朝の薄曇りの空の下、冒険者ギルドの前に立つノクスとルカは、少し気まずそうに顔を見合わせた。
待ち合わせの時間ぴったりにやって来たアリスが、二人の表情を見て小首をかしげる。
「……あれ? ジョーヌさんは?」
心配そうに辺りを見回すアリスに、ノクスは肩をすくめて答えた。
「朝から熱を出して寝込んでる。母さんが看病してるから大丈夫だと思うけど、今日は参加できないって」
「えっ……大丈夫でしょうか……?」
アリスの声は小さく、眉尻がしゅんと下がる。
「母さん、ああ見えて世話焼きだから。薬も作れるし、ちゃんと看病してくれてる。だから心配ないよ」
ノクスはにっこり笑い、安心させるように言葉を添えた。
その笑顔にアリスもほっと息をつき、胸元で手を合わせた。
「そうですか……なら、よかったです」
一方でルカは、少し沈んだ空気を切り裂くように両手をぱんっと叩いた。
「よし!ジョーヌが寝てる間に調査を終わらせて、びっくりさせてやろうぜ!」
その勢いにノクスとアリスは顔を見合わせ、思わず笑ってうなずいた。
「そうだね、それいいかも」
「ジョーヌさん、きっとビックリするでしょうね」
そうして三人は気持ちを切り替え、再び街の調査に乗り出した。
──だが。
現実は、そう甘くなかった。
午前からあちこちで聞き込みをしてみても、得られるのは曖昧な噂ばかり。
「悪魔崇拝」や「儀式」という言葉は、恐怖と興味を煽るには十分らしいが、具体的な証拠や確かな目撃談は一向に出てこない。
昼を過ぎるころには、三人とも足が重くなり、会話も減っていた。
とうとうノクスが立ち止まり、両手を腰に当てて仲間を振り返る。
「……ねえ、このまま聞いて回っても進展なさそうだよね。二人はどう思う?」
「んー……正直、どうしたらいいかさっぱりだ」
ルカは髪をかき上げながら苦笑する。
アリスも小さく首を振った。
「私も……。何か別の方法があればいいんですけど」
「うーん……詰んでるのか、これ」
ノクスがため息をつこうとした、そのとき。
ひらり、と小さな影が視界を横切った。
黒い羽──蝙蝠だ。
「……蝙蝠?」
不思議そうに見上げたノクスの胸元で、首から下げている銀の指輪が淡く光り始める。
「……ん?」
指輪を握りしめた瞬間、耳の奥に澄んだ女性の声が響いた。
『ノクス様、聞こえていますか? リゼリアですわ』
「リゼリア? うん、聞こえてるよ。それで、何か用事?」
『もう、せっかちですわね……まあいいですわ』
彼女はくすっと笑い、それから少しだけ息を整えたように声色を変える。
『今、あなたたちの周りを飛んでいる蝙蝠は、私の使い魔です。先日仰っていた調査が難航していると聞きまして、急ぎ飛ばしましたの。……少々、到着が遅れましたけれど』
「なるほど……で、その使い魔がどうかしたの?」
『この蝙蝠は魔力の流れを辿り、魔力が集中している場所まで案内してくれます。大悪魔の召喚のような大規模魔術を発動するには、それ相応の魔力が集まらなければなりません。つまり──その集まりを探せば、目的地が見えるということですわ』
ノクスたちの目がぱっと輝く。
ルカが両手を打ち合わせ、「おお、それだ!」と叫ぶ。
アリスも嬉しそうに頷いた。
「ありがとう、リゼリア。すごく助かる」
そう礼を言って念話を切ろうとしたところで、彼女の声がもう一度響く。
『ああ、最後に一つだけ。皆既日食の正確な時刻が占いで分かりましたわ。翌日の昼時です。それまでには、どうか終わらせてくださいますように』
そこで念話はぷつりと途切れた。
三人は互いに視線を交わす。
タイムリミットが明確になったことも、心を引き締めるには十分だった。
「よし……じゃあ、あの蝙蝠を追いかけるぞ」
ノクスがそう言うと、蝙蝠はまるで合図を受けたように、ふわりと街の奥へ飛び立った。
その小さな背中を、三人は迷わず追い始めた。
ふらふらと頼りない飛び方をしていた蝙蝠は、まるで何かに導かれるかのように街を抜けていった。
ノクスたちはその小さな背を見失わないように足早に追いかける。石畳を踏みしめる足音が日陰に響き、時折、路地の陰から猫が驚いたように飛び出しては再び消えていった。
「……あれ? この道、なんか見覚えがあるぞ」
ルカが首を傾げる。
嫌な予感がノクスの胸に広がっていく。まさか、と思う間もなく――
「えっ……うそでしょ」
目の前に現れたのは、見慣れた黒の門。高くそびえる屋敷のシルエット。
「……うちじゃん!!」
思わず叫んだノクスの声が響く。ルカは「?」マークを顔いっぱいに浮かべたまま、蝙蝠が門の上を一周してどこかへ消えていくのを見送った。
そのとき、アリスが「あっ」と短く声を漏らした。
「アリス、何か気づいたの?」
ノクスが振り返る。アリスは言いづらそうに視線を泳がせながら、ためらいがちに口を開いた。
「……あのですね。この街で“魔力の多い場所”っていうのは、言い換えると“魔力量が多い人が集まる場所”でもあるんですよ」
「ふむ?」
「で、そうなると……必然的に、ノクス君の家になると思うんです」
「は?」とノクスが瞬きする間もなく、アリスは続ける。
「だって、ノクス君のお母さんの魔力量、すごいですよね? 他のご家族も同じくらい……。私、この街でここ以上に魔力が濃い場所、知りませんし…」
その言葉を聞いた瞬間、ノクスの脳裏にこれまでの記憶がよみがえる。
――そういえば、うちの家族、特に母さん、魔力量が異常だったの忘れてた……!
