轟音。
耳をつんざく爆発音と共に、紅蓮の光が洞窟を覆い尽くした。
熱風が荒れ狂い、地を揺るがす振動が走る。洞窟の壁の一部が砕け、岩の塊が崩れ落ちて破片が飛び散った。
「――っ!」
ノクスは反射的に両隣にいたアリスとルカの手を掴んだ。視界は完全に白赤に染まり、何も見えない。ただ衝撃だけが押し寄せ、身体ごと吹き飛ばされそうになる。
掴んだ手の感触だけが現実につなぎ止めてくれる。
「耐えろ!」
「っ……きゃあぁぁ!」
「ま、まだいける!」
三人は歯を食いしばり、全身に魔力を巡らせて爆発の衝撃を耐え抜いた。
長い、長い数秒が過ぎ――やがて光が収束し、洞窟を赤茶色の土煙が包み込む。
――見えない。
視界はまだ完全に遮られていた。
だが、ノクスはすぐに異変を感じ取った。胸の奥をひっかくような重苦しい圧迫感。空気そのものが濃密な瘴気に染まっている。
「……っ」
アリスは杖を握る手を白くなるほど力強く握り込み、奥歯をガチガチと鳴らしていた。
小刻みに震えている。普段は冷静で
一方のルカも、笑みを作ることもできず額に汗を浮かべていた。
「おいおい……こいつは……マズいかもな」
低い声。いつもの調子の強がりは鳴りを潜め、ただ緊張と恐怖がにじみ出ていた。
二人がここまで狼狽するということは――。
「……大悪魔、か」
ノクスはそう呟き、槍を握り構え直した。
自分の腕では太刀打ちできないかもしれない。けれども逃げる気はなかった。二人を守るために、一歩でも前へ出る覚悟はできていた。
土煙の中、笑い声が響いた。
「ハーッハッハッハッハ! ああ、素晴らしい! これぞ芸術、これぞ美、これぞ滅び! この私の手で、歴史に新たな一頁を刻んだのだ!」
その声はカリザード。
やがて土煙の向こうから姿を現し、肩を揺らして
「大悪魔の召喚は成った!!」
狂気的な笑みを浮かべ、瞳を爛々と輝かせながら。
そしてノクス達を指差した。
「さあ! 手始めに――そこの半人前三人を血祭りにあげろ! お前の力を示してみせよ、大悪魔よ!」
空気が張り詰める。
ノクスは槍を構え、アリスは詠唱に入ろうとし、ルカは咄嗟に二人の前に出て腕をクロスさせ、防御の構えを取った。
だが――。
「えー、だる……」
聞こえてきたのは、拍子抜けするほど間延びした声だった。
「は?」
「……えっ?」
「おい今の声……」
三人が目を見開く。
土煙の奥から、どこかで聞き覚えのある少女の声が続く。
「あーし、病み上がりなんすけど? いきなり血祭りとか無理無理カタツムリなんだけど……」
カリザードの顔から笑みが消えた。理解できない、とでもいうように眉をひそめる。
「……何を言っている? 命令だぞ? 私の命令が聞こえなかったのか!」
土煙が晴れていく。
そこに現れたのは――。
「ゴホッ、ゴホッ! っかー……てかさぁ! いきなりこんなカビ臭い洞窟に呼ぶとか頭湧いてんの? 空気悪っ! 肺が死ぬかと思ったわ!」
赤髪ツーサイドアップ、背中から小さな羽をのぞかせながら、顔の前で手をブンブン振って煙を払っている少女。
「じょ、ジョーヌ……!?」
ノクスが呆然と呟く。
そう、そこに立っていたのは――大悪魔などではなく、いつも通りダルそうなジョーヌだった。
「………………はぁ?」
カリザードの顔が固まる。
その場にいる全員が一瞬、言葉を失った。
「お、お前……なんで……」
ルカが絶句する。
「いや、なんでって言われても……あーしも知らんし。寝てたら急に呼び出されたっつーか」
ジョーヌは髪を払いながら肩をすくめる。
「てかマジでありえん。せめてふかふかベッドの上に呼べよな。こんな石の上とか腰痛悪化するし」
ノクスもアリスも言葉を失い、ただ呆気にとられるしかなかった。
一方のカリザードは顔を真っ赤にし、怒りと困惑に震え出す。
「な……なぜだ!? 私は確かに、大悪魔を召喚したはず……! この魔法陣は完璧だった! 魔力も、時も……!」
焦燥に駆られ、魔法陣を見下ろす。だがそこには、のんびりと立つジョーヌの姿しかない。
「ん?あぁ…大悪魔の召喚は
ジョーヌは面倒くさそうに耳をほじりながら言い放つ。
「な……なんだと……?」
その瞬間、ルカが思わず吹き出した。
「クッ……ははっ……! なんだよこれ! 大悪魔ってジョーヌかよ!? ビビららせやがって!」
「ちょっ……ルカさん、笑ってる場合じゃ……」
混乱しているアリスが必死に制止しようとするが、ルカは腹を抱えて笑いを堪えきれない。
「いやだってさ! あの狂気じみた召喚儀式の果てがコイツって……! 肩透かしにもほどがあるだろ!」
ジョーヌはジョーヌで、欠伸をかみ殺しながら「ほんとマジで迷惑だわー」とつぶやいている。
ノクスは額に手を当ててため息をつきながらも、心のどこかで安堵していた。
少なくとも、現れたのは本物の大悪魔ではない。
だが同時に、カリザードがここまで狂気に満ちた召喚を企て、それを成し遂げたはずが――まったく予想外の結果になった事態に、ただただ混乱するしかなかった。
「ふ、ふざけるなぁぁぁぁぁ!!」
カリザードの絶叫が洞窟に響いた。
