朝の空気はひんやりとしているのに、胸の奥では妙なざわつきが続いていた。
今日は皆既日食が昼頃に起きる──昨日からずっと、ノクスは胸騒ぎがしていた。
何も起きないならそれでいい。だがもし、悪魔崇拝の儀式と絡んでいるなら、悠長にはしていられない。
まだ日が昇って間もない時からノクスはギルドで少し調べものをしていた。
そろそろ集合時間に近付いてきたので、ギルド前で二人が来るのを待っていた。
やがてアリスとルカがやって来る。アリスは小さく欠伸を噛み殺し、ルカは片手をポケットに突っ込んだまま、ノクスに気が付くと片手を上げ軽く手を振りながらどこか楽しげに笑っている。
「おはようございます、ノクス君。今日は早いですね」
「おうノクス、おはようさん。今日は郊外を重点的に調査するから、早めに動いたほうがいいんだろ?」
「そうだね。日食が始まってからじゃ遅いかもしれないからね」
ノクスが短く同意して返事をするのを見計らって、ルカが懐から地図を取り出した。
「ほら、頼まれてたからな、地図持って来たぜー」
そう言って広げられた地図の上で、ルカの指先があちこちをなぞる。
「廃墟、空き家、洞窟……儀式やるならこういう人目のない場所だ。大体こんなもんだな」
指で示された場所はざっと十か所以上。アリスが思わず眉をひそめる。
「こんなに多いんですか……」
「時間的に全部は無理そうだね」ノクスも地図を覗き込み、少し考える。
「じゃあ、近場から潰していこう。まずはこの廃墟から行こう!」
三人は足早に郊外へ向かった。道中、アリスがぽつりとつぶやく。
「……今日は何も起きなければいいんですけど」
「フラグ立てんなよ、アリス」ルカがニヤリと笑い、アリスは頬を膨らませる。
「そんなつもりじゃありませんってば!」
「まあ、もし儀式があったら俺たちで止めればいい。それだけだ」ルカがかっこつけてそう言うと
ノクスは「そうだね、頼りにしてるよ」と言い、それ以上は何も言わず早足で廃墟に向かった。
やがて辿り着いた廃墟は、屋根が一部崩れ、壁の隙間から風が漏れている。
「……鍵は掛かってないな」ノクスが扉を押すと、長年の埃が舞い上がり、三人同時に咳き込む。
「げほっ……! 埃がすげぇな!」ルカが手で口元を覆いながら文句を言う。
「誰も住んでない証拠ですね」アリスは目を細め、慎重に中へ入っていった。
床板は軋み、壁の染みは何かの跡のように黒ずんでいる。
しかし、一通り見回しても特に変わった様子はない。
「……また空振りか?」ルカが肩をすくめ言う。
「うーん特に変わったところは無いね、そっちも何もない?」とルカに返事しつつアリスに問いかけようとした時。
「ちょっと、来てください!」
アリスが二人を呼ぶ声が聞こえる。
二人が駆け寄ると、アリスは部屋の中央に置かれたテーブルを指差す。
「これ、見てください」
テーブルの上にはうっすらと埃の跡──いや、正確には埃がない部分が四角く残っていた。
「……何か置いてあったっぽいね。最近まで」ノクスが低くつぶやく。
「本……ですかね? こんな長年使ってない様な廃墟の中で本を読むなんて、変じゃないですか?」アリスは眉を寄せる。
ルカは埃の跡に指先を近づけてみて、「……確かにこのサイズ感だと本か箱だな」と言った。
「しかも、埃の付き方が浅い。多分、ここ数日以内だと思います」アリスがさらに指摘する。
「ってことは、この廃墟に最近人が来てたってことか」ノクスが頷き、再び地図を広げたルカに視線を向ける。
「この廃墟の近くに、他に怪しい場所はある?」
「あるぞ。少し歩いてくらいのところに洞窟がある。昔は鉱山だったらしいが、今は封鎖されてるはずだ」
「……行ってみる価値はありそうだね」ノクスが言葉を選ぶように口を開く。
「ただ、もし違ったら──」
「そんな心配すんなって。俺のカンじゃ、多分ビンゴだ」ルカが自信ありげに笑う。
「私も、ここに人が来てたなら、きっとその洞窟ですよ!」アリスが力強く頷いた。
二人の反応に押され、ノクスも表情を引き締める。
「──よし決まりだ、その洞窟に行くぞ」
「了解!」ルカが地図を丸め、アリスも背筋を伸ばす。
外に出ると、東の空がわずかに陰り始めていた。
皆既日食まで、あまり時間がない。
三人は廃墟を背にし、足音を揃えて洞窟への道を急いで向かうのだった。