額を押さえてうなだれるノクス。横でルカも、何か思い至ったのか、はっと目を見開いていた。
ちょうどそのとき、門の向こうでしゃがみ込み、庭の手入れをしていたアミーがこちらに気づいた。
「あれ〜? みんなどうしたの? そんな所に突っ立ってないで、中に入って来なよ」
ひらひらと手を振るアミーの笑顔は、まるで「怪しいことなんて何もない」と言わんばかりに無邪気だ。
手がかりも失い、行き場をなくしたノクスたちは、ひとまず屋敷のリビングで作戦会議をすることにした。
扉を開けると、柔らかなランプの光に包まれたリビングのソファに、いつものように本を読んでいるモルテがいた。ぱらりとページをめくる音が響く。
ノクスたちに気づくと、モルテは静かに本を閉じて「何かあったのか?」と問いながら、ソファの端に身を寄せた。
アミーが紅茶を淹れてくれる。その香りが広がる中、ノクスたちは調査が上手くいっていないことを正直に話した。
「ふ〜ん……」
アミーは頬杖をつきながら聞き、やがて軽く笑った。
「じゃあさ、そもそもそんな大悪魔を召喚しようとしてる奴、もうこの街を出ちゃったんじゃない? あなた達が調査してるの、察してさ」
「……その可能性もありえそうじゃのう」
モルテも紅茶を一口含み、静かに言葉を続ける。
「それに、そもそもこの街の中で大規模な召喚儀式なんて出来るわけがないのじゃ。探す場所が違うのではないかの?」
その指摘に、ノクスたちは顔を見合わせた。
――そういえば、街の外は全く調べていない。森も、洞窟も、郊外の廃屋も。
しかし、窓の外はすでに夕焼けが沈みかけ、影が長く伸びている。今から探索に出ても無駄足になりかねない。
「……じゃあ、明日の朝から郊外を探してみようか」
「うん、それがいいね」
方針も固まり、今日はもう郊外調査もできない──そう判断して一同は一旦解散となった。
けれどノクスには、まだやり残していることがあった。
「……そうだ、どうせならジョーヌの様子だけ見ていこう」
ぽつりと口にしたノクスの言葉に、隣のルカとアリスが同時に顔を上げる。
「そうだな、今はアリスも居るしジョーヌも喜ぶだろ」
「そうですね、私も心配でしたし。お邪魔じゃなければ…あっでも私何もお見舞い持ってきてない…」
「それなら大丈夫、今日アリスと合流前に買って置いたリンゴとお菓子の詰め合わせを渡せばいいよ。元々ジョーヌのお見舞いに買ってた物だしね」
そんな会話をしつつ三人は、屋敷の屋根裏部屋──ジョーヌとルカの寝室へ向かう。
廊下は夕陽に染まり、カーペットの上にオレンジ色の影を伸ばしている。
ノクスが扉をノックすると、中からぼそっとした声が返ってきた。
「……入っていいけど、うるさくしたら怒るから」
ドアを開けると、部屋はカーテンが半分閉められ、薄暗い。
ベッドの上で布団にくるまったジョーヌが、こちらを半目で見ていた。
「なんだよその目つき。病人はもっと可愛く『来てくれたのねジョーヌうれしい』って言うもんだぞ」
ルカがからかうように言うと、ジョーヌは枕に顔を埋めて「……死ね」と一言。
アリスが持ってきたリンゴをテーブルに置くと、かすかに耳がぴくりと動いた。
「これ、差し入れです。栄養ありますよ」
ジョーヌはちらっと顔を出し、無言で手を伸ばす。
「……ありがとう」小さく呟くその声は、思ったより素直だった。
ノクスは椅子に腰掛け、菓子袋からクッキーを一枚取り出す。
「少しは体調良くなったかい?」
ジョーヌはリンゴをもぐもぐしながら視線をそらす。
「……正直、あんま変わんない」
「そうですか…」とアリスが落ち込むと、ジョーヌは天井を見たまま、口の端をわずかに上げた。
「ただの風邪よ、すぐに治して快復して、あんたらに飯奢らせてやるから覚悟しときなさい」
ノクスは驚いた顔で「そんだけ豪語できるなら心配なさそうだ」と笑いアリスやルカも釣られて笑うのだった。
しばらくして不意にポツリと
「元気になったらまた一緒に冒険しよう」
少ししんみりした表情で言うノクスだったが「……やだ」と即答される。
だがその顔は、布団の中で少しだけ赤くなっていた。
ルカがにやっと笑い。「ほらノクス、嫌われてるぞ」
「違うし、ただ……うるさいから」
アリスはくすっと笑って、「じゃあ、また静かに来ますね」と優しく返す。
日が完全に沈み、三人は部屋を後にした。
背後でジョーヌが小さく「……ありがと」と呟いたのを、ノクスだけがはっきり聞いていた。