「私の芸術が……私の滅びの舞台が……! こんな小娘で終わるはずがない! 私は、私は偉大な芸術家だ! 歴史に名を刻む者だ! こんなはずはないぃぃぃ!!」
その狂気の叫びを背に、ジョーヌは呆れ顔でカリザードを見やり、肩をすくめて言った。
「……ていうか、まだあんたは最後の仕上げをしてないじゃん…」
カリザードの顔は怒りと困惑の間で引きつっていたが、ジョーヌの「仕上げが終わってない」という呟きに、僅かに理性を取り戻したようだった。
「……最後の仕上げ、だと?」
低く絞り出すように問いかけるカリザード。
ジョーヌはというと、指先で煙を追い払いながら、気だるげに欠伸を噛み殺した。
「ん~、あんた、皆既日食の魔力を使って儀式やったでしょ? まあ、効率はいいんだけどさ……そういう呼び方した場合はね、召喚した大悪魔を従わせたいなら『調伏』しなきゃダメなの。常識でしょ?」
その声はあまりに淡々としていて、まるで朝寝坊した子どもが言い訳しているようですらあった。だが内容は、ノクスの背筋を冷たくさせるに十分だった。
「調伏……?」
カリザードは眉をひそめる。
「うん、カンタンに言うと……召喚した側が大悪魔をぶっ倒せば、従うってシステム。あ、知らなかった? ぷぷ……」
口の端を歪め、からかうように笑うジョーヌ。その態度に、カリザードのこめかみがぴくりと震えた。
「……つまり貴様を、この場で打ち倒せばよいということか」
「そーそー。あたし的にはどっちでもいいけど。はい、がんばれ~」
片手をひらひらと振り、心底どうでもよさそうに答えるジョーヌ。
ルカは思わず「こいつ……」と呟いた。緊張で強張っていた表情が、逆に呆れを帯びている。アリスは額に玉のような汗を浮かべ、必死に杖を握りしめた。
「ふざけるな……!」
カリザードが唸るように叫び、両手に魔力を練り始めた。空気が震え、圧が洞窟全体を押し潰すように広がる。
その様子を、ジョーヌはただぼんやりと眺めていた。
ノクスは堪らず声を上げる。
「気を付けろ、ジョーヌ! そいつは王国中に指名手配されてる大罪人だ! 魔術の防御結界を張られたら、手出しできなくなる!」
必死の忠告に、ジョーヌは振り返りもせず、片手を挙げて軽く返した。
「りょ」
その気の抜けた返事にノクスは歯噛みする。こんな奴に頼るしかない状況だなんて、冗談であってほしかった。
しかし現実は非情だ。
「もう遅い!」
カリザードが叫ぶ。
瞬間、防御魔術の結界が彼の身体を取り囲んだ。それと同じタイミングで紅蓮の光が走り、空気が弾ける。
「これで終わりだあああああ!!!」
耳を裂く咆哮とともに放たれた爆発魔術は、先ほどのものとは比べ物にならない。洞窟全体が崩壊するかと思えるほどの衝撃が走り、ノクスたちは一瞬でその炎に呑まれた。
焼ける。吹き飛ぶ。何もかも終わった――そう思った。
……だが。
やがて土煙が晴れた時、そこに立っていたのは――無傷のジョーヌと、同じく無傷のノクスたちだった。
「な……に?」
カリザードの目が大きく見開かれる。膝が震えている。
「馬鹿な……あの爆発に巻き込まれて……消し飛んだはず……」
ノクスも混乱していた。胸に手を当て、鼓動があることを確かめる。確かに爆発に呑まれた。だが痛みも傷もない。
「……なんで……?」
ルカも震える声を漏らし、アリスは「これは……一体……」と呟いた。
そんな彼らに、ジョーヌがあっさりと答えを投げてきた。
「あ、終わった? はい、お疲れ様でしたー。
「げ、現実……?」
三人は同時に顔を上げる。
ジョーヌは口元を歪め、楽しそうに笑った。
「不思議? 仕方ないなぁ~。教えてあげる。ここは私が支配する夢の中だよ」
「夢……?」
ノクスの呟きに、ルカとアリスも凍りつく。
ジョーヌは軽い調子で指を鳴らした。
「だから、こうして――『動くな』」
次の瞬間、ノクスもルカもアリスも、そしてカリザードすらも、その場に縫い付けられたかのように身体が動かなくなった。
「なっ……!?」
必死に抗おうとしても、指一本動かせない。
ジョーヌだけが、のそのそと歩みを進める。
カリザードの目の前まで来ると、彼女は気の抜けた掛け声を上げた。
「どーん」
腰の入っていない、子どもの悪ふざけのようなパンチ。
だが当たった瞬間――カリザードの身体は弾丸のように吹っ飛び、洞窟の壁に激突した。
「がはっ……!」
その惨状に、ノクスは目を見開いた。
ルカも言葉を失い、アリスは小さく悲鳴を漏らす。
ジョーヌは心底愉快そうにケラケラ笑った。
「ねぇ、痛いでしょ? 私が攻撃する時だけは、痛みを感じるようになるんだよ。えぐいっしょ? しかも私がこの夢で許可しない限りあんたは死ぬことも出来ない! あぁ、あんたは何時間?何日?何年?耐えれるかすごく楽しみ」
アハハハハハハハハハハ!
笑いながら獲物を見つめるその瞳は、虫を弄ぶ猫のように残酷な愉悦に満ちていた。
カリザードは呻き声を上げながら、壁にずるずると崩れ落ちた。
今ので理解した。自分には、この存在を打倒する力などない。
――心が折れる音が、洞窟の静寂に溶けた。