洞窟の前方が視界に入ったとき、ノクスは思わず足を止めた。
木々の間から降り注ぐ薄い日の光に照らされ、洞窟の入り口を塞ぐように巨大な影が鎮座していたのだ。
「……あれ、なんだろ?」
思わず声が漏れる。遠目に見ても二メートルを超える大きさがあり、石を積み上げて削り出したような人型のシルエット。片腕を地面につき、片膝を立て、まるで騎士が主の命令を待つかのように動かずに入口を塞いでいた。
「うわ……でけぇ……」
「岩? いや、人の形してますよね……」
ノクスとアリスが顔を見合わせる。緊張が漂う中、ルカが一歩前に出て、顎に手を当てて唸った。
「これ、多分……いや、そうだよな。確かゴーレムだ。魔力で動かす、まぁ……使い魔的なアレ」
自信なさげに口を開きながらも、結論を出すルカ。しかし言い回しはどこか曖昧だった。
「アレってなんだよ……」
ノクスが呆れ顔を浮かべると、すかさずアリスが補足する。
「良く見ると確かにゴーレムですね。錬金術や土魔術の派生で作られる人造の使い魔です。普通は工房や研究所の護衛として配置されるものなんですけど……」
「へぇ……」
ノクスは興味津々にその石の巨人を見上げる。
厚い肩、無骨な腕、彫りが粗い顔。それでも立派に人の形を保っており、ただの石像というよりは「生きている守護者」のような威圧感があった。
「でもさ、なんでこんな辺鄙な洞窟にゴーレムが座ってんだよ?」
ルカが不満げに眉を寄せる。
「……おそらく、ですけど」
アリスは冷静な口調で洞窟の入口を指差した。
「誰かがここを“守らせている”んです。つまり――この先で儀式の準備が進んでいる、と考えるのが自然でしょう」
「だろ? 俺が言ったとおり!」
ルカが胸を張ってドヤ顔をする。
「だから言ったんだよ、ここが本命だってな!」
「……結論を出したのは私ですけどね」
アリスがジト目を向け、ノクスが思わず苦笑する。
そんなやり取りの横で、ノクスはゆっくりと巨体に歩み寄った。至近距離で見上げると、その圧力はさらに増す。
「凄い……本当に動くのかな、これ……?」
半ば好奇心で覗き込むように周囲を回り、肩や腕の筋彫りを観察するノクス。しかしゴーレムはただ沈黙を守り、動く気配は一切なかった。
ノクスは少し安心し、振り返って二人に声を掛けた。
「……うーん、動かないみたいだ。時間も無いしさっさと中に入ろう」
「そうですね。皆既日食までもうあまり猶予はありませんしね」
アリスがうなずき、二人は洞窟の入口へ向かう。
ノクスが先に足を踏み入れ、アリスもその後に続いた。
だが――
「よし、俺も行くか!」と軽口を叩きながら、ルカがゴーレムの脇を通り抜けようとした瞬間。
――ゴッ!
轟音と共に石の腕が振り下ろされ、ルカの横っ面に直撃した。
「ぶへっ!?」
ルカの身体は勢いよく宙を舞い、近くの木に激突。枝がバキバキと折れ、無様に地面に転がった。
「ルカ!?」
「大丈夫ですか!?」
ノクスとアリスが慌てて駆け寄る中、ルカは頭を抱えて転げ回りながら叫ぶ。
「いってぇぇぇぇぇ! な、何すんだコラァ!! このでくの坊が!!」
彼女の怒号など意に介さず、ゴーレムは無機質な声を発した。
『魔族の侵入を検知……排除開始』
淡々とした、しかし威圧感を帯びた機械的な音声。
「……なるほど」
ノクスは呟き、アリスと視線を交わした。
「魔物避け、ですか」
「……だからルカにだけ反応したんだ」
二人が理解に至る中、地面に転がっていたルカがガバリと立ち上がった。頬には真っ赤な拳の跡。怒りで耳まで赤く染まり、ぎらりと牙を剥き出す。
「やってくれたな……この石くれ風情が!! 覚悟しろよこの石野郎!!」
腰の剣を抜き放ち、ゴーレムに向かって構える。
「おい待てルカ!」
ノクスが制止しようとするが、ルカは止まらない。
「こちとらぶん殴られてんだ! 石っころにまで舐められる筋合いはねぇ! 叩き割って砂利にしてやらぁ!」
血気盛んな声に、アリスは眉をひそめる。
「落ち着いてください、無闇に戦っても……」
しかしゴーレムはルカの構えに反応し、再び拳を振り上げた。
「ちっ……仕方ない!」
ノクスは即座に槍を構える。
「アリス! 俺たちもやるぞ! 援護頼む!」
「了解です!」
アリスも杖を握り、魔法の詠唱に入る。
石のゴーレムと、三人の冒険者。
洞窟前に、火花散る戦いの幕が切って落とされた――。