姿勢で休憩を取り始めた。

 

「は〜〜……ホントに居んのかよ、黒ローブの連中……」

ルカが額の汗をぬぐいながら、椅子の背に体を投げ出す。

 

「それなりに情報は集まるかと思ってたんですけどね……これだけ何もないと、ただの噂だったのかも……?」

 

アリスが眉をひそめてつぶやく。想定外の手ごたえのなさに、彼女も少々落胆しているようだった。

 

「うーっ……ダルい〜〜……脚棒……」

 ジョーヌは完全に横たわり、長椅子の上でぐでんと伸び切っていた。靴を片方脱ぎかけ、髪も若干乱れている。

 

 ノクスも、何とはなしに上を見上げながら思案していた。――悪夢のこと、信者の噂、調査の空振り。全てがただの偶然と妄想の産物だったのかもしれない、そんな気がしてきていた。

 

だがそのとき、不意にノクスの首から下げていた銀の指輪が、淡く、光を帯び始めた。

 

「……あ、またかよ」

 

ルカがげっそりとした表情で、指輪の光を見つめる。

 

「またですか……」

アリスも呆れ顔だ。

 

 そう、それはかつてリゼリアから「緊急時の連絡手段」として渡された念話用の魔道具――だったはずなのだが。

 

 今やその用途は形骸化し、リゼリアからのお喋り攻撃の道具と化していた。最初の頃は毎日。それがようやく落ち着いても、いまだに三日に一度の頻度でかかってくる厄介アイテムである。

 

ノクスは半ば諦めたように指輪を握りしめた。

 

『聞こえていますか? ノクターン・ブルームの皆さん?』

 

案の定、耳に届いたのは朗々としたリゼリアの声だった。

 

「聞こえてるよ、リゼリアさん」

 

『よかったですわ〜〜! それでね、ノクス様、今日のお話なのですけど……!』

 

矢継ぎ早に続くリゼリアの声に、椅子の上でルカが頭を抱えた。

 

「かけすぎなんだよ、リゼリア!!」

「せめて一週間置きとかにしません? そのくらいが妥当な頻度だと思います」

 

アリスも苦笑しながら提案する。

 

『注射嫌いコンビは黙ってくださいまし〜〜』

 

棒読みで返ってくる謎の反論。

 

ノクスも苦笑しながら言う。

 

「今、任務中なんだ。お喋りはまた今度にしよう?」

 

『そうですの……。でもその任務、皆さんをそこまで困らせるものなのですか? お役に立てるかもしれませんわよ?』

 

「言うだけならタダか……」

 

ノクスは少し迷ってから、現在の調査について軽く説明した。悪夢の話、黒ローブの噂、ギルドの依頼。

 

すると、リゼリアの声が一変した。

 

『……もしかしたら、それは本当に大悪魔の召喚を狙っているのかもしれませんわ』

 

「……えっ!?」

 

ノクスが声を上げた瞬間、ルカとアリスも飛び起きるように振り返った。

 

『これはあくまで予想ですが……通常、大悪魔の召喚儀式には膨大な時間が必要です。でも、それは正規の方法の場合ですわ』

 

リゼリアはゆっくりと、しかし重みのある声で続ける。

 

『“裏技”とでも呼べる手法が存在しますの。そのひとつが“皆既日食”です。日蝕の時、天体の魔力の流れが儀式に最適化されるのですわ。必要な準備や魔力が激減しますの』

 

アリスが息を呑む。

 

「……確かに、文献でそういった記述を見たことが……ただ、それが本当に実行できるとは思ってなかった……」

 

『そして、数日中に皆既日食が起こると、占いの結果が出ておりまして。だから私も、色々と準備しておりましたの』

 

ノクスの表情が引き締まった。噂話だと思っていたことが、徐々に現実味を帯びてくる。

 

「……本気で、大悪魔の召喚を……?」

 

アリスも小さくうなずいた。

 

「かもしれませんね……ここまで空振りだったのも、もしかしたら信者たちが意図的に気配を隠していたのかも……」

 

「おいおい……冗談じゃねぇって」

 

ルカもようやく緊迫感を覚えたようで、気怠げな様子が消えていた。

 

『お役に立てて何よりですわ。それでは、また何かありましたらご連絡くしますわ~』

 

リゼリアの声がフェードアウトし、指輪の光がすっと消える。

教会内には、再び静寂が戻った。

 

だが、もはや先ほどまでの疲労感は影を潜めていた。

代わりに、確かな焦燥と、緊張がチームを包み始めていた。

 

「……行こう。もう一度、足を運ぶ場所を見直してみよう」

 

ノクスの一言に、全員がうなずいた。

 

どうやら、本当の本番は、これから始まるらしい。

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